*1) 本日は下に上げてある前の文章があって、そちらを読んでいただきたいのです。が、今鎌倉へ外出していて、感動した話を拾ったので、それをご披露させてくださいませ。
場所は、喫茶店『銀の鈴』です。
ところで、メインのエピソードに入る前に種々の前説を挙げさせてくださいませ。
私は最近、感動した話でも、実名を挙げないように努めています。特別にひどいことをした人の名前を挙げているので、反対に、何もない間柄の人については、一切、実名を挙げないように努めているのです。
ただ、鎌倉を舞台とするお話は、結局は、特定をされてしまい、その当該の人物が、あらたに、敵対者として仕立てあげられて来ます。ですから、仕方がないので、名前をあげましょう。感動した場所は喫茶店『銀の鈴』で、登場人物というか主役はそこのオーナーです。
*2) 私は本作りをする際に、6冊目までは自宅でやりました。というのも特殊な作り方をするので、大変神経を使います。で、外ではできなかったのです。
特殊な作り方とは、国語と算数と美術をいっしょくたにして本を作り上げるという形です。一般の出版社では、著者と、編集者は、国語の担当です。文章を練ったり洗練させたり、する役目を担います。
そして算数は頁設計者であって、それは、印刷所に所属しているデザイナーが行います。それとは別に装丁家というのもいて、その人は美術が担当で、見返し部分の紙の選択とかまでやるでしょう。中扉や、おくつけ部分、はどちらが担当するのか知りませんが、ともかく、最低人数としても、4人の人が、分担してやります。ヒットしている本などは、その担当者が、それぞれ、人数が増えて、8人とか、10人で分担すると思います。
それを、一人で同時にやるので、大きく神経を使うので、外で、それをするのは不可能でした。パソコンの使い方においては、非常に大きな妨害を受けていましたが、それでも自宅でやっていました。
ただ、最終段階であるPDF化を、外でやるくらいだったのです。それで、それができるパソコンは一般的なネットカフェにはおいてなくて、非常にお高い場所でやることになり、全体の費用を節約するために喫茶店は利用しませんでした。
ところが、ここで、天の助けとして、母からの遺産が入りました。で、それ以前と違って、喫茶店を利用するようになったのです。
また、本作りに関しても、最上のものを作ることをあきらめてしまいました。「次善のものでいいわ」というのが最近の考え方です。それ以前は一冊ずつデザイン的に、新しい試みを入れていたりしましたがね。そしてそれが無上の楽しみでもありました。
が、今は、判型さえもA5を使うほどです。A5とは、一般的な市販の単行本のサイズではなくて、中学生や高校生の教科書のサイズなので、やぼったく見えて嫌いなのですが、頁設定が算数の問題としては楽になるのです。
パソコンのテキスト形式で書いた原文を、本に直すのには、適切なサイズなのです。つまり、テキスト形式で、120頁なら、直、240頁になるわけですね。算数としては、非常に簡単になります。
年齢が、70歳であるということを、自覚した選択です。
*3)
ただ、喫茶店を使う場合でも、考え抜いた選択をします。以前はマクドナルドでやっていましたが、どうもやっていることが把握をされやすいと、感じ始め、別のところを探しています。スターバックスも同じで、「ワイファイが使えます」と書いてあるところは、自由が全然ありません。妨害がないのなら、ネットで、内容を把握をされても構わないのです。どうせ公開するわけですから、時間的に数か月前に内容が把握されるという違いがあるだけです。が、仕事上の、大きな妨害があるので、ネットで敵に通じない場所を選択したいのです。
いろいろ試し始めています。ただ、個人経営の喫茶店は使っていません。それは、一般的に言って、私の仕事ぶりが、喫茶店で、緩やかに時を過ごす人たちとは異なっていて、小さなスペースに違和感を醸し出すからです。
サルトルはパリのある喫茶店に、一日中詰めていたそうですが、パソコンの仕事をしてはいなかったので、それでもよかったと思います。嫌われても追い出されるまでには至らなかったでしょう。が、鬼気迫る様子で、集中して、本の頁・設計をしている私は、カウンターのある席か、隅を使うとしても、ほかにもパソコンを開いている客がいる、大手のチェーン店の方がいいのです。
本作りの頁デザインとは、数を、256頁か、320頁か、決める必要があるので、それが特に、難しいのです。それは、本とは大きな紙を折って作るので、頁数が、16の倍数でないといけないという決まりがあるからです。
*4)
本日は特に、遠くのスーパーに買い物に、行きました。一番近いスーパーはユニオンと言います。いい商品が置いてあるのですが、お高いお値段設定で、思う存分買うとすぐ一万円になります。一番遠くのスーパーは「やまか」といいますが、お値段の設定が安いのです。それと段ボールの空き箱がたくさん置いてあります。自由にもって帰っていいのです。
今、家のリフォームをしたいと思っていて、荷物整理の最中なので段ボールが必要です。ただ、「やまか」ストアーは家からはだいぶ遠いです。往復に一時間はかかります。私は最近は園芸のおかげで、体を動かすので、以前より元気にはなりましたが、それでも体力がなくて、特に最終段階での石段のぼりが堪えるので、途中で、休憩を取りたいと思いました。
単なる休憩だから、いつもは使わない喫茶店でおいしいコーフィーを飲みたいと思いました。ところが鎌倉の喫茶店というのはたいていは、六時に閉まります。大型チェーン店は遅くまでやっていますが、個人経営のところは店じまいがはやいのです。で、行ってみたいと日ごろから思っているところはすべてしまっているのを思い出し、駅前の喫茶店、『銀の鈴』へ入りました。
これは駅の改札口から眺め渡すと、最も目立つビルの二階と三階をつかっている喫茶店です。一階に不動産屋が入っていますが、もし、全体が、自社ビルだと仮定をすると、大金持ちが経営している喫茶店となります。
しかし、それだからこそ、どこか、気の抜けた経営状態で、隙間風が吹き抜けるようなところがあって、好きな喫茶店ではありませんでした。以前にも立ち寄ったことはあるのですけれど、私の点数は、低い喫茶店だったのです。
*5)
私は、何かに凝るととことんまで追求しないとならない性格の人です。この2012年は、まず、ホームセンターの類を、東京駅から南ならすべてを探索いたしました。園芸用品がどこのお店で、どういうランクのものを置いているかを知りたかったからです。
その次に探索の対象としたのが、宴会場のありさまです。そのために、美術家連盟の総会(銀座のホテル・モントレー)にも出席をしたし、島精機の、株主総会(帝国ホテル大阪)にも出席をしたのでした。会議が大っ嫌いな私なのに、会場に興味があるので、出席をしたのです。そういう機会でないと宴会場を見ることはできませんので。
そういえばビュッフェ形式(=バイキング料理)のレストラン探索にも凝っています。それは、ギャラリー山口のオーナーが亡くなってからは、一人でも行き始めていて、ほぼ三年になりますが。
ああ、大切なことを思い出しました。実はパソコンの異常が始まった、2007年からは、本作りもブログの種づくりも、一部(特に初稿を作る段階)は、ネットカフェでやったのです。で、妨害を恐れて各地、各種のネットカフェを使ったので、ネットカフェの評論もできるぐらいです。
経営の特質もさることながら利用客の階層や種類にも違いがあります。うんちくはいっぱいあります。
*6)
だからこそ、20冊の本を作りたいというのも夢ではありません。自分で本を作っている段階だから、制作の段階で、苦労があまりに多いので、テーマは厳選しています。そして真面目なものが多いです。だけど、よその出版社が出してくれると仮定をしたら、ホームセンターの特徴分析など面白いはずだし、ネットカフェの特徴案内も面白いものとなるでしょう。
一般の読者が飛びつく話題となるでしょう。
と、ここで、書いておくと、早速、私ではない別の著者を使って、そのアイデアが、形になるはずです。(笑)
で、凝りに凝っているテーマの一つに、喫茶店の探訪が加わるかもしれません。いえ、既に加わっていますね。(笑)
「銀の鈴」を単なる休憩のために利用をして、『寒々しいな』と感じたのは20年以上は、前のことです。最近パソコンの仕事で使いたいと思って訪れていますが、いつも入店を、断られています。時間を理由にですが、入り口に書いてある閉店時間より前に、閉店しますという場合は、『は、ハーン、伊藤玄二郎の威令はここまで及んでいるのですね』と考えることにしています。
しかし、そういう風に断られたある日ですが、キッチンでパティシェが、ケーキ(アップルパイ)を六台作っていて、それがカウンターに並んでいました。あたり一面、バニラとリンゴのおいしいにおいが満ちていて、一瞬で見直しました。『あら、ここの喫茶店って、ケーキを自分のところで作っているのだわ。新鮮でおいしそう。今度、味を試してみようっと』と思い、以前から持っていた悪いイメージが払拭をされた瞬間です。
*7)
本日はパソコンを持って出ていないのに、疲労感から「銀の鈴」を訪れたわけです。元気に見えても昨日までの旅行の疲れが出てきたと思われます。
ところで、鎌倉市内の大型チェーン店のコーフィーはどこも味を試しています。珍しくはありません。「銀の鈴」はどうも、20年前とは違っている。その変化を試してみたいというのが目的です。まず二階で例のごとく入店を、断られました。一瞬、伊藤玄二郎の威令かと思いました。が、断る女性の態度が、それほど、嫌味でもいじわるでもないので、先ほど感じた趣旨は、思い過ごしだと流すことにして三階へ向かいました。
買い物の結果、ミカン箱を二つ持っていました。鎌倉の住人だと、それが、お値段の安い「やまか」で買い物をした結果であることが、わかってしまうでしょう。しかも、銀の鈴の三階は、バーも兼ねています。時間は夜の八時前。でも、それを室内に持ち込むのはためらわれました。それはお店側をたてた判断ですが、自分自身の服装がみじめなことも自覚をしていました。最近立て続けに書いている通り、パソコンの異常を突然に発見した2007年(五年前)よりは、心に余裕が出てきています。それがおしゃれを忘れて外出する元となっています。コートを着て出るので、中は気を使っていません。また、銀座の画廊巡りを止めたので、普段着にも張りが無くなっています。全体にビンボウったらしいおばあちゃんです。それが、段ボール箱を二つ持って、鎌倉の一流のバーへ入る(?)
ありえないでしょう。
で、一坪程度の狭いエレベーターホールで、あっちこっちを探ったうえで、ある鉄製のドアの前にそれを置きました。そこがトイレではないことは十分に確認をしました。多分スタッフの出入り口だと思いましたが、スタッフは、夜の八時前に帰るわけもなく、そこを使うはずもないと判断をしましたので。これが後で問題になってきますが、ひとまずは店内に入って見ましょう。
*8)
ボーイは、禁煙席を好むか喫煙席を好むかを聞いてきたうえで、入り口の席を案内してくれました。が、これから喫茶店評論をしていこうと思っている私です。「済みませんが、外の景色を見たいので奥を使わせてくださいね」と言って、奥へ進みました。
念のために語れば、喫煙席と禁煙席の間には何のバリアーもありません。タリーズコーフィーとかエクセルシオーネなどの大型チェーン店とは違うのです。あちらはアクリル製の壁で仕切られていますが、ここは通々です。その方がインテリアとしてはきれいです。あのアクリルの壁は、無機質で、汚い印象を与えるものです。
さて、以前は二階を利用し、本日は三階です。まるで、視界が異なっていて、それは十分に楽しみました。眼下に広がるバス停の屋根。それからおもちゃみたいに見えるバスたち。
この喫茶店のインテリアは、天井から床下まで素通しのガラスが使ってあることが特徴です。今回、それが、どうなっているのかを手で触っているうちにあっと驚いたのは、窓が開いていたことです。窓とも思われないほど大型のサイズなので、開いているとは気が付きませんでした。
が、壁を手で触っているうちに気が付いたのです。その開口部を、丁寧に見ていると、鉄製の大型サッシで、壁と窓が構築されていることがわかりました。むろん既製品ではなくて特注でしょう。
私が引っ越してきた28年前にこのビルはすでにあったので、当時としては斬新な設計だったと思われます。でも、寒々しいなと感じたのは当時も窓が開いていた可能性があります。オーナーやスタッフはいつも立って動いているので、エネルギーにあふれていて寒いとは感じないのでしょう。
でも、窓とも思われない大きなサイズだったので、閉めてくださいとも頼めなかったのです。そして、以前の私は、とても痩せていて、筋肉はおろか、脂肪など全然ない状態だったので、冷気が身にこたえたのだと思います。
こういう特殊なビルを注文するとは、この喫茶店のオーナーが、もしビルも保持しているのなら、大変なお金持ちだとなります。以前から抱いていた想像は当たっていることとなります。
私はふとですが、先ほど二階で、入店を断った女性は、オーナーではないかと思いました。彼女が家付き娘なのか、それともお嫁さんとして、鎌倉へ入ってきた人なのかはわかりませんが、いかにも鎌倉マダムという感じでした。上品な美貌で、鎌倉美人をランキング付けするとしても上位10以内には入る人だと感じます。
*10)
ここで挿入となりますが、鎌倉美人のうち、筆頭に挙げられるのはだれかと言えば、やはり、宮崎緑さんでしょう。やや厚化粧だとは、感じますが、大柄で押し出しもあって、周りを、圧倒するほどの美人です。しかし、私はもっと存在感は薄いが、鎌倉ドゥローイングギャラリーの奥様も捨てがたいと思っています。あの人の清潔感はただごとならない雰囲気で、こちらを筆頭に押したいほどです。
三位は、もし生前に顔を見ることができたなら、瓜南直子さんをあげておくでしょう。大きなお目目は、迫力のある美人を演出したはずです。
しかし、「銀の鈴」の二階入り口にいて通せんぼをした女性も、非常に美しい人でした。派手なお化粧をしているわけでもないし、お目目ぱっちりというわけでもないのです。が、全体にバランスが取れていて、お金持ちなのに、上品で、かつ、働く女性特有の清潔感と、誠実さが感じられます。
メニューを見ると、パティシェの個人名が書いてありましたので、相当に名のある人を引き抜いたことも察せられました。ので、さらに想像をたくましくしました。彼女が代替わりをして、父親から経営を引き継いだとか、または、悪い想像ですが、ご主人が亡くなって、かわりに彼女が身を乗り出してきたので、経営スタンスがまるで変わったとか。
注文したコーフィーが運ばれてきたので、受け皿をひっくり返してみると、無銘でした。が、これも実は、経営者としては、正解だと思います。自由が丘の住宅街に、カップをすべてブランド品でそろえている喫茶店がありました。すべてが一万円以上はするであろう日欧の、銘柄のカップが、一種の美術品として100客近くも、飾られている棚がありました。だが、そこはオーナーが一人で運営していると見え、割っても誰も叱られる恐れがありません。だけど、使用人がいるお店でブランド品のカップを使えば、使用人に負担がかかります。
お飲み物やケーキのお値段設定を見るとカフェ・ラ・ミルに続く高さです。だが、あちらはチェーン店なので、やがて、こちらが追い抜いて第一番の地位を奪うかもしれません。ただ単価は安いものの、お客の数が多いエクセルシオーネは売り上げの面では、侮れませんが。
*11)
しかし、いささか、いやな音が背後から聞こえてきます。なんと、私の段ボール二箱をキャスターつきスケルトンのまま、引いて、先ほどの彼女が三階の室内に入ってきたのです。「あそこは非常口ですから、邪魔になるので、こちらに持ってきました」と彼女は言います。
私は、これが例の嫌がらせなのか、それとも彼女の自発的発想なのかを一瞬迷いました。が、もし邪魔なら反対側にそっと移動をしておけば済むことです。それに店内には、合計3人のお客しかおらず、非常口が必要になる状況ではありませんでした。
そして、反対側にもこれを置くスペースは十分にありました。それに、彼女の言う非常口の方に、空き箱とかごみみたいなものが置いてあったので、そちらの方が雑然として見えました。で、この貧しげな(笑)段ボールを置くのには、そちらの方がふさわしいと私は判断をしたのです。
でも、そのゴロゴロとそれを引いてやって来た彼女の行為が、いやがらせであろうとも、私は彼女に対して、すでに、高い好感度を持っていましたので、余裕があって、パニックに陥ることもありませんでした。
その理由は、何度も言うようですが、銀の鈴が、以前とは全く違っていたことに依拠しています。お店を経営するのなら本腰を入れるべきです。でも、以前は、いかにも「お金持ちが、余技でやっております」というような、薄っぺらで、寒々しい風景が展開していたのでした。今は血が通っているというか、なんというか、豊かな感じがします。それが、彼女の影響力だと考えられるので、大きな好感度を抱いたのです。
で、穏やかに「あそこの方が、ここよりも置いておくのにふさわしかったので、置いたのですよ。ここに入れてしまうと、お店の雰囲気が壊れますので」と言いますと、彼女はやや強引に「でも、非常口ですから、邪魔になります」と、主張をし続けました。
周りを見回すと、喫煙席スペースには、私以外誰もいないのです。それで、『あ、いいか』と納得をして、受け取りました。それに、服装がみじめだったのにも引く要素がありました。
主人が捨てようとしたトレーナーを引き取って着ていました。もともと私がプレゼントをしたもので、色は大変美しいのです。それに、現在の木綿製品ですから、全然、痛んではおりません。
ただ、ウールの格子縞のシャツを着るのに慣れている主人にとって、そのトレーナーには、体を締め付ける感じとか、重さがあって、嫌いなのだそうです。
改築の予定があって、物をじゃぶじゃぶ捨てている段階なので、それがごみ袋に突っ込んでありました。でも、色を重視する私は、その色の良さが捨てがたく思われ、ごみ袋から救済したのです。
喫茶店「銀の鈴」に寄る予定が、全くなかった私はコートを脱ぐ予定もなく、かつ、喫茶店「銀の鈴」にこれほど、美しくて上品な中年女性が待ち構えているとも知らず、無防備な服装だったのです。おしゃれがどういうものであるかを知っている私には、主人のお古を着ているというだけで、引け目を感じてしまう要素がありました。で、鎌倉随一の喫茶店の床にみじめな段ボールが置かれることとなったのです。(笑)
で、コーフィーを飲んだ私は、当初の予定通りすぐ立ち上がりました。嫌がらせに負けたわけではなくて、主人が「旅行の疲れが出て来た。今夜は早く寝たい」と言っていたので、鍵を持って出ていないので、帰宅を急いだのでした。普段でさえ、早寝早起き型の主人が「早く寝たい」というのですから、どれほど、早いかわかりませんので。もし八時半に寝るつもりだったら締め出しを食ってしまいます。
ところで人間観察という意味では相当に敏感な私ではありますが、一方で思いがけないほど、鈍感で察知が鈍いところもあるのです。いわゆるポジティブシンキングの典型で、物事を現場では悪く取りません。
こういう風に文章を書き始めると、意外にも意地悪な書き方になってしまうのですが、現場ではいつもにこにこしています。
この際もレジでは、好感度いっぱいの認識で、対応した青年にこう、質問をしました。
私、「あの人、オーナー?」
レジ担当、「そうです」
私、「あの人、最近、経営を引き継いだの?」
レジ担当、「いいえ、前からオーナーです」
私、「ふーん。でも、最近のここは、以前とは違った感じがするわ。何か変化があったの? インテリアを変えたとか?」
レジ担当、「そうですね。インテリアは変えていませんが、オーナーは変わられました。去年からです」
私、「そう、やはりね。例えば、ご主人が亡くなったとか?」
レジ担当、「いいえ、違います。3,11で、オーナーは変わられたのです」
私、「え、それはどういうことですか?」
レジ担当、「関東大震災もあったし、福島原発の事故もありました。この世が安穏ではないと、お考えになったのです」
私、「・・・・・」
レジ担当、「それで、毎日お店に出られるようになりました。以前は土日だけいらっしゃっていたのです」
*12)、
私はドンキホーテで買ったスケルトンのキャスターを引きながら、小町通りを歩いて帰りました。急に元気が出て、タクシーもバスも使う気にはなりませんでした。
感動していました。誰かから、命令されたり教えられたりして、自分を変えるのではなくて、自分が自ら考え出して、自分の生活を変えていくということは、素晴らしいことです。しかも、それはあの悲惨な映像を見ているうちに彼女の身内から湧き上がってきた考えだと聞きました。それは叡智というものです。
それは確かに悲惨な経験ではありました。人類にとっては悪魔に襲われたような経験ではありました。もしあれが、巷間、一部で、噂されているように、人工的に起こされたものだったとしたら、言うに言われません。
だが、日本と、日本人にとって根源に立ち返るいい機会でもあったのです。実は、昔から超が付くほど真面目な人間であった私には、現代日本は、いささか生きにくい社会でもありました。でも、3.11が起きたことによって、時代が自分に寄り添ってくれたと感じています。
副題13、『天の啓示ということ』
銀の鈴のオーナーにとって、3.11の悲惨な映像を見ることは一種の天啓を受けたと同じことだったのでしょう。
『お前は大変に恵まれている存在だ。その立場に甘えてはいけないよ。もしかしたら甘えていて、最善を尽くしてはいないのではないかな?』と、神様から言われたと感じられたのでしょう。
それ以前の彼女はもし、主婦であったとしたら、専業主婦固有の楽しみにに没頭していた可能性もあります。それは、こどものPTA活動から発展をしたり、自分の同窓会から発展をしたグループ活動です。一緒に食べ歩きをしたり海外旅行をしたりするグループがよくあります。3.11以前の彼女は月曜日から金曜日まではその手の友人との活動を優先していたと仮定をしてみましょう。ほかの友人には、休日が土日であるサラリーマンのご主人がいて、土日には家にいないといけないので、遊びの活動がありません。その時だけ、お店に来ていたと仮定をしてみましょう。
ご主人には別の仕事があって、生活費を喫茶店で稼ぎ出す必要はなかったとも仮定をしてみます。
特に喫茶店のオーナーになったのは30代で、子育てにまだ忙しい時期で、優秀なスタッフに任せて運営をしてきたとも仮定しましょう。後は、20年以上惰性で、やって来た。が、「最善の生活をしていますか。目いっぱいの力を注いで生きていますか? 明日突然に死が訪れるかもしれないのですよ。それでも後悔をしませんか?」と、神様から問われれば、今やっている遊びは、すべて誰にでもできることだけれど、喫茶店・銀の鈴・のオーナーは自分にしかできない仕事だと目覚めるはずです。
これは彼女の老後にとっても、とてもいい選択でした。母が一緒に海外旅行をするお友達の中で、今生存しておられれば、100歳を超える方が、うつ病になってしまったケースがあります。老人性うつ病というのだと思いますが、「社交的で、明るかった人なのに。信じられない」とよく母は言っていました。
母の海外旅行は、横浜高島屋が開設当時に募集したものが、最初で相鉄観光が担当しました。その時はまだ、海外旅行が珍しい段階で、したがって、横浜近辺に住むお金持ちが参加していました。そのグループは、おたがいを気に入って、ずっと同じメンバーで、半年か一年に一回ほど、違う国を訪れていました。だけど、だからこそ、恵まれた人特有の病気が出てしまったのです。
恵まれた人は考え込みます。老人になって、『これで、私の人生はよかったのかしら?』と考えてみた時に、突然に疑問がわいたりするのです。でも、その時まで恵まれきって生きてきた人には、新しい生活を始める実力がありません。夫婦関係に突然に疑問を抱いたとしても、離婚をしたのちの生活に対するイメージやら確信がありません。すると堂々巡りに入ります。出口が無くなります。
それでも、うつ病になる人はまだ理性がある段階だからいいのです。突然に認知症にかかる女性もいます。こうなると理性がないので、結婚相手が悲惨なことになります。優秀なサラリーマンで超が付くほどの高収入だった紳士が、突然に、奥さんから腕をかまれたりします。でも、それが恥ずかしくて誰にも相談ができず、暗澹たる気持ちで毎日を過ごしていたりします。
どこのご家庭にも内部へ入ると、何らかの問題点が見つかるものですが、老人になってそういう陥穽に陥ると大変です。
しかし、働く人には、そういう暇がありません。喫茶店のオーナーとしても優秀なパティシェを迎えれば迎えたで、その青年の一生の生活を保障しないといけません。経営が成功しないとダメなのです。課題は多くて、気の休まることもないほどの忙しさでしょう。でも、充実はしていて、人生に疑問など感じてはおられないはずです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題14、『専業主婦を、日頃推奨している私だが、偽りが含まれていたらいけないのだ』
私は日ごろは、女性は、働くことよりも子育てのためには家にいたほうがいいと言っています。それを支える高給を男性に与えるべきだと言っています。その持論は上に上げた銀の鈴のオーナーを褒める文章と矛盾をするようです。だけど、これから、その間隙を埋めて行きましょう。
それは、夫婦の間に、会話とか、コミュニケーションが十分に取られていないケースに、大問題があるということです。
奥様が認知症になってしまったエリート男性も、うすうすにその原因に気が付いているのですが、奥様の心の中をおもんぱかることがなかったのです。家庭内のことは、すべてを、奥様にまかせっきりにして、相談に乗ったり助言をしたり、一緒に悩むことがなかったのです。
よく男には外に、7人の敵がいると言いますが、女にだって、社会生活はあり、7人の敵はいるのです。しかし、夫が朝の7時に家を出て、夜の11時ごろ帰宅をする生活を続けていれば、『お帰りなさい』と言ってお茶を出すぐらいがせいぜいで、相談に乗ってもらうのを遠慮して、すべてを内側にため込むようになるでしょう。
この話はもっと、複雑な展開を用意しています。だが、今日もまた疲労困憊しました。
で、いわゆる30%規制枠の中だけで語っていて、彼女の行動の中に嫌がらせがふくまれていたかどうかの、検証が済んでいません。が、恐れ入りますが、ここで、いったん、終わりとさせていただきます。
本当はランドマークタワー、ロイヤルパークホテルの、B1で嫌がらせを受けた話とか、大船のキャラバンコーフィーで嫌がらせを受けた話もしたいのです。
それから田口広勝さんという心根の美しい画家について、いい文章を書いたことがあったのに、その五年後に、突然に、それが逆転をして、彼が一種のスパイとして仕立てあげられ、お互いがキツネと狸のばかしあい状態になってしまい、それに耐えられない私が、とうとうそれを文章化したら、その途端に、一切の交流が断たれた話もしたいところです。
そして今回の話についても、3.11の本質を見抜いた私が、同じく、その件から大きな啓示を受けた賢い女性と対立せねばならない・・・・・・その種の悲劇について、それがどうして起きるのかを語りたいところです。
しかし、疲労困憊をしました。私も人間であり、一日に長い文章を二つも書くというのが、へヴィーデューティになりつつあるということでしょう。
2012年11月11日、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)
さて、旅に出るということと、本作りの二つで、短い文章で終始した私も、本日あたり、いつもの調子に戻りつつあります。
副題1、『陸奥国分寺の跡地・探索をする主人と、寝坊をした私・・・・・無論、妨害があった結果ですが』
副題2、『いい話題ができたでしょう、と、主人は言うが・・・・・著作権の問題について』
副題3、『1980年代に、湯川有紀子さんに、服装をけなされたり、褒められたりした』
副題4、『塩見和子さんは、本当に、おしゃれな人である』
副題5、『副題3の続き、黒づくめのファッションは、女性を生かすが』
副題6、『それは、森瑤子が活躍していた時代でもあった』
副題7、『著作権の問題から、中尊寺の秘仏の写真をここには公開をしないのだが』
副題8、『鬼の居ぬ間の洗濯として、山本容子と、小沢一郎氏が、NHKに登場する』
副題9、『大相撲壊滅作戦の、副指揮官であった村山弘義氏の、項目からそれが、ほとんど、消えているが』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『陸奥国分寺の跡地・探索をする主人と、寝坊をした私・・・・・無論、妨害があった結果ですが』
「今回の旅行は、すべて主人が企画をした」と前に言いました。その目的の一つは、日本史が好きな主人が最近各地の国分寺の跡を訪ねることに興味を持っているということがあります。仙台には陸奥国分寺の跡地があります。
主人は9日の早朝、私が寝ている間に、そこを訪問をした模様です。さして感動を与えられなかったと言いました。
私がなぜ、朝寝坊をしたかというと、前夜、例のごとくパソコンがおかしくて、散々時間を盗られたからです。その時の妨害策とは、写真がこのブログの頁にアップできないという形でした。
例のごとく、三時間程度をかけて、そのバグが邪魔をしている山を踏破したのですが、疲労困憊しているうえに午前三時に就寝したので、朝五時ごろには起きられなかったのでした。でも、五時間はねられましたので、次の日の石巻探索が無事にできたのですが・・・・・
敵がなぜ、2012年11月8日の深夜、ここ、仙台のメトロポリタンホテルの10階に宿泊している私を妨害してくるかについてはいろいろ、考えました。
まず、主人がネットで、申し込んでいますので、私がどこにいるかは、すべて敵様には、わかっています。
だけど、その時に書いていた文章は、毛越寺のもみじの話です。別に政治的な話題ではない。では、なぜ妨害を受けるのか?
