暑いです。本当に暑いです。こういうときに硬い話題では申し訳ないと思いながら、一つ言い残したことがあって、今日の文章を書いています。
私が鎌倉鶴岡八幡宮境内の植え込みの中に、ひっそりと隠れるようにして在った、奉納された水道の蛇口に、なぜ、あれほど感動したかが、もしかするとお若い方にはご理解できないかもしれないと思って、今、この追伸を書いております。
~~~~~~~~~~~
フウテンの寅さんが主役である映画があります。『男はつらいよ』と言うタイトルで、ほぼ、50本近い作品が公開されました。あれの第一作が公開された年にちょうど私は結婚する予定があり、出身大学の教授を訪ねました。そこは、化学の世界で白衣を着た人々が往来しています。
教授には美しい女性の助手が二人いて、お一人が、こういったのです。「私の主人はね、フウテンの寅さんが大好きなのよ」と。私は驚きました。彼女自身も彼女のご主人も大学の先輩に当たることは知っていました。
私の出身大学には、のちに、大竹しのぶのご主人になる服部さん(しかし既に亡くなっている)や、『釣り馬鹿日誌(第一作)』を監督した栗山さんが卒業生の中にいますが、
白い腹巻とステテコ姿のフウテンの寅さんが好きだと明言する人がいるとは、その時点では信じられませんでした。そのときまで、私はフウテンの寅さんの実像には一切接した事が無かったのです。
~~~~~~~~~~~
しかし、ここが今日の文章のミソです。フウテンの寅さんとは全国の神社仏閣のお祭りをまわるテキやとか、やし(香具師)と呼ばれている人たちで、ある意味でアウトローの一種なのです。アウトローといっちゃうと格好が良いのですが、かたぎではないというと、格好が悪くなり、差別の対象となります。
今、NHKの朝ドラで、急に深刻な展開が、2週続き、主人公のつばさ(一種の天使と言う概念を持つ清純なおとめ)の父が、もと、やくざの鉄砲玉だったという設定が展開し(これについては別の機会に詳細に述べたいのですが)
家族全員が傷ついて、そこから、やっとの思いで回復をするのですが、同時に、ドラマではないこの現実世界では、酒井のり子と言う有名なタレントが、覚せい剤の件で大騒ぎにもなっていて、週刊誌の中吊り広告だけを読む限り、お父さんがやくざだったと出ています。(こちらについては、私はテレビも見ないし、新聞も読まないので、詳しい事を述べるのは将来ともないでしょう。批判もするつもりもないし、責めるつもりもないし、何も語らないと思いますが・・・・・)
たまたま、ですが、親族にやくざとか、てきやとか、やし(香具師)と呼ばれる人を抱えている、人たちの苦しみを連続して見たので、今まで言わなかった部分を語る勇気が出たのです。
~~~~~~~~~~~~~
それは、八幡宮の境内に集まる出店の人たちもそういう種族の人たちなので、実は心理的な差別の、対象になる人たちだという事です。私は自分の二冊目の本『れすとらん・ろしなんて』の中で・・・・・鎌倉には文化人が多い。それゆえに、やはり、カーストは存在する・・・・・と書いています。そういう日本の中に現在もあるカーストからいえば、低い存在が、八幡宮境内の出店の人たちなのです。
ただね。フウテンの寅さんみたいな元気なヒトはいませんよ。静かなものです。
五年ぐらい前までは日本経済が活発だったので、老いも若きも、外出用の(=遊び)のためのお小遣いが多かったのでしょう。鶴岡八幡宮の大晦日から、元旦にかけてはすさまじい人出で、警察のマイクが、「ロープが上がりまーす。石段に向かってくださーい」とか、「ロープが下がりまーす。進むのをやめてくださーい」とがなっていました。今はそれが真夜中には、ほとんど聞こえないので、却ってさびしいぐらいです。
で、大晦日には、八幡宮様経営の駐車場には、この出店の人たちの大型車がひしめくように停まっていて、道路のあちこちに、この出店組合の人たちが、設置したゴミ箱が置かれ、善男善女たちが買って立ち食いをしたやきそばの空き箱や、ホットドッグの棒などが、一杯詰め込まれていて、活気に満ち溢れていました。
最近ではそれもあまり見られない風景で、なんだか、悲しいですが、1990年代当時の出店の人たちの活気もすさまじい勢いでした。いまはね。みなさん、軽・発電気を使用しています。アセチレン灯ではありません。明るいライト。
