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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

NHKスペシャル、杉並区の空き家特集、を、2019年3月に、もう一回語る・・・・・酒井忠康、よよ、・・・・・日本には本当の、批評魂が無い

2019-03-30 15:53:41 | 政治

  これは、100%前報(あと注1)の続きです。前報は、政治評論として書いているのですが、私自身が、小説的文章を書くのも好きだから、些末なところへ入り込んでいます。些末というのは、それぞれの登場人物が、あれこれを、展開する、その心模様が、あまりにも、興味深いと、思うからです。なお、初稿を書いてから、24時間が経った、今は4月1日の午前、三時です。下の文章を初校部分だけは、推敲をしました。後、北側順一郎氏と、秋山祐徳太子について、語らないといけません。お待ちくださいませ。

副題1、『ここで、私は、ニューヨーク在住の通称【よよ】と、言う日本人・版画家について、述べないといけない。彼女は、ニューヨークという地の利を金科玉条のごとく、使って、神奈川県展で、入選を繰り返した。しかし、その制作の裏側を知っている私としては、審査員、酒井忠康氏は、そのニューヨークという地名のきらびやかさに、惑わされている人なのだと、見えてしまう。どうして、これを、此処で、書くかというと、NHKが、社会派を装って、報道をした、杉並区の、空き家特集に、最後に、若い女性学芸員が出てきた。あの時点(=2009年)で、CIAエージェントに、協力した美術評論家としては、渡辺幸子さんに、青木繁大賞展の、大賞を与えた、酒井忠康氏しか、考えられないからだ。で、あの番組に酒井氏は、協力をしていると考えるので、此処で、前報の続きとして【よよ】のエピソードを書きたいと、思う。というのも、【よよ】の性格、行動、そして、制作態度、すべては私に言わせると、こずるいと、言う言葉以外、与えられないものだったからだ。で、酒井氏は、物事の、本質を見る目があるのだろうか。・・・・・と、さえ、思ってしまう。というのも、よよは、ニューヨークで、「自分は、酒井忠康氏に、ほめられている」という事を大宣伝しているからだ。

 もう一つ疑惑があるのは、毎日展をつぶしたことだった。立派な作品を選び続け、現代アート系の、コンクールとして、有名だった毎日展を、平気で取り潰したうえで、ご自分は、定年退職後にもかかわらず、世田谷美術館の館長に収まった。世田谷美術館は、今は、独立法人(一種の私立)なのかもしれない。しかし、その立地、及び、建物の建設は、税金で行われている。したがって、実質的には、半分以上、公立だと私は、思って居る。こういう風に、CIAエージェント自身であるか、又は、それらの人物と親しいと、ルール違反で、厚遇を受けると、いう事が、日本全体に広まると、この国は、非常に暗くなる。法治国家ではなくなるからだ。

 酒井氏は、そのお名前からして、江戸時代の、お殿様の末裔だと、思っているけれど、でも、私の目に見える行動は、疑問だらけのものだ。ノブレスオブリッジとは、程遠いものだ。

 ところで、グループICU展には、石塚雅彦さんの、親友として、お医者さんが、いた。ICU卒後、医学部へ再入学してお医者さんになった人だ。ほかの人は、外人記者クラブの会員としては、石塚さんからは、推挙されていなかったけれど、その人だけは、推薦されていた。お医者さんであって、記者ではないけれど、推薦をされていた。外人記者クラブの会員になると、そのレストランが利用できる。おいしくはないけれど、安いし、周辺には、外人ばかりだし、タワービルの上階だから、特権階級になった気分を、味わえる。その人は、頭から、第三文字まで、酒井忠康氏と、同じ漢字を使った名前である。私は、親戚または、兄弟であろうと、思って、其れを、そのお医者さん、ご本人に質問をしたが、否定をされた。しかし、どう考えても、兄弟か、従兄弟だと、思われる。そうなると、鎌倉エージェントと、ICU関連の人々が、結びついたのも、この路線も、そこへ貢献をしていたとなる。