それは、『どうやっても、彼女に人気が出ては困る』という信念が敵にあるので、今回の様に、普段とは異なった話題を書くと、普段とは異なった読者が、増える可能性があるので、それを差し止めるべく、写真のアップを妨害したのだと推察します。こういう時はすぐさま撃破しておかないとダメなのです。で、旅行中であり、次の日があるのに、一生懸命トライしなおして、とうとう、写真のアップに成功をしたのでした。
「さりげない記事だったね。どうしたの? 逃げているの?」と、お考えいただいた向きには、「私は常に、戦っておりますよ」と、申しあげておきましょう。
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副題2、『いい話題ができたでしょう、と、主人は言うが・・・・・著作権の問題について』
主人が「ブログに書く、いい話題ができたでしょう?」と、言いますが、『うーむ』と考え込んでしまう私です。主人が、中尊寺の秘仏公開のパンフレットを出してきて、「これを書いたら、どうお?」と言います。私は頭をひねって、「著作権があると思うので、どうかなあ?」と言いますと、「こんなに、誰もが持っているパンフレットだから、大丈夫だよ」と、言います。
だが、私は頭をひねって、引き続き、否定的に考えます。どうしてかというと、まず、私が画家であることが大きいです。美術家連盟の総会でも、今の話題の一つは、著作権のことです。有名な画家のケースが問題なのであって、私など、作品が使われるのは結構です」と、思っていましたが、「あの本は、盗作の疑いもありますよ」などと言われると、
『そうだった。コンセプトそのものの盗作は、10年以上前から発見をしている』と、はっきり感じているのです。それをここで、告白をしておきましょう。
そこには、火の手を上げておりません。あんまり、あっちこっちに手を伸ばすと、大変過ぎて自滅をしますので、あきらめています。その手のあきらめている損失は多いのですよ。アイデアを盗用されて、そちらが、出版以来の文庫本も含めれば累計で、200万部も売れていると聞けば、頭にきますが、放っておきます。文庫本だって、著者には、50円は入ると思いますので、1億以上の収入があるとなります。当たっている作家が大金持ちなのは、これで、当たり前となります。
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副題3、『1980年代に、湯川有紀子さんに、服装をけなされたり、褒められたりした』
湯川有紀子さんという方は一般社会には有名ではないでしょう。だが、出版界では、非常に有名な方だと思います。私が常に言っている、「本当のエリートは、テレビに出ない」という典型の人物です。顔写真も、新聞にさえさらさないという典型です。
文化界に、エリートを送り出す裏方(編集者)ですから、真に力をふるえる人物ですが、だからこそ、大衆相手の世界には、自分をさらさない人、の、典型です。
この人については、大量の文章をここに書く予定があります。むろん瀬島龍三やら、国際的軍産共同体の、真の姿がどういうものかを解説する一環として書くのです。しかし、それはそれで、20万字ぐらい必要となるので、本日は簡単に、文章系作家がどれほど、高収入であったかを語るために、ご登場をいただきます。
湯川さんに初めて会ったのは、まだ中央公論社のビルが古いビルを使っていた時代です。当時40代だった私の当日の服装は、既製品の紺のブレザーにタータンチェックのスカートです。
後で丁寧に考えてみると、湯川さんは、実年齢が、私より一歳、上でしかないのです。ICUの同窓です。そして、例の渡辺幸子さんと同学年です。
だが、専業主婦である私とキャリアーウーマンとして輝かしい履歴を誇っている彼女との間には、数段の差があって、人間として、私は圧倒をされきっておりました。そのタータンチェックのスカートの日、彼女が何を着ていたかというと、ブラウスです。
マオカラーで、色はモスグリーンを深めたような複雑な色。生地は、絹か? とても上等なもので、『日本橋の高島屋で、売っているものでしょう』と、私は推察した記憶があります。京橋の中央公論社から高島屋本店までは、歩いても、15分はかからないはずです。
アクセサリーは一切なし。当時の国際基督教大学は良家のお嬢様で、美しい人がいっぱいいました。その中、合計7学年、1400人の人材中でも、10以内には入るでしょうというほど、美しい人で、美形好きな川崎さんとしては、一目ぼれをするほどの人物です。
ただし、1960年代のキャンパスでは全くと言っていいほど目立たない人でした。記憶にありませんので。地味目に、生活をなさっていたと思われます。将来は、一流の編集者になるという人生・設計もきちんとあってね。
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副題4、『塩見和子さんは、本当に、おしゃれな人である』
ここで、挿入となりますが、当時のキャンパス内で、
特に、美女として、目立っていたのは、塩見和子さんです。欧米の有名なオークション会社サザビーズの日本支社長をした人で、ネットの世界の検索で出てくるはずの人材です。今は高価な楽器を演奏者に貸し出す財団の理事長だということ。
横浜の名門女子高、フェリス・・・・・(しかし、今グーグルで再検索をしたところ、彼女は小林聖心から、各国の、インターナショナルスクールを歴訪して、香港で、16歳で、大学入学の資格を取ったそうですが、日本では飛び級の制度がないので、フェリスへ短期間進学した模様です)・・・・・の出身で、かつ、1962年当時で、すでに、海外留学経験のある帰国子女。
白いハイソックスは、今では、女子高生の定番で、ルーズに着こなすファッションまで生まれていますが、当時は、珍しいもので、それを、最大限に生かした、彼女のカモシカのような足を忘れられません。
今はキャンパス内・美人・コンテストが、大流行で、各大学の女王の顔写真がネットの世界で出回ったりしますが、甘い顔の御嬢さんが多いですね。慶応大学の女学生を日吉でよく見かけますが、『即座に芸能プロダクションに、はいることができますね』と、思うほどの、かわいい御嬢さんはいっぱいです。が、上に名前を挙げた二人は、違う傾向の美人です。
お化粧っ気はまるでなくて、知性とか、上品さとか、健康美にあふれている存在です。つまり、ファウンデーションで素地をつくり、メイキャップで、仕上げた美ではない。
ただし、60を過ぎた塩見さんは、ニットを多用しているようで、かつメイキャップもしている模様で、往年とはまるで、違ったムードの女性ではあります。つまり、カモシカから慈母観音への変身を遂げた人ではあります。
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挿入から元へ戻ります。
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副題5、『副題3の続き、黒づくめのファッションは、女を生かすが』
一回目と二回目の訪問の間に、湯川有紀子さんから、軽蔑をされているなと感じた私は二回目には、居直ったファッションで出かけました。
それは全身が黒づくめで、かつ、胸元に、金のアクセサリーをジャラジャラとつける形です。これは横須賀在住の主婦としては、外れているし、かつ文化と、知性の殿堂である、中央公論社に乗り込む服装ではありません。
ただし、中学の同級生で、東大の医学部へ進学したYちゃんが、1966年に地下鉄丸ノ内線の車内に、その手のファッションで乗り込んできて、仰天をした覚えがあります。まるで、水商売の女性見たいとびっくりしたのですが、女性を最も美しく見せる服装ではあり、かつ、現在では、女性の画家が個展の初日に選ぶ服装の頻出度ナンバーワンのスタイルでもあります。
でも、湯川さんの好意を得て、ここから、ブレイクしていこうと願っているのなら、それは選ぶべき服装ではないのです。
ところが、驚いたことに、湯川さんは、「今日の服はいいわ。この前はだめだったけれど」といったのです。あのころは今ほど、さばけていなかった私は、「どこが、そう思われたポイントですか?」と質問をすることもできず、そのまま、中央公論社を去ったのですが、帰途考え込んでしまいました。
そして、わかったことは、文章系作家がどれほど、派手な格好をしているかということでした。
高価なブランド物を身に着けておしゃれの限りを尽くして、闊歩しているということです。
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副題6、『それは、森瑤子が活躍していた時代でもあった』
一時期メディア界を席巻するほど、人気があった女性ですが、幸田文とか、高峰秀子ほど、その文章が復活をしていません。
ごく初期の自伝的なもの、
例えば、『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』は、許容できますが、ほかは、どうもです。
なお、申し訳ございませんが、園芸をやっていた二時間ほど、ここに三島由紀夫作品のタイトル名『午後の曳航』を誤まって入れておりました。失礼しました。ボート関連で、連想が起きてしまい、混同しました。
私としては消滅した人だと考えていましたが、意外にもグーグルの検索では大いなる項目の出てくる人ではありました。wikipediaには、100冊も著書がありとか、いまだに憧れる女子高校生がいるとか、出ています。
うーん、しかし、私は根本的に嫌いです。彼女の情事の実態を知っているし。・・・・・いや、思いがけないところから、重要な情報が手に入る人間が私です。
彼女のわがままな情事の影で、泣いている女性がいるということを知っていますので、大嫌いです。
そして、一番重要なことは単に直接的に被害を受けたということだけではなくて、間接的に、泣いている女性が多いだろうということです。つまり、彼女は1980年代の女性の生きざまをけん引したのです。
お金があるのなら、女性も自由に恋愛をしてよろしい。夫がいても、恋愛をしてよろしい。妻がある男性とも恋愛をしてよろしいという風潮を生んだ女性です。
しかしそういう主張で一生を乗り切れるのは、特殊な少数の女性だけです。一般の人には当てはまりません。だけど、婦人公論や、週刊文春で読むことができる森瑤子の文章を読んで、『できる。離婚してもいいのだ』と思った女性は大勢いるはずです。
そして今、貧乏になったとか、生活が立ち行かないと思って苦しんでいるケースはいっぱいあるでしょう。
ご自分が、ほかの男性を好きになって離婚をしたケースもあるだろうが、夫が、別の女性と不倫関係になっているので、怒って離婚をしたが、時間が経てきて、今では、とても、苦しんでいる、というケースも多いと思います。
時代の風潮を自分が作り上げているという自覚は、森瑤子・ご本人にとっては、ありがたいことだったでしょう。
特に芸大出身なのに、正当なる音楽の分野で、活躍をできなかったという劣等感があったと仮定をすると、この大活躍は、自分にとっては正当なる神の采配だと思われたかもしれません。
だけど、時代と、読者の双方に、与えた・悪・影響は大きいです。
元に戻ります。ともかく、私は湯川有紀子さんの言葉から、文章系作家で当たっている人がいかに派手で豪華な生活を送っているかを知ったのでした。
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副題7、『著作権の問題から、中尊寺の秘仏の写真をここには公開をしないのだが』
さて、冒頭の副題1と、副題2へ戻ります。今回の旅行は一切が主人主導で、私は出発前夜の夜の11時まで、例の本の修正やら、秋葉原で、何かを買うやらで、東京へ行って、外出している始末です。夜の11時から午前一時までかかって、やっと準備を終わったぐらいです。
だが、雨に降られて、時々は濡れてしまったという以外は、すべてがつつがなく終わったと言えるでしょう。
そして、主人は大成功だと思っていて、ブログに書く新しい種ができたね。と言っています。私は8日の深夜に、毛越寺のもみじの写真がアップできなかったほどですから、上に言っている通りに、自分のブログがどれほど、敵様たちに重要にとらえられているかは知っており、
だからこそ、うかつには、他人が撮った写真は使えないのでした。しかし、普通のブロガーには許されることでしょう。
むしろ、旅行記として、秘仏の情報をあげれば、それは、メディアが今取り上げてはいない情報なので、プッシュの役目をはたして、観光客が増えるかもしれません。それは東北にお金が落ちることへつながります。
で、仏様のお名前だけをここに書いておきます。
『一時金輪佛頂尊』 です。
この章は、宗教における偶像の問題とか、それから、観光施設としての、中尊寺の姿勢とか、(入場料が別に取られる)とか、いろいろありますが、ここでは、主人との会話という項目だけで収めておきます。
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副題8、『鬼の居ぬ間の洗濯として、山本容子と、小沢一郎氏が、NHKに登場する』
さて、2012年11月の8日の夜には、私は写真がアップできないということで四苦八苦をしていました。そのうえ、さきほど見た番組、BSプレミアムに山本容子が出演をしているのを知ったので、
『おお、これが例の鬼の居ぬ間の洗濯の一つですね』と、感じて、自分との差に唖然としていたところですから、よけい、神経が痛みました。
その番組は渡辺真理さんが司会をする、日本史の分析番組『BS歴史館』で良質なものです。当夜は、和宮特集でした。ところで、渡辺真理さんこそ、国際基督教大学卒の、才媛のひとりなのですが・・・・・
しかし、私はそれらのマイナスが訪れることを予知しながら、東北旅行へ主人に従って出てきたのですから、最悪の時代は通り過ぎたとも思っているのです。つまり、私自身に、余裕が生まれているということ。
で、それが8日のことですが、9日のニュースウォッチでも、小沢一郎氏が出てきました。ニュースともいえないニュースです。つまり、かれが、言ったのは、「第三極が重要で、名古屋の河村氏と、総選挙の立候補調整をしないといけない」という話です。
そんなことは彼本人の内面のつぶやきにしか過ぎないです。それを、堂々と公表するというのはどういうことですか?
