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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

公募団体展では、会員でないと犬扱いです。 現在推敲中

2012-06-08 01:42:50 | Weblog
 皆様、これは、公開からすでに、30時間がたっておりますが、やっと、推敲を始めます。間を空けたのは外出があったということもありますが、内容が汚さという意味では、どっしりと濃いので、自分の心を整える時間が必要でした。リフレッシュする時間が必要でした。
 推敲をすることによってさらに、わかりやすくなるのは通例と同じです。未熟な段階でさらすのも、それが、妨害を受けるので、そうさせていただいているのです。が、それも通例と同じです。
 そして、その最先端は、@@@@罫線で示します。推敲だけで、4,5時間以上がかかる可能性もあり、日曜日の夜に完成しますと、申し上げさせてくださいませ。

副題0、『二日目の、前置き』
副題1、『本日(=初稿を書いた日)の前置き
 ・・・・・特に、武庫川女子大付属高校の無知さと、
    小宮山厚生労働大臣の発表について・・・・・』
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副題0、『二日目の、前置き』

 最初にお断りをさせていただきます。今章の主人公の名前を、糸山育子さんとしていますが、糸で始まる有名な画家が他にあるので、名前を変えさせていただきます。これは、すぐに、そうしたほうがいいと思ったのですが、30時間ほどパソコンをタッチできなかったので、今から変更をさせてくださいませ。
 糸を名前の冒頭に持つ女流画家は立派な方で、この章の主人公より、20~30歳は年上の方です。ただ、同じ画廊で、個展をされる方なので、ふっと、潜在意識の中に、その漢字が紛れ込んでしまったのでしょう。

 で、新しく、その当該画家を、佐渡山さんと、命名させてくださいませ。これから、それを使って、推敲をしていきます。すでに、1万字を超えていますが、多分、二万字近くなるでしょう。では、完成をお待ちくださいませ。

副題1、『本日(=初稿を書いた日)の前置き
 ・・・・・特に、武庫川女子大付属高校の無知さと、
    小宮山厚生労働大臣の発表について・・・・・』

 子宮頸がんワクチンのことの続きを書かないといけません。ところが、今、頭を占めているのは、まったく違うことなのです。
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 この一文を8日(金)の早朝に上げたわけです。その前は、6日(水)の深夜というか木曜日の早朝に、子宮頸がんワクチンが不妊を招くという文章をあげて、続きますといっています。

 すると、8日午後零時のNHKニュースで、小宮山厚生労働大臣が、がんの撲滅を政府が目指して、何とか、かんとかというニュースを発表しました。『おー、いやみたらたらの先手を打ちましたね』と、私は感じます。

 だって、その中に、現在は20%である喫煙率を、12%まで、引き下げる数値目標を設定すると言っていましたから。喫煙者いじめは、ひどい人権侵害です。それも、受動喫煙で肺がんになると、脅かしながら。・・・・・と、私が言っていることに対する、反論を政府上げてやってきたというわけです。
 となると、私の文章はますます正しいということとなり、

 子宮頸がんワクチンを少女期に投与されると、不妊になるというのは、正しさにおいて70%に近い率で、正しいということとなります。ただ、不妊になる女性が70%という意味ではありません。そこは、医学界でもまだ、系指された数値は出ていないと感じます。

 でも、私はあの続き=後編として、武庫川女子大学付属高校の恐ろしい間違った選択については述べるつもりで、学園のトップが無知であることにも驚きましたが、その上、文部科学省が、かんでいる可能性も感じました。
 企画そのものは、例の残間里江子さんあたりが、誰かの教唆を受けた上で、セッティングした可能性はありますが、場所を選び、その学校を説得したのは、文部科学省である可能性が出てきました。

 でないと、小宮山厚生労働大臣(+民主党の内閣)が、かくもすばやく反応するわけがないのです。原初のアイデアは、例の鎌倉エージェントたちでしょう。伊藤玄二郎とか、井上ひさしとか、木村某氏とか、彼にかんでいる東京住まいの、MI氏とか、・・・・・なのでしょうが、それらの人材は通々で民主党政府の言うことを聞かせられるというわけです。
 
