銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

猫も、お客仕事には疲れるらしい・・・・・正月の宴の中で、両親や、鎌倉の孤独な老婦人を想い出す私

2015-01-11 22:57:19 | 

 今は、書き始めてから、二日目、12日の、午後3時ですが、初稿に三千字ほど、書きたしました。そして、総タイトルも変えました。どうか、よろしく。

副題1、『珍しく、正面を向いている、猫の写真が撮れました』

 下の写真は、2015年1月12日に撮ったものです。

 

 皆様はお正月をどういう風にお過ごしになりましたか。私は、ほとんど、普段通りにすごしました。ところが、本日、11日だけは、お客が来ました。大人が、5人で、子供が4人です。私たち夫婦二人を付け加えると、全部で11人の宴会です。

 それが、終わって、主人は疲れたと言っていますが、私は最近は、お客仕事にはほとんど疲れません。というのも料理を半分、主人がやってくれます。主人は、子供向けにハンバーグとフライドポテトを作ってくれました。フライドポテトは、冷凍のものを上げただけですが、冷凍食品として、ふた袋分(上げた後では、大皿二つ分)があっという間になくなって、ハンバーグも小型のものが、あっという間に、10個ほど無くなりました。おいしかったらしいです。・

 私はお煮しめとサラダと、オードブルを作っただけです。後は、お寿司とスイーツを、子供たちが買って持ってきてくれました。でも、ずいぶんきれいにできたので、写真にとって、ここに載せようかと思いましたが、撮影はやめておきました。普段のブログのテーストと、あまりにもかけ離れてきますから。下は夜の9時の、誰もいなくなった、テーブルです。

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副題2、『宴会を終えて、母のことを思い出す』

 ふと、お正月の母のことを思い出しました。思い出すと、申し訳ない気持ちで、いっぱいとなります。母は、85歳まで、上にあげた我が家で提供する料理の他に、おなます、お刺身、カニ、小型のビーフ・ステーキを提供してくれていました。、料理を、分担して、私と妹が、自宅から、ある程度は、持っていくべきだったと、思います。だけど、『母は、お金持ちだ』と信じていたので、子供たちは、何も料理は、持って行っていなかったですね。菓子折り程度のお土産で済ませて。

 それが、今、思うと、労働時間という意味で、本当に申し訳なかったと思います。金銭的な面では、『大丈夫』と甘えてもよかったのですが、労働時間という意味では、母に気の毒でした。それが、若い時には、分かりませんでした。本当に、申し訳なかったと思います。若い人というのは、普通のことは、普通にできるので、老人が、そうではないということが理解できないのです。

 ただ、30年以上も前のことですが、主人が良く久里浜・出港で、船釣りをしに行っていて、中型、もしくは、大型の鯵をつってきました。アイスボックスが、いっぱいになるほど、7尾か、10尾、釣れていて、自宅用に、3尾ぐらい残して、12月28日ごろ、冷凍のまま、母に私が、届けていて、お正月の、マグロのお刺身に加えてもらっていました。お正月以外にも釣れると、よく、持って行っていました。

 「鯵って、新鮮なものは、本当においしいのね」と、母は、驚いていました。頭から尾まで、30~40cmあるモノは、確かに、美味なのです。私の父は、萩の出身で、横浜に住んでいても、舌が覚えているので、新鮮な魚しか食べられないということで、身がいたみにくい、白身の魚しか、食べなかったのです。母は、基本的には、父を大切にしていたので、白身の魚しか買わなかったのでした。特に、父は、サバには、じんましんが出るタイプでした。だけど、パーキンソン氏病にかかったので、淡白なものだけを食べる生活は、よくないみたいです。鶏の内臓とか、鶏の丸ごとスープとか、モツ料理なども、食べた方がいいのですよ。

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副題3、『セルチュク(トルコ)の博物館だけが、楽しかったと、立花隆が著書内で言っているが』

 ところで、お魚の話が出たので、次へ進みますが、上のテーブルの写真の右端に、小さなお魚が、立っています。大理石でできたもので、主人がセルチュク(トルコ)の博物館近辺で、買ったものです。その時に、隣町の、エフェソスで、立花隆氏に夫婦が、別々に出会ったのでした。それは、彼の著書、

『エーゲ 永遠回帰の海』書籍情報社 2005、須田慎太郎(写真)で、描かれている世界です。

 その著書は、これも朝日新聞の売れている本だったか、それとも、別の書評だったかで、出版されたことを知りました。それは、2005年のことですね。しかし、準備が、2004年から始まったとすると、その時点では、確定的に、私のパソコンがハッキングを受けていたことを、類推できる、一種の傍証となっている書物です。

