前報ですが、間違いがあったようです。イーリアスの冒頭に出てくる王様の名前は、アガメムノンではなくて、メネラーオスでした。また、サド侯爵は、公爵になっていたかも知れません。それはお侘びをいたします。
今日のも、政治を分析をする事を目指す文章です。
大原さんに『ワインが割れて、惜しかったねえ』と言われて激怒した23日にあげた話の続きです。彼には激怒しましたが、同じようにいやみを言われても、それほど、激怒しないケースもあります。石井夫人が「かわさきさん、何、見てるのよ。また、猫逃げたの?」といったときには冷静に対応できて、「違うわよ。木を見ているのよ。きれいでしょう」と切り替えしました。予定とは違う答えが返って来て、彼女はきょとんとした感じでした。が、それ以上は突っ込んでこず、さっとお出かけしていきました。
私が石井夫人に対して、怒らないのは、彼女の自然な感じを好のましいと感じているからです。この山で家族間の交流が、もっとも自然であると感じます。肝っ玉母さん風で、気取らない彼女を中心として、四世代が集まっていて、喧嘩もあるだろうし、子どもを叱る事もあるだろうが、『ニッポンの家族、ここにあり』と言う風で、本当に自然なのです。
比較して、大原家の家族関係は不自然です。実は、大原家も、親子関係が、養子であり、実子ではないのですって。それはごく最近、偶然に知ったことですが、それを、聞けば『なるほど、納得』と思えるのですが、25年間それを知らなかったので、『どうも、変だなあ。ちょっと虚偽があるのではないかな』と思い続けてきました。
しかし、転居して一週間以内に『あそこは、実の親子ではない』と気がついた安野家に比較して、大原家については、教えてくれる人が現れるまで25年間も、それに気がつかなかったのは、それだけ、大原家は他人に迷惑を掛けていないと言うことです。
どうして、大原家が『不自然だ』と感じたかというと、お嬢様をあまりにも甘やかしすぎるのです。すでに高校や大学生なのに、駅まで迎えに行く。それがインテリで上流階級を自認しているご家族にしては、変なのです。だけど、養子であれば、おばあちゃん(つまり養母)にとって、一番かわいい存在であるお嬢さん(孫)中心の家庭となりましょう。
出産をした事のない、上品で華奢な医者の未亡人であるおばあちゃん。そちらにとって、生まれたときから傍にいて、抱いて寝かせたこともあるお孫さんは、信じがたいほど、かわいく思われたことでしょう。その愛情が、一家の結びつきの原点となったと、今はわかります。でも、それが、普通の家なら現れるであろう嫁姑の葛藤を、隠したり抑えてたりしている技術のように外から、見え、『うそっぽいなあ。無理がある見たい』と思っていたのです。
でもね、お嬢さんは、ちゃんと育ちあがりましたよ。特にお父さんを批判しているそうですから、それは、彼女が賢い事を、証明しています。そして、これからずっと先まで、自分の子を育て、夫を支えて行く事が出来る事を証明しています。スポイルド・チャイルドにならずに、育ち上がったと言うことです。
と言うのも、あの家庭で、最も強い人間はお父さんなのですが、それを、お嬢さんはきちんと分かっているからです。上品で、小柄できゃしゃな、おばあちゃん、それから、同じく上品だけど、ちょっと、ふくよか度が高いお母さん。そのどちらに、当たっても、暖簾に腕押しでしょう。人間としての力が、この二人の女性の方は、弱いのです。
お父さんは、自分は、お母さんに反抗した事はないでしょう。ご養子なら当然ですね。で、礼儀と愛情の極地を与えて育てたはずのお嬢さんから、反抗されたり批判をされたりすると、『どうして、こうなっちゃったのだろうか』と不満や迷いがあるようですが、これがあそこの家庭では、最上の形なのです。そして革新の風が吹き、本当の家族になっていくでしょう。
さて、大原さんのご家庭への現在の私の分析を終えて、道すがらの捨て台詞に激怒したというその当時の話に戻ります。
私は自分が、口げんかも強い事を二千年にニューヨークで発見しました。
しかし、この山で大原さんを相手にそれをやっても、前田家や安野家を巻き込んだ数の論理で覆されるでしょう。で、文章にしました。
その上で、発表前に電話をしました。彼のことを悪い人ではないと思っていた歳月も長くて、その時代の仲良しぶり(私が絵描きで、彼が美術評論家の役割を担って、我が家の庭で、私の絵を題材に、研究会を、三週に一度ぐらい開いていたこともある)を思い出せば、躊躇するものもあったからです。
で、最初の話として、「大原さん、あなたが先日、石段で、おっしゃったことはひどいことなのですよ。お分かりですか」と私がいいますと、
「・・・・・」と無言の大原氏
「それは、文章で、あらわすととてもはっきりするのですけれど」と私
「・・・・・」とさらに無言の大原氏
ここで、実は、私は、彼の謝罪の言葉を待っていました。
「あ、そうですか。それ、気がつかなかったなあ。ごめんなさい」とでも、言ってくれれば、それで終わりだったのです。それこそ「大原さんは軽い人だ」で、終わったでしょう。
ところが思いがけないことに、
「いいですよ。書いても、ただし、本名でなければ」と言う返事が返ってきました。
みなさん、これは、悲劇です。大原さんの態度や心変わりは、ひとえに、国際的軍産共同体の瀬島龍三が企図した案に乗って起こりました。でも、彼らは一種の悪魔なのです。大相撲壊滅作戦ひとつをとっても、禁煙運動ひとつをとっても、電車遅延多発騒動をとっても、国民大多数を苦しめる行動でしかないのです。それに揺らされて、大原さんと私の、アートを中心とした純粋極まりない、関係は失われたのです。