 が、私の文章(=前篇)程度まで、ことの裏側がばれたら、自分たちに火の粉がかかってくる(ということは、真実のアイデアマンとして、自分たちに、責任が押し付けられる)恐れさえ出てきたので、ともかく、武庫川女子大付属高校を動かしたのは、政府だと、言っておきたいわけでしょう。

 武庫川女子大付属高校に、今生徒を通わせているご父兄や、これから、入学させようとなさっておられる、ご父兄はご用心、ご用心です。こんな無知なトップを抱えている学園に通わせていたら、たちまちに、2000万円ぐらいを投下して育てた大切なお嬢様が、傷物になってしまいますよ。孫の生まれない女性になったら、最高レベルのご家庭との、お見合いなんて辞退をしないといけなくなります。恐ろしい、恐ろしいことです。
 なお、この部分は後編を書くときに、もう一回詳述します。
で、元へ戻ります。
 ところで、今、各種ウエブサイトニュース、および政府広報、および、朝日新聞の記事を検索したところ、この小宮山大臣の発表は出ていませんでした。NHKの金曜日の午後零時のニュースで私は見ただけです。となると、これは、まさしく私狙いのニュースですね。政府は、実行するつもりもないアドバルーンをただ、あげただけとなります。
 で、私のほうはどうするかといえば、ますます、『自分の書いたものは正しいのだ』という自信を深めるだけとなります。

 なお、この部分は土曜日の新作として独立してあげましょう。では、その処理をお待ちくださいませ。
@@@@@@@@
 それは、人間が、素を見せてしまった瞬間の話です。ある個人が、失敗をした話です。ただ、無邪気な失敗ではありません。影に出世と階級という問題があります。それも美術界におけるそれ。私は世捨て人みたいなものですから、出世はあきらめているわけです。

 それに、美術の世界に、階級があることがそもそもおかしいと思っています。が、無論、才能の別や人気の別で画家にも階級は自然にできるのですが、組織作りの上手な日本人は、団体展という形で、絶妙にして強固な階級制度を作り上げました。大体、3段階に分かれています。

 一般入選者、が、最下等で、会友、会員と、あがっていきます。会員にさせるべき、人材が豊富で、困ってしまうときは、この階級が四段階に増えたりします。

 最近の私は実名主義ですが、
 今回だけは、ことがあまりにも汚いし、自分が、活動をしている世界でもあるので、仮名にして、しかも小説形式にさせてくださいませ。

 主役というか、事の観察者にして、お話をまわす人間は、村岡百合子です。
第一話。第二話、第三話とあるのですが、また、途中で、書き抜けないうちに他のテーマが入ってきてしまうかもしれません。それは、恐れ入ります。

副題2、『実力者の推薦を得るための、媚と、追随』

 百合子が、ギャラリーサカベに入ったときに、画廊は赤で満ちていた。油絵の具は、鉱物の色で、名前がついているが、これは、カドミウムレッドというもので、場合によってはイタイイタイ病などの原因にもなる赤だ。

 全部が、8号というサイズ。すべてに赤が使ってあり、それは、本日の主役糸山育子が、上司である、山重照子女史に媚びていることを示していた。絵がそっくりである。抽象画というのは、形がないので、盗作とか剽窃と言われることはないが、それでも、似ているものを創作するのは潔癖な人間にはできないことである。形がないし、ある意味で単純であるからこそ、オリジナリティに対する潔癖さは、自分が、堅持しないと際限なくだらしがなくなってしまう。
 画面全体を赤で埋め尽くすのではなくて、一部に、破調というか、なんというか、別の色が、交じり合った部分があって、それも最近の山重照子女史の絵とそっくりである。

