銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大原光孝、平山郁夫、柄沢斉、酒井忠康、伊藤玄二郎、井上ひさし

2010-09-23 19:32:27 | Weblog
 以下の文章は、9月22日一杯上げていた、パンドラの箱の改稿版です。
 ずいぶんと読みやすくなっていると、自負します、最初は似ていますが、途中が相当に違いますので、読んでいただくようお願いいたします。

 この文章の目的は、現在の言論弾圧がどういう形で行われるかの実例を書くことですが、特に井上ひさしの特殊な役割が、この一連の「ワインが割れて」のエピソードで明確になった事情を書き抜きます。ただ、本文では、まだ、その導入となっております。一万字・字数制限に引っかかりますので。

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 承前
 まだ50代だった私は今よりは、元気で、トマトペーストを二つと、ワイン二本ぐらいを、毎週ハナマサから買って来ていたのです。でも、たった三キロでも、体が平均よりは弱いので、100を越す石段を一気には上がれず、途中で息を入れていました。で、レジ袋に入れていて、石段に置いたのです。この山の石段は、鎌倉石(砂岩)というやわらかい石でできていますから、あっちこっち欠けていて、レジ袋はゆがみ、ワインは倒れて、あっという間に数段をころころと落ちていき、割れてしまいました。

 ハナマサのワインは、よく売れていて回転が速いので、瑞々しい香りが当たり一面に満ちました。夜でしたが、その香りで、ワインが割れたことは誰にでもわかる状況ができました。で、私が腰をかがめて、ガラスを拾っている時に、脇から「か・わ・さ・き・さあーん。ワインが割れて、惜・し・か・っ・た・ねー」と言いながら、男性が通ったのです。それが、大原さんでした。
 私は激怒しました。
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 大原さんは、口が軽い人ではあります。昔、平山郁夫さんについて、彼が次のように言った時に、私は仰天しました。

 「平山さんはね。実は、奥さんが描いて(代筆)いるんですよ」って。確かに平山さんは多忙です。また、芸大出身の奥様が片時も離れずついているのは、鎌倉駅でよくお見かけするから知っています。そして経済的に成功して大金持ちだから、嫉妬されていて、あっちこっちから、悪口が聞こえてくるひとでもあります。芸大関係者からさえ出ています。それは、私が見るところ、平山さんが優しい性格の人だからでもあり、奥さんがマネージャーとして敏腕であるということをも示していると成ります。

 実際に、奥様は簡単な仕事、たとえば、チャリティ用の色紙などは代筆なさっていたかもしれません。特に画料を取らない仕事ですから、責任もないと、お考えになってね。しかし、そういううわさは、大原さんが外へ出してはいけません。おなじ美術という分野にすんでいる人間として、特にお金を稼いでいるプロ(大原さん)としては、それは、言葉にしてはいけないことのひとつです。

 そして、世間一般の通念としての、人気や偏差値の格としても大原さんの卒業した創形美術学校よりは、芸大の方が上です。また、大原さんはプロとはいえ、会社や学校へ所属をしていない無職ですが、比較して、当時の平山さんは芸大教授であり、後に学長になっていく人です。

 私も堂々と呼び付けで井上ひさし氏を非難しています。しかし、私の場合は、五億円を超える被害がすでにあって、その加害アイデアの提供者が、彼であると信じるゆえんがあって、一種の正当防衛として、すべての文章を書いています。大原さんが平山さんから被害を受けたとは考えられません。非常に安易に平山さんの悪口を言うわけですが、そこから、彼の軽さを知ることができます。

 ただ、美術評論家は意外と心が汚いです。で、
 私は、この言葉の発信源を疑うのです。酒井忠康氏ではないかと。酒井氏は二階堂の住人です。平山さんと、場所的に近い。だから、内輪の話として何かが入っていて、それを酒の席か何かで漏らされたことがあって、そこから、柄沢斉氏を通じて、大原氏に伝わったのではないかと。柄沢氏は創形美術学校の出身で、その縁で、大原氏は、木口版画を習いに行っているそうですから。

