酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

振袖火事 本妙寺の変だな

2014年09月23日 | 坂道
江戸の大半を焼きつくし およそ10万人が焼け死んだといわれる明暦の大火

通称 振袖火事は明暦3年(1657年)に起こりました 火元は本郷にあった本妙寺といわれています

名刹本妙寺には江戸後期の町奉行 遠山の金さん 北辰一刀流の祖千葉周作の墓もありました

寺は 明治43年に豊島区へ移転しています



現在 本妙寺坂の跡地にはマンションが建っています


明暦の大火がなぜ振袖火事と呼ばれるのか 伝承されている由来によれば・・・

① 麻布の質屋の一人娘梅野が母親に連れられて 菩提寺の本妙寺にお参りをした

  そのときすれ違った寺小姓風の美少年に魅せられた

  梅野は母親にねだって その少年が着ていたのと似た振袖をあつらえて 少年を恋し続けるが

  明暦元年1月16日哀れにも17歳で亡くなってしまう

  両親は梅野の棺を振袖で覆い本妙寺に納めた

  住職は前例に従って古着屋にこれを売った

② ところが 翌年の梅野の命日に上野山下の紙問屋の娘の葬儀があったが 奇しくも同じ振袖が

  本妙寺に納められた

  住職は同様に古着屋に売った 娘は梅野と同じ17歳だった

③ 翌々年の梅野の命日 今度は本郷元町に住む娘の葬式があり またその振袖が寺に納められた

  この娘も17歳であった


住職はあまりの偶然に驚き 3人の娘の親と相談して明暦3年1月18日 大施餓鬼をして

最後に振袖を供養のために焼いたのだが その振袖が空中に舞い上がって 本堂内の経文や

障子などに燃え移り 屋根を焼きたちまち周囲に燃え広がったという

江戸城天守閣まで焼失したこの大火は 3日間燃え続けた


以上の挿話が 現在まで伝承されている「振袖火事」です



しかし これだけの大火災の火元であったにかかわらず 何故か本妙寺にはなんのお咎めもなし

本能寺の変ならぬ「本妙寺の変だな」

誠に変な話ではあります なにか裏があるのではないか? 勘ぐりたくなりますね


やはりありましたよ ある噂が・・・

実は火元は本妙寺に隣接した さる大名の屋敷ではないかというんですね 火の不始末 お粗末

対面を考え 犯人を本妙寺にすり替えた?

本妙寺は失火の身代わり?

幕府も真相を知っていた?

さらに 噂には尾ひれがついて 明治維新までの長い間 本妙寺には毎年その大名家から

莫大な寄進があったというのです  200年以上にわたって寺へのお礼が引き継がれてきのでしょうか


いまとなっては かの本能寺の変と同様「本妙寺の変だな事件」の真相は深い霧の中です

これが歴史の面白さでもありますね

跡地に建てられたマンションを眺めながら しばし瞑想にふけるオヤジな私でございました