ともかく、このせりふは、他人から、おしっこを顔面に引っ掛けられたも同然の措置です。よく心理学で、カタルシスといいますでしょう。それはギリシャ語で、「大便が排泄された」という意味だそうです。大便が排泄されると、誰もが、ほっとしますよね。特に便秘だったり痔だったりしたら。
大原さんは、ご自分が鬱屈したものを抱えている人です。深奥部には、怒り、悲しみ、恐れ、うらみがあり、それらが、『上品な家庭を築き、それを守る』という縛りの中で、抑えられきっている。お母さんと奥さんを仲良くさせるために、気を使い切っていて、そこにエネルギーをとられて過ぎている。だから、外へ働きに出る気力が出ない。
そして、いつの間にやら後戻りできない年齢になっていて、どうも、そのポイントでお嬢さんに批判をされている。お嬢さんは「お父さんも、普通のサラリーマンみたいに働いていて、ほしかった」とおっしゃっているはずです。『画家っていう最高に格好がよい立場に安住しているけれど、それは甘い』ということで批判をされているはずです。それは、年齢的に挽回できない部分だから、辛いことですよね。
お嬢さんは幸いというか、・・・・・反面教師としての父から学んだというか、実学の世界の人と結婚をされました。数字を扱うひとです。大まかに言えば、経済畑の人です。
「ワインが割れて惜しかったねえ」は、そういう家庭内の矛盾を、一気に晴らしたせりふでしょう。『やったー。かっこいいこと言っちゃった。今のせりふ、切れがあったと思うよ。気持ちいいー』というのが彼の本音だったと思います。そして、彼は認めたくないでしょうが、潜在意識の中にあった、嫉妬の感情を復讐的に振り払ったのです。
私には、父親の遺産があって、自由に贅沢な画材を買えるし、自由に海外へ勉強に行くことができます。それを、一種の師弟関係を結んでしまったからこそ、全部見て、知ってしまったことがかれにいつか、苦しみを与えていたのです。特に海外へ研修に行き始めてから、私の進歩は大きかったでしょう。それもまた、潜在意識の中では、憎しみを生んだのだと思います。
三ヶ月分一回で、数百万円使っていて、ニューヨークでの個展も入れれば、四回も海外で修行できる私への、いうに言われない憎らしさのことです。それが、その瞬間に吹っ飛んだのは、最高に気持ちよかったと思います。
みんなどこか、嫉妬の気持ちは持っているわけですが、相手が強かったり、条件があまりにも異なっていると、嫉妬の感情は抑えられます。大原さんは前田祝一氏には、嫉妬しないでしょう。また、井上さん(岸田淳平)や、柄沢斉氏にも嫉妬しないはずです。しかし、私にたいしては『あの人は弱いんだ』とか『美術の本格的な知識はない人だ。美大へ行っていないから』と、見下している点もある。また、『あじさい畑欺もう事件では、『あいつは、みんなから、悪人扱いをされているのだし。僕の方が主流派だ』という判断もあったでしょう。
絶対に自分の方が上である。そう考えたから、口から出た『大便』でした。カタルシスを感じたせりふです。だけど、あまりにも短い時間で達成されたので、『大便』とはいえず、『おしっこ』にちかいものでした。それも10秒程度の時間でいい終わって、風のように去っていったので、『蝉が、おしっこを引っ掛けて行った』というべきでしょう。
でも、笑いごとではなく、他人であり、しかも都会育ちであり・・・1957年ごろは神奈川健県一(アチーヴメントテストの第一回目に私は、満点だった)の頭脳を賞賛されている私は、烈火のごとく怒ったのです。
特に、心のそこに、山を(幅一メートル以上)壊され、(合算すれば)15坪程度の花畑を、盗まれた際の、彼は役員ですから、深い怒りがこちらにつねにあります。発案者や原因者では、無かったといっても、おちゃらけていて、いい間柄では、ないのです。
そのうえ、さらに「いいですよ。書いて」ですって。これほど、馬鹿だったのか。電話をかけて大損をした』とも思いました。私が本当に怒った場合は、問い合わせさえしません。だけど、年上の優しくて都会の人として、引き返すきっかけを与えているのに、何を甘得ているんだ。あなたは、弟でもなんでもない、単なる他人でしょうと深く怒りました。
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で、私は仮名で書いた『ワインが割れて』というエッセイを当時のメルマガで配信しました。すると、どうしてか、彼の元へその文章が届いた模様です。で、もちろん、抗議は来ませんでした。それに、私も『書く』ということの修羅場を耐えなければいけないわけですから、謝罪もしませんでした。
しかし、このあと、町内会の費用を使って、大原氏一人の恥をすすいで上げる結果と成る石段修復が行われたりしました。しかも、その際、湘南信金を利用した納金の方法で、激しいいじめを感じ(それは別の日に詳述します)、かつ、それから、三年目のこの夏、前田家から、激しいいじめを二回、安野家から一回受けて、『これはたまらない。はっきり戦おう』と、決意を固めたのです。一度目は、大相撲壊滅作戦の時で、二度目が、『あじさい畑欺もう事件の真相を語る』を書き始めた時です。しかも、最初は、慈悲のこころから、仮名で書いてあげたのに、ちっとも反省してくれなかったので、今からは、実名で書くと決めたわけです。
真の狙いは、この日本を覆い、日本人の心を暗くしている諜略行為を分析して、国民一般の方々に、ご理解いただくことです。
ともかく、現代の言論弾圧は、心理学的操作を多用します。最も悪い人間はアイデアを出す人(分かっている限りでは、井上ひさしと、伊藤玄二郎)ですが、その実行者は、普通の人々です。だから仕方なく、まだ、収入と、名声の面では、普通の人の範疇に入る、大原さんを分析するわけです。
