銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

其れは、超矛盾だが・・・・西隣が激しくいじめてくる。ので私は、彼等の上に立つCIAの真実を知り、其をここに展開する権利を得た。意外と世の中は、面白い

2019-08-16 11:50:03 | 政治

 今、前報(後注1)を推敲中です。それは、加筆を繰り返し、副題10を、今、書いている最中ですが、副題10を書きながら、私はある矛盾を発見して、面白くてたまりません。長い間、心理的に、西隣の、東大卒なのに、単なる・専業主婦ある・小野寺夫人に、いじめられてきました。

 特に富沢家を舞台にした高枝切り事案とか、主人が病気入院中に、ごみを燃やしていたら、「焚火をしてはいけません。警察に訴えますよ」と鬼の様な電話をかけてきたこと、その裏に、焚火をしてはならないと、言う、条令や、法規を、準備しての事らしいが、委細を、私側の観点と記憶を加えて、説明すると、鬼以上に恐ろしく、かつ、安野智紗、前田清子軍団の過去の悪を消滅しようとする、CIAエージェント達の、悪意をもろに、発見をするのでした。

 其れを、まっとうに正面から書いても、何も面白い文章とはならないでしょうが、ある特殊な人物を、中心に据えて、文章を書くと、すっきりと、見事な流れを持つ文章となるのでした。その特殊な人物とは、おしゃれな、男性で、弁舌さわやかで、頭も切れる男ですが、見事な特徴(=天然パーマ)があり、

 私の人生に、二度、現れたことが忘れられない人物なのです。35年から、38年の間を開けて、現れたのですが、二度とも、日本の戦後最大の、CIAエージェントである瀬島龍三の、意を体して、プチ芝居をするために、私の目の前に、姿を現したのでした。その人物が、西隣と、どういう関係を持つかと、いう形で、構成したのが、前報です。その、副題8~10を、まず、個々に置きましょう。

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副題8、『ところで、此処から先が哲学の問題となる。このブログの世界は、下世話なエピソードが続いていて、下級のものだと、みなしている人間が多いだろう。しかし、これ程に、複雑な構成を持っていて、

 かつ、二重、三重に伏線を張り、将来に備えている文章もないはずなのだ。

 私は、この情報を得た時に、欣喜雀躍をした。しかし、5年以上使わなかった。ただ、唯、天は、存在すると書いたりしているが、西隣の白井達雄さんが、松田平田設計事務所の、横浜支店長であって、横浜ベイシェラトンホテルを、設計したなどとは、書いていない。間違った書き方=日建設計勤務だろうなどと、書いている過去があるが、それは、まだ、余裕があって、この事実を、前田清子、安野智紗、それから、渡辺賢司を断罪する・斧・として、使う気持ちがなかったからである。

 しかし、あの三人があまりにも、ばかげた、攻撃をしてくるので、とうとう、正確な会社名と、正確な実績建造物を知り、それを、この雪ノ下のおバカさん連中をぶった切るための、・斧・として、使いたいと、決意し始めたのだった。それは、私をたすけるプラスの方向である。

 しかし、と、同時にあの、天然パーマの男が、白井達雄・小野寺夫妻と結託をしており、私を威圧するために、大企業勤務であると知らせるために現れたとも、考えられる。それは、私にとっては、軽蔑をされるマイナスの方向である。

 白井さんの会社は、一部上場ではないみたいだが、知的な意味では、大企業である、スタッフが、ほぼ、全員が有名大(主に東大)卒で、かつ、一人一人が、あげる収益が高い、・・・・・

 天然パーマの男とは、横須賀でも敵であったが、こちら、大船でも、そういうところに白井さんが、勤務していることを教えたという点で、敵であった可能性は、あり、そのことは、常に、心の底で、保持していたのだった。

 だから、あの二人が・・・・・特に奥さんの、小野寺夫人の方が、・・・・・私が何を書いても、シャーシャーとして、蛙の面に水であり、隠微な攻撃をやめないことを、許容をしていたのである。

 小野寺夫人が、何か、悪辣な行為を、はたしてくる際には、いつもあの、天然パーマの男の顔を思い浮かべていたのである。しかし、白井小野寺夫妻の方では、そういう風には、考えていなかったであろう

・・・・・という事が哲学的不思議さを、私に何度目かの事として、感じ取らせるのだった。

 なお、あの天然パーマの男が、アメリカ生まれで、かつ、戦後最大のCIAエージェントであった、瀬島龍三子飼いの、人物であったと仮定をしよう。すると、なるほどと、頷ける点が出てくる。