今視聴料と、番組の一分あたりに、かかっている費用を計算をしてみました。どんな番組でも、一分につき、ざっと100万円がかかっている計算となりました。視聴率との配分構成があるでしょうから、ニュースウォッチに出演して、数分間をNHKから、もらうことは、2000万円ぐらいの広告費を節約したこととに当たります。
となると、NHKの番組編成室長とか、報道局長を籠絡しておくことは、日本を制するということと同じであり、小沢一郎氏は、それができている人材であり、また山本容子と、その陰にいる画廊『ガレリアグラフィカ』のオーナー栗田玲子さんにも、それができているということになります。
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ここで、挿入ですが、栗田玲子さんが、夜の10時半に鎌倉で下車をして伊藤玄二郎と一緒である姿を目撃できたことは、これこそ、天の配剤といったものです。常に、神様に助けていただいていると言いますが、それは、こういうポイントを指します。NHKの裏側が、すっかりかつ、正しく、読めますので、幸いしています。
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元に戻ります。で、小沢一郎氏の9日のニュースウォッチ出演は単なる鬼の居ぬ間の洗濯にしかすぎなかったと、判断をしています。河村氏と、立候補調整をするとして、それで、小沢チルドレンが、その選挙区で勝ったとしても、それは、小沢氏の成功を意味するものではなくて、もともと河村氏に地盤がなかったというだけの話です。コンセプトとか、思想を大切にする政治家には、どぶ板選挙向きの活動をやっていない人は多いですから。
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副題9、『大相撲壊滅作戦の、副指揮官であった村山弘義氏の、項目からそれが、ほとんど、消えているが』
この『鬼の居ぬ間の洗濯』ですが、大相撲壊滅作戦と、私が呼んでいる一連の事件の時に、もっともよく使われた手法です。伊藤滋座長の発表、村山弘義元高等検察庁長官の記者会見、奥島孝康氏の記者会見、それら、および、NHK記者の捜査情報の漏えい等はすべて、私が東京へ出ている間に起こされていたのでした。
泥棒が入ります。ですから、東京へは主人が休む日である月曜日と木曜日を主に使っていました。銀座での画廊巡りを終えてから、母の老人ホームを見舞いましたので、夜は深夜、11時半ごろ帰っており、いつもクタクタで新しい文章を書けない時代です。
そこを狙われてやりたい放題のことをやられていた時代です。
ところで、今、村山弘義氏の名前が正義だったか、知義だったか不確かでした。で、グーグルで検索をしたところ、村山氏の名前が、出てこないのです。で、あっちこっちたどって行って、やっと、村山弘義が正しいとわかったのですが、その探索の経過中に、あれほどの、大事件の如く見えた大相撲壊滅作戦の、情報がほとんど消えているのでした。
村山弘義氏は、元高等検察庁長官です。だから、検察庁という項目があってもよかろうし、その歴代長官という項目があってもよさそうですが、両方とも消えていますし、このニュースそのものの項目も多数が消えてしまっています。
ということはあの事件が大した事件ではないということを証明しています。NHKテレビがどれほど、長時間をあの件で割いたか、覚えておられますか? しかし、あの事件の本質は、鎌倉エージェントの伊藤玄二郎と、彼の元愛人を自称していて、彼から、過剰な支援を得ていt、鎌倉市の公民館多数に出張教授に行っていた石川和子女史を守るために起こされた事件にしか過ぎないのです。
というのも、これらの、エージェントは日常的に、特権を駆使しているので、その最末端さえ超が付くほどのわがままものとなっていて、猫のことで石川和子さんと、その現在の夫である、柳沢昇は大失敗をしているのです。
それを救済するためにはまず、私を暗殺してしまえばいいのですが、すべて失敗をしています。
で、別方向から攻め込まれています。消耗戦に持ち込んで、自滅をさせてやろうとする案です。それに利用するために鎌倉エージェントたちが、起したのがその大相撲壊滅作戦であり、もっとも、損をした人物は、相撲取りだけではなくて、攻撃者側にもいたことがわかり、それが、村山弘義さんであることが明白にもなりました。
だって、あの事件が、単なるわがまま女を、救済するためだけのものでしかないのに、いかにも正当なものの如く装う必要があって、それに利用をされたのが、村山氏でしたから。村山氏の端正な顔立ちと、元高等検察庁長官という肩書は、その事件に、権威を付与するのに多大な、効果を与えたのでした。山本容子はどっちに転んでもいいのです。芸術家だから、どうなってもいい。だけど、村山氏は違うでしょう。
伊藤玄二郎の翼の下に入ると、こういう結果になります。心召されよ。諸氏、諸嬢よ。
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副題10、『その構図は、この山の人間関係にもそっくりとあてはまる』
ところで、なぜ大相撲が狙われたのかについては、いろいろ理由があります。だが、あの作戦で最も得をした人間が二人ほどいて、一人は後で述べる山田洋次監督であり、もう一人は貴乃花親方です。
その貴乃花親方の母が、藤田憲子さんと言って、相当長期間メディアに登場しました。一種のタレントとしてです。
彼女は元女優だそうです。ただし、今は、芸名を変えている可能性もありますが、ともかく、貴乃花親方の母であることには変わりがありません。
私は過去14年間、書いた文章の中でたびたび、この人に言及しています。それは、この人とそっくりな人が、ご近所に住んでいて、そちらから長い年月にわたり、迷惑をこうむっているので、気になって仕方がない存在だからです。
それは安野夫人と言って、瞬間的に、どうしたら、自分が有利になるかというポイントで頭が回る人であります。そして、自分の弱点を補うために他人を利用するポイントにもたけている人です。
上の節で、伊藤玄二郎と、彼の参謀役を務めている井上ひさしは、まず、人気の高い作家であった伊藤整氏の息子である伊藤滋氏を矢面に立てました。こうすると、自分たちが、雨宮舜(=川崎千恵子)を攻撃したいと思っている真実が隠せると思ったみたいです。
ここで、伊藤玄二郎が伊藤整氏の庶子である可能性も、ふとですが、感じてしまう私ですが、それは、今のところ検証をされていない事実なので、ここではそれは、ふくらませません。
ともかく、矢面に立つ人物として、東大名誉教授にして現在(というか当時)は早稲田大学の教授でもあった伊藤滋氏が、選任をされました。
しかし、それだけでは不十分です。権威が足りないと見た、鎌倉エージェントたちは村山弘義氏に依頼をしました。
この村山氏の個人名について、数分間迷ったのは、同じ漢字を使う人物として、村山知義氏があるからです。職業上は一切の関連がなくて、両者ともに親戚であるとは、大相撲壊滅作戦の展開していた当時も開示されておらず、今に至っては村山弘義氏の情報が伏せられてしまっているので、さっぱりわかりません。
もし、フェイスブックに入っていれば、こういうときは便利だったかもしれません。誰かしかるべき人に問い合わせればわかることでしょう。
しかし、フェイスブックについては、そこで、これまた莫大な量の妨害に出会って、それの防衛のために、莫大な時間を消費したので、プラスマイナス、ゼロ以下だと判断しているので、再び入る気持ちはないのです。
半年前よりは、対・私としては、フェイスブックが、緩やかになっていて、もしかしたら、メルアドを別のものに変えれば再加入が可能かもしれませんが、トライをしていません。
で、もし、村山弘義氏が、村山知義氏の弟であったり従姉妹であったりすれば、パズルがすべて埋まります。使者としては酒井忠康氏がたって、一肌脱いでくださいと頼んだのだと推察しています。
ともかく、伊藤整と、村山知義のラインを使って、最初にそれが案出をされたとすると、見事に、構図がはまります。
その際に村山氏の存在は重石のように重要だったのです。一般大衆は肩書に弱いです。氏の高等検察庁長官というのは、作られたニュースの権威づけには大いに役立ちました。いや、八百長疑惑も野球賭博問題も実際には、有るでしょう。でも、あれほど、もめさせるほどの事情だとは思いません。日頃の日常茶飯事の一つです。
お金と暇が有り余っている若い独身の男が群れている集団です。ありえます。だけど、メディアが寄ってたかって叩くほどの問題ではありません。それが、重要に見せかけたのは村山氏が加わっていることだったのです。
さて、安野夫人が大問題なのですが、たぶん、彼女は高卒でOLをしていた時代にご主人と知り合い、不倫の関係に陥り前の奥さんを追い出して、正妻になり、その新しい構成の一家5人で、この山に乗り込んできた人です。
たぶん、正式な入籍後、この山に新しい家を買い、遠くから引っ越してくるという形で、うわさを消していった人ですが、勝つという快感によっていて、常に勝ちたいと願っている人です。
そして、ばかではない。すこぶる政治的に動く人でもあります。彼女にしてみれば、たった10人程度の集団でも、支配しやすい人と、そうではない人は当然、あって、まず、支配をしやすい人間と、友達関係を作ります。
最初に、石川和子さんを取り込みました。それは、ある部分で馬が合ったからです。外面はともかくとして、内面は、2人とも小市民ではありません。
小市民とは、夫が勤務者で、妻は子供を二人以上生み、PTAやボランティア活動に励んでいるという構図です。そこからは結婚の形という意味で外れているので、馬が合ったのでしょう。たった10人程度の集団で、2人が組むと大きな力となります。後は怒涛のごとき進撃を開始するという話です。
彼女は、自分より優れている存在はたいてい無視するかいじめます。が、前田夫人だけは取り込みました。前田夫人は大学院を出ているので、学歴としてはいちばんの存在です。しかも、仕事は大学の講師です。ぴか一で、一頭抜けている存在です。
どうして、前田夫人が取り込まれてしまったのかが、不思議でならないのですが、他人にはわからないというか、見えない部分で、気の弱いところもあるのだと思います。安野支配体制が嫌だと思う人はたいてい、引っ越して行ってしまいました。私が引っ越してきて以来、9回も住人が変わっています。実際に住んでいる人が、15所帯しかないのですから、これはすごいパーセンテージですよね。(笑)
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副題11、『山田洋二監督は、反対に文化勲章をもらいました』
副題12、『山本容子は、おしゃれテクニックを変えてきました』
さて、ここで、午後4時になりました。
それで、申し訳ございませんが、上の副題9以降は明日書きますと、申し上げさせてくださいませ。いろいろやらなければいけない作業がたまっておりますので、恐れ入りますが、そちらへ入ります。
本日は石巻に行ってきました。写真を一葉あげておきます。今日利用したタクシーの運転手さんのお話では、この小学校は建物としては丈夫で、津波では、倒壊もせず、大丈夫だったようですが、火事で、燃えてしまって今は廃校になっています。そういえばニュースの映像で、赤々と数日続いた火事を思い出します。
庭はやや黄色味がかった、砂です。それも、とても粒が小さくて、はだしで走ったらどれほど、気持ちがよいだろうと思う校庭です。「門小がんばれ」というパネルが残っていたので、地元の人が門小と呼んでいた学校でしょう。
その広い校庭の左右に大きな墓地があるのです。それが、下から半分ほど、津波で倒され、半分から上は無事です。
家も流され余裕がないご家庭だと思いますが、お墓が直してありません。それに、これほど、大きな墓地なのにお寺が見られないので、たぶんお寺も倒壊したのかと思います。
ところで、その前にタクシーの運転手さんから、生死の境目をどこがわけたのか、本当に難しい選択だったというお話を聞きました。ここほど、海岸に近いと選択の余地もないのですが、相当の内陸だった場合に、車に乗って逃げたほうがいいのか、家の中で、二階に上がって待っていた方がよかったのかは、本当にケースバイケースで、どちらが正解だったともいえないそうです。
運転手さんが、これを見なさい。と言ってくださった記念碑的な場所があり、それは、後で、写真がアップできたらお知らせをさせていただきます。
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それは、いくつもありますが、旅から帰宅した直後では、一場面だけ写真を挙げさせてください。それは、海岸べりに放置されている壊れた車の山です。
鉄骨がむき出しになった建物のそばにも大量に置かれてあります。
電車やバスがたくさん走っている都会と違って、車が必需品であるこういう地域で、たくさんの車が流されぶつかり、壊れたのでした。
ほかにも記念碑的な建物がありますが、本日は、それらは、それだけにして、
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ここで、私たち二人の行動に戻れば、海岸から駅へ、今度はタクシーではなくて、歩いて、向かいました。
すると、海岸から一キロ程度離れて海抜が、40~50メートルはありそうな、日和(ひより)山の上は、何の被害もなさそうです。なんという差でしょうね。下に住んでいた人はやるせないこと、やるせないこと、言うに言われないでしょう。
ところで、あるお宅の玄関に、白雪姫の小人が三人立っていたのですよ。あまりにも平和でね。それが、何とも目を引きました。これは、プラスでもマイナスでも何もない単なる観察として、写真をここに置かせてくださいませ。
さて、石巻市は、海岸、平地、山、盆地、山という地形になっていて、その山を駅ヘ向かって下って行きつつあるときに、広い市有地が、有りました。公民館とか、市役所、消防署がある一帯です。
そこの一角に思いがけない看板を見つけました。
テレビによく映る仮設住宅のうちでも、もっとも、環境の良い施設の一つだと感じました。
それは、一瞬ですが、毛越寺のもみじを思い出させましたから。
このま、隠れに、白い建物が見えます。ほかにもバスから見えたのもありました。訪問をすべき立場でも理由もないので、遠くからそっと写真を撮らせてもらっただけです。
今日は恐れ入りますが、これだけで終わらせてください。いつもとまるで違いますが、お許しの程を。
2012年11月8日 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
副題1、『毛越寺、は、もみじが美しく静かだった』
東北に観光旅行に来ています。「原発のことをあれほど書いていて、ボランティアにもいかないで、今頃、中尊寺に行っていて、もみじを見ているなんて」、とおしかりを受けると思いますが、これは、私の企画ではなくて主人の企画です。
で、毛越寺のもみじが、どうしてか、ちょうど、10分の1程度が、赤くなったところで、美しいみものでした。
我が家にも潮風の当たらない、もみじがあります。直径が、60センチぐらいはある大木で、相当に美しい赤に、12月になればなりますが、でも、この毛越寺ほどの美しさにはなりません。
主人は金沢文庫に、五、六回行ったそうで、ここと、既に消滅した鎌倉『ようふく寺』と、は、三つ似た様式のお寺だと言っていますが、私は日本のお寺には詳しくはないのです。ただ、本堂では、儀式の最中で、その雰囲気は、非常に静かで、美しいものでした。お坊様の『けさ』の類が、地味目で、お経の読み方も、落ち着いていて、静かで・・・・・
毛越寺のお土産の中で、傑作だと思ったのは俳句かるたです。上の句と下の句を、二枚の札に分けてあり、上の句を読んで下の句をとるという仕組みでした。二〇年前の実家のお正月だったら、このゲームをやる人がいっぱいそろっていたと思いますが、今では、これを楽しみとしてできる人が、五人以上集まる会を想像できません。
昔の大家族主義のお正月はよかったですね。そして昔の日本人は教養が高かったですね。
ただ、むろんですが、買うことは買いました。初めて見た貴重なものですから、文化遺産として(?)。
お金を使ったり遊びに行くことだけでも、東北の支援になると言われれています。ほんの少し、芥子粒ほどの支援ですが、本日私たち夫婦は、いたしましたよ。
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副題二、『中尊寺の菊まつり』
昨年同じ頃、京都に行っています。西本願寺が、菊のコンクールをおやりになっていて、同じく雨だったのを思い出しました。
中尊寺は大規模に菊づくりの、コンクールをなさっていて、たくさんの大輪の鉢や、懸崖造りの鉢が並んでいました。
中に一つのコーナーがあって、大槌町住民のある方が、別の場所でお作りになったものか、十数鉢の大輪の菊を出展なさっていたのが印象的でした。菊作りは大きな神経を使いますから、それだけ集中できるようになってこられたのは、よいことだと思います。
中尊寺は、お客さんが、六十歳以上の人だけだったことが幸いしたのか、それとも雨だったのが幸いしたのか、非常に落ち着いた印象を受けて、特にお金取主義だとか、観光地としてすれているとも感じないで、すっと、満足してそこを去りました。
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副題4、『平泉駅の太陽光発電について』
日光へ行ったときに、JRの駅にエスカレーターもエレベーターも無いのに、驚きましたが、こちらも同じです。
それは、ひどいと思いますね。エキナカ(駅の改札口の中での商店街とか、駅ビルの中の商店街)開発ばかりしていないで、老人客が、これほど、多い駅なら、設置すべきだと思います。
ただ、平泉駅周辺の商店街が落ち着いていてきれいでした。お店の数が少ないのですが、それだけに、さびれたシャッター商店街にもなっておらず、雰囲気もいいです。
ただ、一つ印象的だったのは、平泉の駅ないの敷地の中に、太陽光発電の液晶パネルが、数十枚置いてあって、『おお、それは』と思いましたが、それは、私の判断のほかの出来事です。批判もせず、肯定もせず。ただ、おお、そうですか!と、言うだけです。
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副題5、『青葉城跡地は、東北大学だらけです』
午後遅く仙台まで帰って来て、さて、どこへ観光へ行くかとなり、青葉城跡地へ向かいました。バスで行ったのですが、延々と城山を回ります。そのバス停が10個以上ある感じで、ほとんどが東北大学の、理工学部に、関連のある施設です。
『うーん』東北大学の理工学部が実力のある大学だとは、昔から知ってはいましたが、敷地の広さだけを考えても、大きな大学です。
それが開設された時の、文部大臣は誰だったのかしら?
そして、宮城県庁を治めた、宮城県令は、どこの藩の出身者だったのかしら?
この件に関しては、私としては、経年の観察があるわけでもないので、+とも言えず、-ともいえない問題です。
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副題6、『仙台の勢いは、サラリーマン・出張族が作っているなあと、主人が言う』
夜、仙台駅周辺を歩いていると、主人が、「世の中が不景気だとは思えないなあ」と言いました。それほど、買い物客が多く、若い人の熱気が充満しています。
東北新幹線のホームでは、黒い色のスーツ姿(特に男性)がいっぱいです。つまり東京と、東北との間をつなぐ、出張族がいっぱいいる、別の言葉でいえば、働き盛りの人々が集う街とみなされます。
それが、JR横須賀線の、逗子駅に非常によく似ているのです。つまり、働き盛りのサラリーマンが歩いている街という意味で。
この文章はいつもの私のものとは書き方もテーマもまるで違っていますが、これで、お許しくださいませ。ものすごく根を詰めた9冊目の本作りの後で、すぐ旅に出たので、いつもの日よりもさらに疲れています。恐れ入ります。閑話休題ということで、お許しくださいませ。
この文章は、水曜日の、午前二時に公開して、今は、18時間後の20時です。夜の八時です。加筆と推敲を終わりました。どうしてか、大変な妨害に出会いました。ラガルド女史について触れたから、それとも桐村あかねさんについて触れたから。
それとも、桐村あかねさんから、そっくり同じ文章が、2度送られてきた裏に、別の人間がるのだろうと書いたのが、引っかかったのか?
2005年だったのですが、ある人から、106行にわたる長いメールをもらったのです。それと同じものが、30回以上届いたのです。だから、私が気分が悪くなるような内容のものは、別のところで何度も、これを利用してやろうと考える人間がいて、その連中が何度も繰り返しておくってくることもあるようです。
桐村さんのコメントが届いたのは、ここではなくて、9月26日発信の文章です。
タイトルは、
画面が、左側4分の1の位置へ全移動しているぜ・・・桐村茜、竹屋蕎麦、渡辺幸子△
2012-09-26 00:36:50 | Weblog となります。
太字のところを、検索窓に入れていただけますと、桐村さんがこの11月4日そこへ入れたコメントが読むことができるようになります。
副題1、『9冊目の本を作っていて、ブログを書きませんでしたが』
副題2、『セロ弾きのゴーシュと化している私のところに、最近、三人のお客が、訪れた』
副題3、『ルーズヴェルトアヴェニューのアパートには子猫が訪問をしてくれたのだが・・・・・・』
副題4、『ラガルド女史(世銀総裁)は、女性を生かせと、日本に忠告をしたが、それは本当は何を意味するのか?』
副題5、『三井倶楽部での、接待の映像が出てきたが』
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副題1、『9冊目の本を作っていて、ブログを書きませんでしたが』
皆様、珍しく、3日間、同じものをさらしておりました。浄智寺という言葉で始まるその文章は、私としては、自信のある文章でしたが、一般的な話題ではないと、読者の皆様はお思いになったでしょうか?
ただ、あの手の、ごく、微細な地域問題を書くことこそ、すべての悪の源泉である、鎌倉エージェントたちの跳梁跋扈を抑える向きがあるのです。それは、経験上わかっていて、あれが、一種の手法となっております。
別に復讐のために書いているわけではありません。ひどい政治が行われているから、少しでも、いい政治を招くために書いているのです。
ほとんどの、人が、正直に物を言えない日本になっている中で、特に政治に関することは言わないという雰囲気になっております。そういう中で、弾圧があることを知りながら、少しずつ、ひそかに、原発の危険性を、特に後始末の問題において2003年頃から、パソコンを使って、語り始めていた私は、2007年の4月をきっかけとして、パソコンの異常という形ですさまじい弾圧に出会い始めています。
で、ひどい状況に陥れば、一般のひとは、戦うか、逃走するかのどちらかだそうです。私はまるで、戦っていないように見えます。皆様にも「原発反対運動のデモには参加しないように」と、お話をしているし、「各種の署名運動さえ、参加するのは、危ない時があるのですよ」と、申しあげています。が、遊んで怠けているわけではなくて、すさまじい戦いの連続です。
私なりの戦いのもっとも代表的なものが本を作り続けることなのです。それは、声高なものではないが、普通の本だったら、著者や、装丁デザイナーも含めて、10人ぐらいが作り上げる本をほとんど、一人で、作り上げるのですから、重労働中の重労働です。そのうえ弾圧があるので、さらに重労働になっています。
どうしても作り続けるのは、そこが、言論弾圧の仕組みがもっとも、強く表れる場所ですから、見事に彼らの、意図も見えるし、それを戦って、作り続けるのがこちらの戦法なのです。
ひどいことに、政治には一切関係がない、本を六冊作りましたが、その時からすでに弾圧を受けていました。それは印刷機にかけて、工業的に作ってもらったもので、本屋で、流通はさせていないものの、公的な書評が出たり、ネット中古(または、古書)市場で、出回ったりして、
400,600,600,800,800,800部と作ったにしては、上々の成果だったと思っております。
一方で、2010年、2011年、と、今年と、最近の三年間に作った、7冊目と、8冊目と、9冊目は、まだ、工業的な生産をしていません。が、いわゆるオンデマンド方式で、一種類について、ほぼ10冊程度作っております。
私の場合、工業的生産まで持って行ってしまうと、自分で配るので、膨大な労力が必要となります。年取って来て、体力が落ちたので、ひたすらデータだけを作っておこうというわけです。配布をしないことにしております。片手落ちですが、何もかもやっていては一つもできないというのが、最近の覚悟と、人生修行の上で、悟った、コツです。
よく、不定愁訴というのかな、悩みの中にいる人がいます。私もこの本作りを始める前には、そうだったと思います。が、これが、とても向いていて、一冊作り上げるごとにそれなりの達成感を感じますので、人生に対して、ほとんど不満がないという状態です。
20冊は本を作りたいと思っている人間ですから、ともかく、頭が効くうちに機械にかける前のデータだけは作っておこうというのが、最近の手法です。
本を作るときにはすさまじい妨害に出会いますが、パソコンがどういう風に動かなくなるかについては、後で語ります。
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副題2、『セロ弾きのゴーシュと化している私のところに、最近、三人のお客が、訪れた』
この本作りはほかの人にとっては、ハエのように小さな仕事に見えるとしても、私の主観としては、大きな仕事でありました。
そして、この7冊目からは、パソコンが使いにくくなるだけではなくて、それをやらせまいとして、何人かの人が刺客として送り込まれました。
最初は、開発ちえさんという個人を使って、ま9月に、その後、引き続いて、別の知人を2人を、使って、責め込まれました。攻め込むという字が、適宜ですが、一種のいじめの形をも、とっているので、責めるというのが適宜でしょう。だが、開発さんの名前だけ、ここで、書いておくのは、二人目の方は、文章がとてもきれいだったからです。とてもお品がよかったのです。誠実さも見えました。
それで、「ああ、そうですか。それは、承りましたが、
もし、私が、美術界にのみ生きている人間だとしたら、あなたの言うことを聞かないとなりませんが、
今やっていることは、政治に関する文章を整理するということなので、こと、政治に関しては、同じ地平には立っておらず、あなたの要請を聞くわけにはいきません」と、答えておきました。
『美術界だけに生きている人間だと、私を規定すると、その攻め込んできた三人はすべて、私より社会的には上だ』と、敵様たちが考える人材です。
開発さんは、美術手帖のライターだったそうで、美術手帖は、美術界の雑誌の中で一番威張っていますので、私より上ということでしょう。
二番目の人は、作家(ここでは画家のこと)であり、有名美大卒です。公募団体展では、早くから会員となり、「トップをおやりください」とまで言われている人材です。コンクール等のグランプリ受賞経験もあり。私がこういう弾圧を受ける事情になってしまったので、疎遠になってしまっていますが、その間にその大公募団体展の、トップをなさったのかもしれません。
大変、丁寧なお手紙をいただいています。本作りよりも、その前段階である、ブログのテーマについてご指図がありました。
大変丁寧で、誠実な手紙なので、言うことを聞かないと私が悪人となってしまいますが、大きな構造を考えると、これも敵の指図かもしれないのです。というのもその人に、私が郵便で、プレゼントしたものがあり、タイミングとして、見事にその時点に合致しているので、それが微妙なのです。
そのプレゼントですが、別の人が、その方にプレゼントした上等な、ハンカチです。スカーフにもなるような、大判のものだったのですが、色がまことにきれいです。しかも、相手の画家が使う色でありました。これは、当初の送り主が、相当に、考えて選んだものであって、私が、個展の会場に持参したお菓子の返礼として、もらってはいけないものなのです。
返却をしたのですが、その返却用の、手紙が、いろいろあって、開封をしたまま、一年ほど手元に置いておいたのです。冷却期間をおいた方がいいと考えたからです。贈り物を返すというのは、非常に難しいことだからです。ただ、それを投函した途端に、そちらから、一種の弾圧用の、お手紙が来たので、留守中の泥棒が私が出す予定の手紙を、読んだ可能性も感じています。
ということは、私がそちらさまに対して、大変丁寧な優しい心情を抱いているということですが、それを敵が見抜き、そういう相手なら、相手の言うことを、私が、聞くはずだとみなされたのでしょう。
人間関係上は大変に難しい選択ですが、既に、神様だけしか目を向けていないので、「申し訳ありませんが、言うことを聞きません」と、答えておきました。
さて、三人目が一見するとお品がよいように見えるが、その本つが、問題です。そちらさまについてここに、昨日書いたものが消えているのです。それは、おかしいですねえ。日本国の憲法として、平等だと認められている間柄で、そちらさまに、グーが見方をするとしたら、大問題でIT的工作の方は、誰がやっているかはわかりませんが、刺客として、訪れた人は桐村あかねさんです。彼女と私の関係について書いた文章が、消えています。が、この件の発展の仕様によっては、戦う必要があるかもしれません。桐村茜さんと戦うのか陰にいる人物と戦うのか先行きは不透明ですが・・・・・
桐村さん自身は、このブログをいじるための、パスワード等を知っていないはずです。だから、文章を昨夜いないに、ここから消した、人物が問題です。
ところで、9冊目の本へと戻ります。
決して、満足のいく出来ではないが、一仕事を終えたということで、少し、テーマを休みたいと、本日は思っており、鎌倉エージェントと、美術界の件から離れます。ごく、ごく、一般的な話題へ入ります。
しかも、裏側がない問題。ストレートな問題へ入ります。
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副題3、『ルーズヴェルトアヴェニューのアパートには子猫が訪問をしてくれたのだが・・・・・桐村茜を助けるIT的忍者がいる』
今、どうして、自分をセロ弾きのゴーシュとみなすかについて、500字程度書いていたのです。すると、それが、突然に消えました。この時に、同時に桐村茜について書いたものが消えたのだとしたら、それも変ですね。
自分では、字を入力する以外のことは一切やっていないのです。それなのに、画面が突然に、見たこともないところへ切り替わってしまいmした。普通の場合は、それでも、最後までの、入力した字が、残っているはずなのですが、残っていない。
となると、開発ちえさんと同じ程度に、桐村茜さんが、国際的軍産共同体に、かわいがられているアーチストとなり、ご自分はパリで、悠々と、放射能の危険性のない中で、政策やら発表ができるとしても、他人に対しては、日本と、日本人を捨てている人間の一人となります。つまり、日本と、日本人を奴隷として、または、有りとして、または、豚として、使いこなしてきている一派の先兵だから、あなたのそういう特権の人として、福島の人なんかには、一切同情をしてはいないのですね当いこととなります。
三段論法としてそうなります。となると、控えていた実名もさらさないとダメですね。高飛車に言ってきてらっしゃるけれど、言うことを聞くわけにはいきませんよ。別に、あなたが、私の上に立っているというわけではないのですから。特に、この日本という風土を住めない場所にしてしまう連中と、私は戦っているわけで、その戦いの方が、あなたが有名なアーチストになるということよりも、より多数の日本人に役に立ちますよ。そう考えると、「もしかしたら、こっちが上よ」と言わざるをならなくなります。
けんか腰にはなりたくないのですが、そっくり同じ文章を二回も寄せるあなたの、まるで、ロボットみたいな怜悧さも、癇に障りますが、それとともに、その二回目の文章があなた自身ではなくて、別の人間が操作して送ってきた可能性もあり、そうなると、ますます、癇に障るので、最初は控えていたあなたの実名をここで、語っておきます。
最初の文章もひどく高飛車でしたね。それには、驚きませんが。というのもほんの、み時間時間の接触でしたが、私ほど人間が理解できる存在もないというほどですから。
「 どうか、2012年3月16日以降の、ここの文章を全部お読みいただきたいものです」とだけ、ここでは、あかねさんに向かって言っておきましょう。
彼女は、髪のおしゃれに凝る人で、ソヴァージュで、ふわふわにしていた時代を経て、まるで、真鍮そのものと見える金属的な色で、金属的な光を見せる髪へと最近は、変更した染め方をしています。
そのことを書いた部分が消えております。だけど、それが、証明になります。そちら側に立つと、特別に高飛車に威張ってくるという例の一つです。それは、ご近所の、鎌倉春秋窯の主催者、石川和子女史とそっくり同じ伝です。この石川さんとか、桐村さんを使ってきている
相手方は、一切を学ばないほど、頭脳レベルが幼稚であり、次から次へと同じ形式の、同じコンセプトに基づいて、刺客を送って来ています。笑っちゃうほど、学習能力がないと見えます。
で、元へ戻ります。
例のルーズヴェルトアヴェニューは、従軍慰安婦ドウリと命名されるという話が、単なる嘘で、私個人を脅かすためのものだったというのが、正しいのでしょう。
日本人は、大体の人は、ルーズヴェルトアヴェニューがどこにあるかも知りませんし、大きな通りか、小さな通りかも知りません。
私自身でさえも、12年前のことだから、すっかり忘れていたのです。だけど「どの程度のランクの道を使ったのかな?」と、丁寧に調べてみたら、クィーンズ(という地域)の主要な道路で、しかも、自分(=川崎千恵子)が住んでいた地域でした。私って、本当に大物です。(笑)アパートはその幹線道路には面しておりませんが。
日本(特に東京)でいえば、郊外に向かって走る、246程度の幹線道路です。そんなところが、従軍慰安婦通りと命名されたら大変で、大使は、すぐニューヨーク市長に抗議をしないとなりません。
だから、たぶんですが、がせねたでしょう。私にブログを書かせないとか、本を作らせないようにするための脅かしの一種です。そして、それは、鎌倉エージェントと、東京エージェントが考え出したことでしょう。
日本人が、日本人全体を脅かしたり、軽蔑したりするニュースを作り出し、それを、NHKが堂々と言うか、シャーシャーと流す。
もし、このアイデアを、出したのが、日本人エージェントではなくて、アメリカ側だとしたら、それはそれで、重要です。それこそ、日米安保条約の真実を明らかにする、一つの傍証です。
アメリカは、決して日本の見方でもないし、大切にも、してくれません。だからこそ、中国が、しつこく(でも、たった、11回だそうですが)、尖閣諸島周辺に、出艦してくるわけです。
アメリカは莫大な金銭を日本から、思いやり予算とか、原発燃料の売り込みとか、そのほかで、取り上げています。だから、サイレントプアとか、結婚をできない若者が出てくるのです。
そこら辺りは、鎌倉で、起きている現象と違はって、私も、詳しい説明を今は、できません。情報を全部つかんでいるわけではないからです。だけど、大構造は、そうなっているはずです。
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副題4、『ラガルド女史(世銀総裁)は、女性を生かせと、日本に忠告をしたが、それは本当は何を意味するのか?』
この間、IMF総会が日本であって、世銀総裁のラガルド女史ほかの要人が出席しました。その総会の結論として、『日本は女性を生かせという忠告をする』そうです。
これが、何を意味するかというと、女性はもっと社会へ進出して、働いた方がいいという主張らしいのです。
あのね、日本の女性はすでに、十分に外へ出て働いています。そして、40代の女性は、疲労困憊しています。消耗のみぎりとなっています。
日本社会がこれから、追求すべき課題は、女性を、ゆったりとさせて、時間や経済的なゆとりを与え、子供へ、もっと、注意が注がれるようになることが大切なのです。
そのためには、男性側の給料を上げる必要があります。それが、どうしたらできるのか?それを子祖、政治は考えないといけません。
その会議でも、日本は、ユーロ圏へまた、何かの出費を強いられたみたいです。
日本人は、ずっと勤勉に、かつ、まじめに働いてきました。そのお金をどんどん、外国に吸い取られています。それゆえに、日本人、特に男性の給料が低くて生活のレベルもひくくなっています。
だから、子育て中の女性も働かないといけません。でも、それは、自然に反しているので、無理がかかり、虐待や、ネグレクトも起こり、それゆえに、学校社会で、いじめが蔓延しています。子供がいじめられると親はつらいです。だから、そんなことが起きると、幸せが感じられません。
それに、10年ぐらい前に、婦人公論をはじめとして、女性誌が、離婚を奨励しました。それが、セックスの欲望を満たし、(合わない夫からは、離れろとすすめ)離婚弁護士などがもてはやされたりしました。
だけど、私が子供のころには、親は言わず語らずのうちに、『離婚したらだめよ、生活が立ち行かないから』と言っていました。今の親はそういうことを教えないのかしら?