 山重女史は、画家を会員にさせられる票を、10票近く持っている実力者で、かつ政治力があるので、他のプチボスたちと連携して、『今年は、私が推薦する、若手を、会員にさせて、来年はあなたの推薦者に私の票を差し上げるわ』というような会話も影で交わされているらしくて、隠然たる力の持ち主ではある。が、女性だ。美人だが、単なる主婦だ。どこそこ美大の教授というわけでもない。それでも、10票前後の数を支配しているということは、いじめという技術に長けているからだ。
 彼女が、自分の支配力をより効果的にするために、ターゲットを選び、それをスケープゴートとしていじめるやり方といったら、ただ、「あのひとが」というだけで、誰もが、誰のことをさし、何をこれから語るのかを知っているという風情だった。銀座の画廊の応接間のソファー、または、カフェで、40歳前後の、女流画家たちが、「あの人が、云々、かんぬん」と言っただけで、誰のことを指すのかが、わかり、それがまた、うわさとして流れるというぐらいだった。

 百合子は、本日の主役、糸山育子が、見え見えの赤を使ってきたことで、『なりふりかまわぬ、割り切り方だ。だけど、それが、また合図となって、山重女史を恐れている、事なかれ主義の画家たちが、糸山さんを、会員にするのに協力をするということなのだろう』と、感じる。

 が、百合子は、無論、自分自身は、そんな流れに、乗るつもりはない。本当なら、バシッと、「媚びているのね」といいたいぐらいだが、育子と同じ団体である『刻画会』の内部の上下関係から考えると、人間扱いを受けない段階の一般入選者だから、何を言っても相手が受け付けないだろうし、それでも発言するのは、単にピエロになってしまうので、ここは当たり障りのないことしかいえないのだ。・・・・・と、それは、胸に銘記している。

 全部八号だ。が、右から、順々に丁寧に見ていく。一部分赤ではないところがあり、そこにどういう工夫がなされているかが、注目の場所だ。そこを仔細に見ることによって、同じ割り切りで似たものを作っていても、単なるやっつけ仕事なのか、頭や体を使って、入れ込んで、創作しているかが、見えてくる。

副題3、『品のよい男性が、相手をしてくれる』

 百合子が丁寧に、真剣に絵を見ているときに、主役の育子さんは、誰かと話をしていて、「いらっしゃい」とも言わないのだが、それを申し訳ないと感じたのか、相手をするために、近寄ってくる男性がいた。「どういう風にお考えになります」と、腰を低くたずねてくる。

 百合子は左肩越しに振り返って、その男性を眺めてみた。めがねをかけて、やせている。年恰好から、ご主人だろうと判断する。育子さんが小田原に住んでいることを思い出した。『小田原には大企業としてはフジフィルムがあるな』と、内心で思う。『この男性はそのフジフィルムなどの大企業に勤めている技術系で、研究職であろう。他の部署で言えば、課長さんぐらいかな? ともかく、顔に表情がある。いい人だ』とも思う。
 奥さんの育子さんのほうは、常に仏頂面というか、表情のない人だ。目が細い一重で、白目も黒目もはっきりとは、こちらには見えない。感情というものを感じさせない。それに比べると、やわらかい、やさしげなムードがある。幸せに育てられた、いいところのお坊ちゃまだろうと思う。『糸山さんは女史美卒だから、これはお見合い結婚ですね』とも思う。

 そこまで、観察をした上で、ふと心が和んできた。どうしてかといえば、百合子も化学を専攻したし、父親も満鉄時代は、研究所勤務だったし、妹も弟も、技術系の学問を専攻していた。
 そして夫は、日産自動車の研究所勤務だった。カラーが同じ、においが同じなのだ。人間としての種族が同じである。だから、警戒心を抱かなくてもいいし、安心できるタイプなのだった。

 それで、「○△□×○△□×○△□×・・・・・」と話し始めた。すると、一分もしないうちに、左側から育子さんが、飛んできて、左手を背中側で、ひらひらとさせた。

副題4、『はい、画廊から、犬のごとく追い払われました』

 それは、育子さんが、百合子には見えないと思って、夫に指し示したサインだった。『いいのよ。この人なんか大切にしなくたって。相手にしなくたっていいのよ』と言うサインだった。