ところで、丁寧に分析しているうちに、鎌倉から離れて、全国的規模で話が展開をしていくことが、わかってきました。
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東京にシロタ画廊という大きな画廊があります。そこで柄沢斉さんの個展がありました。2007年の初春。そのころ、私は月刊ギャラリーに連載を持っていたので、氏について書きたいと思い、挨拶をしました。そのときとても変な感じだったのです。初対面なのですが、『すでに、私を知っておられる』感じで、かつ、「嫌い」という感じだったのです。『変だなあ』とは思いました。しかし、あのころ、別の場所でもいじめられることは多かったので、このことを大原さんと結びつけて考えることをいたしませんでした。
無冠の私が、面白い文藻を書くので、美術評論家たちに警戒をされはじめていて、そちらから悪い噂を流されていることは、しっていましたから。その上、文章で成功すれば絵描きとしては、ステップアップができるので、その側面で、『欲張りだ、あの人』と作家からも嫉妬や警戒をされていました。で、どうするかですが、気にしていては何もできないし、何も進まないので、ひたすら気にしないように努めていたのです。そして、若い人を大切にしていこうと考えました。既成の有名美術評論家とは,違った、暖かなかつ独自な見方もできるからです。それは作る人だからです。
で、柄沢さんのボデイ・ラングエッジも、その種の悪評に影響されているのだろうと考えていて、気にしないこととして、文章書きに取り組み、いつもの二倍の原稿と、1.5倍の原稿を仕上げ、添え状に、「もし、頁増量が無理でしたら、それを、メールで注意してください。直します。短くします」と書いて送ったところ、突然に、何の説明もなく、連載そのものが、終焉と成りました。
これは腑に落ちないこと、はなはだしい現象でした。しかし、今は、その本当の理由は、大原さんが絡んでいたのだと考えています。つまり、私の電話を盗聴している国際的軍産共同体の誰かが、仮名で描いてあるそのエッセイを、プリントアウトをして、まず、柄沢さんに渡し、その上で「大原さんに渡す」ように依頼をしたのでしょう。
その盗聴が無い限り、その馬鹿な人物が誰をさすのかは、私以外の誰にも把握できないはずでした。そして、柄沢さんに苦い顔は、中身の内容を大体知った上で、使者となったのを教えてくれました。
その際に、根幹にある『あじさい畑欺もう事件』の方の情報だけは、すっぽり抜けているわけですから、柄沢さんは、私を悪人だと思い込んだ模様です。
私の方は、心の中で『あじさい畑欺もう事件』を込みで、すべてを考えていますから、自分を悪人だと、思ったことは無く、いつも堂々としているわけです。それを、柄沢さんは、『ふてぶてしい』とでも、誤解をしたのではないかなあ。
これって、冤罪の一種です。深い怒りに震える。これが総額、五億に達するという被害のひとつです。だから天は、私をかわいそうがって『八幡宮の大銀杏を倒された』のです。大原氏の上に立つ前田夫人を国学院に推薦したのが、本当なら。
それに、今になって、そのころを思い出せば、柄沢さんに、そのプリントアウト(または、CD)を渡したのは酒井忠康氏のような気がします。
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ところで、もしかすると、「あなたは悪い方へ想像を働かせすぎている」とおっしゃる方もあるかもしれません。で、どうして上のように深読みするかの理由をお話をさせてくださいませ。
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これから先は、一般の方向けではなく、主に銀座の画廊向けのお話ですが、このように深い憶測をしたのは、この四月の、私の個展が罠であったからです。それが罠であるのを私は知っていて、主人にも事前にそれを告げましたが、ともかく、その企画には、罠であっても乗った方がよいというか、『断れない。断ったら、断ったで、別の悪いことが起きるだろう』と感じて遂行したのです。が、心身ともに辛かったのです。それは、爪にくっきりとしたへコミが現れたことでも、分かりました。五月になって現れたのですが、爪が指の中で成長すべき時期この件で、激しいストレスにさらされたからでしょう。
罠の第一目的は、お金を使わせて、本を出版できなくさせることでしょう。実際に、私は50万円近く使い、まだ今年用の本を、印刷所できていません。これは敵にとっては大成功でしょう。
私は、敵をいつも幼稚だと、自分のメモ内で言っています。こちらは、あれをやられたことで、かえって腹が据わって、ブログ内で、かれらの悪を書き抜くようになたのに、そういうところの予想はできない幼稚なにんげんたちです。自分たちが馬鹿すぎるから、『これで、勝てる』と思うのでしょう。短絡的思考の人間たちだと思っています。彼らは、自分たちのやった加害や攻撃を丁寧に、ノートにつけるなどということはせず、ただひたすら、かつがむしゃらに思いつき限りのことを実行する、乱暴きわまりない連中です。
本当なら、私には、ゆったりと、アートの仕事をさえておけばよいのです。しかし、意図して銀座で苛め抜き、かつ、月刊ギャラリーの連載を終わらせました。
そして、その連載終了後で、「一気に、ここで、叩きのめそう」としたのが、四月からはじまったハッキングやら、パソコンへのバグ入れ込め攻撃、八幡宮さまを教唆して、音楽会を多発さえ、朝のリハーサルから大音響を響かせる・他、種々さまざまです。そして、つくば大学卒業の栗田玲子女子は、葉山に住む主婦なのに、こういう手合い(伊藤玄二郎)と夜十時半に鎌倉でデートする。だから、一見上品な酒井さんも腹の中は、黒い黒い。で、かれらは『この因果関係は、多分ばれない。自分たちは安全だ』と、信じて、やりたい放題をやってきたのです。
