銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉『銀の鈴』で感動を拾った話。・・・・・3.11は叡智を呼び覚ます。△

2012-11-11 04:55:12 | Weblog

*1) 本日は下に上げてある前の文章があって、そちらを読んでいただきたいのです。が、今鎌倉へ外出していて、感動した話を拾ったので、それをご披露させてくださいませ。

 場所は、喫茶店『銀の鈴』です。

 ところで、メインのエピソードに入る前に種々の前説を挙げさせてくださいませ。
 私は最近、感動した話でも、実名を挙げないように努めています。特別にひどいことをした人の名前を挙げているので、反対に、何もない間柄の人については、一切、実名を挙げないように努めているのです。

 ただ、鎌倉を舞台とするお話は、結局は、特定をされてしまい、その当該の人物が、あらたに、敵対者として仕立てあげられて来ます。ですから、仕方がないので、名前をあげましょう。感動した場所は喫茶店『銀の鈴』で、登場人物というか主役はそこのオーナーです。

*2) 私は本作りをする際に、6冊目までは自宅でやりました。というのも特殊な作り方をするので、大変神経を使います。で、外ではできなかったのです。

 特殊な作り方とは、国語と算数と美術をいっしょくたにして本を作り上げるという形です。一般の出版社では、著者と、編集者は、国語の担当です。文章を練ったり洗練させたり、する役目を担います。

 そして算数は頁設計者であって、それは、印刷所に所属しているデザイナーが行います。それとは別に装丁家というのもいて、その人は美術が担当で、見返し部分の紙の選択とかまでやるでしょう。中扉や、おくつけ部分、はどちらが担当するのか知りませんが、ともかく、最低人数としても、4人の人が、分担してやります。ヒットしている本などは、その担当者が、それぞれ、人数が増えて、8人とか、10人で分担すると思います。

 それを、一人で同時にやるので、大きく神経を使うので、外で、それをするのは不可能でした。パソコンの使い方においては、非常に大きな妨害を受けていましたが、それでも自宅でやっていました。

 ただ、最終段階であるPDF化を、外でやるくらいだったのです。それで、それができるパソコンは一般的なネットカフェにはおいてなくて、非常にお高い場所でやることになり、全体の費用を節約するために喫茶店は利用しませんでした。

 ところが、ここで、天の助けとして、母からの遺産が入りました。で、それ以前と違って、喫茶店を利用するようになったのです。

 また、本作りに関しても、最上のものを作ることをあきらめてしまいました。「次善のものでいいわ」というのが最近の考え方です。それ以前は一冊ずつデザイン的に、新しい試みを入れていたりしましたがね。そしてそれが無上の楽しみでもありました。
 が、今は、判型さえもA5を使うほどです。A5とは、一般的な市販の単行本のサイズではなくて、中学生や高校生の教科書のサイズなので、やぼったく見えて嫌いなのですが、頁設定が算数の問題としては楽になるのです。

 パソコンのテキスト形式で書いた原文を、本に直すのには、適切なサイズなのです。つまり、テキスト形式で、120頁なら、直、240頁になるわけですね。算数としては、非常に簡単になります。
 年齢が、70歳であるということを、自覚した選択です。

*3)
 ただ、喫茶店を使う場合でも、考え抜いた選択をします。以前はマクドナルドでやっていましたが、どうもやっていることが把握をされやすいと、感じ始め、別のところを探しています。スターバックスも同じで、「ワイファイが使えます」と書いてあるところは、自由が全然ありません。妨害がないのなら、ネットで、内容を把握をされても構わないのです。どうせ公開するわけですから、時間的に数か月前に内容が把握されるという違いがあるだけです。が、仕事上の、大きな妨害があるので、ネットで敵に通じない場所を選択したいのです。

 いろいろ試し始めています。ただ、個人経営の喫茶店は使っていません。それは、一般的に言って、私の仕事ぶりが、喫茶店で、緩やかに時を過ごす人たちとは異なっていて、小さなスペースに違和感を醸し出すからです。

