今朝も懲りずにコンパクトカメラをポケットに入れて散歩に出る。雲の多かった昨日とは打って変わって、朝からスッキリと晴れ上がっている。放射冷却もなく、なんだか春のような陽気だ。天気予報でも今日は15度を超えると言っているから、暖かな一日になるだろう。
日が昇って来たので、早速写真を撮り始める。でも、カメラのファインダーに映る被写体の色と、撮った後の色がかなり違う。どこかおかしいのか、それともこれがこのカメラの限界なのかと思っていたら、カメラに内蔵されたモードのせいだとわかった。近頃のカメラは性能が良過ぎて、ポップな色合いにしたり、コントラストを強めたり、トイモードと言って風景がオモチャみたいに撮れたりと、勝手にいろんなことをやってくれる。いやいや、普通に撮りたいのだよ。
あちこちいじくりまわし、ようやく普通モードにすることができた。
で、パチリ。昨日の朝と同じ場所で、ほぼ同じ時間帯に撮っているのに、この明るさの差はすごい。曇っているか晴れているかで、こんなに違うものなのか。
それにしても、これを書いている現在、太陽は高く昇り、まったくもって暖かでのどかな陽気になっている。不思議なもので、ポカポカと暖かな陽気では、何もなくても幸せな気分になるから不思議だ。「小春日和だなあ」とまったりする。
そう口にした瞬間、あれ、待てよ、小春日和ってこの季節を指すんだよなと自信がなくなった。早速ウィキペディアで調べてみると「晩秋から初冬にかけての、暖かく穏やかな晴天である」と書いてある。おお、間違いなかった。その後には、北米では同じような天気をインディアン・サマーと呼ぶとあり、小春日和と訳すと説明している。インディアン・サマーなんて言われてもピンと来ない。なんのこっちゃと思ってしまう。やはり、小春日和という語感が、幸せ感を連れて来てくれるのである。
小春日和がこの時期の季語だとわかったので、「小春日和」を使った代表的な俳句ってなんだろうと思い検索してみると、「小春日和」と同じ意味で、「小春日」とか「小春」が使われるとある。17音しか使えない俳句では、小春日和では文字数が多すぎると考えるのだろうか。実際調べてみると、なかなか小春日和を使った有名な俳句というものは見つからない。ほんの二文字か三文字をケチってでも表現したいものって、一体何なんだろう。僕としては「びより」という部分が好きなんだけどなあ。「小春日和」というだけで、あとはもう蛇足のような気がしてしまう。
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