でもね、私は、ばかではないです。アート分野がだめなら、どうしてだめなのかを考えるので、今度は敵の本質=政治=他に迫ります。その四月の個展の罠は、他にも目的がありました。
それは、喜びごとである個展をきっかけに、悲しみを味わわせてやろうという試みです。まず、それは、最初は三月のはずでしたが、突然に四月に変更をされました。初日は四月五日でしたが、それはなんと、初孫の初入学式だったのです。これは、一種の子供を巻き込んだ攻撃です。悲しめば、かけなくなるはずだから、言論弾圧がせいこうすると、思っているのです。
一方で、我が家のアジサイ畑を盗むという点で一番の功績のあった安野夫人の、略奪婚の犠牲者の実子は、名目上は、今では安野夫人のこどもですから、・・・おいちに、おいちにのあひるさん、・・・と呼ばれる成績ですが、多分、全部の教科に下駄を履かせてもらったて???、海上保安学校に入って、今では国家公務員です。人間一人一人が、得るべき権利について、激しいかたよりがあります。
こんなことが、日本国憲法下で許されてよいものだろうか。激しい怒りをもっています。
そして、まだ、まだ罠があったのです。四月五日にガレリアグラフィカという画廊で、山本容子さんの個展がひらかれていることをしりました。相手方は、『彼女(私)は、こういう辱め(こっちの方が人気が高いのだよと、誇示をされて、気を落とすこと)を受ければ、いちばん参るはずだよ』と考えていたでしょう。
でね。お客が極端に少なかったです。森さんの画廊つきのお客もこなければ、銀座に住んでいて、前回の個展までは、来てくれていた画廊のオーナーたちもきてくれませんでした。
さらにびっくりしたのは、せっかく来てくれたお客(すぐ近所の高輪画廊のスタッフ)まで、森さんが「みないでいい」と、返したそうです。それを、森邦夫本人がわざわざ私に告げることです。悪魔のアイデアに乗ると、普通の人も悪魔か鬼に成ります。
もともと、罠だとわかっていたから、涙も見せないし、喧嘩もふっがけませんでしたが、『これからは、二度とこの画廊には、足を踏み入れないぞ』と決意しました。でも、森さんがその絶縁の理由を正しく把握できないといけないので、委細をメールで説明をしておきました。若い女性に、上げるといって残した木枠の掃除に一回行きましたが、それ以降は、顔を出していません。
ところで、どうして、そんな複雑なこととなったかを説明をさせてくださいませ。
森さんは、人間としては、できた人です。ただ彼の画廊ライブは、銀座八丁目というどん詰まりの場所にあるために、私がいつも最後によって長話をすることが災いしました。特に森さんは、奥さんをなくしてさびしいので、画廊で若い人と一緒に、夕食をかねて飲み会をしています。それに対して、時々は差し入れをやっていました。
ちょっとした酒の肴になるものを、時には家から、作って持参しました。私は主婦としては、普通にまめな方ですから、松前づけとか、酢の物です。ただ、こんなささやかな奉仕でも、現代の銀座では、『それは、珍しいことだ』と思われた可能性はあります。
そこには、盗聴器がしかけられていたと確信をします。で、『これだけ、親しいのなら、森さんのいうことは何でも聞くだろう。それを利用すれば、彼女を苦しめるための適宜な罠をかけることができる』と思われ、引っ掛けるために、個展が編み出されたのでした。それは分かっていましたが、廊下に飾った導入用ポスターをはがしたりして、彼自信が、率先していじめもしたから、唖然・呆然です。人間って、悪魔にも容易になりますね。
大原さんの『蝉のおしっこ』もあの瞬間彼は、悪魔になっていたし、一年に一回ほども散歩をしない我が家猫をサッシのあけしめ音で、脅かしたときも、彼は、悪魔になっていました。
そういえば、彼は創形美術学校の卒業生でしたね。軽い軽いかれは藤沢東美のなかむらさんという同級生を紹介してくれていたのですが、多分、そちらに、搬出入寮を入れて、400万円は支払いました。15年付き合っていて、その間は国展やコンクールに入選をつづけ、年間10枚ぐらいの大作を書いていましたから。
なんと、彼に会うと、街中でもにらんでくるし、同僚の市川某は仕事を断ってきました。
特に市川某は、銀座のOギャラリーでも、悪口をふるまいたので、当時は8丁目に存在したT-Boxの高橋典夫さんが、月刊ギャラリーに投書をしたのですよ。幸いに編集長が電話をくれたので、そのt期はたすかりましたが、最終的に説明もなく連載がでられたわけです。
もし、それが、柄沢さんのさしがねだったら、本当に天は、八満宮の大銀杏を、倒しますよ。私を、『かわいそう過ぎる』と思っておられるでしょう。そして、編集長の本多さんは二回目だし、柄沢さんは大物だから、『これは正しいんだろう』と信じたのでしょうね。
これだけの損失を与えられたら、鎌倉市に本当に問い合わせに生きたいぐらいです。どうして、あのお宅は、3メートルも道路幅が無いのに、新築(改築)を許可したのですか」と。鎌倉市の法理解能力と、順法精神を試しにいきたいぐらいですが、実際には、やりません。ただ、一年にたった2X2分のことが許せない彼は、盗んだ我が家まえを、何万回も、大声を上げながら通っていますが。
一年に一回、しかも彼の家の前を通るのは、2分とかからないのに、そんないh土居湖とはやらないこと。まいにし、忙しい私は、他にやることがあるから、そんなことは後回しですが、その間に別の悪さを企画するのが、この軍産共同体に絡まれきった、連中のすることです。