 サルトルはパリのある喫茶店に、一日中詰めていたそうですが、パソコンの仕事をしてはいなかったので、それでもよかったと思います。嫌われても追い出されるまでには至らなかったでしょう。が、鬼気迫る様子で、集中して、本の頁・設計をしている私は、カウンターのある席か、隅を使うとしても、ほかにもパソコンを開いている客がいる、大手のチェーン店の方がいいのです。

 本作りの頁デザインとは、数を、256頁か、320頁か、決める必要があるので、それが特に、難しいのです。それは、本とは大きな紙を折って作るので、頁数が、16の倍数でないといけないという決まりがあるからです。

*4) 
 本日は特に、遠くのスーパーに買い物に、行きました。一番近いスーパーはユニオンと言います。いい商品が置いてあるのですが、お高いお値段設定で、思う存分買うとすぐ一万円になります。一番遠くのスーパーは「やまか」といいますが、お値段の設定が安いのです。それと段ボールの空き箱がたくさん置いてあります。自由にもって帰っていいのです。

 今、家のリフォームをしたいと思っていて、荷物整理の最中なので段ボールが必要です。ただ、「やまか」ストアーは家からはだいぶ遠いです。往復に一時間はかかります。私は最近は園芸のおかげで、体を動かすので、以前より元気にはなりましたが、それでも体力がなくて、特に最終段階での石段のぼりが堪えるので、途中で、休憩を取りたいと思いました。

 単なる休憩だから、いつもは使わない喫茶店でおいしいコーフィーを飲みたいと思いました。ところが鎌倉の喫茶店というのはたいていは、六時に閉まります。大型チェーン店は遅くまでやっていますが、個人経営のところは店じまいがはやいのです。で、行ってみたいと日ごろから思っているところはすべてしまっているのを思い出し、駅前の喫茶店、『銀の鈴』へ入りました。

 これは駅の改札口から眺め渡すと、最も目立つビルの二階と三階をつかっている喫茶店です。一階に不動産屋が入っていますが、もし、全体が、自社ビルだと仮定をすると、大金持ちが経営している喫茶店となります。

 しかし、それだからこそ、どこか、気の抜けた経営状態で、隙間風が吹き抜けるようなところがあって、好きな喫茶店ではありませんでした。以前にも立ち寄ったことはあるのですけれど、私の点数は、低い喫茶店だったのです。

 *5)
 私は、何かに凝るととことんまで追求しないとならない性格の人です。この2012年は、まず、ホームセンターの類を、東京駅から南ならすべてを探索いたしました。園芸用品がどこのお店で、どういうランクのものを置いているかを知りたかったからです。

 その次に探索の対象としたのが、宴会場のありさまです。そのために、美術家連盟の総会(銀座のホテル・モントレー)にも出席をしたし、島精機の、株主総会(帝国ホテル大阪)にも出席をしたのでした。会議が大っ嫌いな私なのに、会場に興味があるので、出席をしたのです。そういう機会でないと宴会場を見ることはできませんので。
 そういえばビュッフェ形式(=バイキング料理)のレストラン探索にも凝っています。それは、ギャラリー山口のオーナーが亡くなってからは、一人でも行き始めていて、ほぼ三年になりますが。

 ああ、大切なことを思い出しました。実はパソコンの異常が始まった、2007年からは、本作りもブログの種づくりも、一部(特に初稿を作る段階)は、ネットカフェでやったのです。で、妨害を恐れて各地、各種のネットカフェを使ったので、ネットカフェの評論もできるぐらいです。
 経営の特質もさることながら利用客の階層や種類にも違いがあります。うんちくはいっぱいあります。

*6) 
 だからこそ、20冊の本を作りたいというのも夢ではありません。自分で本を作っている段階だから、制作の段階で、苦労があまりに多いので、テーマは厳選しています。そして真面目なものが多いです。だけど、よその出版社が出してくれると仮定をしたら、ホームセンターの特徴分析など面白いはずだし、ネットカフェの特徴案内も面白いものとなるでしょう。
 一般の読者が飛びつく話題となるでしょう。