 他に三輪喜久代(ICUで私と同期卒業。新卒の1966年、春秋社に就職。そこで、伊藤玄二郎と、知り合ったと、思われる。彼女は、たぶん、日本化学会の会員資格を持っている。しかも現在ロンドン在住である。したがって、イギリスが、使われる、謀略、例えばスタップ細胞疑惑で、雑誌NATUREが使役をされているが、そこに、小保方論文を、掲載することにあたって、尽力をしたと、私は、見ている)さんと川名昭宣君(ICUで、同じく、私と同期である。フランス留学後、角川書房へ入社、そこで、伊藤玄二郎と、知り合った可能性があり、かつ、伊藤玄二郎が、ポルトガル国の、エンリケ航海王子勲章を、もらう、典拠となった、書物【びょんぶ】を編集し、角川書房新社から、出版した、人物であると、私は、推察している)がいるけれど、酒井氏と、石塚雅彦さんが、結びついているとなると、すべての謎が明瞭となる。

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副題2、『酒井忠康氏と、よよの関係を、私は、超が付くほどに、不思議なものだと、思って眺めていた。というか、はっきり言うと、ニューヨークを出世の道具としている女性を、目の当たりにしたと、感じたのだった』

 よよと、通称で、呼ばれていた女性は、本名を、田中〇代だったと、記憶をしている。しかし、間違って居るかもしれない。私には、嫌いな人に関しては、名前他の情報を忘れがちになる習性があるから。彼女は、ニューヨークで白人と結婚をした。それは、ニューヨークに渡った日本人女性としては、大成功だ。国籍(アメリカではそれを市民権という)他で、便宜がある。しかし、相手は、芸術家であって、お金は、儲けられない人間らしい。私は、【よよ】から旦那の悪口を何度、聞いたことだろう。したがって、サラリーマンでもない【よよ】自身も、貧乏なので、シャルボネ(パリに本店のある有名なメーカー)の版画インクを、薄い緑色、ひと缶しか買っていない。そして、其の鮭缶一個程度の量を、数年間にわたって、自分の作品に使う。どうして、そう言う事が可能かというと、彼女は、年に一作しか作らないからだ。コンクール向けの作品を、一年に、一作、作る。それ以外は、版画を作らない。作家(=版画家)というが、コンクール狙いだけが、目的の日常生活だった。

 しかも、其の・・・・・年に、一作しか作らない作品・・・・・についても、作業は驚くほど、単純だった。幼稚園の子供か、小学生の低学年の子供かというほどに、単純だった。亜鉛版(これは、銅板より安い)の上に、本物のカギを置いて、其れを、鉄筆(版画の世界では、ニードルというが)でなぞると、いう形で、形象を生み出している。しかも、亜鉛版は、たて、8cm 横、4cmぐらいに、カットしてあった。それは、中程度の金属板を買って、大きな作品を作る工夫の一つだった。6000円ぐらいか、それ以下の値段で、買える、60cmX 40cmの亜鉛版を使って、たて、60cm 横 120cmの、大きな作品を作り上げる、手立てとして、そう、言う考えを、練り上げる。

 まあ、頭がいいとは、言える。それと、それほど、貧しいと、言えば言える。貧しいことを軽蔑するわけではないが、彼女の全般的に、こずるい性格が、ニューヨーク一古い版画工房を、つぶしたし、そこが、生活の拠点となっていた、ホアレスと、言う版画家の命を奪った事にも通じるので、『こんな、人間をアゲアゲする酒井忠康氏って、どういう眼力を持っているのだろう?』と、この18年間、ずっと、疑問に思ってきた私なのだった。 

 彼女がどういう部門の大学を出ているかは、知らないが、ただただ、大きな上昇志向を持っていて、それを、ニューヨークという地の利で、実現をしたいと、思っている人間だった。で、はっきりといえば、オノヨーコになるか、草間彌生になることを狙って居ると、言える。それで、こけ脅かしの、大きな版画を、コンクール狙いとして、作るが、年に、一点だけしか作らない。

 ここからは、私の想像でしかないが、よよは、バブル期に、東京で、雑誌の編集者だったと、思われる。雑誌とは、特別に志が高い編集人が、作っている場合を除くと、売るための、策略を、考え抜くフィールドであって、そのためには、購買層を、小ばかにする向きがあると、思う。お客の方を、一段低く見て、ネズミ扱いする傾向の事だ。それは、現在では、マンション販売の世界でも、顕著だが。