そのうち、大原さんはくだんのT-Boxか、他の画廊で、個展をしてもらえるでしょう。あ、は、は。必ず、私の文章を、打ち消したい彼らですから。
なお、この項続く。
2010年9月26日 雨宮舜
今日のも、政治を分析をする事を目指す文章です。
大原さんに『ワインが割れて、惜しかったねえ』と言われて激怒した23日にあげた話の続きです。彼には激怒しましたが、同じようにいやみを言われても、それほど、激怒しないケースもあります。石井夫人が「かわさきさん、何、見てるのよ。また、猫逃げたの?」といったときには冷静に対応できて、「違うわよ。木を見ているのよ。きれいでしょう」と切り替えしました。予定とは違う答えが返って来て、彼女はきょとんとした感じでした。が、それ以上は突っ込んでこず、さっとお出かけしていきました。
私が石井夫人に対して、怒らないのは、彼女の自然な感じを好のましいと感じているからです。この山で家族間の交流が、もっとも自然であると感じます。肝っ玉母さん風で、気取らない彼女を中心として、四世代が集まっていて、喧嘩もあるだろうし、子どもを叱る事もあるだろうが、『ニッポンの家族、ここにあり』と言う風で、本当に自然なのです。
比較して、大原家の家族関係は不自然です。実は、大原家も、親子関係が、養子であり、実子ではないのですって。それはごく最近、偶然に知ったことですが、それを、聞けば『なるほど、納得』と思えるのですが、25年間それを知らなかったので、『どうも、変だなあ。ちょっと虚偽があるのではないかな』と思い続けてきました。
しかし、転居して一週間以内に『あそこは、実の親子ではない』と気がついた安野家に比較して、大原家については、教えてくれる人が現れるまで25年間も、それに気がつかなかったのは、それだけ、大原家は他人に迷惑を掛けていないと言うことです。
どうして、大原家が『不自然だ』と感じたかというと、お嬢様をあまりにも甘やかしすぎるのです。すでに高校や大学生なのに、駅まで迎えに行く。それがインテリで上流階級を自認しているご家族にしては、変なのです。だけど、養子であれば、おばあちゃん(つまり養母)にとって、一番かわいい存在であるお嬢さん(孫)中心の家庭となりましょう。
出産をした事のない、上品で華奢な医者の未亡人であるおばあちゃん。そちらにとって、生まれたときから傍にいて、抱いて寝かせたこともあるお孫さんは、信じがたいほど、かわいく思われたことでしょう。その愛情が、一家の結びつきの原点となったと、今はわかります。でも、それが、普通の家なら現れるであろう嫁姑の葛藤を、隠したり抑えてたりしている技術のように外から、見え、『うそっぽいなあ。無理がある見たい』と思っていたのです。
でもね、お嬢さんは、ちゃんと育ちあがりましたよ。特にお父さんを批判しているそうですから、それは、彼女が賢い事を、証明しています。そして、これからずっと先まで、自分の子を育て、夫を支えて行く事が出来る事を証明しています。スポイルド・チャイルドにならずに、育ち上がったと言うことです。
と言うのも、あの家庭で、最も強い人間はお父さんなのですが、それを、お嬢さんはきちんと分かっているからです。上品で、小柄できゃしゃな、おばあちゃん、それから、同じく上品だけど、ちょっと、ふくよか度が高いお母さん。そのどちらに、当たっても、暖簾に腕押しでしょう。人間としての力が、この二人の女性の方は、弱いのです。
お父さんは、自分は、お母さんに反抗した事はないでしょう。ご養子なら当然ですね。で、礼儀と愛情の極地を与えて育てたはずのお嬢さんから、反抗されたり批判をされたりすると、『どうして、こうなっちゃったのだろうか』と不満や迷いがあるようですが、これがあそこの家庭では、最上の形なのです。そして革新の風が吹き、本当の家族になっていくでしょう。
さて、大原さんのご家庭への現在の私の分析を終えて、道すがらの捨て台詞に激怒したというその当時の話に戻ります。
私は自分が、口げんかも強い事を二千年にニューヨークで発見しました。
しかし、この山で大原さんを相手にそれをやっても、前田家や安野家を巻き込んだ数の論理で覆されるでしょう。で、文章にしました。
その上で、発表前に電話をしました。彼のことを悪い人ではないと思っていた歳月も長くて、その時代の仲良しぶり(私が絵描きで、彼が美術評論家の役割を担って、我が家の庭で、私の絵を題材に、研究会を、三週に一度ぐらい開いていたこともある)を思い出せば、躊躇するものもあったからです。
で、最初の話として、「大原さん、あなたが先日、石段で、おっしゃったことはひどいことなのですよ。お分かりですか」と私がいいますと、
「・・・・・」と無言の大原氏
「それは、文章で、あらわすととてもはっきりするのですけれど」と私
「・・・・・」とさらに無言の大原氏
ここで、実は、私は、彼の謝罪の言葉を待っていました。
「あ、そうですか。それ、気がつかなかったなあ。ごめんなさい」とでも、言ってくれれば、それで終わりだったのです。それこそ「大原さんは軽い人だ」で、終わったでしょう。
ところが思いがけないことに、
「いいですよ。書いても、ただし、本名でなければ」と言う返事が返ってきました。
みなさん、これは、悲劇です。大原さんの態度や心変わりは、ひとえに、国際的軍産共同体の瀬島龍三が企図した案に乗って起こりました。でも、彼らは一種の悪魔なのです。大相撲壊滅作戦ひとつをとっても、禁煙運動ひとつをとっても、電車遅延多発騒動をとっても、国民大多数を苦しめる行動でしかないのです。それに揺らされて、大原さんと私の、アートを中心とした純粋極まりない、関係は失われたのです。
