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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

葬式、形見分け、兄弟の宥和(待っていてくれた母の2)

2010-10-16 03:32:52 | Weblog
 私事にわたって連続して書いて申し訳ございませんが、ここの目的のひとつが、心理学的な問題を解くというところにありますので、どうか、母の死と、その周辺について、さらに書かせてくださいませ。

 ところで、ここで、挿入ですが、今日は、すでに17日になっています。さきほど、つやから帰宅してお風呂へ入り、早く寝て、明日早く外出しなければならないのですが、誤変換二機がついたので、2,3直しておきたいと感じています。ただし、それでも完成ではありません。
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 母が『食べ物が口から食べられなくなって、自分の肉体を燃やしながら』さらに生き続けてくれた日々は、50日間を越えました。水でさえ、一日の必要量を取れなくなっても三週間も生き続けてくれました。その意味をひとつ、前報のブログで書きました。つまり、私が一仕事を終え、峠を越えるまで待っていてくれたのだろうという推察です。

 が、もうひとつあったことを私は、ひそかに、確信しています。それを皆様に明らかにするべきかどうかは迷っていました。が、その啓示のありがたさに打たれて、実は昨日14日一日中、きわめて明るい気分であったために、主人から、なんと「はしゃいでいる」といわれてしまう始末であり、私は、それを、考察することに取り組むことにいたしました。皆様に、それを、お読みいただけるかどうかは、考えません。きわめて私的な分野のことです。
 が、大切なことは、兄弟三人がそれぞれ、十分に成長し、上手に見事なお葬式を演出することができる日まで待っていてくれたということです。
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 弟は大変上品で慎重な人であり、お葬式の費用等もすべて、準備していてくれており、私は一切出す必要がありません。それから、参列者等から、お香典の類も一切いただかないと決めています。情報もきちんと開示してくれており、なんら、問題がありません。しかし、実のことを言うと、姉妹同士の間が微妙でした。それが、調整されるまで母が待っていてくれたと感じます。

 今(というのは、16日の午前0時から2時までのことですが)、5000文字以上を書いたのに、突然すべてが消えました。きっと美しいことを書いたのですが、そういうときこそ、敵の攻撃を受けます。だから、敵の悪を書かざるを得なくなります。終わりのない戦いとなってきます。明日通夜という大変な日ですが、書くことを、再トライをして見ましょう。

待っていてくれた母―2,3

 実は、弟と妹の間は順調であり、弟と私の間もさして問題はありません。ただ、姉妹同士が微妙でした。私は、一種の演技をともなわないと、お葬式が順調に行かないのではないかと感じていて、その演技をするのは私の方だと考えていました。

 しかし、母が死を待ってくれている間に、姉妹ともども、その事を、内心で吟味していて、それゆえにある安定した帰結点に到達しえたのでした。
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 この微妙さがどうして起きるかと言うと、二番目の子が持つ、不全感もその基礎にあると思います。長子と末子は親の愛を受けやすいのです。で、一種のぼんくらと言うか、甘ちゃんになります。ところが二番目の子は看過されやすいのです。その苦しさは、次郎物語につまびらかですが、最近では『ホルトの木の下で』の中で、堀文子さんがそれに触れています。麹町の家が戦災に合い、一家が経済的な苦境に立ったときに、それを救ったのは次女の自分であり、甘やかされて育った、長女や長男は何の役にも立たなかったと書いていらっしゃいます。一種の怨念に似たものが、次子には生まれやすいのです。だから、妹の潜在意識の中に、一種の怨念がすでにあると仮定します。

 その次に考えられるのが、フロイトのエディプスコンプレックスです。それは、親子の間を定義しているものですが、他人同士、または、兄弟同士でも当てはまることで、人は誰でも、異性には甘くなり、同性にはきつくなると言う傾向を持っていると思います。三人の交際はもともと難しく誰かが、はずされがちになりますが、一時期私がはずされていると感じていて、私自身が、さびしく思っていて、それが、私に一種の怨念を生んでいたかもしれません。
 
 それと、我が家独特の、原因が、もう一つあります。それは親が一種の出世主義を取っていたと言うことです。たまたま、お勉強が出来る子どもが連続して、生まれたので、現代社会における勝者になって欲しいと言う思いもあったでしょう。それに対して、私は落ちこぼれた人となってしまっています。社会的な名誉も無く、肩書きも無く、お金ももうけられません。

 一方で妹は輝かしい職場で、輝かしい業績を上げている存在です。それは、13日、母が死亡した日にも、お葬式の段取りで、ハイヤーを雇うのが割高だと三人が感じたときに、実感として明示されました。昔の葬列では、ハイヤーが何台も霊柩車の後を続いたものです。最低、三台は続きました。今回私たちは、母が90を超える高齢で、学友等もすべてなくなっており、自宅からも、六年も離れている(老人ホームへ入ったためにそうなっている)ので、親戚だけで、葬式を行うこととしていますが、ハイヤーを一台にするか、二台にするかを迷いました。実は四時間拘束するのに、一台につき、二万九千円掛かるのです。