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副題9、『ここで、ルネ北久里浜そらひるずの別方向から写した、写真を置きたくなる』

 以下のマンションは、ルネ北久里浜そらひるずを、いつも使って居る写真とは、別の方向から、スマホで、撮ったものだが、これが、建っている敷地は、元、横須賀市の水道山を益山重夫氏が、地籍変更届の仕組みを利用して、ただで、手中にしたものだ。しかし、1978年の内に、

 私が全貌の、裏側(一種の詐欺である)を知ってしまったために、より元海軍参謀で、今は、一階の土建業である、自分(=益山重夫)より、より大きな、権力行使ができる、瀬島隆三側に所有権を渡した模様である。

 この大詐欺事件が、完了した、1978年ののち、20年は、過ぎた時点で、電話をかけてきた、男性がいる。東工大卒の測量士であると名乗った。しかし、私は、美術の仕事に邁進をしていた時期だから、メモも取っていない。しかし、時期的には、マンション建設の直前だったらしくて、私に出方を探るために、或る程度の、情報を私に与えた。

  この地所が、四つに分筆をされており、すべて、頭に、伊藤忠を冠した会社の所有であると、言ったのだ。つまり益山夫妻(後継者は、仲野通巳吉)のものではなくて、瀬島龍三のものであると示唆したのだた。その上で、私がどう出て来るかを探っていた。

 

 私は、彼等の、心中は正確に分かった。しかし、もし、その時点で、

 そこに、このマンションを建てさせないための、行動に出ていたら、私は手ひどい弾圧を受けて、死亡に至るだろう。そのくらいの予測はつく。それに、そういう経済行為について、口をはさむものでもないとは、最初にお世話になった弁護士から教えて貰って居ることだった。

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副題10、『私は、自分を守る必要があり、それは、権利上、行使していいものだと、思って居る』

 私が、やってもかまわないことは自分を守ることだけである。ところで、私は現在では、貴て久里浜ではなくて、鎌倉市雪ノ下二丁目に住んでいるのだが、そのご近所様の一人である、

 安野智紗が、泥棒に入り、お化粧品を盗み、白い新品のパンツに青黒いシミをつけている・・・・・という現状がある。それは、防衛をしないといけない。普通の生活さえできない。その安野家に、2014年6月9日に上がってお寿司を取り、六時間も一緒に過ごしたのが白井達雄・小野寺夫人なのだ。

 となると、どうしてそうなるのかの、分析が必要となる。ほかにも白井達雄・小野寺夫妻は、一時期までのものをまとめただけでも、すさまじくもひどいことをやってきている。これが、東大卒のエリート夫婦がやることですか?と、言うほどにひどいことをやってきている。

 したがって、私には防衛上、それらを書いて、行く権利がある。そうなると、当然のごとく、上のマンション、または、横浜鴨居駅を最寄とする、傾きマンションにも触れないといけなくなる。

 二つは外見がそっくりだ。したがって、同じ、人物白井達雄さんが設計したと、私は考えている。ご本人は、否定をしてきたが・・・・・・まあ、ご自分は、marshalize して、部下に細部を任せたとしたら、ご自分ではないと、主張できるはずだ。

 ともかくの事として、白井達雄さんは、此処に引っ越してくる前に、瀬島龍三と、会見を行って居るはずだ。

 そして、こちら、雪ノ下の方野、土地を巡る、大問題である、あじさい畑欺罔事件の方の、主役である、中谷共二氏の、遺児二人とも面会をしたうえで、転入してきたものと思われる。

 中谷共二氏は、無断で我が家の東北の山を削った。恐ろしい行為だった。しかし、その長男は、東大航空宇宙右研究所の所長であったとのこと、その人物と、白井達雄さんと、同じく東大卒の、小野寺夫人は面会の上で、此処に転入してきたと、思われる。

 ここでは、それらの、現象の詳細な中身を語るよりも、ともかく、見ていると、面白いと、言わせていただきたい。

 白井達雄小野寺夫妻は、その行為が、中谷家の遺児の役に立つと、信じて、私をいじめてくる。しかし、ものの見事に、中谷共二氏のさらに上にいた、瀬島龍三の悪を分析し得ることとなっていくからだ。

 自分は、その人達をたすけているつもりになっているが、実際は、貶めている。大矛盾だ。

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 さて、そういう大矛盾を記述する、機縁を開いたのが、天然パーマの男だった。下からは、天然パーマの男についての、文章が始まる。