 もちろんこの推定が当たっていないかも知れませんが、大原家の令嬢が近代美術館にお勤めをされていたことがあって、当時の館長(決裁者)は酒井忠康氏だったと思います。その点からも、上の想像は当たらずとも遠からずと、感じます。

 もうひとつ推定を裏付ける言動があります。今日これから、考察していく、<猫を脅かすこと>、および、「ワインが割れて惜しかったねえ」という捨て台詞をいうことの両方とも、傲慢不遜な姿勢です。これが大なり小なり、国際的軍産共同体に連なっている人間のとりたがる態度なのです。石川和子女史よりは、洗練をされた人ですが、ここぞというときに内心の汚さが出てしまう大原さんです。

 自分が、この日本で最大の権力者たちに、連なっていると考えると、そういう態度も出てくるでしょう。それが、上から下まで伝播します。一種の『悪貨は良貨を駆逐する』なのですが、本人たちは、その快適さに酔っていて、自分ひとりでは、反省点に達することはできません。

 私は酒井忠康氏は、現代日本において、間接的に、政治的力を発揮していて、それは、日本を悪くする方向だと感じていますが、その弁証用、ルートのひとつが、この大原さんの言動を分析することなのです。栗田玲子女史のラインだけではありません。

 また、井上ひさしと同じく私個人をターゲットにした攻撃も、酒井氏はすでに、数々実行をしています。酒井氏ご自身は、ばれていないと思っておられる様子ですが、ばればれです。私のような注意深い、かつインテリ(それは、知人が頼んだ弁護士の表現ですが)の目をごまかすことは、容易ではないのです。二十件ぐらい気がついていますが、その詳細はいつか書きましょう。今日は井上ひさしを、分析することをメインといたします
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 平山氏と酒井忠康氏から離れて、大原光孝氏へ戻ります。
 彼は、常に自分が勝っていると思っているでしょう。この山でだって、町内会の費用を使って、自分の失敗を糊塗してもらっていますから。それは明日というか、次にその詳細を述べます。

 それに、私は、この山の理不尽さには、ほとんど、反発をしませんでしたから、甘く見下しきっていると思います。多くのたくらみをすでに、やられていますが、どれについても、今までは、戦ってきませんでした。唯一戦ったのは、非合理な地境石の確認をされた、2009年五月四日だけです。でも、石は残っており、主人にそれを認めさせたわけです。

 その際には、これが私をいじめる、・・・・・というか、ともかく、アジサイ畑欺もう事件をなくす目的ですので・・・・・主たる関係者である、安野、前田、大原家等は地境が違うということで、顔も出さず、引っ込んでいました。また、この測量が大いに諜略的要素が強いのを証明するのは、もっとも悪い原因となった、柳沢某と、石川和子夫妻、および、彼らと当時は一種の師弟関係(親が習いに来ている)を結んでいて浅野家も出てきませんでした。ただ、アジサイ畑欺もう事件を一切知らないであろう、平木さんと白井さんが呼ばれて出ていらっしゃり、藤本夫人と討論をしている、私の方を悪人と誤解をした模様です。私は別に、その二人の様子には、顧慮いたしませんでした。最終的には善とか正義が勝つと信じていますので。日本が真の法治国家ならそうなるでしょう。

 で、戦ったといっても、この件も中途半端なところで終わっているので、向こうとしては、『自分たちが勝ったのだ』と誤解をしているかも知れません。だけど、その後で、天は、石川和子女史の命を奪い、大銀杏を倒されたわけです。姑息でずるい手段をとると、必ず天が、悪者を成敗なさいます。柳沢某は、自分の幼稚過ぎる面子を通した結果、収入という面では、金の卵である奥さんを失ったわけです。心理的にも大切だった年寺、大ばか者です。哲学を知らないとこういう結果に成ります。

