副題1、『脳の機能について』
今は、ブログを書いている場合ではないのですが、しかし、書かないと、ブログ向け、または、ブログ用の頭が消えてしまいます。
俳句も1996年までは、俳句会に所属していて頭が俳句的になっていたのに、三十年間俳句会にもいかないでいると、もう、頭が俳句脳ではなくなっているのです。で、俳句はわたくしの脳からは、もう生まれないです。
で、大切なブログ脳が消えてしまったら、困るので、今、税務申告で、非常に忙しいのですが、ブログを一つ書きましょう。税務申告って、計算ばかりなので、いわゆる左脳活動でしょうから、右脳も動かしておかないと、82歳なので、ブログ脳が消えてしまう可能性があるからです。
このブログの世界も書く目的がいろいろ変わってきています。最初は純粋に、HUMANITY 分野でした。が、攻撃が激しくなってきて、、それを分析することに集中し始め、それは、政治そのものなので、メディア論を中心とした、政治分野について書く日々が続いています。「
私に対する敵さんのうち、伊藤玄二郎が最も頻繁に意識される、謀略を仕掛けてきていますので、彼について書くのはやぶさかではないです。100グラム金貨を例に挙げて例えましょう。今菌が高いので、20~30万円の間だと思いますが、彼は、それの一万倍程度の被害をわたくしに与えています。私がブログで、彼を書く、影響力は、100グラム金貨、1枚にもあたりません。それほどの偏波なのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『伊藤玄二郎の相貌と、愛人の選び方に見る、実母の、影響力』
私が今から書くことは、紙(新聞や雑誌、単行本)等で、証明されたことではありません。ネットに出てきたことでもありません。ただ、ただ、私が、この40年間、伊藤玄二郎からの攻撃をつけ続けた結果、わかったことです。で、例のごとく、見てきた様な嘘を言いの一つだと、お考え下さい』
伊藤玄二郎の顔とは、実父であろう、伊藤整の顔に、般若系の硬い骨格をくわえたもので、あろうと推察していて、したがって実母は編集者で、伊藤整も担当していた・・・・・と考えるわけです。頭の良い人だったでしょう。
しかし、伊藤玄二郎は、あまりにも骨ばった自分の顔に幾分かの劣等感を、抱いている筈で、愛人には、ぽっちゃりとしたタイプを選んでいるみたいです。
その典型例が、田中愛子さんです。もう、変わったと思うけれど、最初に出会ったときに、「川崎さん、150万円しか出せないのだったら、50部しかできませんよ」と、言われて、本づくりの実際を何も知らないので、びっくりしました。あのね。本って、一千部作るも五十部作るも、ほぼ、50万円だったのです。2003年ごろの話ですが。
しかも、「印刷にかける前のデータは表紙(いわゆるカバーのこと)も、本文も、全部、川崎千恵子がいたします。御社は、名前と、販売網を提供してくださればいいのです。しかもテーマは鎌倉です」と言っているのにですよ。でね、この時の彼女のセリフから、鎌倉春秋社って、私費出版を引き受ける際に、一人の顧客から、300万円から500万円をとっていると判断をしました。
そんな内実まで、さらしてしまうし、そのうえ、ブログ等で、それを書かれてしまうのだから、商売上痛いでしょう。どうして、そんなに単純なのだろう。メディアで有名人ではない、私は、それほどの低いレベルで、馬鹿にしてもいいと、考えたのでしょうね。だけど、私はその瞬間、「彼女は、どこの大学を出ているのだろう。こんな礼儀作法を赤の他人にぶつけるとは、フェリスや、聖心卒ではないでしょうしね」と考えました。
そして、伊藤玄二郎の会社についてうわさされている各種の悪評を真実だと、感じました。あそこの会社って、入社した新人が次から次へとノイローゼになるとか、あれこれ、悪い噂は、数多く聞いています。
伊藤玄二郎って、その立派な骨格のお顔に似合わぬ、ビビりです。神経質で、猜疑心が強いです。対・わたくしへの苛め策で、40年間、毎日それを悟り続けていました。人によって、態度を変えているから、「いい人ですよ」という方もいるでしょう。特にお医者さん関係は、彼を乞う人物だと、考えている筈です。が、或る、かまくらきっての大紳士から、「かまくら春秋社に頼むのは、やめなさい」と言われたこともありますし。というわけで、彼に対して、目下にある人間の苦労は、推察するに余りあります。
だって、考えてもごらんなさい。タウン誌【かまく春秋】だって、医師会雑誌【神庫】だって、袖の下にナイフを隠した、営業形態でしょう。怖いよね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『渡辺賢司が、なぜ、タイミングよく、小町通に現れたかを考えると、あまりに強い支配を受けているとなり、下、社員だったのか?と、勘ぐる。だけど、もしかしたら、現在も社員であり、リモートで、テープ起こしと、続く編集等を、行ってるのかもしれないと、判断をする。しかし、それにしても、どうして、知り合ったかが不思議だ。
この現在も社員であり、平均より高い給与をもらって、いる、可能性についてだが、二つの方向へ、思考が分かれる。彼ら二人は、私の推察通り、外語大程度の高い偏差値を誇る大学卒で、新卒時、春秋社に勤務した。大学の同窓生と、見ているので、二人とも春秋社に勤務したか、夫婦の片方だけかもしれない。が、ともかく、春秋社で、働いているうちに、しょっちゅう来訪してくる、伊藤玄二郎と知り合った。
「今度鎌倉に家を建てるのです」という話題から、「どうですか? 一日五時間程度のお仕事を依頼します。そして、給料は(当時は高給であった)つき30万円を出します。と、提案し、小説家とか、評論家として、名前を挙げたかった二人は渡りに船と、その話に乗った。
この副題3が、以下の章の続きとなります。
痛い。午前二時に痛みで、目が覚める。ご近所人間W夫妻をリモートで伊藤玄二郎が雇っているのを発見したからか?+ 伊藤玄二郎は早稲田ゆきさんを過去に雇っているし?
まだ、奈可川が、この件に関して、引き続いて、動くのですが、それを書いていませんね。だが、そこが面白いのです。でも本日は、これにて、おさらばを。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます