皆様は、バスを普段よくお使いになりますか? 私は日本でも、電車を利用して降車後、15分程度は歩くと言うほうが好きです。これが、海外にいると、さらに、地下鉄派となります。もし、バスに慣れると、用事で移動するときに窓外の景色を楽しむ事ができると思いますけれど、路線図がなかなか手に入らず、しかも複雑ですよね。だから及び腰になってしまいます。
でも、私は海外の滞在と言うと必ず、版画修行に出かけるので、毎日同じ場所に通うことになります。となると、だんだん慣れてきて、他のルートを使って試してみたいなと思うようになりました。で、版画工房の知り合いに『どうしたら、良いか』を問い合わせ、その通りにトライしてみることにしました。
天気の良い日でしたが、辺りは全く静かで、人通りも車の通りもなく、私はたった、一人でそのバス停のベンチに座って、バスの来るのを待っておりました。すると、5分ぐらいしてから、隣に、あるご老人がやってきて座りました。
そのご老人の様子ですが、痩せておられること、それだけはすさまじいほどで、私は、『ああ、この方は、相当なインテリだろう』と先ず思ったのです。こんなことをここで、急に言うのは、この12日の日曜美術館で、桜井浜江さんの特集があったからなのです。
太宰治の「饗応夫人」のモデルになった方ですが、女流展に長く出品をしていて、当時の会長でいらしたので、実像を知っている私にとっては、『とても、痩せておられた』と言う思い出が、強い方なのです。
気を使って、気を使って生きてこられたそうです。その桜井浜江さんを、パリのそのバス停で連想したのでした。
で、そのご老人について感じたのはそれだけです。汚い人などとは全く思いませんでした。洋服だってちゃんとしておられましたよ。
そして、彼が座った途端だったと思いますが、注目していた進入路から、私が乗りたい番号のバスが遣ってきました。それを、見た途端、待っていたものですから、私は立ち上がりました。
すると突然、隣のご老人が怒り出したのです。もちろんフランス語でね。
私は『あれ、困ったなあ。この人は私が明らかにアジア人と言う様子をしているのに、フランス語が、完璧だと思っているのかしら。私は、英語なら、使えるけれど、フランス語はまだ、会話が自由だと言えないのよ。
ここは、英語で何かを言うべきかなあ?』と、いったんは思いましたけれど、すぐ、バスが来るのも知っているので、その会話は抑えて、ただ、指で、こちらに進入してきつつあるバスを指し示しました。
するとご老人はほっとした様子を見せて、『ああ、僕は誤解をしていた。あなたが僕を嫌って立ち上がったのかと思ったのだ』と言われました。私はただ、にっこりしました。
彼が最初に言ったことは「どうして、僕が来た途端に立ち上がるのだ。僕は汚い人間でもなんでもないのに」だったのです。その質問自体が、彼の方の過剰な誤解だった事、そして、私は彼を嫌ってなどいない事が、その笑顔一つで、伝えられました。
先ほど、桜井浜江さんに言及しましたが、どうして、ここで、二つを結び付けたかと言うと、このご老人も、他者に気を使う人なのです。きっとそうなのです。繊細で神経質で、したがって傷つき易い人でしょう。でもね、その人の小さな不安を、すぐ、解消して上げられたことは、こちらにも嬉しいことでした。
尚、右上の小さな像は、12号の油絵で、毛糸など使っております。
2008年10月13日 (川崎 千恵子)
でも、私は海外の滞在と言うと必ず、版画修行に出かけるので、毎日同じ場所に通うことになります。となると、だんだん慣れてきて、他のルートを使って試してみたいなと思うようになりました。で、版画工房の知り合いに『どうしたら、良いか』を問い合わせ、その通りにトライしてみることにしました。
天気の良い日でしたが、辺りは全く静かで、人通りも車の通りもなく、私はたった、一人でそのバス停のベンチに座って、バスの来るのを待っておりました。すると、5分ぐらいしてから、隣に、あるご老人がやってきて座りました。
そのご老人の様子ですが、痩せておられること、それだけはすさまじいほどで、私は、『ああ、この方は、相当なインテリだろう』と先ず思ったのです。こんなことをここで、急に言うのは、この12日の日曜美術館で、桜井浜江さんの特集があったからなのです。
太宰治の「饗応夫人」のモデルになった方ですが、女流展に長く出品をしていて、当時の会長でいらしたので、実像を知っている私にとっては、『とても、痩せておられた』と言う思い出が、強い方なのです。
気を使って、気を使って生きてこられたそうです。その桜井浜江さんを、パリのそのバス停で連想したのでした。
で、そのご老人について感じたのはそれだけです。汚い人などとは全く思いませんでした。洋服だってちゃんとしておられましたよ。
そして、彼が座った途端だったと思いますが、注目していた進入路から、私が乗りたい番号のバスが遣ってきました。それを、見た途端、待っていたものですから、私は立ち上がりました。
すると突然、隣のご老人が怒り出したのです。もちろんフランス語でね。
私は『あれ、困ったなあ。この人は私が明らかにアジア人と言う様子をしているのに、フランス語が、完璧だと思っているのかしら。私は、英語なら、使えるけれど、フランス語はまだ、会話が自由だと言えないのよ。
ここは、英語で何かを言うべきかなあ?』と、いったんは思いましたけれど、すぐ、バスが来るのも知っているので、その会話は抑えて、ただ、指で、こちらに進入してきつつあるバスを指し示しました。
するとご老人はほっとした様子を見せて、『ああ、僕は誤解をしていた。あなたが僕を嫌って立ち上がったのかと思ったのだ』と言われました。私はただ、にっこりしました。
彼が最初に言ったことは「どうして、僕が来た途端に立ち上がるのだ。僕は汚い人間でもなんでもないのに」だったのです。その質問自体が、彼の方の過剰な誤解だった事、そして、私は彼を嫌ってなどいない事が、その笑顔一つで、伝えられました。
先ほど、桜井浜江さんに言及しましたが、どうして、ここで、二つを結び付けたかと言うと、このご老人も、他者に気を使う人なのです。きっとそうなのです。繊細で神経質で、したがって傷つき易い人でしょう。でもね、その人の小さな不安を、すぐ、解消して上げられたことは、こちらにも嬉しいことでした。
尚、右上の小さな像は、12号の油絵で、毛糸など使っております。
2008年10月13日 (川崎 千恵子)