ラガルド女史は、地中海沿岸のプライヴェート・ビーチで、日焼けをしたのかしら? 白銀の髪に日焼けした茶色の肌。
知的な顔をした女性ですが、日本社会の現状を、きちんと、しかも正しく把握しているとは思えません。それなのに、日本社会へ提言として、
『日本は、女性を活用すべきです』って。それって、『女性を労働力として、さらに活用していこう。そして、男性の給料を下げていこう』という案でしょう。人間として、日本人がさらに不幸せになって行く方向です。ということは、私が、普段主張をしていることとは、真っ向から反対の提言です。
そして、日本のメディア(新聞+テレビ)は総力を挙げてラガルド女史の言葉を喧伝しました。
でも、みなさんは、その通りだと思いましたか?
そんなこと、言われなくてもすでにやっているさとお思いになっただけではありませんか?~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『三井倶楽部での、接待の映像が出てきたが』
それから一週間がたっています。今、あの言葉を思い出すと、『あれって、もしかすると、対私対策用に練られた言葉ではないかしら』と、思い当たってきました。このブログで書いてあることを、いちいち、否定したと願う人間は大勢いるということです。
それですが、もし、伊藤玄二郎が、直接何かをやってきたら、すぐ、ここに書きます。いや、今彼らがやっていることはすべて、直接に近いことなのですが・・・・・
特に世銀総会の最中に、映像として、三井倶楽部での接待の模様が、結構な長時間として、NHKニュース内で、出てきました。
そんな、ことも、勘案して、そのように思っております。ところで、なぜ、三井倶楽部が出てくると、そうなるのかの理由は、恐れいりますが、伏せたいのです。
ただ、5ルートぐらいで、そこと関係があります。
松籟80%ぐらいまで書けることとなったら、そことの関係も書くでしょう。だが、今は、順番として、書く内容がそこまで行っていません。
誤変換は少しのこっているでしょうが、日付と、署名を入れておきます。2012年年11月7日 雨宮舜 (川崎 千恵子)
副題1、『お寺と教会は似たところもある』
副題2、『本堂とは、別に信徒会館というものがあるのが普通だ』
副題3、『匠の会に誘われたが、どうするかは、相当に迷っていた』
副題4、『禁煙運動というのは、一種の文化の破壊を目指したものだった。松沢茂文氏は、都知事に立候補するのかな?』
副題5、『石原慎太郎氏は、なぜ、現時点で都知事を辞職をしたのか?』
副題6、『さて、匠の会も、汚されてきたので、出ることにしたのだが。その陰に例の鎌倉エージェントがいる模様だ』
副題7、『田口広勝さんの劇的な人格の変化が、匠の会に入るきっかけであった』
副題8、『トップの斉藤さんとは、私は合わないですね』
副題9、『泥棒が入るのに、匠の会の展覧会に出かけないとダメだという板挟みに陥る』
副題10、『大きな展覧会より、小さな展覧会の方が却って大変なので、束縛も大きくなる』
副題11、『田口さんと、丁々発止の美術論をかわす』
副題12、『私は、スノビズム(ここでは、画家としての、偉い人に憧れて真似をすることを指す)は、大っ嫌いです』
副題13、『田口広勝さんとのその長電話で、すべてがばれましたよ』
副題14、『ちらっとだが、酒井忠康さんは、心優しい人なのかと思いなおすが』
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副題1、『お寺と教会は似たところもある』
この章ですが、全体が二万字を超えそうになったので、急きょ、下に移動をさせました。次へ続く文章として書いたもので、全体像へは、影響がありませんので、この措置を、お許しくださいませ。
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副題2、『本堂とは、別に信徒会館というものがあるのが普通だ』
ここも前半を下へ移動をしています。それは、お寺や教会には本堂とは別に信徒会館というのがあり、といって、由比ヶ浜のカソリック教会のそれ、覚園寺のそれ、鶴岡八幡宮のそれ、逗子の法勝寺のそれと、違いを述べています。本文が二万字を超えそうなので、それを下へ回しています。そして、浄智寺のそれを説明することは入って行きます。
その法勝寺さんと浄智寺さんの建物は、コンセプトが同じです。が、浄智寺さんの方が、ずっと、古くて、それが、渋みと、落ち着きを感じさせます。その部屋に数年間、私が通うことができたのは、そこで、集会(匠の会というもの)が月に一回開かれていて、それに参加していたからでした。それが開かれるのが、夜だったので、さらに落ち着いた雰囲気がありました。
浄智寺さんは、その建物を一般の人には解放をされておらず、主に、北鎌倉の有力者の集まりに貸しておられたと、推察します。有力者たちは公民館の和室を使うよりも、鉢の木などの料理屋を使うよりも浄智寺さんのこの部屋を使うことを好きだったのではないかしら?
だから、瓜南さんが、鎌倉五山の全、トップの方と、そちらで、ラーメンについて語る会を開くことができたのです。そこに、「覚園寺様もみえていました」と、書いておられることとなります。
お寺の規模からいえば、円覚寺や、建長寺の方が大きいです。だから、大きいお寺様のトップの方が、上だというのなら、円覚寺か建長寺で、集まることとなるでしょう。が、浄智寺さんのそのお部屋が、雰囲気が良くて、常に、五山の、トップのお集まりが、そこで、開かれていたのではないかしら。そうだと仮定すれば、瓜南さんが、ああいう文章を書くのも道理です。
しかし、その文章が、私の胸をグサッとえぐる、見事な攻撃になっているのです。それをこれから語ります。
ただし、瓜南さんが亡くなっているので、書き方をずいぶんと押さえます。20%ぐらいの真実へと押さえておきましょう。
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副題3、『匠の会に誘われたが、どうするかは、相当に迷っていた』
匠の会というのは、北鎌倉のプチ文化人の集まりです。このプチ文化人という言い方は、非常に失礼ではあります。特に文化とか、芸術に携わっている人には、クラスとか、上下関係を認めないと、常に、言っている、私の持論とは矛盾しますね。
でもね、その会の持っている、ちょっと、スノビズムの入っている雰囲気は、プチ文化人と言わざるを得ないのです。
そして、礼儀も守るので、進行ぶりがあまりにも緩やかです。
私は外見上はすこぶる器の小さい、人間です。肩書きも大学教授でもないし、有名な出版社から、本を出しているわけでもない。
そして、主婦とか、母というものは、一度死んだ状態にならないとダメだと常に言っていますね。子供が育つためには、親はいったん死んだぐらいに、後ろに控えないとダメなのだと言っています。
で、自分が活躍できる領域も、いわゆるおきて半畳、寝て一畳という範囲だと自覚をしています。
しかし、脳内だけを言えば、これほど、情熱的に、かつ緻密に、かつ活発に動いている人もいないというほど、ものを考えております。その結果、ブログ等でも、頻繁に、『自分が世界のニュースを作っています』というほどのものに、なっています。分析が深いわけです。相手方も実は震撼していると思います。
でね。私にとっては、美術品を創作することが、一番の快楽ですが、その材料や場所がない時は、頭の中でものを考えるのが大好きで、それが、最高の快楽となっています。
今ね。敵が、『なんだあいつ、何を遊んでいやがるんだ』と思っているでしょうというほど、単純なゲーム(四川省)というのをやっていますが、これは、ものを考えないで済む時間がほしくてやっているのです。パソコンで、字を入力していない時でも、お料理を作るときでも、掃除をする時でも、園芸をやっている時でも、常にものを考えております。
しかし、最近のブログは煮詰まりすぎてもいます。
それで、次のものを書くのを時間的間隔だけでもあけましょうと考えていて、それで、ゲームをやりながら考えない時間を作っているのでした。
で、四六時中、ものを考えています。しかし、私がものを考えている姿は、ほかの人には許しがたいほど、不気味なすがたらしいのですね。それで、寮の同室の人が出て行ってしまいました。それから、子供たちにもお母さんは「遊んでいる、遊んでいる」と叱られます。
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副題4、『禁煙運動というのは、一種の文化の破壊を目指したものだった。松沢茂文氏は、都知事に立候補するのかな?』
で、たばこというのは、こういう姿を様になる姿にする装置だと思っています。私は幸いにして、たばこには手を出さなかったけれど、禁煙運動というのは一種の文化の破壊でもあるのです。
無論のこと、日本人がばかになっていてほしい、例の国際的軍産共同体は、被・植民地国家である日本人が哲学的人間であって、根本的に物を考えると困るわけです。私みたいに、オスプレイ配備を解析する人間が多くなると困るわけです。
で、そちらさまは、朝日新聞と民主党を抑えています。民主党の一代議士から、神奈川県のくびちょう、(=県知事)になって大出世した松沢茂文氏は、強力に禁煙運動を進めた人です。
これは、民主党が、どれほど、非人間的な要素を持っている政党かという見本みたいなものです。
言葉だけは、たくみにもすり替えて、受動喫煙の廃止と、言う、美しげなものを使っています。こうなると吸わない人も巻き込みますね。だから、自分側の勢力が大きいように見えます。
が、実際には、禁煙運動です。大変に、非人間的な措置であり、かつ、国家の税収入を落としています。これって、ほとんど、人間の基本的な権利を奪うものです。神奈川県では当時、大々的に、『うちでは、たばこが吸えます』と、看板を掲げた飲食店が多かったですよ。
で、神奈川県では、立候補しても、もう、知事にはなれないでしょう。で、この手の作戦を彼に授けて、実行をしてくれと願った、井上ひさしと伊藤玄二郎は両方とも文学関係に強いです。
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副題5、『石原慎太郎氏は、なぜ、現時点で都知事を辞職をしたのか?』
伊藤玄二郎は、鎌倉ペンクラブ会長のはずだし、井上ひさしは、一時期は、日本ペンクラブの会長でした。その縁で、石原慎太郎氏を自分たちの味方につけています。
それは、以前から図書館の電源が使えない(コンセントはあるのだが、区立図書館もすべて、ガムテープが張ってあって使えない)とか、漫画の表現の自由を奪う都条例を作ったことでもわかっていたのですが、松沢茂文氏を、自分の後任として・都知事候補に定めた時に、「やはりね」と思った次第です。
ところで、こういうことを橋下氏と絡めて、下書きをしていたのです。そしたら、その3日後ぐらいに、都知事の辞任が発表をされて、『やはり、私の文章で、これから書く予定だったことは、図星だったのだわ』と思った次第です。
それで、これから先に申しあげることは、事実だとなってきます。つまり、
・・・・・石原慎太郎は、普段は、右翼的というか、愛国的な表現をしているが、実際には腰砕けになる人であるということ。特に気が優しいというか、気が小さいところがあるということ。
だから、井上ひさしや、伊藤玄二郎の言うなりになってしまうのだ。
人間関係の上では、金持ちとして、甘やかされて育ってきた氏は、井上ひさしのような人間に対しては、ひるむところがあるのだろう。怖いのだろうね・・・・・ということになります。
私は、小沢氏が日本の首相になったら大変だと考えている人間で、反小沢的なものが元気がいいのは、うれしいのです。だから、この手のことは書きたくないのですが、ほら、最近のとても嫌なニュースの一つである、尖閣諸島への中国艦艇の出没も、この二人の(鎌倉)エージェントを助けるためですから、石原氏が、対・中国という意味では、強硬路線を取っていても、いざとなると、民主党の政策にべったりになる、(実際にやったことがそうだったから)可能性は残っています。
今度は、後任候補に猪瀬直樹氏を指名しました。猪瀬氏には責任はないです。あ、それに、松沢茂文氏よりは、人間としてはレベルが高そうです。ただし、最終的には引き受けないかもしれません。都知事という仕事が、猪瀬さんの晩節を汚すということになる可能性もあります。
また、政治が、いいものでもなくてね。名声ある文筆家、(評論家)という方が、実際には挌が高いかもしれませんし。そこら辺りは猪瀬さんなら、わかっていると思います。石原氏はタレント業も好きだったけれど、猪瀬さんがタレント業が好きかどうかは、不明だし、大衆に受ける花という要素もなさそうだし。
私は東国原元知事は、政治的なセンスはあると思っています。ただし、それを嫌がった例の国際的軍産共同体に、宮崎県で、口蹄病を起こされていますね。だから、東京都で、それに似たことを起こされたら大変だから、そういうポイントから考えると、東国原氏には、都知事には立候補をしてほしくないです。東京都は、官僚的に地道に、運営されていくだけで、いいのではないかしら?
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副題6、『さて、匠の会も、汚されてきたので、出ることにしたのだが。その陰に例の鎌倉エージェントがいる模様だ』
ひどいニュースばかりあるので、それを生み出している鎌倉エージェントの悪を書かないとならないのですが、ニュースが落ち着いて、自然な流れになるのだったら、私は私の被害を具体的には語らないでもいいのですよ。
ともかく、結論を言えば、浄智寺にはいかなくというか、いけなくなるほどのいじめを受けています。それゆえに、浄智寺という名前を瓜南さんが出したことが、対・私へのいじめとか、弾圧と、なるのです。瓜南さんがその構造に気が付かなくても、そうなります。
同じことでは、円覚寺さんも、音楽会という形で、お使われになって、演奏の方の、主役様から、招待状が来ました。丁寧なお手紙を書いて、欠席とさせていただいています。
匠の会は、11月の3日を中心として、北鎌倉で、バザーや展覧会をしています。展覧会は終わっているはずですが、バザーは各所で、本日4日の日曜日も、やっているかなあ?