 妹は、「私ね、遅くなると会社が配車してくれて、いつもはハイヤーで帰ったけれど、こんなに高いのだとは一切気がつかなかったわ。ただ、日本交通の運転手さんが、私をこ馬鹿にしていじめるの。それも無理がないと、今、気がついたわ。小娘がハイヤーにのが、不思議だったし、嫌だなあ、と感じていたのでしょう』と言いました。

 その感想からも分かるように、妹は医者に新薬を紹介したり、宣伝したりする仕事をしていたので、お医者さんと同じくらいの位置で、会社から扱われていたのです。プライドも高いし、能力も高いし、給料も高いし、結婚もしているし、子どもはいるし、孫もいるし、現代の女性が望むものをすべて持っている女性です。一方の私は、落ちこぼれた人間だとみなされていました。その上、お金遣いは荒いし、突然に一人暮らしを始めるしですから、一種の禁治産者と、みなされていたのです。で、妹と圧倒的な地位の差があり、私は、『彼女から、馬鹿にされている』と長らく感じていました。

 ところで、ココで、複雑極まりないことには、妹も姉からプレッシャーを与えられていると感じていた模様です。いちど、『お姉さんって、薔薇の花みたいな人だから』と言われた事があって、びっくりした事があります。あのね、皆さん、これは、顔の特に美醜をさしているわけではありません。私はまったくといってよいほど美人ではありません。ただ、何か独特の雰囲気を持っているらしいのです。『そういえば』と納得をされる事があります。私は非常にいじめを誘いやすいタイプですが、それが、公募団体展に応募していたころ、また、特に40代のころにひどくて、賢い先輩に相談したことがあります。すると、「あなたは、もっている雰囲気が良くて、そう言うものは、他の人には容易にはもてないものだから、嫉妬されるのよ」と言われた事があります。でね。ともかくのこととして、妹とは、わだかまりのある間柄ではありました。

 で、お葬式でも、相当に苦労をするだろうと予測をしていました。お葬式って大きいと親族の誰かにしわ寄せが起きるものです。誰かが影で人知れず泣いていたりして。それが自分になるのかなと思っていました。ところが、思いがけないことに、妹が折れるというか、寄り添ってくれて、和気藹々とした、7時間を兄弟三人で過ごせました。

 その爽快感に満たされた私は、次の日、14日には、主人に「はしゃいでいる」とまで言われたほどです。で、それは冒頭に上げたエピソードと同じものとなりますが「母をなくした妻を、はしゃいでいると、表現するとは、何事ですか」と成って口げんかを次の日に、したほどです。

 本当に安心していて、すっかり、明朗に成っていました。
 今、16日の午前二時に、その前から書いていた三時間分の仕事が、敵によって消去されてしまったので、大いに、不快になり、不明朗になっていますが、14日と15日はすばらしく、美しい気分で過ごしたのです。それを、再トライで書いていきましょう。

 まず、老人ホームでの午前中です。母の持ち物は、弟と妹によれば、すべて捨てるのだそうです。私は四枚ぐらいあるパジャマを一つもらって「ころころ」と自分が呼ぶバックの中に入れていましたが、妹が、『これ、シルクだからお姉さん、もって返りなさい』といって、自分が母に買ってあげたブラウスをどんどんくれるのです。私は収入がないのに、本を六冊も作ったので倹約できるところは締めているので、最近ではまったく洋服を買いません。で、妹にも前から「捨てる服があったら、頂戴ね」と、言ってあるので、私が「洋服を欲しがっている」のを知っているのです。

 でも、ざっくばらんに、かつさっさと、そこまで、言ってくれることに驚いて、すっかり、気が緩みました。その事はさらに、6時間後にも確認されました。実は実家には、普段は人が住んでいません。それで、鍵を持っている弟を、何度も、煩わせるのが大変なので、一気にその日に、形見分けまでしてしまったのです。それは、弟が独身なので母のものをほとんど必要としないので、姉妹二人だけで決定できることですし、また、弟に、後日、アポを決めて、そこで、三者が出会うのが、結構大変だったからです。す。

 で、「ハゲタカ、みたいね」と自嘲的に笑いながらでも、着物類は私が優先的に選択権を握り、指輪類は、妹が優先的に選択権を握り、お互いに遠慮をしないでも、争いは何も起こりませんでした。好きなものが違うからです。私は、指輪には興味が無くて、妹は和服には、興味がありません。でも、何所かに、妹が譲ってくれる気配もあり、それは、ありがたく思いました。
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 そして、一番大切で素敵な事は、その前の時間帯で起こりました。弟の車で板橋区東新町の老人ホームから、横浜の日吉まで帰る途中です。車って密室ですね。だから、心が、集中して会話が出来ます。その結果、私が心から安心できる、出来事が訪れたのです。

 どうして、その日(13日のこと)、私が一番に老人ホームを訪れる事が出来たかを話し始めたときに、妹が「おねえさん、よく椅子で寝られるわね」といったので、私がネットカフェを説明するチャンスが訪れたからです。妹にとって、全国の有名ホテルに泊まった事はあっても、ネットカフェなど論外の施設です。内心で小ばかにしきっても良いでしょう。でも、私は私なりの理由があって使っているので、引け目は何もありません。ただし、妹が正しく理解をしてくれるかどうかについては、自信はありませんでした。