 ところで、測量の日に戻れば、ほ、ほー。と思うほど、この山にある悪の本質が露見した日でした。これの発案者が誰何か、私側に対応するエッセイが無いので、確定できませんが、伊藤玄二郎か、二人羽織か、この山の安野、前田家のご主人辺りが計画をして、藤本夫人を動かしたのでしょう。
 私の見るところでは、彼らが、どこまで努力しても、悪者固有の悪あがきに過ぎないと言う結果に成ります。

 期日としては、石川和子女史の死亡が三月で、測量が五月だったので、あい前後していますが、全体像としては、すべてアジサイ畑欺もう事件が関連しているデキゴトです。
 また慶応大学出身で紳士である、富沢氏は、私の論理に影響を受ける可能性があるとみなされて、出てこないように図られていた(つまり、呼び出しをかけられていなかった)となります。この測量の件は将来、また、詳述します。

 それも、じっと我慢をしていましたが、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れる(3月)とか、大相撲壊滅作戦の勃興、(6月から、9がつへかけて)に、出会って、潮目が変わったことを知り、初めて重い腰をあげたのです。25年間ひたすら我慢をしたあげくに。
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 うちの主人や、息子など大原さんを「軽い人だ」と常に言い、「そのひどい言葉も、彼にすれば、単なるジョークだったんだよ。おかあさん、許しておやりよ。右から左に流して。流して」と言うのですが、私は違うと思っています。特に最近、意図的に子供や主人に話しかけて、長話をしているようですが、それに、戦略としてのにおいを感じ、非常に嫌なことだと思っています。だから、腹黒い人間の一人だと見ています。しかも個人的な意思から出ていることではなくて、伊藤玄二郎あたりから、それを教唆されていることさえ感じます。もちろん間に安野夫人とか、前田夫人を挟んでいるでしょうが。
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 それは、藤本家の夫婦仲を決定的に裂いた中谷氏の手法と、同じだからです。前にそれについては一度述べていますが、あれでは足りなかったと思います。もっと、実情を明らかにさせてくださいませ。

 藤本氏が、奥様から、切り捨てられてしまったとは、以前申しておりますが、それがどうして、私に分かったかというと、
 回覧板を持っていたときに、奥様が留守だったからです。

 玄関の右側(北)の部屋から、よろい戸(いつも閉め切ってある)を通してご主人のよわ弱しい返事が聞こえたので、玄関が開くのを待っていたのですが、ドアがあくまでに5分程度かかり、ご主人の足が不自由になっていることを知りました。で、のちほど、生ごみをご自分で捨てに、行っておられるときも、歩みが遅くて、気の毒で、毎日石段を降りるお嬢様にどうして、頼めないのだろうかと、不思議きわまりなかったのです。
 お嬢様は学校の先生なので、毎日山を降ります。そのときに、45リットルか70リットルの大きな生ごみ袋を持って下へ降りられます。十分に豊かな家の生ごみの量。

 だけど、ご主人は、ちいさなレジ袋がへっこんだぐらいの量を、本当にゆっくりゆっくり歩いて、捨てておられました。ということは、紙ごみがない。ということは、ほとんど寝たきりに近い状態であると、感じました。インテリだったご主人は、最晩年は、一番好きであろう、書くとか読むとか言う、紙を使う趣味はなにもできず、ただ、北側のよろいどのしまった六畳程度の部屋で、穆念として、半分寝たきり状態で暮らしておられたのです。

 最終的には入院ということとなったでしょうが、我が家の両親の、お互いにいたわりあい、現在で得られる最高の医療を受けた父、または入院をしていないが、毎日見舞い客が老人ホームに来る母とは大違いです。

 夫婦とは、結婚後、喧嘩などいろいろあります。中年時は、別に、平和で夢のような暮らしを続けるわけでもありません。でも、妥協しあってきて、最晩年には、お互いに弱ってきた体をいたわり、助け合う一種の保障制度なのです。それが無残にも最終段階で他人に、壊されたのでした。