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副題7、『田口広勝さんの劇的な人格の変化が、匠の会に入るきっかけであった』
実は、匠の会には、自分から入ろうとしたのではなくて、田口弘勝さんという画家から、「はいれば」と誘われたのでした。
田口さんとの関係は、私が彼の人柄を褒める短文を書いたことから始まっています。
田口さんは、とても頭のいい人ですが、それだけに威張ったらしい人だったのです。15年前のことですがね。彼は、40代から50代にかけては突っ張っていて威張っていました。それで、私は『ああ、そういう人なのね』という感じで、それだけの関係だったのです。
ところが、それから、15年ほどたって、突然京橋で出会って立ち話したのですが、全く変化をされておりました。大変に練れて、修行を積んだ人となっておられたのです。それは、感動的な出会いとなり、そこで、私はその変化を中心に一文をものしたのでした。
単純に彼にオマージュをささげたわけでもないのです。特に私は一般的な美術評論みたいに、誰か、一人の画家を褒めることによって、見返りとして、自分が得をするように文章を書くということは一切ありません。
で、その文章を差し上げたらよろこんでくださって、匠の会に招かれたのです。で、はいって見て、浄智寺の素晴らしいお部屋を使えることがわかり、それには、『うれしいな』と思いました。一人が、幅2メートルぐらいの余裕を置いて、座ります。座卓は大きくて、しっかりした漆塗りであり、天井は高くて、あたりは静かです。
こんな素敵なところで、ひと月に一回会合に出る。かつ、大人の会ですから、終わると、北鎌倉駅前の文壇御用たし居酒屋、『侘助』で、飲み会もあります。今は、鎌倉駅周辺の文壇バーが軒並み、衰えていますから鎌倉一お客のレベルがインテリだというのが『侘助』です。
だから、最初は、『これは、わらしべ長者ですね』と喜んでいたのです。私の文章は、力があると思いますが、これから、数十年続くここへの参加を招いたとすれば、そりゃあ、過ぎたる果報というものです。
ところが、三回ぐらい出席しているうちに、『うわあ、それほど、むいていませんね。私には』と思うようになりました。
つまり、この文章の最初に書いたように、私は常に、非常に濃密な時間の過ごし方をしていて、起きている間中、何らかの物事を考えています。絵筆を持つとか、パソコンを打つというときには、それが、目立ちませんが、目の前にそれらの道具がない時は、私の態度は白昼夢というものになり、それは、周りの人に分かります。
それは、『変な人だね』と思われるのが心配なのではなくて、『失礼な人だね。私たちは、一生懸命、この問題を考えているのに、うわの空で』と思われるでしょう。それが、困ったなあと思っていて、できるだけ、集中するようにしていますが、北鎌倉の商店の情報などを披歴しあいながら、北鎌倉の発展の方向性を考えたりする、そういうテーマにどうしても興味を抱けないのです。
中に、のちに鎌倉市長選に立候補して落選をした後で、仙台市の副市長になったと聞いている、渡辺女史が含まれているので、彼女等は、そういうテーマに集中できると思うのですが私は興味がない。
しかも、みなさん、超が付くほど、落ち着いていて、発言と発言の間に十分以上に間合いがある。その間も待てないのです。参ったなあとなります。
この間、太田光代さんが、「自分は、考えることが大好きで、今ではビジネスを展開しているので、それがいい方に回転をしているが、若い時は、それがマイナスポイントで、トラブルもあった」とNHKのスタジオパークでおっしゃっていたのですが、とても共感しました。私もまさにそういうタイプです。彼女と同じぐらい、若い時は痩せていました。162センチで、40キロなかったほどです。首とか、肩は絶対に出さない服を着ていました。それは、思考ということがどれほど、エネルギーを消費させるかを語っています。
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副題8、『トップの斉藤さんとは、私は合わないですね』
ところで、この会の会長は、斉藤女史と言って、北鎌倉の精肉店の、たぶんですが家付き娘さんです。または、お嫁さんですが、小さいころから、北鎌倉に住んでいて、なんでも知っている女性です。
この人が、安野夫人とはまるで違ったタイプとマナーの人ですが、「自分が、一番でないと、気が済まない」という点ではそっくりです。私は大体が、そういう人は嫌いです。そのうえ、自然に放っておくと、例の実力というのが出てしまい、どこでも、結局はいちばんになってしまう人が私です。
それを許してくれるタイプもいます。先ほど述べた、渡辺さんなど、第一番に、私が相当な人間であることに気が付いて、『それはそれなりに、あなたも生かすわ。だけど、私も実力はあるんですよ』という、言わず語らずの、落としどころを見つけた人ですが、斉藤さんはそうはいかないでしょう。
だから、私はできるだけ、寝たふりをしているのです。意見を出さないようにして、だけど、集中はしているわけなので、無理はかかているので、疲れること、疲れること。最後の『侘助』の飲み会があるので、その楽しみゆえに、何とか、続いているという形でした。
しかし、それほど、気を付けているのに、斉藤さんが劇的に変化してきて明瞭にいじめるようになりました。なにかを、発言をしても、聞こえないふりをするという形でです。こうなると男性陣もビビります。
そうなると私の居場所もなくなります。
この会が、長期間安定的に活動をできているのは、彼女の気質に負うところも多いのは誰もがわかっています。
ただね『ああ、変だぞ。これは、始まりが速すぎる』と思いました。ひと月に一回か、ひと月半に一回です。それが、二年以下の段階で、いじめが始まっています。ニューヨークでは二回の滞在時とも、激しく、対抗心をみなぎらせてくる若い日本人女性とぶつかってしまいましたが、私とその当人の、2人だけが工房で、仕事をするという形で、10回以上過ごした濃密な時間の上で、私の方が上だということがわかって、喧嘩を売られたわけですが、
匠の会は、総計、12人ぐらい出席しています。だから、実力を、見せびらかしてしまう効果とか、力はずっと弱まっています。(笑)しかも、いつも寝たふりをして、カツカツのところで、白昼夢にふけらないように努力している私は、徹底的に目立たないという立場を貫いているわけですから、こんなに早く目をつけられて、いじめが始まるのは、変です。
『ああ、裏から、悪口を入れられている。これは、もう挽回は無理だろう。ここは引いた方がいい』と判断をしました。
コーラスも、そのあとで、起きた問題ですが同じ連中から妨害が入ってやめなければいけなくなったのでした。そちらは、音楽が、好きだったから、残念でしたが、こちらの匠の会を引いてしまうことは、それほど、残念にも思いませんでした。
特に侘助のおばちゃんにしたたかにいじめられてね。それが、竹屋画廊(今は、設定がカフェへと、変わっている。息子さんがやっているみたいだ)のおばちゃんのいじめっぷりとそっくりだったので、『あ、そうなんだな』とはっきりわかったのです。
この二人のおばちゃんは、それ以前には、ほとんど会ったことがないのです。竹屋画廊は普段は、美しい御嬢さんが、スタッフとして、つめているのでした。侘助も土曜日なので、お昼の観光客を相手にして、それで、疲れてしまうのか、おばちゃんが、姿を見せることは、それ以前は、ほとんどなかったのです。
いじめられた日が、両方ともおばちゃんに会うのは、初対面と言っていいのでした。それなのに、あれほど残忍なことをやられたのは、普通では考えられません。だって、両方とも世間の評判を気にしないといけない客商売です。私って、それなりに友人がいます。鎌倉だってね。ブログ以外でも、それなりに大きな存在ですよ。(笑)
あんなことをやっては絶対にいけません。それをやったのは、何か、悪口を聞いているからのはずなのです。
だから、はっきりと、そうなんだと判断をして引きました。だけど、だから、勝ったと思った彼ら(鎌倉エージェント)は、それからもひどいことを引き続いてやって来ていて、
中国の尖閣諸島周辺に艦艇を出して脅かすとか、ニューヨークのルーズヴェルトアヴェニューを、従軍慰安婦通りと命名するなどという、ひどいニュースが、最近、まで、作り出されることとなるのです。
だけど、私は個人ですからね。できることには限りがあります。
ご近所からも日常的に攻撃をされていて、鶴岡八幡宮からも攻撃をされていて、同窓会も敵にまわり、パソコンは壊されているでしょう。フェイスブックもやっている最中には、どれほど大変だったことか?
それで、北鎌倉でストレスが起きているとしても、それには対応ができません。だから、引きました。ところがそれだけでは終わらないのです。いじめは、会議の行われる浄智寺へ行かなくなっても、続くのでした。それは、匠展という展覧会が舞台となります。
そして、いい人、田口さんが、敵方へ利用をされていくことになるのでした。
ただ、重要な女性について続報を書きます。渡辺女史(画家の幸子さんではない。法政大学の大学院を出ている女性)は、鎌倉市長選に立候補をして、四六時中宣伝カーが回り、『う、これも音による妨害でしょうね』と思った歳月もありました。それも、過去のこととなりましたが、そのあとで、落選しても仙台の副市長になったと聞いて、なるほど、なるほど、例の北鎌倉文化人の集まりである匠の会は、すべて、井上ひさしに支配をされていたのですね。とわかってくるのです。
特に、私が上に書いているようなことはすべて、彼が生きている時代の話ですから。
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副題9、『泥棒が入るのに、匠の会の展覧会に出かけないとダメだという板挟みに陥る』
匠の会は、私以外のほかの人も、自由自在に休みます。だから、欠席が続くという形で自然に退会にすればいいと思っておりました。前は律儀にやめますと言ったりしていたのですが、あまりに、あっちこっちが破壊をされて来ていて、やめなくてはいけないところがも多いので、もうルーズにやろうと思っていたのです。
ところが匠の会には、通常の会議の場・以外に、三つぐらい大きな行事があります。それは、匠の市と言って、何か、お安く売れるモノを売りたい人がいたとして、そういう人に代わって「参道を提供してください」と、お寺と交渉をしてあげて、売り場を作ってあげるバザーの会が一つ目です。私は会計ではないので、詳しいことは知りませんが、たぶん、いくばくかを売る人からいただいて、資金として活用したり、どこかに寄付したりするのだと思います。
二つ目は匠展です。これは毎年11月の1日と2日に北鎌倉の公民館で行われる絵画と工芸が一緒になった展覧会ですが、レベルは高いですよ。非常に高いです。出品者の中には会議には参加していない人もいますが、ともかく、レベルは高いです。
ところが、これに誘われるのが、私には、相当に難儀なことなのでした。それは泥棒が入るからです。
一番盗まれて残念だったのは、父の新聞記事の切り抜きです。それと、父や母の写真類です。こういうものは、有れば、私が相当なお嬢様育ちであるということの証明になります。それこそ、井上ひさしなど目ともしないというほどのお嬢様育ちと、証明できます。だから、盗まれています。
その次に困ったのは、銀行のカード、通帳、銀行の金庫の鍵類です。それを最初に見つけたころはパニックに陥りました。ところが、だんだん作り直すのに慣れてきています。(笑)が、銀行側には、とんでもないほどばかで、ルーズな、お客だとみなされているでしょう。まさしく、それが狙いで、盗まれます。だから、いまなど、すべてを持って出ます。パスポートさえ携行して外出します。
その次に困っているのが電源アダプターとかパソコンのバッテリーを盗まれることです。
そして、最後に、ノイローゼにさせるための泥棒というのもあります。留守中にガスストーヴが付いていたり、トイレのドアに、黒いサインペンで矢印が大きく書かれていたり、
油絵の額(目立つところだけでも、15個ぐらいあるが、)が、全部、または一部がゆがめられていたりします。
パンツが、所定の引き出しから移動をしていたり、銀のさじが所定の引き出しから移動をしていたりします。
このさじは、実は、銀メッキではなくてクロームメッキです。そういうことを、ブログに書いたらすぐ、NHKニュースが、「クロームメッキが禁止になった。毒があるので」というのを流します。まさか、本当ではないでしょう。そして、三条などの銀食器類を作り輸出しているところは、本当だったら大打撃です。だって、銀はすぐ曇るけれど、クロームメッキは曇らないので、レストランなどで、愛用しているところは多いはずです。
だから、無論のこと、うそのニュースです。例のニューヨークの幹線道路で、しかも、昔私が住んでいた町名ともなっている道路が、従軍慰安婦通りと改名されるというニュースと、全く相似形の、作られたニュースです。
でも、この銀のさじが家の中を遊泳することと、額がゆがめられていることの二つから、誰が泥棒なのかがほとんどわかりました。
または、その人がアイデアを提供していて、その結果、ブルーカラーとしてのCIA要員が、がやっているとか。
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副題10、『大きな展覧会より、小さな展覧会の方が却って大変なので、束縛も大きくなる』
実は、展覧会というのは、出品者側に金銭的な負担がかかります。その一つは、作品の運搬費です。上野の都美館などだと、数人分を集めて集・配達してくれるので、地元の手慣れた業者に頼むと、数人分を一緒に運んでくれて、一人頭は、往復2万円ぐらいでやってくれますが、地元業者ではない大手に頼むとひどく高いはずです。
でも、対泥棒対策という意味では、大きい展覧会は、楽です。私はどこの展覧会でも役員とか理事ではないので、他人任せで、家にいていいのです。見に行ったりパーティなどはそれなりに、主人と入れ替わりに、遅刻していけばいいわけですから。
ところが匠の会は、全く異なります。小さい展覧会なので、業者を頼むのはおかしいのです。それと、展示も手伝わないといけません。平台の組み立てから始まって、最後の段階まで、五時間ぐらい一緒にいます。自分の分が終わりました。さっさと帰らせてくださいとは言いにくい場所です。そこへ向かう往復の時間も入れると総計、6時間程度外出しないといけません。
しかも、作品があって、それが重いです。「泉湧寺の坂を真夏に作品の額を持ってあがった瓜南直子さんは、さぞかしつらかっただろう。その10か月後に亡くなるのだから」と以前に書いていますが、私のも同じ紙用の額に入っていますので、裏打ちべニアとか、アクリルかガラスが添えられているので、とても、重いのです。となると、普段、泥棒除けに常用的に持ち歩いている、貴重品やパソコン二台も持てません。泥棒に狙ってくださいというようなものです。
相手が画廊だったらいいのです。個展だったらこれも業者に頼みます。グループ展だったら別の日に持って行って預けることができます。が、匠展の場合は、公民館ですから、自由が一切、効きません。そして、総勢二十人ぐらいは、いる、出品者に、この事情を説明しても、誰も本当には、しないでしょう。『あの人、頭がおかしいわね』と思われるのが落ちです。本当に困り果てています。
でも、そこを見透かすようにお誘いが来ます。普通なら親しい田口さんから、「川崎さん、会議には来ていないようだけれど、匠展には出す?」っていうぐらいの軽いお問い合わせが来て、「出さないわよ」で終わりだと思うのですが、そうはならないのです。
今はね。泥棒も、相当に収まっています。だって、もし入ったら、これとこれは警察が盗んだ可能性があって、これは、CIAが盗んだ可能性があって、これは、ご近所のあの人やら、この人が盗んだのでしょうとまで、書くつもりになっていますからね。
泥棒以外のご近所様の悪も、箇条書きにして書き表すつもりですから。本当に腹をくくっていますから。
疲労困憊して外出先から帰ってくるわけで、家じゅうをその夜のうちに、点検するわけでもないから、気が付かないものもいっぱいあって、盗まれた時期がわからないものもあります。
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ここで、挿入ですが、鎌倉で、上位10以内の偉い人である、
酒井忠康氏を簡単にも、軽蔑しきるのも、氏とこれらの泥棒が同じ穴のムジナだと、こちら側にはわかっているからです。
泥棒と、親類だったら、どんなに偉そうにしても、尊敬はできませんよ。特にパンツを移動させる泥棒と同じ穴のムジナですから。
さて、そういうことを恐れているとみるからこそ、この展覧会へのお誘いはしつこく、さらに、3年ほど続くのでした。幸いに今年(2012年)はありませんでした。
それは、バンバン真実を書いているので、『何かの仕掛けをすると、かえって自分たちの方が、墓穴を掘ることになる』とやっとわかったのだと思います。今年は八幡宮の雪洞祭りも、なしのつぶてでやっと静かになりました。
去年までお互いに、真実は、分かっていると思うのに、雪洞の、絵を描くための、和紙を持ってこられて、往生しました。
ここで、また、小さな展覧会である匠展への出品の難しさという問題に戻ります。
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今年はやっと静まりましたが、数年前までは(激しいいじめとして)お誘いがありました。なんと、11月なのに、9月から、封書で、出品のあるなしを問われたこともあります。まあ、ポスターやチラシの印刷上、早い時期に返事をしなければいけないとしても、こっちは匠展で、名前を売るなどという優雅な状況ではないのだから、そんなことはどっちでもいいのです。
で、ここなんですが、「出品をしません」と規定の用紙に書いてファックスで送ると、敵は「勝ったぞ、勝ったぞ。彼女はもう一つ居場所を失った」と思うわけです。だから、罠とわかっていても、乗らないとダメなのです。常に、そういうジレンマの中にいます。とても消耗しますね。毎日消耗をしています。
特に2008年と2009年はすさまじかったです。鶴岡八幡宮様の音声も大きかったし、ご近所のいじめもすさまじかったし、銀座でもと、続くのですが、ともかく北鎌倉に限定をすると、
私はとうとう思い余って、田口さんに頼むことにしました。田口さんがすでに、敵方にリクルートをされていることはわかっていましたよ。それはね。。田口さんが主人の治療院に通っているのですが、「先生(私の主人のこと)と、川崎さんは、仲が悪いのだね」と、言うのですよ。それには参りました。主人は私の悪口を確かに患者さんに言います。でもね、娘が、「お母さんがいないと、お父さんも、お兄ちゃんもだめになるから」と、一人暮らしで、修行をしていたころに、説得をしてくれたように、どんなにわがままをしても夫婦げんかをしても、離婚になることはないというほど、私は貴重な人間なのですよ。(笑)
『その人間Aが、そばについていて見方をしてくれると、そのパートナーであるBさんは気持ちが明るくなり、さらに前向きになる』という不思議な力を持っているAさんが、私ですから。
で田口さんのように、非常に人格が高くなっていて、人の気をそらさないようになっているひとが、そんな不用意なことを言うわけですから、『お、おぬしばれたぞ』とわかっているのですが、それでも仕方がなくて、匠展の出品を私に代わってやっていただくように、依頼をしました。
というのも治療院の往復は、奥様が必ず車で送り迎えをなさることを知っていたからです。車を持っている人は作品の運搬が楽ですから。
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副題11、『田口さんと、丁々発止の美術論をかわす』
それが2009年の10月のことです。連絡をすべて電話でいたします。すると電話が盗聴をされていますので、敵は田口さんと私が非常に信頼し合っているとみるわけです。私は裏で敵がすでに田口さんに手を出しているのを知っていて、それでも、お願いをしているのですよ。そして、田口さんも、引き受けてくださるのです。それは、頭の良い人同士のキツネと狸のばかしあいです。さすがに奥様は、緊張感に満ちておられましたけれどね。
しかし、敵はそうは見ないのです。いつも言っているように頭脳が非常に幼稚だから。で、私が100%田口さんを信頼しているとみなすわけです。で、それなら田口さんを使って、私が悩むことを、仕掛けようというわけです。
キーワードはコンクールです。私は以前、神奈川県展というのと、上野の森大賞展というのと、毎日展というコンクールに入選しています。国展とか女流展という公募団体展というのにも連続入選しています。だが、2003年以降それらへの出品をやめています。
彼らの狙いの最悪のケースを言えば、田口さんが、自分が最近果たしている目覚ましいコンクールでの栄誉を話すことによって、私の再挑戦が喚起され、応募をし始めるが、落選をさせるということでしょう。
一応、五年ぐらい、コンクール形式を休んでいるわけですから、落選しても、お前からは、審査に文句はつけさせないよというわけでしょう。もし何か不満を彼女が言うようだったら、あそこが悪いと言ってやれば、彼女は納得をして引き下がるだろうとみなされています。
これは、馬越陽子さんが、京橋のギャラリー手というところに現れて、威張りかえったが、全然効果がないので、『ああ、私、疲れちゃったわ』という本音を何度もつぶやいた日の、焼き直しです。それの、電話番です。
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副題12、『私は、スノビズム(ここでは、画家としての、偉い人に憧れて真似をすることを指す)は、大っ嫌いです』
私は男性でもある田口さんが、用事もないのに電話をかけてきて、しかも、相当な長電話になったので、『は、ハーン。これは、伊藤玄二郎と酒井忠康氏がそばについていますね。場所は、伊藤玄二郎のオフィスでしょう』と、30分ぐらいたったころには、納得をしました。そこまでわかったうえで、対応をしていました。
田口さんは、最近油絵が神奈川県展に、入選しているそうで、意気軒昂です。力強い話しぶりです。だけど、2007年から2009年までの油絵は、私言わせると滅法に、だめです。
後程、彼のペン画(または、鉛筆画)の個展を見せてもらうことになるのですが、こちらは素晴らしいです。
どうして、そういうことを言うかというと、油絵の方は、非常に厚塗りで、筆数は多いのですが、色がさえないし、テーマも浮かび上がってきません。
で、私は・・・・・僭越ですが・・・・・色の大切さを説き始めました。で、具体的に、修練の方法として、紙に、いろいろな組み合わせで描いてみるということを提案しました。形は無視してもいいから、組み合わせをなん十っ通りほど、作ってみること。
有名なカンディンスキーの作品のタイトルは、コンポジションとなっています。だが、本当を言うと色の勉強をした作品です。
それから、クレーは、形がカンディンスキーより、単純ですが色は素晴らしいです。それは、色と形を両方追及するのが、実際には難しいことを示しています。カンディンスキーはしゃれていますが、白と黒が障子みたいな基調になっていて、その間に、4色ぐらいまでの色が、使われているだけです。
クレーはそういう形のまとまりとか、枠組はほとんど無視していて、色が優先ですから、小さい四角形が連続する形式で、少しずつ、黄色からオレンジへ、または、黄緑へと色を変化させている作品など、非常に見ていて、美しく感じる、そして、心地の良いものです。
画家としてある限りやはり、洗練をされているとか、美しいという要素も絶対に必要なのです。
いやね。何かを恨んでいて、恨みを晴らすための絵を描くのなら汚い絵をお描きなさい。
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ここで、初稿では、汚い絵の例を挙げておきました。描いた人の実名入りでね。むろん、その相手は、日常的に私を苦しめている相手だからです。
が、それが入っていると、文章が特別に汚いものとなるのも事実なので、二回目の推敲では、そこを削除をいたします。
その代り、5週間前に書いた文章のタイトルだけをここに入れておきます。そちらは、この文章と酒井氏の講堂を分析するという点で、似ています。書いてあるエピソードは違うのですが、酒井氏が私に対してどういう風に出ているかを語るという文章にはなっています。
画面が、左側4分の1の位置へ全移動しているぜ・・・桐村茜、竹屋蕎麦、渡辺幸子△
2012-09-26 00:36:50 | Weblog
どうしてか、トラックバック機能が効かないみたいなので、こういう風にさせてくださいませ。
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元に戻ります。
田口さんに色の勉強についての実践的な方法を、さらに力説していたのです。だから、電話は全体で、一時間半を超えました。
『あのね、そういう膨大な組み合わせの中で、これは、と思うものが出てくる時があります。画材は油絵具でもいいのですよ。ただし、画用紙に描く。で、いいなと思った組み合わせをさらに微妙に変えて、試してみる。その油絵具の組み合わせで、そのチューブ名を、ノートにでも書いておいて、それを使って油絵を、今度は、キャンバスに描いていく。それが、勉強として役に立ちますよ」と言っていたら、
田口さんがいかにも不満そうに、(笑い、当然でしょうね。女に威張られてなるものかと思われたのでしょうから)
「だけどね。僕はね。アメリカの○○○○を長らく、研究しているのですよ」と切り返してきたのです。
しかし、その言葉を聞いた途端に大量のことが一気に私に分かってきました。田口さんは一流の画家です。紙にペンで、描いた無彩色の絵は素晴らしい。銀座でも一流と言ってよい。しかも楽しんで大量に描いています。
しかし、
*1)油絵を描くのなら、まだ、色の勉強が足りない。だけど、今、神奈川県展に、連続入選している。そしてそこで審査員に褒められている。だから、有頂天にもなって自信満々だ。で、勉強する必要性を感じていない。謙虚さを失っている。
*2)しかも、自分を正当化するために、アメリカの有名な画家の名前を引っ張り出してきた。これは、私がひそかに感じている匠の会のメンバーに匂いとしてあるスノビズムの典型だ。残念だなあ。田口さんが、そういう迷妄に陥ってしまって。これは、美大を出ていない人特有の背伸びなんだ。
*3)、それにアメリカの画家とは風土も環境も違うでしょう。あちら様は広いビルの一室を使ったアトリエで、体全体を動かして、ほとんど走り回るという形で、絵を描いている。だけど、田口さんは、八畳間で、ほかの制作途中の絵が置いてある狭い空間で描いているのでしょう。だから、絵が、ちまちましています。躍動感が全然違う。
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副題13、『田口さんからの折り返しの電話で、裏側の、すべては、ばれた』
でね。すべてはわかって来てしまいます。むろん、説得が効かないとわかっていながらも、あまりにも残念でね。そのアメリカの大作家と自分が共通するのだという田口さんの言葉の、教養が高そうに一見すると見えるが、実際には教養が低いということが見えたのが、特に残念で、さらに言葉を継いでいたのです。
すると、田口さんが、口調を変えてきて、
『今度一度、川崎さんと、喧嘩をしないといけないね』といったのです。あっと驚きました。それは、15年前に知っていたウルフみたいな田口さんが、表面にふたたび顔を出した瞬間でした。
瞬時に自分が失敗をしたのを悟りました。大失敗です。大人の対応ではなかったわけですね。大人の対応とは、ここでは、田口さんが、アメリカの大作家の名前を出した途端に、方向転換をして、「あ、そうでしたか。それは、知りませんでした。そんなに御研究をなさった上でのあの絵なんですか。それは、知りませんでした。ごめんなさいね」といって、しっぽを巻いて逃げることです。
だけど、本質を言えば、そちらの方が田口さんをバカに仕切っている態度ですよ。威張っているみたいな先ほどの、実際に行われた対応の方が、対等で、真剣で、本当の親切なのです。
でも、私としては、その同じ部屋に、敵方のすべての要人が控えているのを知っているわけです。だから、全部の人にいきさつを聞かれてしまったわけです。今はスピーカーと言って、電話の音が周りの人全部に聞こえる装置もありますから。
これは、大ミステイクで、おおぼかです。大失点です。何ともやるせない気分です。で、今の私だったら、すぐにこのブログにいきさつを書いて、田口さんの方は放っておくでしょう。そういう風に変化してきています。だけど、上の件は、2009年のことで三年前です。私も随分とナイーヴでした。で、種々様々に考えをシュミレーションしてみたうえで、もう一回田口さんの大船の自宅へ電話をこちらから入れました。
最初の電話は向こうから来たのです。そして、隣に、伊藤玄二次郎たちがいるのがわかっているのに、なぜか、その事実をその瞬間は、思い出せなくて、自宅へかけたのでした。動転をしていたのでしょう。まあ、携帯で、連絡を取っていない間柄だから、これは、当然でもありましょうが。
すると出ないのです。間を開けて、もう一回かけなおしてみたが出ないのです。そこを最初はこう考えました。『ああ、やはり、怒っているのだ。これを学びの機会としないといけないね。主人がよく、お前は、軽くあしらうということができないと言っているけれど、今度から、それを骨身にしみて、理解して実行をしましょう』と、感じたのです。舌や心にざらざらする感覚を味わいながらね。
ところがものの、五分もしないうちに、向こうから田口さんがかけてきて、先ほどの態度を、謝罪をしてくれたのです。
普通ならこれを、喜んで、受け止めるはずですが、そのときは、戦慄すべき恐れを感じました。それは、電話の盗聴が明らかになったからです。田口さんは、奥様の車で、鎌倉春秋社に呼び出されて、その応接間などで、伊藤玄二郎と酒井忠康氏との立会いの下で、我が家に最初の電話を入れて、一時間半ほど話したのです。そして、彼の怒りも本物でしょう。
しかし、我が家を盗聴している例えば警察とか、または、CIAが、田口さんが電話に出ないということが、雨宮舜(=川崎千恵子)にこの一抹の諜略行為としての、真相を気取られると判断をして、田口さんに、もう一度そちらから電話をかけさせたのでした。大船の自宅ではトイレに入っていたので、出られなかったとでも言い訳をさせるつもりでね。しかし、私は、そんな質問をするはずもなく、ただ、ただ、一刻も早く電話を切りたかったのです。で、そそくさと、『いいえ、こちらも悪うございましたね。威張ったように見えたでしょう。失礼をいたしました』と言って電話を切りました。そのあとで、三〇分程度考え込みました。全体像が何を意味していたのだろうと。それを考え抜きました。
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副題14、『ちらっとだが、酒井先生って、いい人なのかしらと思いなおす』
全体の構造は、コンクールでいい成績を上げている田口さんの現況をこちらに知らせて、私の方を、暗い気分にさせる。それは、馬越陽子さんが使役をされた使命と同じ。そして、渡辺幸子さんが使われたコンセプトと同じ。社会的に大成功している存在を、私にぶつけて、こちらをみじめな気分にさせること。それによって、文章を書く気概を失わせること。
しかし、私は、彼らの意図をすぐさま見破って、(それはそうでしょう。こういう手はすでに何回も使われてきています)、全く意図せざる方向で話し始めました。
ひるんだり、劣等感を感じるのではなくて、コンクールに酔っている田口さんの絵が、いかに空疎のなものになっているのかを指摘して、しかも、そこから脱却する道を示唆しています。
私には、本当の主体性というものがあって、しかもほこりが高くて、しかも相手に対して親切です。その会話は、もしかすると、差し出がましいバカ女の威張りにも聞こえたでしょう。だけど、純粋なる、親切だったのです。
でもね、いったんは怒った田口さんが、たった15分の間に、心から、考え直して、ああいう謝罪の言葉を出せるかと言えば、人間、それほど、器用じゃあないでしょうというのが、本当のところでしょう。
となると、傍にいる二人に説得をされてああいう態度の変更が生まれたとなります。何を目的に?