 しかし、育子さんが思っていた角度は、ある程度以上に間違っていて、見事にそれが、百合子には見えた。つまり、三人は、ちょうど正三角形をなす角度で立っていたので、育子さんの背中側は、百合子には丸見えだったのだ。

副題5、『喧嘩をするべきか、否か? 抗議をするべきか、否か?』

 驚いた。無論百合子は怒った。百合子は横浜国立大学付属中学時代に、神奈川県で行われた、統一テストが、全科目正解で、したがって神奈川県一頭がいい子だと先生に言われていた。入学式も総代で、卒業式も総代だ。そして、その当時、自分より成績が下だった級友が、10人も東大に入っている。
 高校は、お茶大付属高校だ。そこは、神奈川県からは、毎年一人ぐらいしか入学できない。
 そして、1962年のICUなど、東大の学生新聞が、『東大に入学するより、ICUに入学するほうが難しい』というほどの大学だった。そして、仕事は東大に勤務して、助手だったのだが『寿退職しなければ、将来はきっと東大の教授になれる。この科目の卒業生でもないし、東大卒でもないが、成れる』と、当時の教授から言ってもらっていた。プライドはものすごく高いのだ。女子美卒ごときに馬鹿にされてはなるものかと思う。

 だが、育子さんの頭の中には、百合子の卒業大学など、まったく入っていないだろう。彼女の頭の中は出世のことしかない。それに、役に立つ人間のことしか知らないはずだった。だから、ここで、喧嘩をして「あなた、失礼ね」といったところで、彼女が反省するわけもなかった。

 それに百合子は大体が、喧嘩ができないタイプだった。妹が七つも下で、その下の弟は、さらに、6歳離れて生まれていて、兄弟げんかなどしたことがなかった。そして、子供のころは『隣のトトロ』みたいな家で、ご近所がまったく無い家に住んでいた。

 それに、大体が、エリートコースを歩んだから、小学校の4年ごろから、品のいい友達ばかりまわりにいて、喧嘩などする必要が、なかった。
 百合子が、
 ピシッと口で喧嘩できるようになったのはニューヨークで版画の仕事を邪魔されたときからだ。あれは、観光ビザ限度いっぱいの三ヶ月という期限があったし、専業主婦である自分が、家族を放ったらかしにして、ニューヨークへ來ているという後ろめたさもあったので、絶対に効果の上がる仕事をしないといけなかった。それなのに、元からニューヨークにいる日本人女性たちに、女性特有の嫉妬で、いじめや妨害を受けたから、よい仕事をするために、口げんかした。そして、圧倒的に勝ってしまった。信じがたいほど簡単だった。喧嘩なんて、非常に簡単なものだった。
 相手の行動を、分析して、ただ、それを相手に告げればいいのである。1999年もそうである、2000年もそうである。
 それ以来、自分は、ちっとも弱くないのだ。相手が動物レベルで来るのなら、こっちも動物レベルに自分を落として、戦ってもいいのだと思っている。

 ところで、そのときのギャラリー・サカベでは、相手の育子さんにとっては、百合子はしがない一匹の犬でしかないのだ。手のひらをひらひらさせて追い払う、犬でしかないのだった。だから、動物扱いをされたわけである。徹底的に動物となって戦ってもいいではないか?

 どうしてか? それは、日本だからである。日本に住むというのは、期限がない生活を指す。ニューヨークで喧嘩をしたのは、期限があったからだ。期限がなければ喧嘩はしない。ただ、黙っている、我慢をする。しかし、我慢しきれないほどの屈辱だったので、文章には書く。そして、どうして、糸山育子みたいな女性が生成するのかは考える。
 ボーボワールの書く『第二の性』ではないが、ある人間的な特質は、ある社会が生む。

 糸山育子の態度、・・・・・つまり、出世のためならある一個人の尊厳を犬みたいに踏みにじっても、何も恐れない。反省もない。そう言う態度を生む制度が問題なのだ。それを考え始める。