 そのご主人が亡くなっただいぶ後のことですが、ある夜1時ごろ、私がごみ捨てに行ったときがあります。ここはごみ捨てのためだけでも、ゆっくり歩けば10分かかりますが、その間中、藤本家のお嬢さんが携帯チェックしているのを見た事があります。『あれ、あと、30秒で家に到着できるのに、どうしてここで、メールチェックなの』と、それに10分以上もと、ひどく驚きました。

 もちろん、いささか、微笑ましてた。お嬢様のために、祝福したいぐらいでした。お母様に見咎められたくないという種類のメールは、男性を相手のものでしょうから、『ああ、よかった。このお嬢様にも、ちゃんとした大人としての人生があるみたいで』と喜びました。

 でも、そのエピソードから、さらに、ご主人がどんなに、気の毒な生活を送っていらっしゃったかが推定できたのです。奥様とお嬢様は週末には、南側の居間で仲良く会話をなさっておられるのですが、その仲良し振りが、実は、北側に住んでいるご主人を阻害するためのものではなかったかと、気がついて。

 藤本夫人は夫に激怒した直後から、娘さんを自分側に、過剰なレベルで取り込んだのでした。お嬢さんは普段、これもよろい戸であるので、灯火の関係からおきていらっしゃるのがわかる、東南の個室を使っておられ、夜の11時過ぎにはそこに、こもっておられます。おかあさまは西南の個室を使っておられる。間に、5,6メートルの間口の居間があるので、私なんかから見ると、充分にプライヴァシーが保たれているように見え、どうして、石段の途中で、夜の11時近くに、長時間携帯メールをチェックする必要があるのかを、推定できません。無理に、無理に推察すれば、それだけ、お母さんに気兼ねで気を使う必要があるのでしょう。
  
 そして、そういうモンスター母にしてしまったのが、この山の特殊な環境でした。集団いじめに対抗するために、意固地の限りになってしまったのです。しかもよりあくどいことは、最近では、あじさい畑欺もう事件に責任がある、そちら側の先鋒の安野夫人が、積極的に、近づいていって、藤本夫人を篭絡しています。

 それは、違法に入れられた地境石を、再測量をさせ、それによって、さらに既成事実を重ね、あじさい畑欺もう事件をなし崩しに、なきものにしていこうという策略なのです。たしかにそれを、主人が、認めてしまっていますから、敵側はうは、うは、と、喜んでいるでしょう。だけど、私にすれば、26年前の藤本夫人以上に、激怒しているところです。

 藤本夫人は、鎌倉駅すぐそばで開業をしていた医者の娘で、恵まれて育った人なので、純真です。それにつけ込んで、たらしこむわけですが、こういう手法からみても、『安野夫人は略奪婚の勝利者では、無かったかなあ』と推定するわけです。

 彼女が略奪婚に成功してから、ここへ転入してきたと,考えると、あじさい畑ぎもう事件にまつわる一連の忌まわしさが、なぜ生起したかのなぞが、解きやすくなるのですが。

 ともかく、安野夫人は、他人が持っている良質なものはなんでもほしくなり、結局はすべてを盗ってしまう人です。藤本夫人・ご本人はすでに、地境石など、どっちでも、よくなっていて、私に、「取り去ってもいいのよ」とおっしゃっているが、この山の主婦軍団、とその後ろにいる、伊藤玄二郎が、それを死守するように説得をしているのでしょう。藤本夫人が今、鷹揚になっているわけは、その駐車場そばに新居を建て、しかも駐車場収入が多いから、大金持ちになっておられるからです。

