銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

パリのヴェトナム人

2008-10-26 01:17:08 | Weblog
 本当に古い話で申し訳ございませんが、私は、1998年パリに滞在していました。そのときは、まだ、パソコン音痴で手書きの人でした。そして、まだ、お小遣いに余裕のあるときだったので、サン・ポールからバスティーユに向かう左側にある文房具屋で、箱に入ったレターペーパーを買うのが楽しみでした。日本ですと、便箋とは上の部分が薄くのりがついた、台紙付の、縦型のものが多いのですが、パリのものは、幅がA4より広く、上下が少し、短くて、50枚程度が、きれいな箱に入っているのです。

 一枚一枚も厚くて(つまり、和紙の文化の国ではないので)、上にエンボス(浮き彫り)が入っていたり、または、全面にプリントが入っていたりします。それを、買ってきて、水茎麗しく、日本語を書く。

 時々は先生への(これは、ニューヨーク時代の方でしたが)、レポートや、小論文を書く・・・・・・とものすごく驚かれます。私は、1950年代に中学生だったので、手書きのイタリックと言うのが身についているのですが、アメリカ人(またはフランス人)は、昔からタイプライターを使うので手書き文字は非常にぎこちない人が多いのです。

 これも芸は身を助けるの一つです。ところで、私がお借りしていたアパルトマンは、日仏両方の国でとても有名な、現代アート系の作家(この場合は美術の人を専門的に呼ぶ形式)である島田しづ先生が、持っていらしたもので、その客間の一部にしっかりした木製の作業台にも使えるテーブルがありました。

 その椅子の背もたれが直角になるものでした。お部屋全体はクラシックで、王宮風ですが、そのテーブルだけはまことに使い易くて、私はそこで、夜は手紙類を書くのを本当に楽しみにしていたのです。電話は、ファックスが使えないクラシックなタイプで、時差があるので、ほとんど用足しには仕えません。

 今ならメールとかブログの時代ですが、当時の私は、クラシックにクラシックに手紙を書いていたのです。それが相手に差し上げっぱなしだと、もったいないような、パリでの、素敵な体験を書いているものですから、コピーをとりたいと思ったのです。幸いにして大きなキャノンの事務センターが近所にありました。男性が二人、女性が一人スタッフとして対応をしてくれるのです。

 私はコピーぐらいは取れますが、縮小やら拡大の事が、フランス語で案内が書いてあるので、判らなくて、スタッフを呼びました。女の子はすらっとして背が高く、女優の<あめく・みちこ>の、髪だけをショートカットにした様な、ステキな女性で、私はてっきり日本人だと思って、日本語で、「あの、ちょっと、これ判らないのですが」と話しかけると、彼女はきょとんとしています。

 キャノンが日本の会社ですから、日本人を雇っていると思ったのですが、違うのでした。でも、韓国系とも中国系とも思えません。背がすらっと高くて、・・・・・『そうか。親の世代から、フランスへ来ているヴェトナム系なんだ』と、少したって納得をしました。彼女はヴェトナム語と、フランス語の両方をマスターしなければならないので、英語は不得意らしくて、英語で言い直した私の質問は、わからないようで、男性社員に私の質問を任せたのです。

 この女性ほど、生きがよくてそして、美しいヴェトナム人にはその後は、出あえませんでした。

 が、ヴェトナム料理の店は割りと数があって、人気があるようでした。私はパリ在住の方から、ご馳走になった機会がありますが、いつも、相手様がヴェトナム料理を選ばれて、そして、私もそれを、おいしいと思いました。さっぱりしていて、そして、量も適宜です。
   では、2008年10月26日           川崎 千恵子
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