ともかく、このせりふは、他人から、おしっこを顔面に引っ掛けられたも同然の措置です。よく心理学で、カタルシスといいますでしょう。それはギリシャ語で、「大便が排泄された」という意味だそうです。大便が排泄されると、誰もが、ほっとしますよね。特に便秘だったり痔だったりしたら。
大原さんは、ご自分が鬱屈したものを抱えている人です。深奥部には、怒り、悲しみ、恐れ、うらみがあり、それらが、『上品な家庭を築き、それを守る』という縛りの中で、抑えられきっている。お母さんと奥さんを仲良くさせるために、気を使い切っていて、そこにエネルギーをとられて過ぎている。だから、外へ働きに出る気力が出ない。
そして、いつの間にやら後戻りできない年齢になっていて、どうも、そのポイントでお嬢さんに批判をされている。お嬢さんは「お父さんも、普通のサラリーマンみたいに働いていて、ほしかった」とおっしゃっているはずです。『画家っていう最高に格好がよい立場に安住しているけれど、それは甘い』ということで批判をされているはずです。それは、年齢的に挽回できない部分だから、辛いことですよね。
お嬢さんは幸いというか、・・・・・反面教師としての父から学んだというか、実学の世界の人と結婚をされました。数字を扱うひとです。大まかに言えば、経済畑の人です。
「ワインが割れて惜しかったねえ」は、そういう家庭内の矛盾を、一気に晴らしたせりふでしょう。『やったー。かっこいいこと言っちゃった。今のせりふ、切れがあったと思うよ。気持ちいいー』というのが彼の本音だったと思います。そして、彼は認めたくないでしょうが、潜在意識の中にあった、嫉妬の感情を復讐的に振り払ったのです。
私には、父親の遺産があって、自由に贅沢な画材を買えるし、自由に海外へ勉強に行くことができます。それを、一種の師弟関係を結んでしまったからこそ、全部見て、知ってしまったことがかれにいつか、苦しみを与えていたのです。特に海外へ研修に行き始めてから、私の進歩は大きかったでしょう。それもまた、潜在意識の中では、憎しみを生んだのだと思います。
三ヶ月分一回で、数百万円使っていて、ニューヨークでの個展も入れれば、四回も海外で修行できる私への、いうに言われない憎らしさのことです。それが、その瞬間に吹っ飛んだのは、最高に気持ちよかったと思います。
みんなどこか、嫉妬の気持ちは持っているわけですが、相手が強かったり、条件があまりにも異なっていると、嫉妬の感情は抑えられます。大原さんは前田祝一氏には、嫉妬しないでしょう。また、井上さん(岸田淳平)や、柄沢斉氏にも嫉妬しないはずです。しかし、私にたいしては『あの人は弱いんだ』とか『美術の本格的な知識はない人だ。美大へ行っていないから』と、見下している点もある。また、『あじさい畑欺もう事件では、『あいつは、みんなから、悪人扱いをされているのだし。僕の方が主流派だ』という判断もあったでしょう。
絶対に自分の方が上である。そう考えたから、口から出た『大便』でした。カタルシスを感じたせりふです。だけど、あまりにも短い時間で達成されたので、『大便』とはいえず、『おしっこ』にちかいものでした。それも10秒程度の時間でいい終わって、風のように去っていったので、『蝉が、おしっこを引っ掛けて行った』というべきでしょう。
でも、笑いごとではなく、他人であり、しかも都会育ちであり・・・1957年ごろは神奈川健県一(アチーヴメントテストの第一回目に私は、満点だった)の頭脳を賞賛されている私は、烈火のごとく怒ったのです。
特に、心のそこに、山を(幅一メートル以上)壊され、(合算すれば)15坪程度の花畑を、盗まれた際の、彼は役員ですから、深い怒りがこちらにつねにあります。発案者や原因者では、無かったといっても、おちゃらけていて、いい間柄では、ないのです。
そのうえ、さらに「いいですよ。書いて」ですって。これほど、馬鹿だったのか。電話をかけて大損をした』とも思いました。私が本当に怒った場合は、問い合わせさえしません。だけど、年上の優しくて都会の人として、引き返すきっかけを与えているのに、何を甘得ているんだ。あなたは、弟でもなんでもない、単なる他人でしょうと深く怒りました。
~~~~~~~~~~
で、私は仮名で書いた『ワインが割れて』というエッセイを当時のメルマガで配信しました。すると、どうしてか、彼の元へその文章が届いた模様です。で、もちろん、抗議は来ませんでした。それに、私も『書く』ということの修羅場を耐えなければいけないわけですから、謝罪もしませんでした。
しかし、このあと、町内会の費用を使って、大原氏一人の恥をすすいで上げる結果と成る石段修復が行われたりしました。しかも、その際、湘南信金を利用した納金の方法で、激しいいじめを感じ(それは別の日に詳述します)、かつ、それから、三年目のこの夏、前田家から、激しいいじめを二回、安野家から一回受けて、『これはたまらない。はっきり戦おう』と、決意を固めたのです。一度目は、大相撲壊滅作戦の時で、二度目が、『あじさい畑欺もう事件の真相を語る』を書き始めた時です。しかも、最初は、慈悲のこころから、仮名で書いてあげたのに、ちっとも反省してくれなかったので、今からは、実名で書くと決めたわけです。
真の狙いは、この日本を覆い、日本人の心を暗くしている諜略行為を分析して、国民一般の方々に、ご理解いただくことです。
ともかく、現代の言論弾圧は、心理学的操作を多用します。最も悪い人間はアイデアを出す人(分かっている限りでは、井上ひさしと、伊藤玄二郎)ですが、その実行者は、普通の人々です。だから仕方なく、まだ、収入と、名声の面では、普通の人の範疇に入る、大原さんを分析するわけです。
ところで、丁寧に分析しているうちに、鎌倉から離れて、全国的規模で話が展開をしていくことが、わかってきました。