 そこの時間貸し部分は、鎌倉一安いです。必要以上のお金は得ないでおきましょうという、藤本家側の生来の上品さを感じます。

 ところで、数節元へもどります。その不自然なお嬢さんの姿をみた夜に、さらに新しく気がついたことこそ、あの当時ご主人が北に押しこめられきっていたということです。前田家の、後はいり猫のノエミちゃんが北側に押し込められきっていて、やせ細っていて、やがて、石川家に入り浸りになってしまったとは、過去に述べました。猫は健康に歩けたので、次の安住の地を見つけ出せたわけですが、藤本氏は歩けないし、アパートを借り直すほどの気力も体力も無い段階で、ただひとり、北側に追いやられていたのです。

 しかも夫人は週末には、週末にはそこにお嬢様を巻き込んで、ことさらに楽しそうに会話をなさっていました。と言う事は、それを、一人北側のベッドで聞いているご主人はどん何さびしく辛かっただろうかと今の私は、感じます。

 よく新聞で老人の自殺への解説記事を見ます・・・・・連れ合いが死んで、単身になった後で、子ども所帯と同居をしたが、『おばあちゃん、(または、おじいちゃん、)汚いわ』とか孫世代に言われて、北側の六畳程度の和室で、ひとりで食事をする。そのために、老人夫婦だけで、暮らしていたころより、はるかに激しい孤独感に襲われ、自殺をするのだ・・・・・と書いてあります。
 それは、60過ぎ、とか、70過ぎに急に同居をするので、仕方がないとして、老人側がひたすら我慢をするわけですが、藤本家のように、ほぼ、50年も一緒に暮らしてきた妻から、最晩年にこれほど、拒絶をされ、普通なら父親を慕うはずの娘にまで、きつく疎外をされた、ケースは、その気の毒さを想像して余りあります。
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 そして、その手法が私一家へも連綿と応用をされています。藤本夫人を支配した先例があるから、『それを、やって良いことだ』と勘違いした結果です。文章に書いて分析すれば、「ワインが割れて、惜しかったねえ」も恥ずかしさのきわみであろう言動ですが、セルフコントロールも何もできない下劣そのものの思考が蔓延している地域ですから、平気で口をついて出るのです。

 そういう下劣な夫婦が偉ぶっているから、あじさい畑欺もう事件という理不尽極まりないものも、おきました。私は、そこだけでも被害が、玄関のコンクリートに裂け目が入っていることからも、もしかすると、数千万円になるやも知れませんが、そのほかの、それに敷衍して起きた、脅迫行為の数々をあわせると、五億円を悠に越しますので、これからは、戦うと、決めたのです。

 今現在、私は夫を、敵方にしばしば取り込まれていて、会社人間だった夫が、藤本氏と同じく、敵側を優先する時があり、そのたびに大喧嘩をします。それは、「利敵行為だから困る」と、説得する際には、ほとんど、離婚せんばかりの状況となります。大変な負担とストレスを夫婦ともに、浴び続けています。人権蹂躙の最たるものです。そこまでの過干渉を近隣から受けるのは、人権蹂躙の最たるもので、それひとつとっても、ここは、心理学的にいえば、ひどく悪い環境です。

 そして、もし、私が引っ越していけば、次のターゲットが選ばれ、永遠にこの・・・・・スケープゴートを見つけ出し、それをいじめることによって、団結を維持し、自分たちだけの優位性を、確保しようとする・・・・無神経な主婦たちの、わがままは繰り返されるでしょう。300か、400ほど、個数がある普通の住宅団地なら、そちらのわがまま主婦軍団の方が、淘汰され追い出されるはずですが、ここでは、その特殊な地形により、この集団いじめ構造により、いじめ軍団が勝つという機能が、過去、27年にわたり、生き続けてきたのでした。私の想像するところ、安野夫人は略奪婚だから、ここが主婦としての初めての居住地だから、略奪婚の崔の、勝利の味が忘れられず、どんなときもどんな小さな案件でも、自分が勝ちたいと願うので、面倒くさい、怖いひととなります。で、他人が道を明けてくれるのに、「自分は素敵な人間だ」と思い込み、過剰な自信を持っている人です。で、あれほどのばかげた態度が、取れるのだと、推定しています。

