AMASHINと戦慄

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東亜九頭龍絵巻

2013年03月01日 | ルルイエ異本
現在、熟読中の書き下ろし<クトゥルー神話>アンソロジー『秘神界』であるが、入手困難であったこの稀覯書を手にした時の感激とは裏腹に、なかなか読み進めないでいる。
これまで幾編かの日本人作家によるクトゥルー作品を読み漁ってきたけど、まぁ最初の頃は和風テイストを暗黒神話に盛り込む作家のギミックの妙を大いに楽しませていただいていたが、今となってはその新鮮さも驚きも減退してきている。
本書でも、『ネクロノミコン』を『涅久録之密経』といった程度のあて字遊びが随所に出てくるが、そういうのにも飽きた。

歴史編は先月読了したが、様々な舞台、時代のクトゥルー神話が掲載されていた。
『邪宗門伝来秘史(序)』という物語では、キリスト教を布教しに日本に渡来したフランシスコ・ザビエルが、突如「ダニチ(大日如来)」なる邪教に帰依し、日本各地で暗黒の布教活動を行う話であるが、アイデアとしては面白いし、歴史資料などを丹念にリサーチして、史実に沿ってうまい具合にクトゥルーテイストを盛り込む作者の努力は認めるが、いかんせん、ストーリー展開が単調かつ稚拙でつまらない。



本書中、最も始末に負えなかったのが、『五瓶劇場 戯場国邪神封陣』という歌舞伎作家を主人公とした江戸物クトゥルー話。まず漢字の多さに辟易させられる。顔見世興行のシステムやうんちくをイヤというほど説明され、葛飾北斎や森島中良、十返舎一九などの江戸時代に活躍した著名な浮世絵師や浄瑠璃作家などが節操なく続々と登場し、その著作をダラダラと並べたてるという・・・いや、禁断の書物を並べたてるってのは、クトゥルーもんの慣習ではあるが、日本文学史の講釈聞きたいのとちゃいまんねん!
そのくどくどしさに、何度も本を床に叩き付けたくなる衝動にかられたが、なんとか正気を保っていた。で、肝心の邪神退治の場面は、緊張感もクソもなくアッサリとかたづけられるという、知識は残らないが、疲労感だけが残る駄作。

ツイッターで偶然見つけた『九頭龍浮世絵図』。あまりのセンスの良さに正気を失いかけた。
http://cybernetic.blog.shinobi.jp/



ただ、中には暗黒神話慣れしきった私の下劣な好奇心を大いに満たしてくれる作品も何編かあって、『西遊記』をベースにした『苦思楽西遊傳(クスルウーさいゆうでん)』は、大いにこころ騒がされる傑作であった。
古代中国を舞台としたこの物語は、「孫悟空の述懐」、「緒悟能の記憶」、「沙悟浄の物語」という、三つの章から構成されており、各章で3キャラクターが語り部として物語が進んでいく。各々の語り口調や語気にもそれなりの個性や迫力があって、本格的な中国伝奇小説を読んでるかのような雰囲気が楽しめる。
彼らが目指すは、超知識の宝庫、全ての事柄を記した図書館と言われる“無名都市”。ま、西遊記でいう“天竺”だ。五感を敏感にする“遼丹”、黄金の蜜酒+横笛+呪文でもってして出で現れる“白竜”(バイアクヘー?)など、気のきいた神話的小道具も随所に出てくる。
そして彼らが師匠、三蔵法師玄奘の双眼には、ポッカリと黒い穴が穿たれていたのであった!
ここまで説明したら、この物語がなんのパロディか、もうおわかりですね。
まぁ、ダーレス原作の元ネタ作品はダラダラと退屈な話であったが、クトゥルー神話を体系化させるにあたって、確かにあれはクトゥルーネタの宝庫的作品であったことを再認識。
でも、こっちの『苦思楽西遊傳』の方が、スマートにまとめられていて好み。



今日の1曲:『MONKEY MAGIC』/ ゴダイゴ

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