 と、ここで、書いておくと、早速、私ではない別の著者を使って、そのアイデアが、形になるはずです。(笑)
 で、凝りに凝っているテーマの一つに、喫茶店の探訪が加わるかもしれません。いえ、既に加わっていますね。(笑)

 「銀の鈴」を単なる休憩のために利用をして、『寒々しいな』と感じたのは20年以上は、前のことです。最近パソコンの仕事で使いたいと思って訪れていますが、いつも入店を、断られています。時間を理由にですが、入り口に書いてある閉店時間より前に、閉店しますという場合は、『は、ハーン、伊藤玄二郎の威令はここまで及んでいるのですね』と考えることにしています。

 しかし、そういう風に断られたある日ですが、キッチンでパティシェが、ケーキ(アップルパイ)を六台作っていて、それがカウンターに並んでいました。あたり一面、バニラとリンゴのおいしいにおいが満ちていて、一瞬で見直しました。『あら、ここの喫茶店って、ケーキを自分のところで作っているのだわ。新鮮でおいしそう。今度、味を試してみようっと』と思い、以前から持っていた悪いイメージが払拭をされた瞬間です。

*7) 
 本日はパソコンを持って出ていないのに、疲労感から「銀の鈴」を訪れたわけです。元気に見えても昨日までの旅行の疲れが出てきたと思われます。

 ところで、鎌倉市内の大型チェーン店のコーフィーはどこも味を試しています。珍しくはありません。「銀の鈴」はどうも、20年前とは違っている。その変化を試してみたいというのが目的です。まず二階で例のごとく入店を、断られました。一瞬、伊藤玄二郎の威令かと思いました。が、断る女性の態度が、それほど、嫌味でもいじわるでもないので、先ほど感じた趣旨は、思い過ごしだと流すことにして三階へ向かいました。

 買い物の結果、ミカン箱を二つ持っていました。鎌倉の住人だと、それが、お値段の安い「やまか」で買い物をした結果であることが、わかってしまうでしょう。しかも、銀の鈴の三階は、バーも兼ねています。時間は夜の八時前。でも、それを室内に持ち込むのはためらわれました。それはお店側をたてた判断ですが、自分自身の服装がみじめなことも自覚をしていました。最近立て続けに書いている通り、パソコンの異常を突然に発見した2007年(五年前)よりは、心に余裕が出てきています。それがおしゃれを忘れて外出する元となっています。コートを着て出るので、中は気を使っていません。また、銀座の画廊巡りを止めたので、普段着にも張りが無くなっています。全体にビンボウったらしいおばあちゃんです。それが、段ボール箱を二つ持って、鎌倉の一流のバーへ入る(?)
 ありえないでしょう。

 で、一坪程度の狭いエレベーターホールで、あっちこっちを探ったうえで、ある鉄製のドアの前にそれを置きました。そこがトイレではないことは十分に確認をしました。多分スタッフの出入り口だと思いましたが、スタッフは、夜の八時前に帰るわけもなく、そこを使うはずもないと判断をしましたので。これが後で問題になってきますが、ひとまずは店内に入って見ましょう。

*8)
 ボーイは、禁煙席を好むか喫煙席を好むかを聞いてきたうえで、入り口の席を案内してくれました。が、これから喫茶店評論をしていこうと思っている私です。「済みませんが、外の景色を見たいので奥を使わせてくださいね」と言って、奥へ進みました。
 念のために語れば、喫煙席と禁煙席の間には何のバリアーもありません。タリーズコーフィーとかエクセルシオーネなどの大型チェーン店とは違うのです。あちらはアクリル製の壁で仕切られていますが、ここは通々です。その方がインテリアとしてはきれいです。あのアクリルの壁は、無機質で、汚い印象を与えるものです。

 さて、以前は二階を利用し、本日は三階です。まるで、視界が異なっていて、それは十分に楽しみました。眼下に広がるバス停の屋根。それからおもちゃみたいに見えるバスたち。