副題6、『上野駅で、対抗方向から出会ったが、何も謝罪がない』

 刻画会の主催する『刻展』の初日はほとんどの関係者が上野公園に来る。これは、2003年までの話。百合子は1991年から入選し、2003年まで出品を続けた。その5年ぐらい前から、『やめたい』と思っていたが、それは無論、糸山育子さんのひどい態度から、考え抜いて、その態度を生んだ制度が、構造的に変革不可能だと見たからだった。

 だけど、なかなか、やめられない。それは、一種のやくざチックないじめの気配があるから出ると怖いということがある。まったくもって大変な世界だ。
で、その構造的な問題に触れないといけないのだが、その前に、少し、小説的な、センテンスを続けさせて頂こう。

 で、初日の夕方から大パーティがあることを知っている。会費は一万円だが、精養軒でも、立食としては、なかなかの料理が出る。それは、総勢が、700人程度であり、総額が高いパーティだからであろう。
 で、午前中から出て行くと疲れるのを知っていて、午後から出て行く。

 上野駅構内で、品がよく親切な会員の人とであった。百合子は版画もやっていて、その人は版画部だった。版画部には、山重さんのような陰険なタイプはいないので、ずっと明快である。心理的に健康である。そして、その紳士は地方在住なので、余計に、独立した考えを持っている。東京にいると山重女史の毒牙からは、自由になれない可能性があるのだ。

 上野駅の公園口を出る。文化会館を目の前にした交差点で、赤信号を待っていたときだ。対抗方向に、糸山育子さんが、母か叔母かと思われる二人のシルバー世代の女性と立っているのを見つけた。
 間が、8メートルぐらい離れているが、その表情ははっきりと読み取れた。

 『間が悪い』というのでもない。いやな人に出会ってしまったというのでもない。ましてや謝罪しなければというのでもない。ただ、ただ、あのことがばれてしまったかどうかを知りたい』という探索の表情が内部に秘められている例のごとくの、無表情だった。(笑)
 その、白目も黒目も定かではない細い目が、じっと伺う表情を見せながら百合子を注視していた。

 百合子はすぐそれがわかったので、あえて、何も怒りの表情を浮かべなかった。別に無表情を作ったというわけでもないが、平静である普通の表情を保った。だが、その後のギャラリー・サカベの態度を見ていると、すでに、百合子が怒って、一切の事情を文章に書いているのは通々で、通じているようだった。

 特に、ある画家に、このエピソードを話しているので、そこから伝わっているのが推察された。で、糸山さんは、知っているはずなのに白を切り続けるつもりらしい。
 信号が青に変わった。すると、糸山さんは、百合子側を通って駅に向かうのになんと、百合子には声をかけず、百合子の右側に立っている版画部の会員である紳士にだけ、声をかけて挨拶をした。『○○先生、お久しぶりでございます』と。こういう場合は、定型的に書けば、百合子を無視して、遠くの男性にのみ声をかけたという形の文章になると思う。

 だが、彼女の目だけは、百合子をあくまでも注視し、そこに現れる一点の、怒りでも、見逃さないぞといっていた。だから、表情の上では、まったく怒らないでおいておいた。だが、内心は驚きと軽蔑でいっぱいだった。

 だって、百合子は洋画部で、糸山さんと同じ、所属だった。しかも、版画部にも出品していたから、どちらかといえば、右側の紳士は、百合子のものだった(笑)。どちらかといえば、百合子のものだったというのはいかにも子供っぽい表現だが、他者を犬扱いにする糸山さんを分析する文章だから、品がなくなるのも、幼稚に堕してしまうのもお許しを頂きたい。

 これを仮名にして、小説仕立てにしているのもまさにそこに原因がある。あまりにも幼稚なのだ。あまりにも動物的なのだ。そして、見事に糸山さんは会員になっている。おめでとう。笑っちゃうけれど、おめでとうといっておこう。