 でも、ともかく、「あのね、私が使うのは、マットレスが敷き詰めてある一畳半ぐらいの部屋なのよ。それは、フラットと呼ぶの」というと、「ア、個室があるの」と驚いてくれました。で、さらに、「いろいろタイプとか、クラスがあって、私は最上級と言うか、上品なところをつかうのよ』といいますと、「お値段はいくらなの?」と聞いてきてくれましたので、「8時間で、1900円よ」というと、「え、そんなに安いの、それじゃあ、交通費とトントンじゃあない」といってくれました。
 そうですね。鎌倉まで往復して、途中で、銀座へ降りたりすると交通費が2000円は、かかりますので、東京の繁華街で泊まってもほとんど、トントンではあります。
 
 ココで、ひとまずほっとしました。『私がどこにお金を使っているかが、弟と妹には皆目、理解が出来なかったところでしょう。が、少しはわかってくれたかなあ』と思って。特に、ネットカフェに泊まると、夕食と朝食は外食となりますので、交通費とトントンでは終わらないで、二千円ほど出費が増えます。でも、体が、疲労困憊しているときは、東京泊が、救いとなります。ともかく、横になりたいのです。それで、ネットカフェを利用するのは、自分を、最低限守るためでもあります。それから、一応ですが、ブログの世界を継続するのにも役立てています。

 こんな小さな世界でも、維持するのは大変で、相当に体力を消耗していますが、その穴埋めには東京で泊まってしまうのも、工夫のうちのひとつです。

 ところが、健康体であり、交通・至便なところに住んでいる短い妹には、この境地は理解がしがたいでしょう。日本橋から、15分という近さに住んでいる妹は、その『体をいとう為』という事は想像のほかだったらしくて、ただ、笑って『それじゃあ、パソコン三昧じゃあないの』といいました。私も思わず連られて、「ほら、有名な作家がホテルに缶詰になって仕事をしたといっているじゃあない。あれと、ランクとか、クラスはまったく異なるけれど、機能は同じね」と応えました。

 頭の中では、ネットカフェの音の出るキーボードを夜中たたき続けている、別の部屋があることも思い出していました。私はネットカフェでも、自分のノートパソコンを使うので、キーボードは静かです。でも、シャカシャカと、なり続けるそれらの音を聞いていると、『あの人は、それこそ、芥川賞でも狙っているのかしら?』と思ったりします。『今は、世を忍ぶ仮の姿として会社員をしている男性? それとも女性?』と思ったりもします。
 
 学会(医者の集団の研究発表のこと)で、一流ホテルを使い続けている妹が、ネットカフェを頭から小ばかにはしなかったことに勇気を与えられた私は、さらに続けて、「ほら、ニューヨークって、二十四時間地下鉄が走っているでしょう。そう言う中で、睡眠時間、3時間で版画を作り続けたりしたでしょう。だから、普通の主婦とは違ったリズムとか、生活様式で過ごす事は平気なのよ。常識はすべて捨てているの」といいました。

 それにも、「ばかね」とか、『まあ、変ね』とは言わずに聞いていてくれたので、さらに勇気を与えられて、『逗子でもね。朝起きると、すぐ仕事を始めて、五時間ぐらい連続するの。そると疲れてそれ以上で着ないと成るので、掃除やご飯を食べるなどの雑用を三時間ほどするの。すると疲労困憊するから寝るのね。その後で、五時間ぐらいで目が覚めるのそうしたら、また、サイクルが始まる。でも、リズムが狂って、すっかり体を壊したわ』といいますと、

 『じゃあ、何時間で、どれくらいの仕事が出来るかを、そのとき把握をしたのね』と妹が言ってくれました。この言葉ほど、私を喜ばせ安心をさせたものはありません。そここそ、彼女がもっとも得意としていたところでした。自分は時間を、緻密に、濃密に使っているのだと、誇りを高くしているところでした。彼女にとっては専業主婦の仕事の傍らでやる仕事など、まったく、目じゃあないわよ』という感じだったのです。長らく沿う思ってきたでしょう。でもやっと、名誉や報酬をともなわない仕事でも、真剣にやっているのだわ。この人』と言う認識を持ってくれたと感じました。

 他にも心温まる会話があったのですが、上を嚆矢として、ここで止めさせていただきましょう。一回目に書いた(人為的に外部からの指令で、消去されてしまった)ものの方が、それこそ、緻密で、美しい文章だったと思います。でも、再トライを、一時間、20分で書き抜きました。それほど、パソコンを使う技術は向上しました。

 でも、会社、特に印刷物用データをつくる人(たとえば、妹)が使うマッキントッシュではなくて、ウィンドーズしか、使えませんが・・・・・
    なお、これは、推敲と、誤変換の修正はまだできておりません。
通夜の日の午前、3時半になったのでここで寝ます。では、
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