 

 ともかく、母が死にそうな年、2011年から、2012年に戻ります。このころから、外での、ノマド生活で、徹夜で、仕事をすることをやめ、早めに切り上げ、帰宅して、鎌倉の自宅で、寝る様になります。つまり、心身の消耗をできるだけ少なくする方向へ、舵を切ります。

 その、超おしゃれで、もじゃもじゃ頭の、人物に出会ったのは、大船のミスタードーナッツでした。そこからは、鎌倉の自宅方面に向かう江ノ電バスのバス停が見えるので、最終便を見逃さないための、措置でした。

 隣に、髪が白髪なのに、くちゃくちゃ、で、天然パーマらしい男性が座りました。彼は、60代と見えました。そのトイメンに、三十代の若い男性が座りました。二人は、熱心に、建築のことを話し始めました。詳細は、覚えていないけれど、とても面白い内容だったと、思います。それで、理想の建築について、しょっちゅう間取り図を描いている私は、つい、身を乗り出して、しまったのです。

 私ってね。もし宝くじが当たったら、商業的な雑居ビルを、追浜に一棟と、もう一軒の新しい家を、日吉の、実家の敷地内に建てたいと、思って居る人間なのですよ。あ、は、は。だから、常に、それ用の、設計図を描いている人間です。

 本日というのは、17日(日)の事だが、追浜にDENAの第二球場と、その付属施設が、全部完成したことをお祝いする式典が、行われたと、NHKで、報道をされていました。横須賀市は、全市を上げて、それを祝福しています。元に戻ります。ともかく、私は、建築家ではないのに、家を建てる事に、熱心です。二回取り組んだが、その結果を踏まえて、さらに理想的な家を作りたいという夢を持っています。お金が入ったらですが(苦笑い)で、お隣の天然パーマの男性の会話に、首を突っ込むわけです。

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副題4、『その日、ミスタードーナッツの店内で、隣の男性は、白井さんの勤務先と役職をアバウトな形ではあるが、教えてくれた。彼の正式な言葉は、・・・・・白井達雄さんは、日本三大設計会社の重役で、横浜支店長ですよ。浜銀、鎌倉支店を設計したのは彼ですよ・・・・・だった。

 私は内心で、欣喜雀躍をした。これは、将来、絶対に使える。今でも、散々に、困らされている夫婦だけど、将来、その悪い行為を、やめさせるために、これが使える・・・・・と、感じたからだ。

 しかし、と、同時に・・・・・これは、罠かもしれない。うかつに使うと、大変なことになりかねない。すぐには使わないこと・・・・・・と、固く決意した。

 どうして、そういう風に考えたかというと、その男性の顔に見覚えがあった。特にその天然パーマに見覚えがあった。それで、思い出したのが、1978年の、10月の、関東法務局、横須賀・出張所(または、支所)内の、広い部屋だった。

 今は、どういう風に変化しているかを、私は知らない。しかし、当時は、まず、待合室に入る。そこは縦長の、9畳程度のスペースで、その向こう側に閲覧室があった。閲覧室には、呼び出しを受けたのちに入る。そちらと、ロビーの、間に、間仕切り(段差だったかな?)があり、その一角に、印紙を売るボックスがあり、そこの担当者であるおばさんに、私は散々にいじめられた。いやな顔で、書類を渡されたり、書類を渡す順番をわざと後回しにされたりした。その、おばさんに、さんざんにいじめられたという事は、この日の訪問が、最初の日ではなくて、これまでにも、数回、此処へ通って居たという形である。

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副題5、『閲覧室に入って、必要な書類を閲覧していると、頭上で、マイクがこういった。・・・・・中島測量事務所の方、前の方に進んで、支所長の前に来てください・・・・・と。私は即座に、それが、私へ対する威圧用の、構内放送であることがわかり、前の方に進んでいく、中島某測量士を凝視した』

 この時の放送で、言われた名前が中島さんだったと、記憶をしているのですが、関係書類の類が、全部盗まれているので、もしかしたら、間違って居るかもしれません。しかし、例の大事件である、地籍変更届用の、測量図を作った人間が、測量士・中島・某氏だったのです。それが、支所長の前に呼び出されると、いう事は、私に、その姿を眺めさせるのが目的でした。

 今も繰り返しそれが、使われている手法ですが、関係している人間を、私の目の前に表せば、私がビビるだろうと、考えるのが、CIA連中の心理的攻撃手法の、一つらしいです。しかし、私は、一切、恐れず、中島某、測量士をしっかりと見つめました。