 そう言う社会で、育ってきたために、他人を道具として、使う事を何とも思わない人間だった。私の様に、儲けることが、全く必要ではない勤務先である、東大に、務めてきた人間とは、テンから、違うタイプだったのだ。しかし、彼女の方に、礼儀を守るという意識がないので、三か月しか滞在できないのに、その最初の2か月間は、苛め抜かれたのだから、そうとうに、ヘビー(厄介)な相手だった。まあ、原因としては、私の作業ぶりが、いかにも金持ち風だったことが気に入らなかった点にあるだろう。私が携わっていたヘイター方式は、莫大な量で、版画インクが無駄になる。しかも作業台の周辺に、よよが、持っている薄緑色よりは、はるかに高い、赤や、黄色を含めて、6,7缶のシャルボネインクを並べているのだから、それだけで、「あいつ、嫌いよ」と、よよが考えたとしても、無理はない。

 ただし、外人は、私には嫉妬しない。自主性があるからだ。日本人って、どうして、これ程、了見が狭いのだと、思うほど、すぐ、他者を気にする。特にその人間と、自分との上下関係を気にする。

 あまりの、仕事妨害を受けるので、とうとう、喧嘩をすることとなる。その前年に、京都の精華大学を出たという、やす子と、言う女性とブルックリンの美大の大学院で、も、いじめ的妨害を受けたのだった。でも、彼女がその虎の威を借りていた教授の無能により、彼女の方が、仕事ができなくなって、私に援助を求めたくて、折れてきたのだった。しかし、化学方程式を用いて、彼女の、婉曲なる、謝罪と、私への支援を求める気持ちを拒否したので、狂った、彼女は、塩化第二鉄の原液を、床にぶちまけると、言う、真の、きちがい沙汰を起こして、彼女が、その虎の威を借りていた、女性教授の職を奪ったのだった。学生はバカではない。ちゃんと事情を見ていて、真犯人は、無能な教授であると、見ていたのだった。ストライキなど、起こさないが、その教授の、講義を、次の楽器には、誰も、申し込まなかったという形で、その無能な女性教授の職を奪ったのだった。

 しかし、酒井氏は、よよがニューヨーク住まいだと、言うだけで、又、その夫が、金髪で、作曲家だと、言って紹介を受けただけで、コロッと、まいってしまって、よよを高く評価をしており、それをまた、よよは、日本とニューヨークで、使いまくるのだった。そういう風にして、有名人が、できていくのが日本だった。パリは、もっと、近代的かと、思って居たが、パリでも、意外なほど、人的コネが、ものをいうそうで、世界は、古いのだった。世界は、近代化に向かって居るはずなのだけれど、ジャンクリストフで、描かれた時代と、全く変わりはなくて、この世で、いいものが評価を受けているというのが、幻想でしかすぎないことが、とことん、わかってくる。

 ここで、自分のことを語るのを許していただきたいが、画壇での出世を願って居る、渡辺幸子さんには、私のことは、2%も理解できず、「あなた、何やっているのよ。こんな無駄なことに大金をかけて」と、叱責してきた。だけど、私にしてみると、美術界への、幻滅が激しいので、誰もやっていない分野で、あまり、他人の評価が、意味を持っていない、ことをやりたいと、思って居て、このブログの世界で、ものを書くなどという事は、その、楽しい事の方なのだった。書いている内容の題材については、いやな内容だと、思う。しかし、こういう現代日本の、真実を書く事が、他の分野にも、応用ができるスケールとなっているのを信じるのだ。

 だから、私は、銀座で、「終わった人扱い」を受けていても、あまり、気にしていない。オープニングパーティで、ビールをお勧めいただけなくても、気にしてはいない。「そうですか!」と、いつも淡々と受け止めているが、中島三枝子さんみたいに、極端な態度をとる人間については、タイミングを見て、その裏側を書く。彼女みたいな、平凡な人物でも、あれっと、思うほど、面白い話題を拾える瞬間が出て来るのだ。

 人間の醜さの極致が見えるときがある。そういう時に初めて、筆を染める。だから、小さいいじめを、気にしていないので、小さいいじめに対して、反応をしないという態度になる。それを見て、弱いと考えると、ある時に、私から、度肝を抜かれる様な、文章を書かれることとなるだろう。

 本日の文章は、実は画家Aに起因をしている。彼が、先週の土曜日と、木曜日に、目の前に現れて、向こうから挨拶をしてきたので、酒井忠康氏について、上のことを書いた。彼のお嬢さんを近代美術館・鎌倉館に雇ってあげた時代の、館長は、酒井宙康だったので、画家Aが、いやなことをするたびに、酒井宙康氏について、いろいろなエピソードを思い出すのだった。