そして、大型のプロパンガスボンベを持ち込んで、家族とか親族総出で、大きな鉄板で焼きそばを焼いていたりします。だから、一種の中小企業であり、寅さんのような小さな規模ではありません。
そして、その人たち自身には、ご自分が差別をされている方だなどと言う感覚はないでしょう。すごくあかるくなりました。
~~~~~~~~~~~~
ここで、挿入ですが、例のNHK朝ドラのつばさには、斉藤興業社長と言う面白い人物が登場します。西条秀樹がぶっ飛んだ演技で挑戦している、役柄ですが、多分そういうあかるい系統の(やくざ?)として、今では認知されている職種でしょう。しかし、50年前は、絶対にそうではなかったはずです。
フウテンの寅さんの中でも(実はテレビ放映で、私も四、五本既に見ていますが)、おいちゃんとおばちゃん、そして、妹さくら(実は異母妹と言う設定なんですって、昨日まで知りませんでした。寅さんは父がゲイシャに生ませて子で、妹は本妻の子なんですって、全然知りませんでした。それほど、妹は兄思いです)と、そのだんな、または、その夫婦の息子が住む、柴又帝釈天傍のおだんごやに帰ってくると、『ああ、また、寅が失敗をしやがって』とみんなが心配をするのです。
でも、人気のある映画ですから、すごくうまく出来ていて、寅さんは愛嬌たっぷりな好人物として描かれていて、また、主演の渥美清がうまいこと、うまいこと。
このお茶の間での寅さんの、その日より前の、半年間の旅の報告は、スタッフとキャストたちから『寅さんのアリア』と呼ばれるほど、尊敬をされていたそうです。つまり、単なる・て・き・や・としての稼業の報告ではなくて、必ず誰か美しいヒト(マドンナと称されて、時の旬の女優さんが選ばれる)に惚れてしまうのですが、恋は最後までは到達しないのです。振られてしまうか、自分から引くかのどちらかで、マドンナは、他のヒト、つまり、普通の勤めをやっているヒトと結婚をする事になります。
その模様を聞きながら、寅さんがかわいそうでもあるし、滑稽でもあるし、・・・・・ひやひや、はらはらして聞いている。
『この仕事をやめて、落ち着いてくれたらいいなあ』と、みんなが思っています。『その近辺の工場にでも勤めてくれたらいいなあ』と思っていながら、『それが、寅さんには似合わない事』をみんなが知っているお茶の間の場面。
あかるいです。おもしろいです。そして、ほろっときます。だけど、映画だから(イコール)虚構の世界だからいいんですが、もし、普通のサラリーマンの家庭で、こういう子どもが生まれたら、絶対に家族の中には悶着が起こります。
また、元に戻りますが、NHKのつばさ内ではお家元の息子が、ミュージシャンになって勘当をされているという設定も現れました。皆さんの中には、「まさか、そんな大げさな事、現代には、起こりえないでしょう」と仰る方もあるかもしれませんが、わたくしなんぞ、同期の友達(女性)が、学生運動にのめりこんで、親(大学教授)から勘当をされて、経済的に行き詰まって、早死になさったと、言う噂を聞いているので、あり得る発想だと思っています。
繰り返しますが、映画やドラマの中なら、何が起きても良いのです。でも、現実の社会の中には、差別感はあり、現実の生活は大変です。
特に50年ほど前までは。そういう差別感の中で、堂々と、鶴岡八幡宮様へ「新しい水道の蛇口を作ってください」とお願いした、50年前の、当時の出店組合の人たちは本当に勇気があるし、考え深いし、偉いです。
八幡宮様も一種の流しの役目をしている鉄板が既に、さびて穴が空いているので、あれは、取り替えてあげたら、八幡宮様の度量の深さと、『やはり、神様は違う。偉いなあ』と言う庶民の尊敬を仰げるでしょう。
~~~~~~~~~~
ところで、また、映画の方に戻ります。フウテンの寅さんは本当によくできていて、フウテンの寅さんの人懐っこさが、あらゆる場面で人々の心を溶かし、暖かな人間関係を生みますが、なんと、柴又帝釈天の御前様(いわゆるトップの方)とも仲良しと言う設定になっています。こういう設定も・・・いわゆる・・・ユメを売る・・・映画となっているところで、ファンが大勢いる映画となって行った理由の一つでしょう。
今日の文章はとても長いです。しかも一種のあと説明となっています。ただ、私たちの心は、普段はここまで深くはものを見ないです。せっかくものを見つめた機会なので、それを、公開をさせて頂きました。宜しくお願いします。