 一時期は悩んだ。そう言う風に生きるべきなのかと。今はまったく悩まない。あの人たちはあの人たちだ。ご苦労様。出世主義三昧で遅らしあそばして・・・・・その影である人を廃人に追い込んでおいて・・・・・それをまた、NHKがおそろしくも番組にして・・・・・と、どんどん、続くのだけれど・・・・・・

 ここで、廃人になった人はプライドが高いし、百合子よりずっと大きな実績がある人なのに、審査で落選の憂き目にあったことがあり、それで、ノイローゼが昂じたと、言われている人であり、
 その人の家を写す形で、空きや特集というのを日曜日にやったことがあるのだ。ひどい番組だった。入院しているので、家が空き家になっているのだが、その番組は別の目的があったと思われる。諜略活動の一種として、その番組は作られた。

 ともかく、団体展の構造的な忌まわしさに論理的に触れる前に、もうひとつエピソードをあげよう。今度は男性が主役だ。

副題8、『事務所、担当者には、謝礼が出るのです』

 公募団体展というのは、審査の必要な段階の人も、会員も、すべて、展覧会のある時期には、お金を出す。刻展の場合、一万八千円だったと思う。百合子のように版画と油絵と、二重に出している人間は、3万六千円を払うのだけれど、会場費の該当分が、少なくなる仕組みだったかもしれない。

 700人が、上は、5万円ぐらい負担をしていて、平均二万円を出すとすれば、それだけで、1400万円になる。落選した応募者が、総勢500人いれば、それも、1000万円ぐらいの収入にはなる。

 刻画会の場合事務所として、立派なマンションを借りていた。今は知らないが2000年までは、上野の1DKを借りていた。そして、そこに、三人の人が働いていた。主役に30万円、お手伝いに20万円払っても、1000万円以内で収まるから、十分に運営できる仕組みである。
 主役は、画家である。トップのお気に入りとしてお覚えがめでたい人なのだろう。ずっと変わらないと、記憶している。

 そのそばに名前が外に出ない、女性が、いる。関係者のお嬢さんか妹さんと思われる、品がよい人。そして、百合子が訪問をした日には、別に男性の画家が手伝っていた。

 百合子の訪問の目的は、過去の図録を見せてほしいということだった。刻展は、その時点で、70階を越えており、それは、事務所には保管をされているはずだった。百合子が、入選をしていたのは、その件で、事務所を訪問した時点では、まだ10年いないであり、もっと古い図録を見せてもらいたかったからだ。

 さて、ベルを押して玄関が開いたときに、チラッと次の部屋、(つまり、窓側の奥の部屋)が見えた。壁には書棚がぎっしりとあって、『おお、よかった。用事が足りる』と喜んだ。そして同時に、部屋の真ん中に白木の大きな作業用のテーブルがあり、その真ん中に、大皿に盛った30個以上のおみかんの山が見えた。誰か偉い人の、差し入れだったのだろうか。単にお店から買ってきたのだったら、あれほどの量をいっぺんに買うのは、お金の無駄遣いというものだけれど。それは年末で、これからお正月に向かうのだから、そこにおいておいても腐るだけだった。

 ところで、その作業台の上には、他には何も広がっておらず、百合子が訪問をした直前には、三人が、何もせずに談笑をしていたのが察せられた。

 が、それは、百合子が批判すべきことではない。その日は、12月の27日のしかも午後だから、何も作業がなくても、いいのだ。年内の予定の仕事は、来春の応募書類を、関係者に郵送することであり、それは、百合子の元にも届いていたから、すでに処理済みで、それでいいのだ。天才バカボンのパパではないが、『それで、いいのだ』の世界だ。

 しかし、過去の、図録を見せてください』と頼むと、見せられないというので驚いた。「何年の分か、口で言ってください。出してきますから」と主役が言う。驚いた。奥の部屋の書架に収まっていると思うが、自由にある絵だけを順番に、30牧ぐらい見たいのだけれど、そのためには奥の部屋に入り、作業台に図録を載せて、見る必要がある。
 しかし、それをさせたくないのだった。