一つには、『二人の仲がいいことが彼らにとって都合がよい』ということがあります。今の私は、60%ぐらいの真実をここに書いています。仲良しだった田口さんを裏切る話として書いています。残念ですが、政治の問題を分析するためには仕方がないです。しかし、三年前にはまるで、違った書き方をしています。当たり障りのないふつうの文章を書いています。
だけど、相当に裏側をわかっているのではないかというのが彼らの判断でしょう。そのどこまでわかっているかを探り、早急に対応策を取っておかないといけないと思っているのが、彼らの本心です。
で、親しい人と会話をさせると、私がいろいろしゃべりますね。そこから、対応策を練ることができると判断をしています。私はね。人の悪口を書いているようですが、人間というものがすごく好きなんです。大好きで、人を愛しています。神のアガペという意味で、どんな人も愛しています。だから、どんどん、言葉が口をついて出ます。
それを録音でもしておいて、丁寧に分析をすれば、攻め込み口はたくさん見つかるはずで、また、彼らの防衛策も案出できるでしょう。
だけど、ちらっとですが、もう一つの可能性も考えてみました。それは酒井先生が、肉声としての真剣な私の声を聴いて、その内容の真剣さに打たれ、田口さんに、「この人はあなたのためになることを言っているのですよ。喧嘩を売っちゃあいけないよ」と諭してくれたのではないかと、言う可能性です。それは、夢のようなことですが、それを思いました。ちらっとですよ。
だけど、やがて、また、それは、裏切られていくことになるのです。そして、そういう考えが、夢の又、夢だったということも知らされてくることとなるのでした。例えばすぐ後に、芦屋から長電話が来ることになり、その全体的な構造は、田口さんから電話がかかってきたのとそっくり同じ形だったからです。
小細工と、仕掛けが大っ嫌いな私は、ふと抱いた、彼ら(鎌倉エージェントたち、とくに酒井忠康氏に関して)も善人であるのではないかと言う考えを捨てていくのでした。残念ながら。
2012年11月4日 雨宮舜 (=本名、川崎 千恵子)
副題1、『お寺と教会は似たところもある』
お寺には、本堂というものがあります。教会にも御御堂というところがあり、そこが中心となって、儀式を行います。
教会は宗派を問わず、大体一週間に一回ほど、集会があり、そこで儀式が行われお歌を歌い、心を清め、信者同士の結束を固めます。
お寺の方も、戦前の田舎の方では、日曜学校というのがあって、子供たちだけでも集めて、訓育をしていて、それを忘れていないのが母や、須賀敦子さんです。だが、東京圏では、あまりお寺の日曜学校というのを聞きません。
お寺は堕落をしたとよく言われます。お葬式に大金が動くから、それで、なんとなく安心しきってしまって堕落をしたのだと言われています。
だけど、少数意見が好きな私は、ここで、違った意見を出してみたいのですが、もし、お寺が堕落をしたとしたら、それは、明治政府が方針として、廃仏毀釈を進めたがために、お寺に存在価値が失われ、それとともに誇りも失われたからではないかと思うのです。
江戸時代までは、そこが地域社会の中心だったが、それゆえに、徳川家の影響力が残っていると見た、明治政府は寛永寺をはじめとして、徹底的に弾圧をしたのですよね。それで、活動形態の収縮を余儀なくされて、それとともに誇りも失ってしまわれた。
幸いにと言ってはなんだけれど、お墓というものがあります。それを捨てるわけにはいかないので、お墓と、お葬式を中心としてお寺は生活費をあがなうという形態の時期がある程度続いた。
で、今の様に葬式仏教が何とか、かんとかと言われるようになってしまったと、・・・・・そんな風に考えるのです。
中国地方、(母は山口県、須賀敦子さんは、兵庫県だったかな?)には、子供たちの日曜学校が生きているのは、明治政府の監視体制がそこまで、届かなかったか、浄土真宗の力が強かったのか?
本当は、こういう生活が復活したらいいですね。教会に子供を通わせるというのは、ちょっと、エリート風を吹かせる雰囲気があり、また、地域社会と、連動しているわけでもありません。
今、裕福な家の子供たちは、一人でやる音楽や、美術のお稽古事、卓球や水泳といったスポーツ、さらに集団で行う、ボーイスカウトや、野球や、サッカーというお稽古ごとに通っていますが、それはお金がかかるし、技術的側面の訓練が多くて、ゆったりしたところがありません。
昔のように、日曜日の朝九時から、町内の子供がすべてお寺に集まり、一時間ぐらいお話を聞いて、ちょっとしたお菓子をもらって、心身を潤した後で、境内や、村の広場で、それぞれ、一時間ぐらい遊んで帰るというその手のゆったりした雰囲気がありません。
西欧の一般の人と日本人の違いは、良心を、どう考えるかというところであって、日本人は非常に善良なくせに、良心の部分で、毅然とした自己の確立がないと感じるのです。
私が付き合った人たちに、もし、「日曜日に教会に行っているの?」と聞いたら、パリや、ニューヨークに住んでいる芸術家ですから、絶対に、『行っていないわよ』と答えると思う。だけど、どこか、芯があって、それを特に、モラルという側面では信じられます。
誰も見ていなくても、『良心にやましいことはしないのだ』という決意を感じます。誇りを感じます。
ところが最近の日本人にはそれを感じないのです。自分でものを考えず、大勢に流される傾向が強くて、誰か、スターがやっていることがあったら、それが、不道徳でも真似をしてしまう。または自分より、目上の人が無理を言ったら、それを通すという姿勢。
トヨタ自動車の評判が悪いというブログを見ました。今の章夫社長の顔色をうかがう体制ができてしまっていて、そのため、下請けがとても困っているとのこと。真相はどうだかわかりませんが、リコール問題が起きた時に、報道ステーションに登場して、50分ぐらいのインタビューを受けておられるのを見た限り、そのブログの記事は当たっているだろうと思いました。
大金持ちの家に育ったということと、アメリカで、教育を受けたということが悪い方に出ている例です。効率を重んじすぎ、利潤を追求しすぎると、日本の風土には合わなくなります。
副題1、『NHKの記者(特に在NY)は、何をどう考えているのか? 主体性はあるのか?』
副題2、『上の件には、日米関係の真実が、見事に表れているでしょう』
副題3、『ここで、オスプレイ配備のニュースがどれだけ、矛盾に満ちていたかを? 思い起こそう』
副題4、『田母神さんは、現代の女性に対しての理解がない人だ』
副題5、『2012年の11月1日は、秋葉原のワシントンホテルに泊まったのだが』
副題6、『6月23日には、私は、アパホテル金沢駅前に宿泊をしている』
副題7、『エレベーター事故・責任者の社長の態度は、オスプレイ配備の、藤森長官とそっくりだ』
副題8、『大越さんが、珍しくも私の言いたい方向と同じ方向で沖縄問題を考えてくださったが』
副題9、『ご近所様のこと(=攻撃やいじめ)が、ここで生きてくる。
柳沢昇氏の傲慢を見てください。鎌倉春秋窯のホーム頁です』
副題10、『ところで、何が、<安野夫人は未熟な主婦だ>と私に断言をさせたのか?』
副題11、『安野夫人の<かしわ手>は、小沢一郎氏の活動と連動をしている』
副題12、『油揚げをさらっていくのか?、小沢一郎』
副題13、『平清盛では、NHKは、天皇家を王家と呼ぶが』
副題14、『さらに言おう。オスプレイ配備とは、小沢一郎を救済する壮大な陰謀だったのかと』
副題15、『小沢氏は4200人集めた。人気があると日刊ゲンダイはいうが』
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副題1、『NHKの記者(特に在NY)は、何をどう考えているのか? 主体性はあるのか?』
最近のNHKニュースには、ひどく失望をさせられている私です。特に、ニューヨークの道路標識、Roosvelt Ave. をカメラで写しながら、何の批判もなく、『これが、今度、従軍慰安婦通りと命名されます』と言い、さらに、三人ぐらいの韓国人(在ニューヨーク)の意見を取り上げていましたが、賛成派の意見を重要視していました。
昨日説明が足りなかったと思いますが、クィーンズというのは、マンハッタン島ではなくて、西側にある半島です。以前、冬のハドソン川に滑り込んで、ほとんどの人が、珍しくも助かった有名な事件がありましたが、そちらは、西側ニュージャージーとの境になり、トンネルはあるが、橋は架かっていないと思いますが。
そのニュージャージーは家賃が高くて、高級な家が多いと思われます。そして、日本人でも、大企業の派遣社員等が住んでいます。
一方の西側は家賃が安いです。
その半島のクイーンズよりさらに、南側の部分はブルックリンと呼ばれ、そこも、高い家賃の地域と低い家賃の地域があって、その高い部分は、今、学者や、芸術家に大人気の一帯となっています。
しかし、マンハッタン島の中のブロンクスと似ていて、昼日中から、日向ぼっこをするだけのアフリカンが、道路っぱたにいる場所でもあります。
そちらのブルックリンの家賃のお高い地域よりは、クィーンズは、家賃が安くて、小さな町工場などもある一帯です。ただ安全な場所ではあります。
が、ともかく、後発の移民が多い一帯で、ギリシャから来たマリアカラスも、ここで育ったはずだし、イタリア人、ロシア系、東欧系、インド人もとても多く、日本人も多いのです。
それらの日本人は、『大会社の一員として、派遣をされて来ていて、数年で帰国します』という感じの人ではなくて、こちらで、自力で、生活ができるタイプで、永住をしている日本人が多いのです。
ルーズヴェルトアヴェニューという大きな地下鉄駅があって、そのさらに、西側にフォレストヒルズという、これも大きな駅があって、それこそ、五嶋みどりさん親子は、最初に、そこに、住んだはずです。
それから、もしかするとですが、テニスの四大大会は、そこで、開かれるのではないかしら。よく知りませんが・・・・・
となると、この道路改名に関して、NHKは、日本人に意見を聞かないといけません。在ニューヨークの日本人に聞かないといけません。しかし、何も聞いていませんね。
どうしたんだろう。
私の想像では、日本の上司から、『かくかくしかじかの方向で撮影してくれ』と言われていて、その通りの方向で、撮影取材をしているのだと思います。
その上司は、なんで、そういう方向で、命令をするかというと、例の鎌倉エージェントの発案で、この改名が、起きているから、いつもの通り、その言うことを聞いているというわけです。
私が今書いていることは、(特に、10月中に書いたことは)彼らにとっては震撼すべきことの連続でしたからね。どんな事項を使っても、彼女のことは、やっつけようとしているわけです。
私はね。これは、一種の『がせねた』であって、一回こういう放送をするが、実際には、何も変更が起こらず、ルーズヴェルト・アヴェニューはルーズヴェルトアヴェニューのままだと思います。
しかし、文章の書き方が、超が付くほどに、難しいのです。気が付いたことを書かないと、トンでもない攻撃がほかの側面(特にご近所様から)くわえられます。
というのも、彼らは自分たちが立てた企画が通る(それは、私がわざと何もそれについて書かない時なのですが)と、「勝った。勝った」と大喜びで、「この瞬間を利用すれば決定的に勝てる」と、単純に考え込み、
「ここで、一気に総攻撃しよう」、と思うのか、新たな攻撃に取り組んでくる・・・・・というのが、今までの通例なのです。
で、仕方がなくて、「このニュースは、事実は大したことはなくて、裏側の真実は、こうなんですよ」と、書きますね。すると、小さな段階の、脅かしが、面子も加わって来て、(ここでは、ニューヨーク市長の面子となります)後へ引かれないということになります。その大騒ぎが大相撲壊滅作戦でした。八百長疑惑とか、野球賭博とかいろいろありましたが、競馬も、賭博だし、宝くじも言ってみれば賭博です。日常的に行われている普通の行為を犯罪として仕立てあげる。スケープゴートを作って、しめあげて、それを見せしめとして利用して、日本文化をつぶしていくか、それともほめあげていくかは、
さじ加減一つです。伊藤玄二郎の、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章の授与も、北野武監督のベニスや、カンヌ映画祭での、受賞も、国際的軍産共同体の、さじ加減一つです。
一方で、賞どころか、圧迫されて弾圧されて、苦しくて、自殺する人がいるのも、さじ加減一つです。
こういうことがわかって来はじめてからは、私は、現代社会で、人々がほめそやしている偉い人を、偉いとは、信じなくなりました。
この世に自然なことは、とても少ないのです。特に、褒章に関してはノーベル賞でさえも、いささかの政治性があります。戦前特に、大戦中には、日本人はほとんど受賞しませんでしたね。
だから、最近の私は、よほどのことではないと、この種の諜略的ニュースは、無視していて、気が付かないという作戦をとってきたのですが、
このニューヨークの、相当に大きな道路を、従軍慰安婦通りと命名するなどというニュースは無視できません。
自分に不利が、かかって来ても、おそれず、皆様に、委細を申し上げないとならないとなりました。
マンハッタン島では、まっすぐの直線で道路が引かれていて、南北がアヴェニューと決まっていて、東西がストリートですが、クイーンズでは、幹線道路(特に、このルーズヴェルトアベニュー)は、緩やかに曲がっていて、東西方向に向いています。それがアヴェニューと呼ばれ、南北がストリートになっています。
日本で似た道路を上げろと、いわれたとすると、渋谷の駅をまたぐ、246といった感じで、東西を貫通していく道です。
でも、ラガーディア空港に、向かう主要駅でもある、ルーズヴェルトアヴェニューという地下鉄駅名さえ、変更するのかしら?
このNHKニュースは本当におかしいです。2012年10月30日の火曜日の朝と昼に放映をされたものですが、・・・・・
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副題2、『上の件には、日米関係の真実が、見事に表れているでしょう』
ところで、日米安保条約があり、米軍が日本に駐留をしています。彼らの諸費用は、思いやり予算と言って、日本人の税金で養われています。
どうして、日米安保条約が結ばれたかというと、日本は、反戦を憲法で、宣言していて、軍隊を持っていないし、外国から侵入されても、軍隊がないのだから、防衛できないというので、米軍に代わりに戦ってもらいましょうと、言うのが表向きのコンセプトです。
しかし、本当の狙いは当時、東西冷戦ということがあって、アメリカと、ソヴィエト・ロシアが、アジアで激しく戦っていた時代だから米軍にとって、日本が、地理的に重要だったというだけなのです。基地として使いたいということであって、日本には、これっぽっちの同情心も持っていないというのが真実です。
むしろ、その日本という国は、民度が高くて、勤勉であり、均質であるから、ハイレベルであるからこそ、おそれています。
もう一つ恐れる理由があって、それは、東京裁判に原因があります。それが、*1)軍事法廷として、まっとうではなかったとか、
*2)昭和天皇の責任を、きちんと明らかにしていないとか、
*3)大政翼賛会を担ったメディアとか、岸信介氏などの、満州という植民地経営の枢要な人物の罪や責任を不問にしたということがあります。片手落ちなのです。
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自民党は安部さんを総裁にしたけれど、安部さんはいろいろな意味で、日本国の総理大臣をするべき人ではありません。ご本人にとってもそうだし、天命という意味でもそうなのです。
安部さんはいい人ですよ。だけど、谷垣さんと同じで、総理総裁の器ではありません。
自民党って、民主党と比較すると、はるかに、素朴で、国民に対しては、精神的な支配はしない政党なので、そこを、私は、好んでいますが、政治屋としては、頭脳がない集団だとも思っています。自由度は小沢新党などに比較するとはるかに、こちらの方があるのです。そこはすばらしいし、知的にも高いのです。
が、戦略的な意味での、党としての頭脳がありません。私は、だれが総裁になるべきかという意味で、この前立候補した人間は、すべて、野田総理大臣よりは、だめだろうと思っています。
安倍さんが、総理大臣をするのだったら、まだ、野田さんが総理大臣のままでいたほうがベターだと、私は考えます。日本国の総理大臣をするのは、非常に難しくて、ある種のタフネスがないといけません。
安倍さんにはそれがないです。
自民党の政治家の瀬踏みから離れて元に戻ります。
で、東京裁判に対する負い目があるからこそ、靖国参拝を異常にチェックしていて、それを政治家の踏み絵として使います。
「思想や、信教の自由を憲法に歌っているのに、恥を知れ、朝日新聞!」というほど、第一次、小泉内閣の出発の日に、どの大臣に向けても、「朝日新聞の○○ですが、靖国参拝はやられますか?」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返した、記者がいましたが、それ一事をもってしても、朝日新聞がどれほど、この国際的軍産共同体の、奴隷になっているかがわかります。
でも、朝日新聞は私企業です。だから、買わなければいいのです。だけど、NHKは、ほとんど税金に等しい視聴料を取っていて、このようにがせねたに近いニュースをまるでオオゴトで、大切であるかのように報道をします。
だから、私としては、まず、NHKに対して怒っています。
その次に、「でも、こういうニュースを見て、真実に目覚める日本人も多いだろうなあ。なんと、アメリカも、ばかになったものだろうか?
ルース大使って、どういうポイントで、日本と日本人を見ているのだろうか? 政治には素人らしいが、日本に滞在するって、とても難しいことなのですよ。わかっていますか?」と言いたいです。
NHKニュースなどは部下に、常にチェックさせておいて、自分でも、判断をなさること。よく考えれば、こんなに低レベルなニュースを流していたら、反米感情の醸成が進んでしまうということがわかるでしょう?