 この喫茶店のインテリアは、天井から床下まで素通しのガラスが使ってあることが特徴です。今回、それが、どうなっているのかを手で触っているうちにあっと驚いたのは、窓が開いていたことです。窓とも思われないほど大型のサイズなので、開いているとは気が付きませんでした。
 が、壁を手で触っているうちに気が付いたのです。その開口部を、丁寧に見ていると、鉄製の大型サッシで、壁と窓が構築されていることがわかりました。むろん既製品ではなくて特注でしょう。

 私が引っ越してきた28年前にこのビルはすでにあったので、当時としては斬新な設計だったと思われます。でも、寒々しいなと感じたのは当時も窓が開いていた可能性があります。オーナーやスタッフはいつも立って動いているので、エネルギーにあふれていて寒いとは感じないのでしょう。
 でも、窓とも思われない大きなサイズだったので、閉めてくださいとも頼めなかったのです。そして、以前の私は、とても痩せていて、筋肉はおろか、脂肪など全然ない状態だったので、冷気が身にこたえたのだと思います。
 こういう特殊なビルを注文するとは、この喫茶店のオーナーが、もしビルも保持しているのなら、大変なお金持ちだとなります。以前から抱いていた想像は当たっていることとなります。

 私はふとですが、先ほど二階で、入店を断った女性は、オーナーではないかと思いました。彼女が家付き娘なのか、それともお嫁さんとして、鎌倉へ入ってきた人なのかはわかりませんが、いかにも鎌倉マダムという感じでした。上品な美貌で、鎌倉美人をランキング付けするとしても上位10以内には入る人だと感じます。

*10)

 ここで挿入となりますが、鎌倉美人のうち、筆頭に挙げられるのはだれかと言えば、やはり、宮崎緑さんでしょう。やや厚化粧だとは、感じますが、大柄で押し出しもあって、周りを、圧倒するほどの美人です。しかし、私はもっと存在感は薄いが、鎌倉ドゥローイングギャラリーの奥様も捨てがたいと思っています。あの人の清潔感はただごとならない雰囲気で、こちらを筆頭に押したいほどです。

 三位は、もし生前に顔を見ることができたなら、瓜南直子さんをあげておくでしょう。大きなお目目は、迫力のある美人を演出したはずです。

 しかし、「銀の鈴」の二階入り口にいて通せんぼをした女性も、非常に美しい人でした。派手なお化粧をしているわけでもないし、お目目ぱっちりというわけでもないのです。が、全体にバランスが取れていて、お金持ちなのに、上品で、かつ、働く女性特有の清潔感と、誠実さが感じられます。

 メニューを見ると、パティシェの個人名が書いてありましたので、相当に名のある人を引き抜いたことも察せられました。ので、さらに想像をたくましくしました。彼女が代替わりをして、父親から経営を引き継いだとか、または、悪い想像ですが、ご主人が亡くなって、かわりに彼女が身を乗り出してきたので、経営スタンスがまるで変わったとか。

 注文したコーフィーが運ばれてきたので、受け皿をひっくり返してみると、無銘でした。が、これも実は、経営者としては、正解だと思います。自由が丘の住宅街に、カップをすべてブランド品でそろえている喫茶店がありました。すべてが一万円以上はするであろう日欧の、銘柄のカップが、一種の美術品として100客近くも、飾られている棚がありました。だが、そこはオーナーが一人で運営していると見え、割っても誰も叱られる恐れがありません。だけど、使用人がいるお店でブランド品のカップを使えば、使用人に負担がかかります。
 お飲み物やケーキのお値段設定を見るとカフェ・ラ・ミルに続く高さです。だが、あちらはチェーン店なので、やがて、こちらが追い抜いて第一番の地位を奪うかもしれません。ただ単価は安いものの、お客の数が多いエクセルシオーネは売り上げの面では、侮れませんが。