 そして、鎌倉エージェントと、私が呼んで、いる人物たちが、この時点では、明瞭に動き回っていて、立花隆という実名(=ペンネーム)を一切外に出していないにもかかわらず、これは、立花隆の事だと、断定をして、立花隆に、私が、ひそかに準備中の本の内容を知らせたのでした。で、エーゲ海周辺の、移籍について、先にこっちが、出版をしてしまえば、彼女の本は当たらないと、推察した、例の連中が、立花隆氏に、それを、提言して、彼は、大急ぎで、この書物を出版したのでしょう。

 このエピソードは、とても、おいしい話なので、後日、独立をさせて、丁寧に書き直します。で、このブログ内では、元の鎌倉雪ノ下の自宅、に戻ります。

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副題4、『木造一戸建ての家と、マンションの暖房効果の違いについて、思いをはせるが』 

 で、位置的には、その大理石の、お魚の前に、主人が居て、テーブルの向こう側右に、弟がいて、その左に私が居て、手前に、小さなこども(=私たちの孫)の世話をする私の子供たち二組の夫婦が、座っていました。年配のものが奥に座っていたのは、子供たちが、孫の世話に、動きやすい様にする為です。弟と主人に間には、左側に見えるのとは別の、もう一つの温風暖房器を置いていました。

 二つの温風暖房機で、木造一戸建ての部屋を暖めたのですが、『日あたりが悪い部屋なので、寒いのではないか』と心配をしました。特に私たち夫婦以外のお客はすべて、マンションに住んでいる人たちです。マンションは、気密性が高いうえに、前後左右の人が全部暖房をするので、一戸建ての家より、ずっと、暖かいのです。そういうところから、お客に来ると我が家は寒いのではないかと心配していました。

 特にこの隣の部屋には、据え置きの、大型ガス温風暖房機を置いていますが、こちらは移動できるタイプで、小型のものだけです。『6~8畳用、2台で、大丈夫かなあ』と、思った次第です。しかし、リフォームをしたばかりなので、気密性が高かったらしくて、「暖かいわ、大丈夫よ」と、お客たちが言ってくれたので、助かりました。

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副題5、『猫は、人間より、子供っぽい時もあれば、大人である時もある』

 ところで、猫なのです。猫って、相当に、クールな性格の持ち主だと、皆様は、お思いになりますか。私は違うと思っております。でも、人間の大人と対等か、それ以上である時もあれば、人間の、5~10歳ぐらいの精神年齢を示す時もあります。

 本日、わが家の猫は、その人間の子供にあたる部分を、示し、二階で、寝ていたのが、やはり、お客さんが気になるということで、人いきれで、むんむんの、この部屋へやってきました。冒頭の写真は、本日のものではなくて、数週間前の、真夜中に、私と二人だけでいる時に、撮ったものなので、目が真っ黒で、じっと私を見ていますが、本日の彼女は、こんなに緊張したり集中していたわけではありません。

 だけど、だれもが、猫のことは、二の次になっている中で、猫は、『私にとって、どこが落ち着く場所なのかなあ』と考えながら、落ち着かない気持ちで、うろうろしていたのです。普段は、低温設定にした、温風暖房機の前、50cmのところに置いた座布団が定番の位置ですが。

 ふと、弟が、猫に気が付いて、「温風暖房機が、・強・になっているので、その前にいられないのだね」と言いました。私は、弟が、あまりによく、猫の代弁をしたのに、ひどく驚いて、『彼は、何年ぐらい、猫と一緒にいたのだっけ?』と、考え始めました。

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副題6、『父が、休日に、猫と遊んでいた情景が、よみがえって来る』

 その時、実家の父の姿が目に浮かびました。

 実家では、私が結婚をする前は、猫を飼っていました。だけど、若い人は、みんな忙しがっていて、母も忙しがっていたので、猫と遊ぶのは、もっぱら父でした。父は、大島紬を着て、畳の上にねっころがって、おなかの上に、猫を乗せ、「高い、たかーい」と、言いながら、自分の両手を、猫の脇の下に入れて、目の前で、腕いっぱいに持ち上げていました。

 私は傍を通りながら、『あれって、猫は、好きじゃあない遊びなのに、お父さんって、あんなことを繰り返すなんて、猫をよく、知らないのね。猫が好きではないんだわ。よく猫の方が、我慢をしている事』と思いながら、それでも忙しいので、放っておきました。