 彼について、最近書いているシリーズを正しく理解をすれば、私の目の前に現れた義理はないというか、そんなことをしてはいけないのに、彼自身が、おバカさんだからなのか、彼の上にいる、伊藤玄二郎と、井上ひさしが馬鹿なのか、それとも、この山に住んでいる前田清子、安野智紗、小野寺夫人の三者が馬鹿だからか、本当の、ところは、よくわからないが、「彼を動かせば、きっと、雨宮舜(=実名、川崎千恵子)は、自分達に都合の悪い下書き分を公開しないはずよ」と、思って動かしていると、考えている。

 私は小細工は大っ嫌いだ。で、画家Aが、小細工をするので、関連人物として酒井忠康氏を思い出して、書いたというわけだ。酒井忠康氏が、お困りになるのだったら、画家Aに向かって「ちゃらちゃら動くな!」と、柄沢斉に、彼から、お電話をかけておく様に、いっておいていただきたい。ともかく、私の周辺にいる人間が、行う小細工は、すべて、私は、将来、彼らの願いと反対の方向で、文章のテーマとして利用をさせていただくといっておこう。小野寺夫人が山ノ下のある家の門前で、その主人K氏と会話をしていた事も、必ず、利用をさせていただくと、言っておこう。今ではないが。

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副題3、『よよの、やったことは、間接的な殺人だった。ひどい女性だ』

 私は、ニューヨークでは、日本人を相手にして、二度喧嘩をして、二度とも、簡単に勝ってしまった。コツは、現状を正しく、短い言葉で説明をするだけでいいのだった。若い日本人女性が相手だったが、大声を出す必要もないし、にらみつける必要もない。向こうから喧嘩を売ってくる様な、人間は、何と、単純な事であろう。自分のことさえ見えていないのだ。と、同時に、その人間と、私との間の関係性も見えていない。・・・・・それを説明するだけで、圧倒的に勝つ。

 よよのケースを語ろう。電気のスイッチの在る場所を教えてくれないくせに、「あなたが、遅くまで、仕事をするから、私が帰れないでしょう」と、彼女は言う。彼女は、版画工房に、使用料を支払って居ない。使用料を支払う代わりに、午後4時から、夜10時まで、工房の職員として働く約束ができている。しかし、私が、金銭的に、富裕なことに嫉妬をして、アリと、あらゆる、場面で意地悪をしてきて、しかも、夜10時まで、いないといけないはずなのに、早く帰りたいと、言う。

 もし、彼女が普通のレベルでの、日本人芸術家としての、親切を示したら、今から書く様な事は書かないであろう。普通の親切とは、何か?というと、次のカッコ内に書いた様な、説明をすることだ。「私は、先に帰るから、あなたが、電気を消して帰って」と、言い、特別な部屋の、スイッチがどこに在るかを教えてくれたら、約束の、夜の、10時より前に、帰ってもいいのだ。ビルの、ワンフォロアー100坪ぐらいを全部占拠している、古い、大きな版画工房だったので、中では、スイッチが、どこに在るかがわからない部屋もある。特に、郵便局員とか、ニューヨーク市の市の清掃局員が利用する裏側のエレベーターというのがあって、その入り口ロビーは、4畳半は、あるのだけれど、その部屋のスイッチなど、どこに在るか、わからない。というのも、一種の物置ともなっていて、壁にモップ他、いろいろな、ものが立てかけてあるからだった。

 そう言う事を一切説明しないで、ただ、唯、「あなたが遅くまで、仕事をするから迷惑だ」と、言う。それで、私は、「私は、この工房に、月にして、六万円の使用料を支払って居ます。あなたは、一銭も支払って居ないでしょう」と、言った。すると、ぐーの音もでないので、ただただ、膝をがくがくさせ、細い目を吊り上げて、わずかに黒く見えるひとみでは、こちらを、にらみつけて、口では何も語らず、プンプンしながら帰って行ったのだった。そして、私が、ニューヨークにいる間中は、お当番の義務がある筈なのに、二度と工房には現れなかった。

 私が意地悪を言って居るのではない。この人間のこずるさの、せいで、工房がつぶれたのだった。そして、私と同じ年齢の、ペルーから、来た版画家、ホアレスは、私が帰国後たった、9か月後に、飢え死にしてしまった。