*11)
 しかし、いささか、いやな音が背後から聞こえてきます。なんと、私の段ボール二箱をキャスターつきスケルトンのまま、引いて、先ほどの彼女が三階の室内に入ってきたのです。「あそこは非常口ですから、邪魔になるので、こちらに持ってきました」と彼女は言います。
 私は、これが例の嫌がらせなのか、それとも彼女の自発的発想なのかを一瞬迷いました。が、もし邪魔なら反対側にそっと移動をしておけば済むことです。それに店内には、合計3人のお客しかおらず、非常口が必要になる状況ではありませんでした。
 そして、反対側にもこれを置くスペースは十分にありました。それに、彼女の言う非常口の方に、空き箱とかごみみたいなものが置いてあったので、そちらの方が雑然として見えました。で、この貧しげな(笑)段ボールを置くのには、そちらの方がふさわしいと私は判断をしたのです。

 でも、そのゴロゴロとそれを引いてやって来た彼女の行為が、いやがらせであろうとも、私は彼女に対して、すでに、高い好感度を持っていましたので、余裕があって、パニックに陥ることもありませんでした。

 その理由は、何度も言うようですが、銀の鈴が、以前とは全く違っていたことに依拠しています。お店を経営するのなら本腰を入れるべきです。でも、以前は、いかにも「お金持ちが、余技でやっております」というような、薄っぺらで、寒々しい風景が展開していたのでした。今は血が通っているというか、なんというか、豊かな感じがします。それが、彼女の影響力だと考えられるので、大きな好感度を抱いたのです。
 で、穏やかに「あそこの方が、ここよりも置いておくのにふさわしかったので、置いたのですよ。ここに入れてしまうと、お店の雰囲気が壊れますので」と言いますと、彼女はやや強引に「でも、非常口ですから、邪魔になります」と、主張をし続けました。

 周りを見回すと、喫煙席スペースには、私以外誰もいないのです。それで、『あ、いいか』と納得をして、受け取りました。それに、服装がみじめだったのにも引く要素がありました。
 主人が捨てようとしたトレーナーを引き取って着ていました。もともと私がプレゼントをしたもので、色は大変美しいのです。それに、現在の木綿製品ですから、全然、痛んではおりません。
 ただ、ウールの格子縞のシャツを着るのに慣れている主人にとって、そのトレーナーには、体を締め付ける感じとか、重さがあって、嫌いなのだそうです。 
 改築の予定があって、物をじゃぶじゃぶ捨てている段階なので、それがごみ袋に突っ込んでありました。でも、色を重視する私は、その色の良さが捨てがたく思われ、ごみ袋から救済したのです。

 喫茶店「銀の鈴」に寄る予定が、全くなかった私はコートを脱ぐ予定もなく、かつ、喫茶店「銀の鈴」にこれほど、美しくて上品な中年女性が待ち構えているとも知らず、無防備な服装だったのです。おしゃれがどういうものであるかを知っている私には、主人のお古を着ているというだけで、引け目を感じてしまう要素がありました。で、鎌倉随一の喫茶店の床にみじめな段ボールが置かれることとなったのです。(笑)
 で、コーフィーを飲んだ私は、当初の予定通りすぐ立ち上がりました。嫌がらせに負けたわけではなくて、主人が「旅行の疲れが出て来た。今夜は早く寝たい」と言っていたので、鍵を持って出ていないので、帰宅を急いだのでした。普段でさえ、早寝早起き型の主人が「早く寝たい」というのですから、どれほど、早いかわかりませんので。もし八時半に寝るつもりだったら締め出しを食ってしまいます。

 ところで人間観察という意味では相当に敏感な私ではありますが、一方で思いがけないほど、鈍感で察知が鈍いところもあるのです。いわゆるポジティブシンキングの典型で、物事を現場では悪く取りません。