 猫は、強制されるのが、大嫌いです。そのうえ、高い、たかーいなんて、体が空中に持ち上がってしまって、安定しませんので、されるのは、大っ嫌いな遊びのはずなのに、三回ぐらいまでは、父に、それを、やらせていました。4回目ぐらいからは、逃げ出していました。でも、逃げ出す時に、引っかいたり、シャーっと言って威嚇することもなかったので、もうあきらめていて、自分が大人になったつもりで、子供みたいな、父に、付き合って、上げていたのでしょう。

 あれを、当時は20代前半だった私は、心の中で、バカにしながら見ていました。でも、自分が老人になってみると、父の気持ちがわかり、ふっと、涙が出そうになってきます。明治生まれの父は、自分の本当の子供には、そういうことはやらなかったと思いますよ。スキンシップなどと、言うことは、まだ、世の中に存在していない時代でした。でも、60歳を過ぎて、突っ張ったり、テンパったりする必要が無くなったのでしょう。

 まだ、生まれていない幻の孫か、それとも、自分の架空の子供(=相手をしてやらなかった、本当の子供たちの幼い姿の事です。お妾さんの子供というわけではありません)たちを相手にしていたのか、ともかく、父は猫をまるで、幼い人間の子供であるかの様に、扱っていました。照れ屋だし、モボを気取っていたので、自分の本当の子供とか、孫には、同じことは、チャンスがあっても、できなかったのではないかなあ。だけど、老人になってみると、高い、高いとか、肩車とか、そういうごく普通のこともやりたくなって来たのでは、ないかしら。それで、猫を相手に、あんな遊びをしていたのです。

 下の写真は、モボを気取っていたころの父です。横浜伊勢佐木町の、写真館で、撮っています。

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副題7、『猫も、人間と同じで、疲れると、機嫌が悪いのだった』

 さて、父よりは、ずっと、常識が発達している弟ですが、それでも、弟が、猫を相手にして、話しかけたり、抱いている姿を、過去には、見たことがないので、『暖房が、強になっているので、その前にいられなくて、落ち着かないんだね』と、彼が言ったときには、その猫への洞察力の深さに驚きました。詳しく聞くと、妹の家の猫で、猫を飼っていて、その猫で、猫のことを学習した向きもあるみたいです。

 で、主人が『そうか、そうだったのか。温風暖風機の前に、普段はあるはずの席がなかったのか。わかった。解った』、という感じで、猫を持ち上げて、ひざに乗せました。主人も、猫の両手を、持って、自分の膝に乗せることはありますが、それでも、空中浮遊ではないので、私は、父の場合より、扱いが上手だと思っています。そして、自己主張が活発な我が家の猫も、その両手持ちで、主人が扱う支配的な、動作にも逆らいません。

 ところが、本日だけは、シャーっと言って、主人に逆らうのです。別に、無理な姿勢を取らせてはいないのに、シャーと言って怒りまくるのでした。余ほど疲れていたみたいです。いつもは、静かな環境の中で、女王様扱いなのが、11日だけは、その他、おうぜい(=11人の人間のだれに比較をしても、それ)以下の扱いで、しかも、3時間起きたら寝るというスケデュールもくるわされていたので、本当に疲れていたみたいで、いつもは、出したこともない、シャーっという威嚇音を連発していました。三人で、「人間も、猫も同じだね」と、話し合ったものです。疲れると、人間は、怒りっぽくなるものですが、猫も同じでした。

 しかし、だからと言って、逃げ出して、別の部屋へ行くということもないのでした。人間が楽しそうにしている場所を去るのも嫌なのでした。

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副題8、『鎌倉の東急に買い物に来る事を、唯一無にの日課にしている、孤独な老婦人・・・・・その人との仲も裂かれましたが?!?!?』

 これは、老親世代と、子供世代が二世帯住宅を作って住んでいるときに、起きる諸問題を、いろいろ、類推させました。私が知っている、ある奥様は、いつもバス停で、30分か、1時間以上の時間を過ごしているのです。夜遅く帰る私は、あまりに頻繁に出会うので、ある日、会話を持ちかけました。そして、2,3回にわたって、詳しい話を聞くと別棟に住んでいるお嫁さんが、勤務を持っているので、帰って来て、お風呂を焚いて、そちらの、子供や孫世代が、お風呂を済ませるのを待っているみたいです。みんながお風呂に入り終わるのが、10時ごろで、それを待っているので、こういう生活になるらしいのです。何となく、切ない情景です。