09-8-22 雨宮舜(川崎 千恵子)
私が鎌倉鶴岡八幡宮境内の植え込みの中に、ひっそりと隠れるようにして在った、奉納された水道の蛇口に、なぜ、あれほど感動したかが、もしかするとお若い方にはご理解できないかもしれないと思って、今、この追伸を書いております。
~~~~~~~~~~~
フウテンの寅さんが主役である映画があります。『男はつらいよ』と言うタイトルで、ほぼ、50本近い作品が公開されました。あれの第一作が公開された年にちょうど私は結婚する予定があり、出身大学の教授を訪ねました。そこは、化学の世界で白衣を着た人々が往来しています。
教授には美しい女性の助手が二人いて、お一人が、こういったのです。「私の主人はね、フウテンの寅さんが大好きなのよ」と。私は驚きました。彼女自身も彼女のご主人も大学の先輩に当たることは知っていました。
私の出身大学には、のちに、大竹しのぶのご主人になる服部さん(しかし既に亡くなっている)や、『釣り馬鹿日誌(第一作)』を監督した栗山さんが卒業生の中にいますが、
白い腹巻とステテコ姿のフウテンの寅さんが好きだと明言する人がいるとは、その時点では信じられませんでした。そのときまで、私はフウテンの寅さんの実像には一切接した事が無かったのです。
~~~~~~~~~~~
しかし、ここが今日の文章のミソです。フウテンの寅さんとは全国の神社仏閣のお祭りをまわるテキやとか、やし(香具師)と呼ばれている人たちで、ある意味でアウトローの一種なのです。アウトローといっちゃうと格好が良いのですが、かたぎではないというと、格好が悪くなり、差別の対象となります。
今、NHKの朝ドラで、急に深刻な展開が、2週続き、主人公のつばさ(一種の天使と言う概念を持つ清純なおとめ)の父が、もと、やくざの鉄砲玉だったという設定が展開し(これについては別の機会に詳細に述べたいのですが)
家族全員が傷ついて、そこから、やっとの思いで回復をするのですが、同時に、ドラマではないこの現実世界では、酒井のり子と言う有名なタレントが、覚せい剤の件で大騒ぎにもなっていて、週刊誌の中吊り広告だけを読む限り、お父さんがやくざだったと出ています。(こちらについては、私はテレビも見ないし、新聞も読まないので、詳しい事を述べるのは将来ともないでしょう。批判もするつもりもないし、責めるつもりもないし、何も語らないと思いますが・・・・・)
たまたま、ですが、親族にやくざとか、てきやとか、やし(香具師)と呼ばれる人を抱えている、人たちの苦しみを連続して見たので、今まで言わなかった部分を語る勇気が出たのです。
~~~~~~~~~~~~~
それは、八幡宮の境内に集まる出店の人たちもそういう種族の人たちなので、実は心理的な差別の、対象になる人たちだという事です。私は自分の二冊目の本『れすとらん・ろしなんて』の中で・・・・・鎌倉には文化人が多い。それゆえに、やはり、カーストは存在する・・・・・と書いています。そういう日本の中に現在もあるカーストからいえば、低い存在が、八幡宮境内の出店の人たちなのです。
ただね。フウテンの寅さんみたいな元気なヒトはいませんよ。静かなものです。
五年ぐらい前までは日本経済が活発だったので、老いも若きも、外出用の(=遊び)のためのお小遣いが多かったのでしょう。鶴岡八幡宮の大晦日から、元旦にかけてはすさまじい人出で、警察のマイクが、「ロープが上がりまーす。石段に向かってくださーい」とか、「ロープが下がりまーす。進むのをやめてくださーい」とがなっていました。今はそれが真夜中には、ほとんど聞こえないので、却ってさびしいぐらいです。
で、大晦日には、八幡宮様経営の駐車場には、この出店の人たちの大型車がひしめくように停まっていて、道路のあちこちに、この出店組合の人たちが、設置したゴミ箱が置かれ、善男善女たちが買って立ち食いをしたやきそばの空き箱や、ホットドッグの棒などが、一杯詰め込まれていて、活気に満ち溢れていました。
最近ではそれもあまり見られない風景で、なんだか、悲しいですが、1990年代当時の出店の人たちの活気もすさまじい勢いでした。いまはね。みなさん、軽・発電気を使用しています。アセチレン灯ではありません。明るいライト。
そして、大型のプロパンガスボンベを持ち込んで、家族とか親族総出で、大きな鉄板で焼きそばを焼いていたりします。だから、一種の中小企業であり、寅さんのような小さな規模ではありません。