 どうして、つぶれたかというと、彼女が、お当番をする代わり、使用料を支払わないで、いいシステムを作り上げ、その当該者として、12人の若手、版画家を指名した。それが、もっとも、ぴんぴんしていて、働き盛り、制作盛りの若手だから、そう言う連中が使用料を支払わないという事は、工房全体に、お金を払わないムードが、蔓延してしまったのだ。そして、工房が、断末魔を迎える時期に、私が毎月、6万円を支払って居たのは、工房にとって、とてもありがたいことだった模様だ。事務職をボランティアという形(無報酬)で、かって出ていた、スーパーモデル(中学生の子供もいるが、超美形ではある。ただし、所長と同じアフリカンだから、手伝って居た)から、私は、信頼をされていて、重い灯油缶(厚い鉄製で、四ガロン入り)を運ぶのを頼まれたりしていたのだった。で、其の100坪が、昔からの契約で、月に12万円の賃貸料で、借りていることも聞いて知っていた私である。

 ホアレスは、この工房があるので、他人の版画を代わりに自分が、摺ったりして、摺師業を行い、それで、基本的な生活をやっとという形で、維持していたのに、此処がなくなったので、飢え死にをしたのだった。気の毒に。私の五冊目の本『黄色いサクランボ』の中には、両方とも、有色人種であったために、複雑な、心模様を持っていた、所長とホアレスの、二人の死に、日本に帰ってから遭遇した、私の、もう、間に合わない気付きと、同情と、悲しみを書いている。ホアレスは、毎日、サツマイモ入りの蒸しパンを持ってきていたのだけれど、あれをおやつだと、認識していた私は間違って居た。あれは、彼の主食だったのだ。

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副題4、『そう言う私も、日本では、リアルな世界では、喧嘩へは、持って行かない。質問をすることはあるが、NHKへ、番組について、異論とか、批判に近い、質問を投げかけたりはしない』

  上で、私は、ニューヨークでは簡単に喧嘩に勝ったと、言って居る。私は、小さいときから、兄弟の年が離れていたので、兄弟げんかをしたこともないし、友達も、500メートルは離れたところに住んでいたので、喧嘩というものをしたことが、なかった。しかし、やってみると、非常に簡単であって、勝てるという事を知った。

 しかし、そう言う私も、この日本では、すべての、場合、自分が負けるという形をとって、その場を去る。どうしてかというと、日本は、人口密度が高いので、どこかで、誰かが、つながっていて、結局のところ、勝負で、勝ち負けが付かないところがあるからだ。勝とうと意識すると、結局は負ける。それは、私に限らず、すべての人に当てはまる。らしくて、其れを三すくみの法則という。

 で、杉並区の空き家特集という、見事にカモフラージュはされているが、員実としては、完ぺきに、私をいじめることが目的な、番組が、放映をされたって、NHKに、文句を言うわけでもない。だが、あまりのことに驚いて、高橋和さんには、電話をかけた。

 私が、1990年以来の、公募団体展生活で、知り合った作家の内、もっとも、人格が高潔で、しかも美術的才能も高いと信じている人が、高橋和さんであり、その人に、電話をかけた。猫新聞が毎日新聞に、全面広告を打っていて、其の第一面に高橋和さんが、普段発表をされている抽象画とは違う、分かり易い猫の絵を掲載していたので、驚いて、電話をかけたのが、最初の、きっかけであって、それ以来、猫スキ同士画としての話題が、いつも交わされていたのだった。電話番号は、私も出品をしている公募展(=女流展)の、中に、委員として出ている人だから、調べるのは、簡単だ。

 それが、盗聴をされていて、やがて、高橋和さんが、ギャラリーアーチストスペースで、個展をする様になる。それで、私は、何故、北側さんが、その恐ろしい番組に協力したのかが、わかってくることとなる。北側さんは、恵比寿住まいで会って、秋山祐徳太子も、恵比寿住まいだった。そこで、秋山祐徳太子という人物が、大きく、前面にせり出してくることとなる。

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尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5239916です。 

 

後注1、

貴景勝VS琴奨菊、mediaが上げたり下げたりする度合いは何ゆえに違う?、指原いく子、山寺重子、嶋田員子、国展審査風景は、まっとうか否か?

2019-03-28 21:19:48 | 政治

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