私なんて、国際基督教大学の出身だから、親米感情を持っている人間ですよ。でも、あきれ果てています。
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副題3、『ここで、オスプレイ配備のニュースをもう一度再検討してみよう。どれだけ矛盾に満ちていたかを?』
この前古い時期の録画ニュースをチェックしていて、藤森官房長官が、六月の時点で、既に、オスプレイの配備を言い出しており、しかも、オスプレイは事故が多いということも堂々と述べているのを知りました。
しかもさらにそれに信憑性を持たせるためか、退役軍人という人物まで出てきて、オスプレイが落ちる落ちると言いつのりました。
この時点で、私はアメリカとか、国際的軍産共同体の頭脳というものに疑問を抱きましたよ。特にCIAと呼ばれる部署に。
だって、そこが、鎌倉エージェントを助けるために、この件を起案して実行しています。その鎌倉エージェントが、次から次へと大失敗を繰り返しています。提案しては、見破られていて、そのたびに、私はさらに進歩をしていきます。書き手として、見事な成長を遂げていくのです。
で、さらに悪循環に陥っていて、とうとうアメリカ軍が、とんでもないお馬鹿さんだという話にまでなってきました。官邸に、制服が違う六人の米軍の高官(少将級かなあ? 大将級だろうか?)が乗り込んできて、オスプレイは大変危険なものだから、試験飛行をいたしますと言ったりして、『あんたら、あほと、ちゃう?』と大阪弁でも使いたくなってしまうほどの、レベルで、幼稚なところを見せました。全体構造を見ても、このオスプレイ配備という案は、二重三重に幼稚です。
ともかくにして、大コンセプトは、本当は嫌いな日本人(ただし、ごくごく少数のエージェントたちだけは別であり、それら)を助けるために、自らの恥をさらしているという形です。
その恥をさらして、結果は反米感情の高まりを招き、・・・・・私のように、過去に親米であり、アメリカのことがよくわかっている人間の侮蔑の気持ちを、招来し、いいことは一つもないのに、数か月間も同じことを繰り返しています。
で、アメリカも馬鹿にされているが、野田内閣も非常にバカにされたでしょう。大損をしたと思います。今、内閣支持率が急激に下がっていますが、その原因はひとえにオスプレイ配備にありました。それをはっきり言うメディアがないが、むろんのこと、それが大きいでしょう。
ここは、藤森官房長官を切りたいところです。どうしてかというと、藤森官房長官が、鉄面皮にも、オスプレイ配備を淡々と、しかも長期間、説明し続けたことに罪がありますから。民主党の大臣としては、原発事故後の枝野さんは、高得点を稼ぎだしました。しかし、藤森さんは、じわじわと、自らの首を絞めていきましたね。
本人には落ち度はありませんよ。
だけど、ばかげたニュース、そして、諜略行為の典型であるオスプレイ配備を説明し続けた罪です。
しかし、永田町の人間としては、藤森官房長官など、第一級にできる人であり、辞めさせるのは、もったいないですね。だから私は、この考察を本日まで、頭脳外へ、出すことはありませんでした。
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副題4、『田母神さんは、現代の女性に対しての理解がない人だ』
田母神さんがネット上で叩かれているそうです。何のことかと思ったら、米兵の暴行事件は、被害者も悪いというような感じで、『夜遅く女性がふらふら出歩くのもいかがなものか』とつぶやいたらしいのです。
その夜遅く、で歩く問題ですが、まず、私のケースを語らせてくださいませ。我が家の近所は、鶴岡八幡宮のすぐ近所ですが、この季節だと、夜の六時過ぎにはほとんど、誰も動きません。それは山下の鎌倉街道でも同じ。夜の八時ごろには、車も通らないという感じです。
かえって遅い時間帯にぼちぼちですが、人が通ります。終電に近くなると、この近所に住んでいる、現役の働き盛りのサラリーマンが一つの電車で、五人ぐらい降りてきて、この道を通ります。が、ほかは静かなものです。そんな中、外出するたびに、12時過ぎに帰ってくる私ですから、相当に、危ないと言えば危ないでしょうね。主人はとても嫌がってはいます。
しかしね。我が家には泥棒が入ります。だから、主人が家にいる時でないと大荷物を持って外出しないとダメです。で、結局は夜にすれ違いで、外出することになります。
しかも外では、パソコンを使って編集の仕事をするので、長時間いたいと思っています。それで、真夜中に帰ってくることになります。
だから、田母神さんに言いたいが、「女性というものの生活が、全般的にひどく変わってきているのですよ」と。
家を守る普通の主婦であるケースだけではないということです。私はお金は稼げませんが、ほぼ、キャリアーウーマンに等しいほどの働きはしています。労働という意味では、100%以上にキャリアーウーマンタイプです。
しかも沖縄に戻りましょう。
沖縄には、飲食業が多いのでしょう。それはアテネと似ていますね。アテネも夏に行ったら、メトロポリス大聖堂のすぐ近所の繁華街で、夜12時過ぎでも大騒ぎで、人々が笑いあいながら飲み食いをしている現象を見ました。後に財政破たんだと聞いて、夜の六時には静かになってしまうほど、まじめな人間だけが住んでいる、我が家の近辺との違いには、あきれ果てたというか納得をしたというかですが…・
そういう観光業が、沖縄の主要な産業です。相手というかお客としては日本人もいるし、米兵もいるということになるでしょう。大体、12時半ごろに閉店をして、おしまいの作業をして、帰宅をし始めるのが午前一時ごろ、家の近所まで達するのが、歩くのなら午前二時ごろだと考えられます。自転車は使いたいが、置く場所がなかったりして歩くのだと仮定しましょう。
被害者は、若いお母さんで、かわいい子供たちのためにお金が大切だから、タクシーは使わないのだと私は、推定しています。毎日の給料が、一万円以下で、そのうちの、三千円ぐらいをタクシーで使ったら、働くことの意味が無くなります。だから、深夜でも歩くとなります。
で、歩いているうちに後ろから襲われました。数時間前までお店に、一緒に、いたので、しっかりと名前や、顔を覚えていたと仮定します。理不尽な力で、わきの草むら等に引きずり込まれ、下着をはがされて、コンドームもなしに射精をされたと仮定しましょう。妊娠をしたら大変ですよね。そのためにも、すぐ、家族には事情を話すべきだと彼女は考えたでしょう。妊娠したら多分堕胎するということもしないといけないし。愛する旦那さんにも話さないといけません。
その前に、警察が犯人を捕まえてくれれば、旦那さんにも説明がしやすいですね。それで、必死になって、加害者が去ったのちに、すぐさま携帯で、警察に知らせたのでしょう。彼女は真剣でかつ賢い女性だったので、特徴なども覚えていたし、名前等も覚えていたという部分もあったかもしれません。それも非常に速い逮捕ということにつながりました。地位協定というものがあって、犯人側が過剰に有利だそうですが、今回はつかまりました。
推察するに、沖縄の女性たちは、十分以上に心構えができているのだと思います。きれいで、ふくよかで、お色気のある人ほど、防衛する必要もわかっていると考えます。彼女たちはお金を稼ぐために、愛嬌をふりまくことは大いにあるでしょう。だけど、「簡単には春は売りませんよ」という矜持は持っていると考えられます。ましてや、強姦は、お金も払わない乱暴ですから、許せないですね。
絶対に許せないと個人的にも思ったでしょうし、親戚の人や、近所の人や、県民も、総意をあげて怒ったのです。
だから、田母神さんは、ちょっと、認識が足りなかったですね。
その田母神さんですが、瓜南直子さんと、最後の相手として、ツィートの交換をしています。これは、直子さんの、死の直前というわけではありません。ほぼ一年前2011年のことです。しかも、田母神さんのつぶやきの後で、瓜南直子さんは、さらに何らかのつぶやきもやっています。
しかし、それが、またまた、大問題と、なります。特に私にとっては、瓜南直子さんが、どういう風に使役をされていたのかの証明になりますので、相当に大切なお話ですが、ここでは、わきへ踏み込みすぎることとなりますので、その事実だけをあげて先へ進みます。
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副題5、『2012年の11月1日は、秋葉原のワシントンホテルに泊まったのだが』
これからは一種の挿入ですが、私の深夜の帰宅の話へ戻ります。
ただし、それが重要なのは、私はアパホテル金沢駅前に泊まったことがあるからです。
11月2日の正午のNHKニュースで、初めて、シンドラーの社長という人物が金沢を訪れて謝罪をしました。その映像を論議しないといけなくなりましたので、ワシントンホテルでの、一晩の説明がここで、必要になりました。
深夜の帰宅を主人が嫌がるし、痴漢という形で、暗殺をされたら大変だし、で、特に心配だったり、疲労がたまっているときは、東京で、夜を過ごして朝早く帰宅をします。
前は、夜の安全を願うために、よくネットカフェを利用しました。ネットカフェはお若いサラリーマンの中には、ビジネスホテル代わりに使う人は多いでしょう。特に高級なものもありますから。だが、メディアを通じて、下品な場所だということが喧伝をされるようになったので、ホテルを使うようにしています。特にオーム真理教の逃走犯、高橋某が、蒲田のネットカフェに潜入中に逮捕されましたね。それで、イメージがとても悪いものだと、一般の方がお考えになっていると推察していますので。
母からの遺産を、そういう風に使っています。
本の編集を自宅ではやりたくないという何度も説明をした事情もありますし。
ところで、私は本年の、6月11日の夜に吉祥寺の東急インに予約を入れたのですが、その予約がなかなかできないのです。ITおよびネットを使うことでは、相当にいじめられていますので、『は、ハーン。またここで、いじめられているな』と判断をしましたので、
それが、どういう風に推移していくかを確認するために、すぐ、関西の別のホテルに別の予約も入れました。それが、6月4日の夜のことです。
梅田のサンルートだけは、6月23日にとれたのですが、ほかはまたまた、予約が取れなくてね。それで、ワシントンホテルプラザ新大阪は、秋葉原のワシントンホテルから連絡してもらって予約を取り、金沢のアパホテル金沢駅前は、公衆電話から電話予約を入れました。
これが、最近エレベーター事故で話題になっている舞台です。
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副題6、『6月23日には、私は、アパホテル金沢駅前に宿泊をしている』
で、ホテルの予約がとりにくいことは、いじめの一環です。それは、伊藤玄二郎の元愛人だった女性、石川和子が、猫のことで、警察をまきこむ大失敗をしているので、警察が関与しているいじめでしょう。それで、そういう時は必ず、すぐ手当をしないとダメです。放っておいたらいけません。
だから、絶対に大阪へ行くとは決めました。最初の動機は帝国ホテル大阪で、開かれる、某社の株主総会へ行きたいということから始まっています。
私は父や母から相当な量の株式を相続していますが、株主総会など出たことは過去にありません。会議など、もともと、時間の無駄だと考えている方ですから。
だけど、最近、70歳を超していて、日本の宴会場を建物とか、インテリアの側面から研究したいと思い始めていて、それで、株主総会をきっかけとして、行ってみようねと思い始めています。
ホテルニューオータニで開かれたNTTの株主総会で、長らく使えなかった(それも、IT関連のいじめとしてそうなっていたと思いますが)、外付けネット装置、クロッシーが、使用可能になったのもありがたかったですしね。いけばそれなりのメリットはあります。このクロッシーですが、i-pad を使うときに使用するワイファイみたいなものです。
さあてネ。せっかくの関西ですから、金沢も見てみたいと思い、ホテルはアパホテル金沢駅前に、6月の23日の夜に宿泊をする予定で、とりました。公衆電話でです。そこでいろいろなことを考えました。そして、実際に宿泊して、大変に勢いがあることを知りました。
また、客層がね。庶民ですが、幸せそうな人が多いです。そして、従業員も活発で、生き生きしています。それから、田母神さんのことも、アパグループのことも。
そして、それが、今回の、エレベーター事故の現場だということは、
本日初めて、NHKニュースで知ったのです。関西の人はすでにご存じだったのかもしれませんが、私は本日初めて知りました。
そして、社長が映像として、出てきたのは過去の多くの事故の中で、今回が初めてだと感じています。それで、急に『あれ、これって、もしかしたら、諜略行為として、そのMさんというお母さんは、殺されたのではないかしら。事故ではなくて、事件なのではないかしら?』と考え始めました。
恐ろしいことです。が、IT的操作はいつでも、できます。シンドラー社のエレベーターが、故障をするような、バグを外から入れ込めればいいのです。つまり、エレベーターが動くときには部屋側の扉は必ず閉まるという連絡回路を、切ってしまえばいいのです。スパコンの中の、電流が左へ流れるか、右へ流れるかのスイッチを、一か所で、切ってしまえばいいのです。時間帯も掃除をする時間を選んでね。
そう考える根拠として、昨日の秋葉原ワシントンホテル内でのできごとを語らないといけません。
まず、カードキーが効きません。何十秒も待っていて、しかも何回も読み取り装置から離してみて(それは、リセットにあたるので、たいていの場合は、それで、治ります)再度くっつけてみますが、無効です。
もう一つは電話の異常です。何度も言うように、携帯は、契約をしているけれども、実際には携帯していません。だから、主人との連絡には、必ず固定電話を使います。ところが、10回ぐらいナンバーを回したうちの六割は、通じません。「お客様のおかけになった番号は現在使われておりません」というのです。自宅なのにですよ。
というわけで、昨晩は何回も、苦しめられました。無駄な時間を費やしました。後ろで、NHKのニュースウォッチのスイッチは入れてあって、珍しくライブで、それを視聴しましたが、『おや、おや、大越さんは、珍しくも、まっとうなことを言っていますね』と感じました。
が、現実の私は、闇の勢力にからめ捕られて、四苦八苦しているのです。でも、パニックには陥りませんよ。すべては、裏側をわかっておりますから。
こういうバグを入れこめているのが、誰か?となりますが、「うーん」ともかく、伊藤玄二郎(+そのお仲間である、まだ生きている井上ひさし)が、国際的軍産共同体のエージェントであるとすると、それを助けている組織となります。できるだけ、警察さんではないよねと、思いたいですが、本当のところはわかりません。
で、自分の件は女性スタッフに、あきられたという形で、『一種のクレーマー扱いを受けたね。だけど、まあ、もっとひどい被害も数々あるのだから、これくらいでは、めげませんよ』で終わりです。
しかし、アパホテルと、その従業員の被害は見過ごせません。
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副題7、『エレベーター事故・責任者の社長の態度は、オスプレイ配備の、藤森長官とそっくりだ』
シンドラー社というのは、国際的な大企業らしいです。ということは機械メーカーなのですから、当然のごとく、軍需産業にも加担していますね。私が常に言う、国際的軍産共同体の代表例です。今までは、アドビ社と、マイクロソフト社が、私に立ちはだかる、いじめ役でした。それらはパソコンを使うときに直面する敵様です。
だけど、初めて、工業生産品を作っている大企業にして、国際的軍産共同体の悪に直面をしました。まさか、シンドラー社の社員が、こういう故障が起きるように、バグを入れたとは思いたくないです。
だが、社長がカメラの前で作り出す顔が、変ですよ。日本人でしょう。国際的な企業の社長だと言っても、一方で、日本人です。それって、日本人の顔ではないねえと思います。つらっとしていて、心がこもっていないです。『清掃人なんか、下層階級なんだ』という思いも、顔に出ています。「あれ、こういう顔って、どこかで見たわよ」と思い出せば、
例の藤森官房長官の、無機質な顔です。特にオスプレイ配備を説明している時の顔です。遺伝的な構造はまるで、違っていて、別に、2人には、似ているところはないのですが、真心が感じられないというところがそっくりです。
もし、この事故が陰で仕組まれたものであったら、私が、そうだろうとみなしている無辜の被害者は、すでに、20人を超えます。
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で、ここから先の書き方なのですが、大阪旅行で、感じた諜略行為の数々を書きたいと思います。が、今はそれを止めましょう。でないと、脇道にそれすぎて、私が何を言いたいのかが、皆様に見えなくなってしまうでしょう。でも、対・敵として、どこまで、私が物事をわかっているかを語りたいので、以下にタイトルだけを一種のメモとして、Aから
Dまで4つ入れておきます。
これらを丁寧に語ると、石原慎太郎氏がどうして、あの時点で都知事を辞任したのかも謎解きができます。一般的な解釈である。ご長男の伸晃氏に、今まで遠慮をしていたのだというのは当たらないとなります。
副題A、『大阪帝国ホテルは韓国旗を掲げており、松本楼には、緊張気味の馬越陽子さんが待っていた。2012年6月26日のこと』
副題B、『大阪市立図書館で、25日に府知事が訪問というニュースを大阪で知る』
副題C、『橋下市長と、石原慎太郎氏は、両方とも敵方にからめ捕られていますね。
副題D,『やはり、私のヴィデオカメラは大阪で、盗まれたのでしょう。醍醐イサムを助けるためにね。すると、彼は、馬越陽子さん以上の攻撃者だとなります。その後、私の目の前でニヤニヤしていました。イケメンを標榜している模様だけど、心底腹黒いですね』
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副題8、『ニュースウォッチが、珍しくも私の言いたい方向と同じ方向で沖縄問題を考えてくださったが』
私は普通ですと、高いお金をかけてホテルで仕事をしているのだからとなってすぐパソコンを開きます。ところがね。その夜は、バグという形で、攻め込まれていると感じましたので、しつこく固定電話に引っ付いて、主人との会話が回復するのを待ちました。で、本格的な仕事はできないので、テレビをつけていて、背後で、音声を聞いていたのです。
すると、NHKの夜九時からのニュースウォッチで、珍しくも、大越キャスターが、まっとうなまとめ方をしていました。
沖縄に乗り込んで取材をしているのですが、
大体の方向として、正しい認識が示されました。日本全国の視聴者は今回は満足をしたと思います。
しかし、私があの立場だったら二つ付け加えるけれど、とは思いました。それは、私だから言えることで、なぜ、オスプレイ配備がなされないといけないかというポイントと、
二つ目は、『沖縄での米兵の暴行事件は、天の配剤であるなあ』ということです。沖縄県民の怒りが爆発したのです。
田母神さんというのは少数意見の人だから、大切にしたいと思っていますが、こと、女性問題に対する認識が古すぎます。暗喩として、『水商売の女だろう。だから、隙があったんだろう』という内容が含まれています。
上に解説をしているように、女性がお金を稼ぐ必要が出ることはあります。そういう人で若くて愛嬌があって、フェロモンが横溢している人なら水商売は手っ取り早いし向いています。
『私はね。技術は何も手に付けていないのですよ。それに、大学も出ていないし、資格もないしね』という女性なら、適職の一つです。だけど、太宰治の『ヴィヨンの妻』ではないが、そういう愛らしい女性のすべてが、だらしがないというわけでもないのです。それから、誇りが高くないというわけでもないのです。
彼女は非常に賢くて、下手な抵抗をしなかったと推察されます。無理な抵抗をしたりすると、殺されます。で、ともかく彼ら加害者が去った後で瞬時の間も置かないで、携帯で、警察に連絡を取ったと思われます。後姿ぐらいは、携帯で、撮影をしていたかもしれません。
しかも外出禁止令の出ている、11月1日の木曜日には、今度は中学生が襲われたとのこと。男子だったので、セクシャルな被害は、なかったのですけれどね。何にも因果関係のないお宅に押し入ったらしいです。鍵がかかっていなかったというだけの理由で。
米兵の教養の無さというか、しつけのできていないことが、もろに表面に出てきています。そして、日本人全体が、それを、真実として見事に受け止め始めています。『アメリカって、実は文明度が低いのよね』という感覚。敗戦後、仰ぎ見る対象としての、理想の国家だったはずが、『どうもアメリカって、だめらしいね。ちっともいい社会ではないのよ。文明度が低いみたい。銃規制もないしね』となって来はじめています。
今回は特に、オスプレイ配備の問題が、前哨戦として、変な意味で役立ってきています。だから、これも実は伊藤玄二郎一派の大失敗と言えます。鎌倉を舞台に跳梁跋扈していて、やりたい放題をやって来ていますが、とうとう命運も尽きたかなと、私は見ています。
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副題9、『ご近所様のこと(=攻撃)が、ここで生きてくる。
柳沢昇氏の傲慢を見てください。鎌倉春秋窯のホーム頁です』
伊藤玄二郎をなぜ、これほど助けないといけないかというと、私のご近所様主婦たちのとんでもないマナーが大失敗を起こしているからです。
そのもっとも頂点に立つのは、石川和子と柳澤昇夫婦ですが、あまり詳しいことを書いていると、2万字を超すので、簡単に描きます。
彼からの被害は相当ありますが、彼と伊藤玄二郎の結びつきは、鎌倉春秋窯のホーム頁を見てみると見事に見えてきます。
そこの下の方に規約というのがあり、その第七条の、威張りかえったところ等、中央大学、法学部、政治学科出身の伊藤玄二郎の面目躍如と言った趣です。
でも、真夜中にお隣からを装って、石が投げつけられたことを思い出す私はこんなものを読むたびにはらわたが煮えくり返る思いがします。柳沢家はその一軒向こう側に住んでいます。投げつけられた、場所が、とたん製の外壁なので、音がひどくて、脅かされきったこと。
さらに、
留守中にストーヴをつけられていて、夏なので、何日も気が付かなかったこと。ある日やっと気が付いて、プラグを抜こうとすると、プラスチックのプラグさえ、感電しかねないような漏電用の細工がなされていたこと。
それをブログで書くと、普通は関東では、放映されない、京都葵祭の、準備段階が放映されたこと。大きな体育館の中に、山鉾を飾る電線類を広げて、漏電のチェックをするというニュースだったこと。が、NHKの東京圏の地方ニュースで放映をされました。
つまり、留守中のストーヴ点火と、漏電の準備は、諜略行為だったことを敵様から明らかにしてきたのです。
郵便局が誤配達として、柳沢昇のゴルフ会員権のお知らせはがきをわざと、我が家に送りつけて、見せつけたこと。
これだけは笑ってしまいます。だけど、ブログで、お金がきついので、一日に4000円しかおろさないと書いた後で、そのゴルフ会員権の誤配達が行われたので、『ブログと対応をしているなあ』と思っています。
青山で、その4千円が下りなかったり、・・・・・それは7000円に変えたらおりましたけれどね。こういうところからバグの解消の仕方を自然に覚えていったのです。・・・・・
その通帳の本元である、湘南信金の鎌倉支店の前で、ありえないデモ行進(千葉から来た、原水禁反対運動だそうです。朝から歩き始めて、午前11時までに鎌倉に到達するのは無理です)
を見せつけられたり、・・・・・これは、無論のこと井上ひさしが指令を出したでしょうね。・・・・・
警察が常に偽装として脅かしのために、使っている、廃品回収業者が、荷台に何も乗せていないのに、放送だけやりながらそこで、待っていたり、例の渡辺幸子さんには、三室の会議室をぶち抜きで使わせてお花の個展をやらせたり、しかし、私には使わせないと言ったり、・・と、連続してありました。
だから、このはがきの誤配達を装った、『俺たちの方がお金持ちだというサインに政治的な意味があるのです。ところで、今からいうことは、それを言うと、こっちがいじめていると誤解されるので言いたくないのですが、家の建て方とか、改築の様子、ローンの設定や返済の仕方等を見ていると、こちらの方が絶対に金持です。笑っちゃうほど、レベルが、違います。ただし、こう書くとどこからか、お金が彼に入るでしょう。で、ローンなど即座に返済できるでしょうね。
私が「お金がない」と、平気でブログ等に書くのは、本質的な部分では、困っていないからです。無いということが、本当の危険水域には迫っていないから、平気で、書くのです。趣味の段階の活動に差し支えるから、書くのです。ただし、そういうことさえ想像ができないみたいです。だから、この間、「すごい大金持ちと親戚ですよ」とさえ書いてみたのです。彼ら夫婦は、井の中の蛙であって、広い世の中のことは、何も、わかっていないみたいだから。
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副題10、『ところで、何が、<安野夫人は未熟な主婦だ>と私に断言をさせたのか?』
私は時々、石川和子さんのことを、「無知蒙昧・無教養だ」とか「ウドの大木だ」とか言って、口を極めてののしります。皆様も『そこは、読みにくい部分だなあ』とお考えになるでしょう。わかっていますよ。
だけど、私にしてみたら、合計20人に上る不審死が陰にあります。すべては、彼ら夫婦の失敗(2005年の夏)から起こり始めた話です。単なるわがままもののために、闇の経過の中で、殺されてしまった無辜の人々のことを考えると、自分自身の被害と相まって、激しい怒りに駆られます。ですから、口を極めてののしることになります。
だけどね。あれほど、ばかなことをしたのも、かれらが、広い世界を知らないからでもあります。たった10人程度の主婦が活動をしている、この山の中の力関係だけを見たら、彼ら夫妻が、自分たちはトップの偉さを誇ってもいいと勘違いしたのもわかります。
そして、その力による支配関係を、さらに堅固に構築したのが安野夫人です。この山は特殊な地形をしていて、一本の侵入口しかなくて、フラスコの首にあたるところに住んでいるのが安野家です。
今は静かで、普通の暮らしをしていますが、私が1985年に引っ越してきてから、1999年に閉鎖されたメルマガをはじめ、そこで、ご近所のとんでもない話を書き始めた2004年ごろまで、うるさいこと、数知れずという生活形態でした。
彼女自身の声やマナーは優雅です。ただし、その井戸端会議の構成メンバーの中にはガサツな大声を出す人もいて、家の中にいても内容がすべて聞こえてきてしまいます。その結果、わかったことは、女性たちの順位の序列を決めるために、お互いの生活内情の探り合いをしているということでした。
私は何も、他人をだましておりませんよ。私が入学した当時の国際基督教大学は、東大の学生新聞が、「東大に入学するよりICUに入学する方が難しい」というほど、難しかったのです。それをさらっと告げてあります。だから、私が頭がよいということは、十分に察して、あまりにも馬鹿げたことはやらないこととしたらよかったのです。
だけど、そういうことに関する知識はなかったみたいです。そして、私のことを、自分たちの序列の最下等に置きました。おとなしくて自己主張をしないからです。むろん、井戸端会議には加わりません。
その私が最下級であるという、序列ができると、後は、現在の中学校におけるいじめと同じことが始まります。
それも未熟ですが、ほかに、『世の中は自分の思い通りにはならないことがいっぱいあるのだ』ということを知らないとか、『こういう風に、24時間暮らしていかないといけない社会では、近所とは深い付き合いはしないのが、ベターだ。特に活動をしている主婦が、10人に満たないここでは、気を付けるべきだ』とか、『上下関係とか、階層の問題が、実際にはあっても、それがないがごとくふるまうのが、ベターだ』とか、いろいろある、主婦としての経験に基づいた、たしなみや知恵を、一切持たないで、この山に入って来て、急に主婦業を始めたのでしょう。その前は会社でOLをしていて、そこで、女性を支配する方法(特に子供たちの実母を追い出す手法)を身に着けたとか?
