文京区目白台の日本女子大学構内です
男子禁制?の女子大 生まれて初めて足を運びました
抗がん剤治療も ようやく第4クルーが終了
いままで生じなかった息切れ 軽い眩暈と吐き気という副作用が表われました
やはり 体内に抗がん剤が蓄積されたのでしょう
それでも 体調がよかった2月の晴天の一日
ボランティア仲間に誘われて 出かけてきました
「女子大学校創立の恩人ー広岡浅子展」
NHK連続テレビ小説「あさが来た」主人公のモデルである実業家の広岡浅子が 日本女子大創立者の成瀬仁蔵に資金集めで協力するため宛てた手紙などを紹介していました
浅子の写真も20点が並び 1906年に撮影された記念写真には 成瀬や政治家の大隈重信
卒業生で 後に社会運動家になる平塚らいてうが一緒に写っていました
男尊女卑の風潮のあった当時の世の中をよくするために 女性自身の意識を変えるために
”九転十起”で道を切り開いてきた広岡浅子
テレビドラマで注目されている浅子の実像の一端を生の資料から感じ取ることができました
ドラマでは紹介されませんでしたが 実在の主人公は嫁入りのときには肺結核を患っており 後には乳癌に冒されたが手術で治癒している
匕首で腹部を刺されて深手をおっても奇跡的に回復
大正八年に腎臓の病で生涯を終えたが 結核や癌の再発はなかったという
腎臓がん術後のわが身としては 浅子さんから勇気を貰ってきました
見学後の椿山荘でのコーヒータイム
ボランティア仲間のみなさんからも エールをいただき これからの観察治療に努めていくことになりました
頑張ってください
朝が来た毎朝楽しみに見ています
そういえば結核にかかったところはやりませんでしたね
今は以前になかった副作用と、戦っていらっしゃるのですね。
でも、そんなとき「あがきた」のレポートをしてくださるのは、どんどん快方に向かってのことと、お慶びします。
「あさがきた」は毎朝楽しみに観ています。
ドラマにない、なまの「平岡浅子」さんの実像からいただいた元気のおすそ分けをいただきました。
頑張っていらっしゃいますね。
エールを送ります。
朝はドラマを見ていないので存じ上げませんでしたが、椿山荘でのお茶はいいですねー
きれいでしたか?
いまごろは何の花が咲いているのでしょうか。
野球界に激震が走りましたよ。
おやじさんのレポートを待っていますね。
そうして今日3月9日、サンキュウといいたいです。
副作用おつらいですよね。
それなのに、「あさが来た」をレポートしてくださって、
ありがとうございます。
こういう方がいらっしゃったから、
女性の社会参加も当たり前になったんですね。
どうぞ、お元気でと祈っています。
ご気分がいい時にトラックバックしたひなまつり見てくださいませ。
闘病中だったのですね。
元気で外出で、良かったです。お元気そう。
<朝が来た>は楽しみに見ています。
抗がん剤という、トンネルを抜けると、快晴が見れることと思います。
当時を見ると、浅子さんの生命力はすごいと思います。
元気で、外におでかけ、よかったです!
太陽を浴びること、大切なことです!
感謝しなければ・・・
後に平塚らいてうさんの「青鞜」創刊号の表紙を描いたのは、高村智恵子です。
福島県安達町の造り酒屋生まれ、やはり日本女子大で洋画を学んだようです。
お元気でご活躍のことと思います。
お大事に!
抗がん剤もう少しだと思いますがひと頑張りしてください、
こんなことを書くと気分が悪いかもしれませんが、私は抗がん剤をやらなかったのと、今回帯状疱疹で一週間ニューインしたのですが痛くもかゆくもありませんでした、
私の友達も一緒に順天堂で血液がんの抗がん剤治療をしていましたが今回めでたく打ち上げとなりました、もう少しです。
ご返事が遅くなりました。
ヒロイン、浅子さんともあと一週間余りでお別れですね。術後の半年間、朝から元気をもらった番組でした。
4クルー、最後の抗がん剤の副作用。
呼吸が荒くなる。眩暈がする・・・
やっと収まってきました。
平常に戻りつつあります。
ご無沙汰してしまいました。
一昨日、東京は桜の開花宣言がありました。
やっと暖かくなって、体調が戻りつつあります。
副作用がおさまりつつあります。
春休みの孫たちが遊びにきます。
午後から浅草にでも出かけてみましょう。
昨夜のテレビ、津田梅子さん。
朝の広岡浅子さん。明治の女性から勇気と元気をいただいています。