副題9、『小心者だから、上からかわいがられて、出世が、できたのですね』

 それは、12月の27日の午後という時間でも、遊んでいたことがばれたら大変だという小心さの現われだった。

 もうばれているし、いまさらつくろったってだめですよ。それよりもざっくばらんに、「他言しちゃあだめですよ。」というくらいのほうが人間的であり、・・・・・

 無論、百合子は、その机を使って、十分な仕事ができていたら、こんな文章は書かないだろう。かばってあげるさ。だが、さらに恐ろしい事態がやってきた。図録は数冊出てきたのだけれど、メモを取る場所がないのだ。台所に当たる部分には、書類が入ったジュラルミンのケース、他の雑多な書類類が山のように氾濫していて、水平な場所がない。

 だからメモを取るためには、一メートル四方もない玄関たたきにしゃがんで、ひざの上でメモを取るしかなかった。ひどい待遇だ。図録を見せてほしいというお客に対応することが事務所の任務だと思う。給料がいくらかは知らないけれど、任務を果たしていない。どういう人間なのだ。と顔をよく、よく眺めた。色白の丸顔で、めがねをかけている。覇気も勇気もなさそうな顔だ。ただ、上の人の顔色を伺うタイプだった。

 『これで、画家なんですか? そして、人気と伝統と実力のある刻画会の会員なのですか? それから、もしかするとあなたって芸大卒? 芸大って、こういう教育をするのですか?』と内心でうめいたが、無論喧嘩をしない百合子は、それを口には出さない。

 百合子は思う。『30万円では利かないレベルのお金をもらっているのかしら。だから、一時間でも遊んでいたことを見られたくないのですか? あなたね。人間の頭脳を、知りませんね。一瞬ですべてがわかるものなのですよ。あなたがどういう心境にあるかなんて、一瞬でわかるものなのですよ。

 しかも、今、論文を書くために、訪問をしていますといっているでしょう。だから、私が文章を書く人間であることもすぐ推察しないといけませんよ。こんなみっともないことをして、それを実名で書かれたらどうするつもりなのですか? 40万円の月給をもらっていても半分以上遊んでいたと、筆先鋭く誇張をされて書かれたらどうするつもりですか?』と、も、思った。

 画、一方で、こんな調子ではお正月明けに来ても、しんせつにへん化しているわけもない。今日が勝負だ」と思って、「コピーをしたいので、コピー機を貸してください」というと、「貸せません」だという。

 百合子は青筋が立ちそうだった。だが、我慢をして遠くにあるコンビにまで出かけていった。100万円以上は根が張りそうな立派なコピー機が合ったのだけれど、使わせてもらえなかった。驚いた。

 さて、こんなひどい扱いを受けて、これが、現代のにほんであろうか? 
 これがエリートと呼ばれる人の姿であろうか? と、悶絶船ばかりに驚いた百合子だった。

副題9、『なぜ、この二人を仮名にして、他の人は、実名を書いているのか?』

 そこなんですが、他の人はたいてい、政治に絡んで、教唆をされて、行動をしています。気の毒な一面もあるのですが、それでも、実名で書くのは彼、彼女らに教唆をした人間を憎むからです。
 それらは、陰に隠れています。だから、それらの真犯人に到達したいから、表面に現れて、実行をした人の実名を書きます。

 しかし、今日、登場した二人は、政治にはあまり関係がありません。そして、他のケースのように練り上げられた脚本に基づいて行動しているわけでもありません。とっさの行動だから、その人間の本性が現れています。

 ものすごく汚い本性です。信じがたいほど汚いです。ですから、実名をさらしません。あまりにも汚いので、<よくいわれる、筆が汚れてしまう>からです。汚い。汚い。性格と人間性を持った人々。それが、威張っているのが現代の公募団体展の世界です。

 こうぼだんたい展が、内包する矛盾についてはまだ、書いていませんが。

あさっての9日(土)に校正をいたします。
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