文京シビックセンター展望台からのスカイツリー・・
下町の新風景です
ここからは 上野 浅草も はるか下方 霞んで見えます
映像の 左側遠方が我が街下町でしょうか
下町では 上を見上げても 空の空間が狭くなってきました
多くのビルに囲まれてますからね
ところが・・・
こちらは手製の古地図です 江戸時代の我が家近辺です!
現役時代の先輩 Mさんが贈ってくれました
Mさんは現在82歳 在職当時から都内を歩き回り 資料を基に江戸時代の地図を再現してきました
朝日新聞にも 大きく紹介されたMさんです
これは その地図の一部です
表示の内容を少し紹介しましょう
隅田川・・・古くは入間川 寛永6年以後 荒川となる
荒川放水路・・・江戸時代 水害が絶えず 明治の末 政府は放水路を計画し 大正初期より用地買収を開始したが 多くの農民が低価格の買収に苦しんだ
千住宿・・・旅篭 55戸
町屋村・戸数72 尾久村・戸数134 三河島村・戸数181 谷中本村・戸数44
用水路にナマズ多し 名産生姜 荒木田(2500坪)すみれ たんぽぽ れんげが咲き都人が足を運ぶ
このあたり 鶴の飼育場 京菜を作る 馬捨て場 千住大橋 長さ66間 浄閑寺 吉原遊女の墓
飽きることなく 地図を眺めました
ご先祖さまたちの日常生活を想像します
お日様とともに起き 陽が沈めば畑・田圃から帰路につく
家長を中心に家族揃っての食事 テレビもラジオもないのですぐ就寝でしょうね
年に何回かの祭りは楽しみだったでしょう
蛍 蛙の合唱 小川には泥鰌・魚
空はあくまでも広く 突き抜けるような青空・・・
シビックセンター展望台に集まった人たちです
年配の方々・・・昔の東京を想い 感慨に浸っていた方も多かったでしょうね
今日も いい天気です 午後から古地図を頼りに自転車で近所を回ってきます
Mさん、よく調べられましたね~。82歳とは思えません。
熱中できるものを持つ。これが元気で長生きの秘訣なんでしょうね。
82歳と言えば、「くまたぱん」の叔父と同年齢です。叔父も毎日元気に餡をこねています。
http://jyosashi.katoyasaketen.com/
古地図を頼りにご先祖様の日常生活に思いを馳せる。
良い一日になりましたね。
Mさんの刺激を受けて、オヤジな私様の腰もシャキッとなったんじゃないでしょうか。
今を眺め、昔を慮る大きな手がかりとして、古地図には大きなロマンがありますね。
Mさんが作られたんですか?
すごいですねーー
荒川放水路を見たとき、
大きいですね、
土地をてばなした農民たちの多くがいたのでしょう、
昔のものみたいな、労作ですね。
ビルを出て下町を訪ねながら浅草に出たことを思い出します。
ご多忙なところ長時間ご案内いただきありがとうございました。
古地図を手に古きを求めて歩くとは実にすばらしいことですね。
とくに変化の多い東京だから・・・
我が町は、草屋根が瓦に変わり、道路が舗装されたぐらいではなかろうか?
どの位伸びたのだろうか上京するたびに眺めていました。
古地図を片手に大丈夫でしたか?
町名が変わっているでしょうね。
お酒に卵焼き美味しく召し上がっていただき
有難うございます。いっこんま様のお酒の説明にも感謝でした。
今と昔と、ずいぶん変わってしまった事が分りますし
昔はこんなところがあったのだと、懐かしい思いもあると思います。
大統領ではご馳走になりました
奇遇な“ご縁”もしみじみ感じ
初めてのホッピーでハッピーな時間を過ごし
アンチ○○の話は興味深かったです
またいつか続きを・・・
渋い古地図には無い
未来のスカイツリーの見物はしっかり済ませました(^^;;
100年後はスカイツリーも古地図に載る事になるのでしょうね~
Mさんには、現役中から関東近辺の歴史、所縁のある場所にいろいろ案内していただきました。街の歴史家のような素敵な先輩です。
地図を頼りに自転車で走ってみました。
古い地図の小道が健在でした。
寺も昔のままです。
きっとO町の畑のような景色だったのでしょう。
くまたぱんの叔父さんもお元気でいいですね。
どちらも82歳、我々もまだまだこれからですね。
このあたりは白菜の産地として有名だったようです。
また、上野戦争で敗れた彰義隊の侍たちが農家に匿われたという話が伝わっています。
120年前の出来事ですが、地図を見てるとついこの間の出来事と錯覚してしまいます。