おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

とりあえず読む

2019-01-18 11:39:27 | 日記

 土曜日までに図書館から借りてきた本を読んでしまわなければならないため、せっせと読書に勤しんでいる。取り立てて面白くないものは途中で放り出してもいいし、面白ければ継続して借りてきてもいいのだが、2週間して読まないような本は、何度挑戦しても読み終えないに違いないと、とりあえず期限内を目標に読む。

 歴史を取り扱った番組でよく顔を見る磯田道史さんと嵐山光三郎さんの対談「影の日本史にせまる」は、あと数ページを残すのみだが、内容がかなり専門的でよくわからない。わかってもわからなくても、無視して読み進める。僕の稚拙な脳みそと薄い知識では、どっちみち完璧に理解することなどは不可能なのである。西行さんが武士の身分を捨てて坊さんになったのは知っていたが、北面の武士という超エリートだったはことは知らなかった。武士の身分を捨てたのは、平氏やら源氏やら、南北朝やら、やたらに血なまぐさい時代で、誰に味方をしても命を捨てることになるからだったという。なるほど。

 芭蕉さんの知識というのは、専門教育を受けていない庶民のレベルで、ほとんどを能に影響を受けているという。勉強なんかしなくても、シェークスピアの芝居ばかり観て学ぶみたいなものだろう。俳諧を世に広めるのも、能やら歌舞伎やら茶道やらといった家元制度を参考に、組織を作り上げる天才だったという。芭蕉さんは句作の天才として名が売れたというよりも、やり手の企業マンみたいなところがあったのだろう。

 図書館の本ではないけれど、若い頃ドストエフスキーの小説「罪と罰」は、何度読んでも最初の100ページで挫折した。もう二度と読まないだろうと思いながらも、ある日思い直しぼちぼち読み始める。ところが話がちっとも展開しないので100ページくらいで本を置く。が、ある時どうしたわけか100ページを超えても読み進めることができた。途端に引き込まれ、寝るのも惜しんで25時間ぶっつけで読み、あまりの面白さにラストを読み終えたら、再び最初のページに戻ってもう一回読んだ。

 読書というのは、中身を読まないことにはどうしようもない。誰かに勧められたとか、あらすじを聞いたとか、そういったことでは絶対にその本の持つ価値はわからない。ということで言えば、人との付き合いによく似ていると言えるだろう。

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