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副題11、『安野夫人の<かしわ手>は、小沢一郎氏の活動と連動をしている』
その安野家は、私のブログと連動した動きを見せてくれています。つまり、「これが被害でした。あれが被害でした」と書くと、できるだけ、静かにしていて、私の悪い思い出を喚起させないようにと、気を付けた暮らしぶりに変化しているのです。ただし、私は半信半疑です。
いつも波がうねるように、攻撃も繰り返されてきたからです。
その最近では、抑えているけれど、ちょっと油断をすれば、ほとばしり出てくる勝気さが、彼女が打つ柏手(かしわで)に現れます。それは猫の帰宅を促すものです。あのお宅が猫をかわいがっているのは、素敵なことです。猫を好きな人にばかはいない。そして、本当はわがままでもないはずです。しかし、石川和子女史も、安野夫人も、私に対して、加害者として機能しているのは、瀬島龍三の差し金だと、私は判断をしているのです。
ここらあたりも大変複雑で、私の過去の文章を参考にしていただかないと何が何やらわからないというところですが、本日はそれをどこに書いたか、確かめている暇がないし、すでに二万字ぎりぎりになっているので、ここはさらっと終わっておいて、先へ進みます。
安野家が静かなのと、全体の流れから言って、『小沢氏には活躍の目はすでに残っていないだろう』と安心していたら、事態は差に非ずでした。
彼は突然に浮上をしました。この24日(月)か25日(火)のことらしいのですが、ウエブでそれを知らされました。週刊大衆と、日刊ゲンダイの記事です。
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副題12、『油揚げをさらっていくのか?、小沢一郎』
小沢氏は、ドイツに行き、そこで、原発廃棄を言い出したので、あっけにとられました。いつもの通り、「しぶといなあ。やはり不死鳥だ」と思った次第です。彼こそ、国際的軍産共同体が、最もかわいがっている政治家なので、死滅することがないのです。軍資金も潤沢に与えられているはずです。
陸山会事件で、彼が無罪とされようと、何しようと、私がまるでたじろがないのは、あの事件そのものが、海外からの流入金を隠すためのものだから、続々「あれは嘘だった」という話は、出てくるはずです。
しかし、ここにも天の配剤は表れていますね。彼の御用ジャーナリストに等しい上杉隆氏が、盗作でたたかれています。そうでしょう。上杉隆は、まじめは真面目な人ですが、哲学的なレベルでいえば、志は低い方です。副島隆彦氏の方は、今どうなっているのだろう。
副島氏は、小沢一郎を、日本の王であると規定をしています。
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副題13、『平清盛では、NHKは、天皇家を王家と呼ぶが』
今年、平清盛が放映をされて、大河ドラマとしては良い出来で面白かったと思っていますが、そこで、天皇家をしばしば王家と呼びます。
これこそ、在日やら韓国を日本の上に置くという発想の表れでしょう。
日本史を詳細に検討すれば、どこかで、朝鮮人の支配層が、日本を支配して、天皇と呼ばれたという事実は出て来るとは思います。
だけどね、現在の日本人は天皇家を、天皇と呼ぶのに慣れているのですから、平清盛で、突然に王家と言われても、困りますよね。
あの番組は、小沢一郎がどれほど、この日本を支配しているということを表す好例だと思うし、(というのは、副島隆彦氏が小沢氏を日本のおうだとよんでいますから。
今上天皇がどれほど、国民にとって良い方なのかを表しているでしょう。
ロケットニュースというところで、「公家方が素晴らしかった(脚本+役者の演技)」と、褒めていましたが、その通りで、天皇家方は、重厚で面白かったですね。そこにひかれて見続けました。
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副題14、『さらに言おう。オスプレイ配備とは、小沢一郎を救済する壮大な陰謀だったのかと』
オスプレイ配備を、唯々諾々として受け入れ、何ら抵抗を示さなかった、野田総理と野田内閣に、国民は言い知れぬ不満を抱いて、それが、現在の不人気につながっています。
オスプレイ配備とは、伊藤玄二郎を救うための陰謀に他ならないと常に言って来ましたが、小沢氏を救済するための陰謀だったのかもしれないのです。伊藤玄二郎と小沢一郎は同じ穴のムジナなので、どっちも救済されると言えばその通りなのですが、
もし、この仮定が当たっていたら、野田総理も藤森官房長官も甘いですねと言わざるを得ません。
自分の肉を切り裂く剣を、自分に向けて、振り下ろしているのですから。
そういえば、どうしてあれほどに、永田町で見放されている小沢一郎氏が、民主党の議員を続々野田さんから離反をさせているのか不思議だったのですが、この総構造を、彼は聞かされて知っていて、
それゆえに、野田内閣が落ち目になって行くのを高みの見物としゃれ込んでいて、そして、部下や、チルドレンには、どれほど、自分が偉いかを吹き込んでいるとすれば、離党者が出るのは当たり前です。
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副題15、『小沢氏は4200人集めた。人気があると日刊ゲンダイはいうが』
御用ジャーナリストとして、名前を挙げられるのは上杉隆氏です。が、組織として大いなる力を発揮しているのが日刊ゲンダイです。小澤氏の丸抱え新聞と言ってもよいぐらいで、どれくらいのお金がそこに注ぎ込まれているのか? と、大いなる疑問を持っている私ですが。
最近、小沢氏がホテルニューオータニで『国民の生活が第一』の結党集会を開いたら、4200人が集まってホテル側スタッフも舌を巻いたとあります。
NTTの株主総会を見ている私には、大体が想像できますが、資金が潤沢な小澤氏は、大量に招待状をばらまき、しかも無料で軽食の、接待をしたのでしょう。政治には無関心だけど、ホテルニューオータニで、ただで何かを食べてみたいと思う連中(=素朴な善男、善女)がたくさん集まったに過ぎない筈です。それに、あのホテルに三千人を収容できる部屋はないと思います。別々の部屋に集めて大型スクリーンで、小沢氏の演説を流すだけでしょう。
こういう大げさな集会を開いたとしても、彼に実力があるとは言えませんよ。歴史的を振り返っても、堤義明氏が、飛天の間での賀詞交歓会で、数千人を相手に朝貢支配を敷いていますが、すぐ、落ちぶれましたね。ただ、小沢氏は、最高権力者にかわいがられているから別かもしれませんが、彼には日本の総理大臣がやれる能力は、いちごうもないでしょう。この際のいちごうは、毛一本という意味で使っています。
むろん、彼が総理大臣をやるくらいなら、安部総理大臣の方が、国民がどんなに幸せでしょうか? それは確実に言えます。
2012年11月1日から2にかけて書く。雨宮舜(=川崎 千恵子)
副題1、『ニューヨークのルーズヴェルトアヴェニューを従軍慰安婦通りとすると、言っているが、』
一昨日のNHKニュースは、日本、と、日本人を貶めるバカげたニュースを知らせませんでした。
オスプレイ配備、尖閣諸島への中国艦艇の出撃、竹島への韓国大統領の上陸の三つです。
で、最後の方は、実はいささかおかしくなっていますが、それは、ほぼ、一か月間、攻撃の主力を中国へお任せしたという形で、静かにしていて、その中国が、私の文章で、攻め込みにくくなったので、今度は代わりに韓国が使われ始めたという感じです。
でね。私は、久しぶりにある意味で、遊ぼうと思ったのでした。10月29日はお客様も来ましたしね。私があまりに、急追する文章を書くと彼らが追い詰められたと感じで、まるで、きちがいが、思いついたのでしょうねというしかないような、ニュースを次から次へと、作り出すからです。
今朝も、成りすまし疑惑が何とか、かんとか、といって、私が開発ちえ+梅森伸一の章(ただし、正式なタイトルは違います)で、使った、「なりすまし」というキーワードに敵様方がよほど、気に入ってくださった(笑)ことを確認をさせていただいた次第です。
本当にほっといたしました。が、油断は大敵と思っている私の耳に、ニューヨークのルーズヴェルトアヴェニューを、従軍慰安婦通りと命名するというニュースが飛び込んできました。
これもまた、諜略的ニュースです。が、国民の皆様は、あまり、神経をとがらせず、例の鎌倉エージェントが追い詰められているので、また、考え出しましたね。と、笑っていてください。ただし、発案者は。世界のCIAかもしれませんが。
ニューヨーク周辺に住む、5,600万人の人々が、ルーズヴェルトアヴェニューの名前を、従軍慰安婦通りなどと、変更することに了承するはずがないし、一時、そうなっても、ばかばかしいことだと言って、元に戻すでしょう。
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副題2、『ルーズヴェルトアヴェニューとは何なのか』
さて、私は、これもまた、私狙いだと思っております。で、ニューヨークで、ルーズヴェルトアヴェニューと言えば、どこかに、記憶があります。で、今、丁寧に調べると、確かに私狙いだとうなずける場所にありました。
私は、1999年、クィーンズのスタインウエイトいう町に住み、2000年に、同じクィーンズの、もう少し南側に住んだのです。もしかしたら、そこがルーズヴェトアヴェニューだったかもしれません。
当時使っていたパソコンが壊されているので、友人たちに、私はここに住んでいますよと、知らせた、メールが失われているし、当時は、メールか電話で連絡を取っていたので、住所に対する重要性を感じたことがなくて、正式な住所を全く覚えていないのですが、
それは、地下鉄Fラインの46ストリートという駅のすぐそばだったのですが、そこから、5つ先が、地下鉄の駅名も、ルーズヴェルトアヴェニューになっています。
おや、おや、驚いた。私を脅かすために、ニューヨークの地名の変更をするのですか?
それほど、私って大物だったのですね。と、愉快になってしまうほどです。
あとで、それは、列記しますが、私の文章から起案された世界ニュースは数々あります。
しかし、今回ほど、明瞭に私狙いで、このニュースが起こされました。とおりの名前がそうなるのは、私が書いた文章にビビりあがった人たち、井上ひさし、伊藤玄二郎、ほかの、エージェントたちのせいです。と、
公言できるニュースはほかに知らないというほどです。
副題3、『私の文章に対抗するために、起された世界的な規模のニュース』
例えば、パソコンの異常をここで書くと、・・・・・
*1)韓国政府と、ホワイトハウスのパソコンにハッキングが入った。
*2)同じことを言うために、別の時期にノーベル賞委員会のパソコンにハッキングが入った。・・・・・・と言われ、
デモや、署名はしない方がいいですよ。ああいう中には、スパイがいるので、一生を棒に振ることになるケースがあります。あなたが真面目な人であればあるほど・・・・・と書けば
*3)アラブの春の後で、突然にニューヨークで大富豪に反対するデモが起こり、
北朝鮮も、中国も今では、この国際的軍産共同体のシステムの中に組み込まれていて、北朝鮮は、韓国とは、違うとみてはいけませんよ。ミサイルを、日本へ向けて発射するとか、何とか言っているのも対日政策のように見えて、アメリカ追随の政策なのですと書けば、
*4)韓国が領有している延坪島へ向けて、砲撃を開始します。
レオスカラックス監督は。デュポンの一族の、大金持ちの生まれであり、頼まれたのか、自発的なのかはわからないけれど、恐るべき暗喩に満ちた、反日映画(それを見ると、世界中の人々が、日本はいまだに、軍国主義の忌まわしい国だと思い込む、可能性がある)映画「TOKYO(特に第二部、・・・・・これの正式版は、日本では公開をされていないはず。石橋りょうと、島田久作が、これに出ているが、彼らのwikipedia からも、その情報だけは削除をされているはず・・・・・云々と書けば、
*5)最近10日以内に、フランスで、死刑反対の会議がおこなわれたそうで、
伊藤玄二郎は、『びょんぶ』という美麗本(実物はまだ見たことがないが)で、ポルトガル国の、エンリケ皇太子勲章を得ているはずだが、その美麗本は、今日本全国、どこの図書館にも見当たらない。一種の焚書抗議(反対の方で、権力を持っている側が、自分の方の本を隠す形だ)である。・・・・・・とかけば、
*6)同じく、この10日以内に、スペインで、アストゥリアス皇太子勲章の親授式があって、マリオブラザースの生みの親が受賞をしました。
スペインと、ポルトガルは、隣通しだし、日本人からみると、似ています。
といろいろありますが、日本国内で、対・私への対抗策として行われ、作り出されるニュースの方は枚挙にいとまがないですね。
(笑)
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副題4、『ついに自分の真実にふさわしい居場所ができてきた』
私のことは世界中の人は誰も知りません。だけど、「しろちゃん(あだな)は、実力があるから』と言われ続けている人です。小さいころは、神奈川県一頭の良い子でした。
友達の中には、社長、学長、大学教授があまたいます。すべて、150人(小学校)、100人(中学校)、133人(高校)、230人(大学)ですから、すべて、相当にエリート校だったと言えます。
その中で、鳴かず飛ばずで、終わった人間ですが、私からみれば、本当に重要視されていますね。ありがとござんす。世界の真実の支配者様』と言いたいほど、ニュースが、すべて、私の文章を起点として起こされています。(笑)
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副題5、『駐米大使は、どう動くのかな?』
この改名運動は無論阻止しなければなりません。台風(=ハリケーン・スーザンの災害の映像を、日本国民に見せながら、どさくさまぎれに解明されたら大変です。たとえ、改名をされても、ネット署名等の運動を起こして、反対し、元へ戻さないとダメです。
加藤、日本プロ野球機構の、コミッショナーも、この道が、ニューヨークメッツの球場へ向かう道ですから、しっかりと、抗議をしてくださいね。ここで、公開でお願いをしておきます。
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副題6.『ルーズヴェルトアヴェニュー駅そばで、拾ったお話』
ルーズヴェルトアヴェニューとは、道路の名前ですが、同時に住民にとっては、一種の番地となっています。その中心が、地下鉄が、4本も通っている、ルーズヴェルトアヴェニューの駅近辺です。私は2000年に、そこの近所の日本人のお宅へ二週間泊めてもらいました。そのあとで、アパートを探したのです。
この文章は、私の五冊目、『黄色いサクランボの第二章』に使っています。その本は800部しか作りませんでした。そして、本屋でも売っていません。だが、お読みいただいた方には、好評だったらしくて、ブックオフの、ネット販売、ヤフーのネット販売、アマゾンのネット販売のすべてで、中古本として扱われていたのです。で、ブックオフに新品を中古として売って、皆様には、どこそこ支店(たとえば、秋葉原とか、飯田橋は、駅のすぐそばにあります)で、お買い求めいただけますと広報をしようとしたのですが、
なんだか、以上にあれこれ、文句をつけられて、その計画がとん挫しました。ありと、あらゆる形で、ブレイクするのを阻止されていますが、とうとう、世界を実質的に動かす人となったのですから、それで、我慢をしておきましょうね。
(ここで、大いに笑っておこう)
副題7、『ルーズヴェルトアヴェニューで、出会った男」
既刊本、『黄色いサクランボ』の中から。
文体がいつもの人懐っこいものとは違いますが、・・・・・・
第2章、テンガロン・ハットの男
今は真夜中である。オレンジ色のライトの中で街が眠っている。ここの道路はマンハッタンからケネディ空港までを貫く幹線道路だから、車の喧騒は午前二時まで消えない。そのオレンジ色の街に、哀愁が漂っているように感じる。それは、この家のプリンセスの将来を案じているのか、それとも、自分がここを今夜のうちに去らねばならないのを、自分が潜在意識の中で悲しんでいるのか、どちらかは判然とはしない。しかし、三ヶ月前の九月、ここに到着したては、ここは陽気一方の場所であった。ひとつには引越しを手伝ってくれたテンガロン・ハットの男のせいだ。
彼は頭のてっぺんからつま先まで西部の男そのものだったが、不思議なことに英語が不自由だった。もしかしたら、アメリカに入国して数年しか経っていない移民だったかも知れない。だからこそ、『アメリカに早くなじみたくて、あそこまで徹底したウエスタンスタイルを用いていた』とも想像できる。その徹底振りは、めがねをかけていることを別にすれば、まるでマディソン郡の橋に登場したスティーヴ・マックィーンそのものだ。しかも普通のニューヨーカーに比べて、やせ細っていることも特徴のひとつだった。そして、その車ったらなかった。まことにまことに古かった。一九五〇年代のものだと明らかにわかる、お鼻も長ければ、お尻も長いタイプ。
その乗用車に、彼はあらゆる家具を詰め込んでくれて、たった一人で運んでくれたのだ。到着後暫定的に一週間住んだ家は、改築を予定しているとのことで、百合子に何でもくれるという話だった。ベッド、たんす、ライティング・デスクをもらった。それらをロープですべて、そのクラシックカー(乗用車)に詰め込んで、備え付けまでを、全体で、六時間程度でやってくれたのだ。その六時間まったく安心して一緒にいることができた。初めて出会った人間で、その車から察しても、貧しい人だと思えるのに、一切が安心して任せられた。
それは、彼を紹介してくれた人間をまず信じたからだ。そちらも全然知らない人間なのに、顔だけを見て信頼した。それは、彼が『寅さん(渥美清)』に似ていたからだ。クィーンズではにぎやかな方で、ひとつのセンターとなっているルーズヴェルト・アヴェニューの駅前に、揚げ物やさんがある。チェーン店ではなくて、独立したお店で、広いキッチンスペースと立ち食いのスタンドがある。そのキッチン内で白い制服を着た三人の男性が働いているが、その一人が寅さんにそっくりだったのだ。インディアンの血が入っているとそうなるのか、それともアジア人の血が混ざっているとそうなるのかはわからないものの、その人が寅さんを思わせることだけは確かだった。
そして、そのお店の値段が高いことも、百合子が信頼をしたゆえんだった。ひとすくいの小海老の揚げ物が五百円以上はした。前年の滞在でしっかり、食料品の値段を把握している百合子が見ると、アメリカのものとしては高い。しかし、おいしい。『手抜きをしていないんだなあ』と感じる。そういうものを作る人は誠実だと思う。信頼すると百合子は心を全開にする。その揚げ物を毎日一人前は買う。そして、その買い物の際、実はかわいいところを見せてしまうのだ。もったいないくらいあっさりと、百合子が機嫌の良いとき、または気分の良いときに見せる、かわいいところをその場で見せてしまうのだった。
そのことは母が一番よく知っていた。何か心配事を抱えていると、母にはすぐわかる。だけど、何も心配事がない日に母と話しているときに、ふと、という感じで「あんたには、かわいいところがあるからね」といってくれたことがあるのだ。これには百合子自身が相当驚いた。母は長女である百合子に、父をめぐって潜在意識的な対抗心を持っていたと思う。だから、ほめてくれたり、支えてくれる発言が少なかった。それで、ほめてくれる発言には大体もらった途端、ひどく驚く。その上、その母も父も、長女の百合子に優等生であることを期待した。自分たち自身が、級長をずっとしていたので、『クラスでトップであることは、我が家の子どもたちにとっては自明の理であり、それができないはずはない』という感じ。それを、察して寄り添う百合子は、いつも緊張していて、リラックスをすることがなかった。だから、かまととぶったりした、覚えはいっこうにない。それでいて、かわいいといわれた。自覚していない部分でかわいいといわれた。
百合子は思う。百合子が何かに成功をするとき、それは、そのかわいい部分が相手のこころに訴えかけて、鍵と鍵穴のごとく、相手の心が開いたときだろうと。この引越しはまさにそういうものだった。カウンター越しに寅さんに、「かくかくしかじかで、手伝ってくれる人を見つけたい。大体500ドルお礼をするけれど」というと、じゃあ、見つけておいてあげるから、明日の、九時にこの店においでよ」となって、次の日の九時にカウンター前にきてみたら、テンガロン・ハットの男が待っていたのだ。百合子がお金をきちんと払う人であるのは、三日か四日、この店の中で高い方の商品である、小海老のから揚げを買い続けたことが役に立ったみたいだった。それがそれなりの信用を築いた。
百合子は『ここはアメリカだなあ』と思う。心が通うだけですべてが、しゃっ、しゃっ、しゃっと進行する。簡単極まりない。日本だったら見知らぬ人同士の間柄では、こうは行かない。
特に百合子はその前日までの最初のおうちでの、日本人女性との確執に悩まされていた。それがあったので、さらにすっきりとした感じを受けた。話の時制が戻るが、その最初のおうちには二人の若い日本人女性がいた。一人はアーチストで、帰国寸前で大忙しでほとんど会えない。だから無論、何もトラブルがない。もう、一人は心理学を学ぶ女性で、昼間余裕のある感じなので、彼女とは話をする仲となった。ある夕方百合子がステーキを焼くと、その心理学さんは、どうしてか遠慮をして食べない。それなのに、たまたまその夕方には早く帰宅したアーチストさんが、素直にそれを食べた。「おいしい」とそちらはいった。彼女がアートを専攻しているので、百合子との間で、つい話が弾んだ。それを見て心理学さんの方がすねてしまった。つむじを曲げてしまって、そして、容易には直らなかった。
特に心理学さんの方は、日本で婚約破棄の憂き目を見て、『絶対に、挽回してやるぞ。すばらしく格好のよい白人と結婚をして、その一族を見返してやるぞ』という覚悟で、ニューヨークへ来ていた人だった。相手の男性は医者だそうだが、姑に当たる人が、心理学さんを嫌って、嫁として迎えてくれなかったそうだ。百合子は、呆然とする。確かに挫折はつらいものだ。特に失恋はつらいものだ。だけど、恋愛の挫折を、ニューヨークというキーワードで挽回するとは、百合子が若いころにはありえなかった発想だ。そのころは、渡航が自由ではなかったからだ。
そちらに比べて、あっさりと「日本へ帰るわ。もう、留学の期間が終わったから」というアーチストさんは、百合子にはるかに気楽な感じを与え、それが、素直な会話を導き出し、好循環をもたらした。特に前年同じ大学院で学んだ、良き友(台湾人の)リリーが、修士をとったものの、ニューヨークでは就職できなくて悩んだことを知っている百合子は、このニューヨークで無理をしない(つまり残らない)アーチストさんに、さらに好感を持った。人は能力の限界もあるのだ。それは金銭的なものも含んだ意味で言えるし、その限界を知ったなら、それに従順であるのも賢い選択だ。
一方で百合子とアーチストさんの自然な仲良しぶりを、すねた目で見ている心理学さんとの間には、悪循環が生まれた。百合子は『ああ、日本人は大変だ。特に女性は大変だ。私は三ヶ月しかここにいないのだから、今回は、絶対に、日本人とは付き合わないようにしよう』と決意をする。 ここのみ、初稿は2000年9月に書いている。
全体は、2012年11月1日に書く
後で、誤変換を直してから署名を入れます。