 当時は土地家屋調査士という資格はなかったはずです。この件は大事件中の大事件ですが、測量を担当したのは、意外と若く見える、測量士、中島某だったのです。

 彼が作り、私が1978年、7月末日のある夜に、こっそりと訪れてきた、益山智恵子さんから渡された書類には、大部な測量図が、引っ付いていました。

 それは、横須賀市の水道山全域(斜めに、広がっている、丘、全域)を道路が囲んでいる図、でした。当時の私の記憶では、その道路は、まだ、実際には、できていなかったと、記憶しています。

 しかも、その道路は、実際には、山ノ下を通るのでした。そして、その道路を益山重夫一派は、横須賀市に寄付してしまうのです。いいえ、そこに大きな嘘があり、その道路を寄付することによって、彼等は、1200坪の公共用地・旧・水道山を、ただで、私有化できたのですよ。

 これは、本当に、頭を使った詐欺事件であって、ほかの人、特に普通の人がまねしようとしても、できるものでもありません。首謀者は、元海軍参謀であって、戦時中は頭のいい事で、有名な職種の人です。

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副題6、『性善説の私は、7月の末当時は、全くそれに気が付かなかったが、益山重夫氏は元海軍参謀という諜報の専門家であって、我が家にもそれから、周辺の家にも、数年間にわたって、既に、盗聴を仕掛けていた可能性がある。で、主人が子供を連れて桔梗をして、私がたった一人で、自宅にいる夜を狙って、訪問をしてきた可能性がある。

 また、私は、その年の9月から三鷹のICUへ、学士入学をする計画を立てていた。したがって、9月以降、昼間はほとんど家にいないと、いう形になるが、その事も知っていて、この大事件を、この時点で、開始したと、推察している。今ではの事だけれど。

 彼女(=益山重夫氏夫人、智恵子さん、その実弟が、仲野通巳吉で、今当該の、場所に住んでいる)は、「これは、貴方の家を囲んでいる私の所有する私道を、

 横須賀市に寄付する書類です。私達はそれを知らなかったのですが、お宅の土地って、半分はあなたのお母様の所有なのですね。で、お母様の実印をここに押してほしいのです」といった。すべては、そこから始まり、私は彼らの悪事の全貌を知ることとなる。

 ここで、私は、彼等の悪について、詳細を、語りたくなってしまう。しかし、それをすると、この章もまた、終わらなくなるので、それを別の機会に譲り、ここでは、

 彼らの悪には、測量図が、必要であり、それを、作ったのが、中島某測量士であって、その中島測量士に、会わせるために、私が、来訪しそうな日を狙って、わざと、中島某測量士が、関東法務局、横須賀支所に、呼ばれていた可能性がある。測量士は、これ程、の大事件を任されているのだから、横須賀の、オフィス街に事務所を構えている筈で、しかも、車社会の人間だから、私が、支所に到着して、ロビーで、待たされている間に連絡を取っても、十分に、間に合う立場であったと、思う。

 さて、中島測量士は、支所長風の男の前に進み出て、何事か、おしかりを受けていて、謝罪をしている風情があった。それは、私を満足させる、こ、芝居であって、例のCIAエージェントは、いつも、こういう風に脚本に基づいて、行動をする。

 それは、私を、それで、だまして、満足をさせ、いい気分にさえて、次に、その支所長風の男が、私に対して、提案をしてくる策にのせようとする、こ芝居だった。

 だけど、そのころから、彼らが思っている以上に、太っ腹であり、かつ、位相が違うレベルで、ものを考えている私には、それが、わかったけれど、乗るつもりはなかった。ただ、唯、中島測量士が、意外と若いのには驚いた。未だ、40代だと、見えた。これ程の、大事件を引き受け、かつ、悪事に、のりかかるにしては、まだ、若造に見えた。だから、この時、私の目の前に現れた、男性は、中島測量士事務所の、一スタッフ、または、息子などにあたる人物なのかもしれない。

 2019-8-18 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

尚、実際には、18日に制作し、公開をいたしましたが、考察したのは、ほぼ、16日なので、goo blog 公開日の方は、16日の日付とさせてくださいませ。

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5536331です。

後注1

天然パーマの男(名前は、不明)は、二度現れる・・・・・大原光孝、市川某(版画家)、高橋典夫、酒井忠康、白井達雄、中島某測量士

2019-08-15 22:13:35 | 政治

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