そして、その人たち自身には、ご自分が差別をされている方だなどと言う感覚はないでしょう。すごくあかるくなりました。
~~~~~~~~~~~~
ここで、挿入ですが、例のNHK朝ドラのつばさには、斉藤興業社長と言う面白い人物が登場します。西条秀樹がぶっ飛んだ演技で挑戦している、役柄ですが、多分そういうあかるい系統の(やくざ?)として、今では認知されている職種でしょう。しかし、50年前は、絶対にそうではなかったはずです。
フウテンの寅さんの中でも(実はテレビ放映で、私も四、五本既に見ていますが)、おいちゃんとおばちゃん、そして、妹さくら(実は異母妹と言う設定なんですって、昨日まで知りませんでした。寅さんは父がゲイシャに生ませて子で、妹は本妻の子なんですって、全然知りませんでした。それほど、妹は兄思いです)と、そのだんな、または、その夫婦の息子が住む、柴又帝釈天傍のおだんごやに帰ってくると、『ああ、また、寅が失敗をしやがって』とみんなが心配をするのです。
でも、人気のある映画ですから、すごくうまく出来ていて、寅さんは愛嬌たっぷりな好人物として描かれていて、また、主演の渥美清がうまいこと、うまいこと。
このお茶の間での寅さんの、その日より前の、半年間の旅の報告は、スタッフとキャストたちから『寅さんのアリア』と呼ばれるほど、尊敬をされていたそうです。つまり、単なる・て・き・や・としての稼業の報告ではなくて、必ず誰か美しいヒト(マドンナと称されて、時の旬の女優さんが選ばれる)に惚れてしまうのですが、恋は最後までは到達しないのです。振られてしまうか、自分から引くかのどちらかで、マドンナは、他のヒト、つまり、普通の勤めをやっているヒトと結婚をする事になります。
その模様を聞きながら、寅さんがかわいそうでもあるし、滑稽でもあるし、・・・・・ひやひや、はらはらして聞いている。
『この仕事をやめて、落ち着いてくれたらいいなあ』と、みんなが思っています。『その近辺の工場にでも勤めてくれたらいいなあ』と思っていながら、『それが、寅さんには似合わない事』をみんなが知っているお茶の間の場面。
あかるいです。おもしろいです。そして、ほろっときます。だけど、映画だから(イコール)虚構の世界だからいいんですが、もし、普通のサラリーマンの家庭で、こういう子どもが生まれたら、絶対に家族の中には悶着が起こります。
また、元に戻りますが、NHKのつばさ内ではお家元の息子が、ミュージシャンになって勘当をされているという設定も現れました。皆さんの中には、「まさか、そんな大げさな事、現代には、起こりえないでしょう」と仰る方もあるかもしれませんが、わたくしなんぞ、同期の友達(女性)が、学生運動にのめりこんで、親(大学教授)から勘当をされて、経済的に行き詰まって、早死になさったと、言う噂を聞いているので、あり得る発想だと思っています。
繰り返しますが、映画やドラマの中なら、何が起きても良いのです。でも、現実の社会の中には、差別感はあり、現実の生活は大変です。
特に50年ほど前までは。そういう差別感の中で、堂々と、鶴岡八幡宮様へ「新しい水道の蛇口を作ってください」とお願いした、50年前の、当時の出店組合の人たちは本当に勇気があるし、考え深いし、偉いです。
八幡宮様も一種の流しの役目をしている鉄板が既に、さびて穴が空いているので、あれは、取り替えてあげたら、八幡宮様の度量の深さと、『やはり、神様は違う。偉いなあ』と言う庶民の尊敬を仰げるでしょう。
~~~~~~~~~~
ところで、また、映画の方に戻ります。フウテンの寅さんは本当によくできていて、フウテンの寅さんの人懐っこさが、あらゆる場面で人々の心を溶かし、暖かな人間関係を生みますが、なんと、柴又帝釈天の御前様(いわゆるトップの方)とも仲良しと言う設定になっています。こういう設定も・・・いわゆる・・・ユメを売る・・・映画となっているところで、ファンが大勢いる映画となって行った理由の一つでしょう。
今日の文章はとても長いです。しかも一種のあと説明となっています。ただ、私たちの心は、普段はここまで深くはものを見ないです。せっかくものを見つめた機会なので、それを、公開をさせて頂きました。宜しくお願いします。
09-8-22 雨宮舜(川崎 千恵子)