 これは、気の毒に見えるケースで、このブログの世界では、書きたくなかったエピソードですが、ある日から、彼女が画然と、意地悪になり、白い目を向けて来るので、これも、尾行のせいで、・・・・・彼女と、私が、仲良くしているからこそ、彼女が、敵方にリクルートをされたのだ・・・・・と、感じていますので、書いてしまいます。敵さんたちは、「あなたとの会話を、あの人は、ブログで、書いていますよ」などと、言いつけたのでしょう。それでないと、あそこまで、心を開いてくれていたあの老婦人が、バスの中で、私に、白い目を向けてくるはずがないのです。

 こういう事は、ひどいレベルでの、私に対する人権侵害です。で、仕方がないので、ここで、それを書いてしまいますが、彼女が誰かから、私の讒言を聞いたのは、本日より、ずっと前の話だと、推察しています。

 同じことが、銀座の画廊街でも、何度も繰り返されました。しかし、銀座の方は、長期間付き合っていますので、裏側にだれがいて、こういうことになるかは、すぐわかるのですが、こちら、鎌倉の方は、まず、老婦人に関して、相手の名前も住所も知らないので、だれが、動かされて、間に立って、私の悪く死を言いつけて、その結果、こう言う風に変化したのかが、個人名としては、今のところ、分かりません。

 唯ね。私が、夜、9時ごろ、東京から帰ってくると、大船のバス停に、この人が、いる時もあるし、鎌倉のバス停にいることもあるのですが、とても目立つ人です。で、いろいろ、話をしてみると、かたくななほど、身構えているのでした。でも、毎日、鎌倉の東急に買い物に来るのが、一種の生活習慣としての、娯楽になっているのもわかりました。テレビの番組は見ないそうです。今の場らイエティというのも、こういう最も時間を持て余している、老人世代には、訴えないというか、理解不可能みたいでした。もちろん、彼女なら、BSの番組など、合うと思いますが、テレビで、どうしたら、BS番組を見られるかとか、どういう番組が人気番組であるかという会話を、誰かと、かわしたことがないので、彼女は、文明の利器を利用できないのでした。そして、夜九時に自宅に帰り着く様に、ゆっくりと、時間を過ごすのです。寒い時には、東急内の休憩所、暖かい時期には、バス停で、じっと、時間を過ごしているのです。

 お子さんも、お孫さんも、優秀な仕事をしているらしい、恵まれた世代なのに、ご自宅で、お風呂に入るときには、だれとも話し合わないのだそうです。お正月も、一緒に食卓を囲むこともないのだそうです。昔からの、地元の人らしくて、広い敷地内に住んでいるのですが、お正月も、子世代や、孫世代と一緒の食卓を囲むことがないそうです。そこまで、聞いて『痛ましいことを、聞いてしまった』とは、思いました。でもね、それなら猶の事、誰かと会話を交わした方がいいのです。それに、その老婦人に、向かって、このブログに書いている内容の、様な、難しいことを、話すわけもないです。だから、私は会うたびに、積極的に話しかけました。せめて、テレビを見て、それで、お嫁さんの帰宅を待つ生活に入った方が、冬にはいいだろうと、思ったからです。BSには、よい番組があります。そして、録画の仕組みを教えてあげれば、それで、ずいぶんと、生活が、変わります。独特な健康法を維持している人ではありますが、夜遅くのバス停で、じっと、一バスもふたバスも見逃しながら、座っている光景は、やはり、異常に見えますので。

 お嫁さんとか、息子さんと知りあいだったら、お母さんは、他人からは、ひどくみじめに見えますよ。生活を改善なさったらいかがですかと、言いたいところです。老人を、こういう形で、放ったらかしにしているのは、自分の恥とするべきでしょう。

 私はバス停で、5~10分、バス内で、3~5分、話し合うことが、彼女の精神的な健康に役立つと考えて、常に話しかけていたのに、それでも、その交流を破壊する人間が、この世に、いるのですよ。誰だ? 大体、あの組織の連中だろうと、分かっていますが、彼女に問い詰めるつもりもありません。だけど、こういう風なことが起きると、それを、やられると、こちらは困るし、悪い気分になるが、誰かが得をして、いい気分になるのです。

 それで、例の鎌倉エージェントに対する、分析を、一生懸命することとなります。いわゆるご近所様の、悪口を書いているみたいに見えるでしょうが、仕方がないのです。

 老親と、子供世代は、お互いの体力も違うので、うまく行かないケースが多いのでしょう。そのほかにもいろいろありますが・・・・・本日は、これくらいにしておきましょう。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 2688250 です。

        2015年1月11日に初稿を書き、十二日に加筆をする。雨宮舜(本名   川崎千恵子)

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