 こういう風に文章を書き始めると、意外にも意地悪な書き方になってしまうのですが、現場ではいつもにこにこしています。

 この際もレジでは、好感度いっぱいの認識で、対応した青年にこう、質問をしました。
 私、「あの人、オーナー?」
 レジ担当、「そうです」
 私、「あの人、最近、経営を引き継いだの?」
 レジ担当、「いいえ、前からオーナーです」
 私、「ふーん。でも、最近のここは、以前とは違った感じがするわ。何か変化があったの? インテリアを変えたとか?」
 レジ担当、「そうですね。インテリアは変えていませんが、オーナーは変わられました。去年からです」
 私、「そう、やはりね。例えば、ご主人が亡くなったとか?」
 レジ担当、「いいえ、違います。3,11で、オーナーは変わられたのです」
 私、「え、それはどういうことですか?」
 レジ担当、「関東大震災もあったし、福島原発の事故もありました。この世が安穏ではないと、お考えになったのです」
 私、「・・・・・」
 レジ担当、「それで、毎日お店に出られるようになりました。以前は土日だけいらっしゃっていたのです」

*12)、
 私はドンキホーテで買ったスケルトンのキャスターを引きながら、小町通りを歩いて帰りました。急に元気が出て、タクシーもバスも使う気にはなりませんでした。

 感動していました。誰かから、命令されたり教えられたりして、自分を変えるのではなくて、自分が自ら考え出して、自分の生活を変えていくということは、素晴らしいことです。しかも、それはあの悲惨な映像を見ているうちに彼女の身内から湧き上がってきた考えだと聞きました。それは叡智というものです。
 それは確かに悲惨な経験ではありました。人類にとっては悪魔に襲われたような経験ではありました。もしあれが、巷間、一部で、噂されているように、人工的に起こされたものだったとしたら、言うに言われません。

 だが、日本と、日本人にとって根源に立ち返るいい機会でもあったのです。実は、昔から超が付くほど真面目な人間であった私には、現代日本は、いささか生きにくい社会でもありました。でも、3.11が起きたことによって、時代が自分に寄り添ってくれたと感じています。

副題13、『天の啓示ということ』

 銀の鈴のオーナーにとって、3.11の悲惨な映像を見ることは一種の天啓を受けたと同じことだったのでしょう。
 『お前は大変に恵まれている存在だ。その立場に甘えてはいけないよ。もしかしたら甘えていて、最善を尽くしてはいないのではないかな?』と、神様から言われたと感じられたのでしょう。

 それ以前の彼女はもし、主婦であったとしたら、専業主婦固有の楽しみにに没頭していた可能性もあります。それは、こどものPTA活動から発展をしたり、自分の同窓会から発展をしたグループ活動です。一緒に食べ歩きをしたり海外旅行をしたりするグループがよくあります。3.11以前の彼女は月曜日から金曜日まではその手の友人との活動を優先していたと仮定をしてみましょう。ほかの友人には、休日が土日であるサラリーマンのご主人がいて、土日には家にいないといけないので、遊びの活動がありません。その時だけ、お店に来ていたと仮定をしてみましょう。
 ご主人には別の仕事があって、生活費を喫茶店で稼ぎ出す必要はなかったとも仮定をしてみます。

 特に喫茶店のオーナーになったのは30代で、子育てにまだ忙しい時期で、優秀なスタッフに任せて運営をしてきたとも仮定しましょう。後は、20年以上惰性で、やって来た。が、「最善の生活をしていますか。目いっぱいの力を注いで生きていますか? 明日突然に死が訪れるかもしれないのですよ。それでも後悔をしませんか?」と、神様から問われれば、今やっている遊びは、すべて誰にでもできることだけれど、喫茶店・銀の鈴・のオーナーは自分にしかできない仕事だと目覚めるはずです。

 これは彼女の老後にとっても、とてもいい選択でした。母が一緒に海外旅行をするお友達の中で、今生存しておられれば、100歳を超える方が、うつ病になってしまったケースがあります。老人性うつ病というのだと思いますが、「社交的で、明るかった人なのに。信じられない」とよく母は言っていました。