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東京にシロタ画廊という大きな画廊があります。そこで柄沢斉さんの個展がありました。2007年の初春。そのころ、私は月刊ギャラリーに連載を持っていたので、氏について書きたいと思い、挨拶をしました。そのときとても変な感じだったのです。初対面なのですが、『すでに、私を知っておられる』感じで、かつ、「嫌い」という感じだったのです。『変だなあ』とは思いました。しかし、あのころ、別の場所でもいじめられることは多かったので、このことを大原さんと結びつけて考えることをいたしませんでした。
無冠の私が、面白い文藻を書くので、美術評論家たちに警戒をされはじめていて、そちらから悪い噂を流されていることは、しっていましたから。その上、文章で成功すれば絵描きとしては、ステップアップができるので、その側面で、『欲張りだ、あの人』と作家からも嫉妬や警戒をされていました。で、どうするかですが、気にしていては何もできないし、何も進まないので、ひたすら気にしないように努めていたのです。そして、若い人を大切にしていこうと考えました。既成の有名美術評論家とは,違った、暖かなかつ独自な見方もできるからです。それは作る人だからです。
で、柄沢さんのボデイ・ラングエッジも、その種の悪評に影響されているのだろうと考えていて、気にしないこととして、文章書きに取り組み、いつもの二倍の原稿と、1.5倍の原稿を仕上げ、添え状に、「もし、頁増量が無理でしたら、それを、メールで注意してください。直します。短くします」と書いて送ったところ、突然に、何の説明もなく、連載そのものが、終焉と成りました。
これは腑に落ちないこと、はなはだしい現象でした。しかし、今は、その本当の理由は、大原さんが絡んでいたのだと考えています。つまり、私の電話を盗聴している国際的軍産共同体の誰かが、仮名で描いてあるそのエッセイを、プリントアウトをして、まず、柄沢さんに渡し、その上で「大原さんに渡す」ように依頼をしたのでしょう。
その盗聴が無い限り、その馬鹿な人物が誰をさすのかは、私以外の誰にも把握できないはずでした。そして、柄沢さんに苦い顔は、中身の内容を大体知った上で、使者となったのを教えてくれました。
その際に、根幹にある『あじさい畑欺もう事件』の方の情報だけは、すっぽり抜けているわけですから、柄沢さんは、私を悪人だと思い込んだ模様です。
私の方は、心の中で『あじさい畑欺もう事件』を込みで、すべてを考えていますから、自分を悪人だと、思ったことは無く、いつも堂々としているわけです。それを、柄沢さんは、『ふてぶてしい』とでも、誤解をしたのではないかなあ。
これって、冤罪の一種です。深い怒りに震える。これが総額、五億に達するという被害のひとつです。だから天は、私をかわいそうがって『八幡宮の大銀杏を倒された』のです。大原氏の上に立つ前田夫人を国学院に推薦したのが、本当なら。
それに、今になって、そのころを思い出せば、柄沢さんに、そのプリントアウト(または、CD)を渡したのは酒井忠康氏のような気がします。
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ところで、もしかすると、「あなたは悪い方へ想像を働かせすぎている」とおっしゃる方もあるかもしれません。で、どうして上のように深読みするかの理由をお話をさせてくださいませ。
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これから先は、一般の方向けではなく、主に銀座の画廊向けのお話ですが、このように深い憶測をしたのは、この四月の、私の個展が罠であったからです。それが罠であるのを私は知っていて、主人にも事前にそれを告げましたが、ともかく、その企画には、罠であっても乗った方がよいというか、『断れない。断ったら、断ったで、別の悪いことが起きるだろう』と感じて遂行したのです。が、心身ともに辛かったのです。それは、爪にくっきりとしたへコミが現れたことでも、分かりました。五月になって現れたのですが、爪が指の中で成長すべき時期この件で、激しいストレスにさらされたからでしょう。
罠の第一目的は、お金を使わせて、本を出版できなくさせることでしょう。実際に、私は50万円近く使い、まだ今年用の本を、印刷所できていません。これは敵にとっては大成功でしょう。
私は、敵をいつも幼稚だと、自分のメモ内で言っています。こちらは、あれをやられたことで、かえって腹が据わって、ブログ内で、かれらの悪を書き抜くようになたのに、そういうところの予想はできない幼稚なにんげんたちです。自分たちが馬鹿すぎるから、『これで、勝てる』と思うのでしょう。短絡的思考の人間たちだと思っています。彼らは、自分たちのやった加害や攻撃を丁寧に、ノートにつけるなどということはせず、ただひたすら、かつがむしゃらに思いつき限りのことを実行する、乱暴きわまりない連中です。
本当なら、私には、ゆったりと、アートの仕事をさえておけばよいのです。しかし、意図して銀座で苛め抜き、かつ、月刊ギャラリーの連載を終わらせました。
そして、その連載終了後で、「一気に、ここで、叩きのめそう」としたのが、四月からはじまったハッキングやら、パソコンへのバグ入れ込め攻撃、八幡宮さまを教唆して、音楽会を多発さえ、朝のリハーサルから大音響を響かせる・他、種々さまざまです。そして、つくば大学卒業の栗田玲子女子は、葉山に住む主婦なのに、こういう手合い(伊藤玄二郎)と夜十時半に鎌倉でデートする。だから、一見上品な酒井さんも腹の中は、黒い黒い。で、かれらは『この因果関係は、多分ばれない。自分たちは安全だ』と、信じて、やりたい放題をやってきたのです。