 それに迎合した、石川和子女史は、瀬島龍三にあく利用をされ、私を圧迫するために過剰の誉めそやされ、地位や名誉を与えられた勘違い人間ですから、あれほど、ばかげたことが容易にできるわけです。

 前田夫人は、実は気が弱いのでしょう。しかも前の居住地で、失敗をしてきたと推定しています、つまり、嫌われてきた過去がある。で、今度はうまく立ち回ろうとして、動物として怖い安野夫人などへ過剰適応してしまうのが今の姿だと思っています。
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 で、そういう詳しいことを息子などには説明しないわけですから、息子など能天気に、『あの人は軽いだけだよ。おかあさん、許してやりなよ』と言うわけです。そして、それをハッキングで、告げられた大原氏は、息子を取り込むことと成ります。

 最近では、我が家の息子や、主人を篭絡するべく、長話を仕掛けています。絶対に軽いだけの人でもない。私はこの後者についても、激怒しています。

 で、『ワインが、割れて惜しかったねえ』と言うせりふを、理論的に分析し始めました。戦う際は、心も頭も整理しておかなければなりませんから。感情が激して、パニックに陥った、柳沢某とは、私は、人種が違うのです。
 まるで福田元総理みたいな言い方に成りますが、彼らが、私のオープンハウスの前夜に、門に庭ぼうきを立てかけるという悪さを、した件をも、今日あらたに、お伝えして、どれほど、おつむが軽いかも証明をさせてくださいませ。その庭ぼうきを立てた理由は分かります。だけど、鎌倉春秋社の名前を遣わしてもらっている格の高いはずの人間が、そこまで馬鹿になるのは、信じがたいです。
 また、鎌倉市の公民館を、こんな連中に貸したとは、ちょっと、貸した(故・小島市長当時だと思うが)、市長が、無責任に過ぎます。

 鎌倉春秋社の社長、伊藤玄二郎の名前で、屈したというのなら、伊藤玄二郎こそ低劣極まりないとなります。

 で、大原氏の捨て台詞にたたかうために、分析文を書いたのですが、それから、先にどうなったかは、次に続くとさせてくださいませ。
 
 今日、平山郁夫さんの件までだしたのは、『これでは、大原さんのあくどさが、きわまっている』と思った、サッシの開け閉めで、猫を脅かした件がきっかけです。腹をくくって書きました。私は猫を、一年に一回か、二回しか散歩させません。犬を散歩させる前田さん、花輪さん、浅野さん他が、道路を使う頻度とは、二年で、数千回の差があります。そして犬の方が、犬同士が出会ったときにあげる騒音は大きい。どうして私が、邪魔されないといけないのだろう。
 そんな極小の、かつ基本的な権利が、どうして守られないのだ。

 大原さんは、道路が必ず、四メートル無くてはいけないと言う論理に従って、あじさい畑を盗った時の役員のひとりなのですよ。その責任があるでしょう。そんな論理で人に、大損害を与えておきながら、自分の家の目の前の道路幅は、三メートルにも足りないのです。で、さらに紛糾すれば、鎌倉市は、「どうして、こういう状況下で、彼の家の新築の許可をおろしたのですか?」と問い合わせることになるでしょう。道義的にどうなっているのですかと、問い合わせます。私の土地を奪わなければ、そこには触れませんが、奪ってしまって26年も経っています。それを、こちらは、ずっと、目をつぶってあげているのに、どうして、今、猫まで、いじめられないといけないのかしら?

 天に、問い合わせます。『これが普通の人間のやることですか?」と。こういういじめ連中の代表たる前田夫人を、國學院大學へ推薦すると言う方法で、ご支援を、もし、本当に鶴岡八幡宮がなさったのなら、天はお怒りに成り、その象徴たる大銀杏を倒すのもむべなるかなと、私は信じます。

 ともかく、これは、ひどい。ひどすぎる。「絶対に、これを記録し、発表をする」と心を決めました。2010年9月23日  雨宮 舜
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