 母の海外旅行は、横浜高島屋が開設当時に募集したものが、最初で相鉄観光が担当しました。その時はまだ、海外旅行が珍しい段階で、したがって、横浜近辺に住むお金持ちが参加していました。そのグループは、おたがいを気に入って、ずっと同じメンバーで、半年か一年に一回ほど、違う国を訪れていました。だけど、だからこそ、恵まれた人特有の病気が出てしまったのです。
 恵まれた人は考え込みます。老人になって、『これで、私の人生はよかったのかしら?』と考えてみた時に、突然に疑問がわいたりするのです。でも、その時まで恵まれきって生きてきた人には、新しい生活を始める実力がありません。夫婦関係に突然に疑問を抱いたとしても、離婚をしたのちの生活に対するイメージやら確信がありません。すると堂々巡りに入ります。出口が無くなります。

 それでも、うつ病になる人はまだ理性がある段階だからいいのです。突然に認知症にかかる女性もいます。こうなると理性がないので、結婚相手が悲惨なことになります。優秀なサラリーマンで超が付くほどの高収入だった紳士が、突然に、奥さんから腕をかまれたりします。でも、それが恥ずかしくて誰にも相談ができず、暗澹たる気持ちで毎日を過ごしていたりします。
 どこのご家庭にも内部へ入ると、何らかの問題点が見つかるものですが、老人になってそういう陥穽に陥ると大変です。
 しかし、働く人には、そういう暇がありません。喫茶店のオーナーとしても優秀なパティシェを迎えれば迎えたで、その青年の一生の生活を保障しないといけません。経営が成功しないとダメなのです。課題は多くて、気の休まることもないほどの忙しさでしょう。でも、充実はしていて、人生に疑問など感じてはおられないはずです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題14、『専業主婦を、日頃推奨している私だが、偽りが含まれていたらいけないのだ』

 私は日ごろは、女性は、働くことよりも子育てのためには家にいたほうがいいと言っています。それを支える高給を男性に与えるべきだと言っています。その持論は上に上げた銀の鈴のオーナーを褒める文章と矛盾をするようです。だけど、これから、その間隙を埋めて行きましょう。
 それは、夫婦の間に、会話とか、コミュニケーションが十分に取られていないケースに、大問題があるということです。

 奥様が認知症になってしまったエリート男性も、うすうすにその原因に気が付いているのですが、奥様の心の中をおもんぱかることがなかったのです。家庭内のことは、すべてを、奥様にまかせっきりにして、相談に乗ったり助言をしたり、一緒に悩むことがなかったのです。
 よく男には外に、7人の敵がいると言いますが、女にだって、社会生活はあり、7人の敵はいるのです。しかし、夫が朝の7時に家を出て、夜の11時ごろ帰宅をする生活を続けていれば、『お帰りなさい』と言ってお茶を出すぐらいがせいぜいで、相談に乗ってもらうのを遠慮して、すべてを内側にため込むようになるでしょう。

 この話はもっと、複雑な展開を用意しています。だが、今日もまた疲労困憊しました。

 で、いわゆる30%規制枠の中だけで語っていて、彼女の行動の中に嫌がらせがふくまれていたかどうかの、検証が済んでいません。が、恐れ入りますが、ここで、いったん、終わりとさせていただきます。

 本当はランドマークタワー、ロイヤルパークホテルの、B1で嫌がらせを受けた話とか、大船のキャラバンコーフィーで嫌がらせを受けた話もしたいのです。
 それから田口広勝さんという心根の美しい画家について、いい文章を書いたことがあったのに、その五年後に、突然に、それが逆転をして、彼が一種のスパイとして仕立てあげられ、お互いがキツネと狸のばかしあい状態になってしまい、それに耐えられない私が、とうとうそれを文章化したら、その途端に、一切の交流が断たれた話もしたいところです。

 そして今回の話についても、3.11の本質を見抜いた私が、同じく、その件から大きな啓示を受けた賢い女性と対立せねばならない・・・・・・その種の悲劇について、それがどうして起きるのかを語りたいところです。

 しかし、疲労困憊をしました。私も人間であり、一日に長い文章を二つも書くというのが、へヴィーデューティになりつつあるということでしょう。

 2012年11月11日、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)

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