でもね、私は、ばかではないです。アート分野がだめなら、どうしてだめなのかを考えるので、今度は敵の本質=政治=他に迫ります。その四月の個展の罠は、他にも目的がありました。
それは、喜びごとである個展をきっかけに、悲しみを味わわせてやろうという試みです。まず、それは、最初は三月のはずでしたが、突然に四月に変更をされました。初日は四月五日でしたが、それはなんと、初孫の初入学式だったのです。これは、一種の子供を巻き込んだ攻撃です。悲しめば、かけなくなるはずだから、言論弾圧がせいこうすると、思っているのです。
一方で、我が家のアジサイ畑を盗むという点で一番の功績のあった安野夫人の、略奪婚の犠牲者の実子は、名目上は、今では安野夫人のこどもですから、・・・おいちに、おいちにのあひるさん、・・・と呼ばれる成績ですが、多分、全部の教科に下駄を履かせてもらったて???、海上保安学校に入って、今では国家公務員です。人間一人一人が、得るべき権利について、激しいかたよりがあります。
こんなことが、日本国憲法下で許されてよいものだろうか。激しい怒りをもっています。
そして、まだ、まだ罠があったのです。四月五日にガレリアグラフィカという画廊で、山本容子さんの個展がひらかれていることをしりました。相手方は、『彼女(私)は、こういう辱め(こっちの方が人気が高いのだよと、誇示をされて、気を落とすこと)を受ければ、いちばん参るはずだよ』と考えていたでしょう。
でね。お客が極端に少なかったです。森さんの画廊つきのお客もこなければ、銀座に住んでいて、前回の個展までは、来てくれていた画廊のオーナーたちもきてくれませんでした。
さらにびっくりしたのは、せっかく来てくれたお客(すぐ近所の高輪画廊のスタッフ)まで、森さんが「みないでいい」と、返したそうです。それを、森邦夫本人がわざわざ私に告げることです。悪魔のアイデアに乗ると、普通の人も悪魔か鬼に成ります。
もともと、罠だとわかっていたから、涙も見せないし、喧嘩もふっがけませんでしたが、『これからは、二度とこの画廊には、足を踏み入れないぞ』と決意しました。でも、森さんがその絶縁の理由を正しく把握できないといけないので、委細をメールで説明をしておきました。若い女性に、上げるといって残した木枠の掃除に一回行きましたが、それ以降は、顔を出していません。
ところで、どうして、そんな複雑なこととなったかを説明をさせてくださいませ。
森さんは、人間としては、できた人です。ただ彼の画廊ライブは、銀座八丁目というどん詰まりの場所にあるために、私がいつも最後によって長話をすることが災いしました。特に森さんは、奥さんをなくしてさびしいので、画廊で若い人と一緒に、夕食をかねて飲み会をしています。それに対して、時々は差し入れをやっていました。
ちょっとした酒の肴になるものを、時には家から、作って持参しました。私は主婦としては、普通にまめな方ですから、松前づけとか、酢の物です。ただ、こんなささやかな奉仕でも、現代の銀座では、『それは、珍しいことだ』と思われた可能性はあります。
そこには、盗聴器がしかけられていたと確信をします。で、『これだけ、親しいのなら、森さんのいうことは何でも聞くだろう。それを利用すれば、彼女を苦しめるための適宜な罠をかけることができる』と思われ、引っ掛けるために、個展が編み出されたのでした。それは分かっていましたが、廊下に飾った導入用ポスターをはがしたりして、彼自信が、率先していじめもしたから、唖然・呆然です。人間って、悪魔にも容易になりますね。
大原さんの『蝉のおしっこ』もあの瞬間彼は、悪魔になっていたし、一年に一回ほども散歩をしない我が家猫をサッシのあけしめ音で、脅かしたときも、彼は、悪魔になっていました。
そういえば、彼は創形美術学校の卒業生でしたね。軽い軽いかれは藤沢東美のなかむらさんという同級生を紹介してくれていたのですが、多分、そちらに、搬出入寮を入れて、400万円は支払いました。15年付き合っていて、その間は国展やコンクールに入選をつづけ、年間10枚ぐらいの大作を書いていましたから。
なんと、彼に会うと、街中でもにらんでくるし、同僚の市川某は仕事を断ってきました。
特に市川某は、銀座のOギャラリーでも、悪口をふるまいたので、当時は8丁目に存在したT-Boxの高橋典夫さんが、月刊ギャラリーに投書をしたのですよ。幸いに編集長が電話をくれたので、そのt期はたすかりましたが、最終的に説明もなく連載がでられたわけです。
もし、それが、柄沢さんのさしがねだったら、本当に天は、八満宮の大銀杏を、倒しますよ。私を、『かわいそう過ぎる』と思っておられるでしょう。そして、編集長の本多さんは二回目だし、柄沢さんは大物だから、『これは正しいんだろう』と信じたのでしょうね。
これだけの損失を与えられたら、鎌倉市に本当に問い合わせに生きたいぐらいです。どうして、あのお宅は、3メートルも道路幅が無いのに、新築(改築)を許可したのですか」と。鎌倉市の法理解能力と、順法精神を試しにいきたいぐらいですが、実際には、やりません。ただ、一年にたった2X2分のことが許せない彼は、盗んだ我が家まえを、何万回も、大声を上げながら通っていますが。
一年に一回、しかも彼の家の前を通るのは、2分とかからないのに、そんないh土居湖とはやらないこと。まいにし、忙しい私は、他にやることがあるから、そんなことは後回しですが、その間に別の悪さを企画するのが、この軍産共同体に絡まれきった、連中のすることです。
そのうち、大原さんはくだんのT-Boxか、他の画廊で、個展をしてもらえるでしょう。あ、は、は。必ず、私の文章を、打ち消したい彼らですから。
なお、この項続く。
2010年9月26日 雨宮舜