おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

進化という勘違い

2024-09-03 11:50:46 | 日記
 今、「理不尽な進化」(吉川浩満著)を読んでいる。進化論についての話なのだが、今までの進化論が、生物がどう進化してきたのかというところから語られてきたのに対し、ほとんどの生物は絶滅したのだから、絶滅した生物側から進化を考えたらどうなるかという本なのである。

 で、どれだけの生物が絶滅してきたのかというと、推定でしかないが、現在地球上に生存している生物種が400万種。それに対して、かつて地球上に出現して絶滅した種が50億から500億。99.9%がすでに絶滅してしまっている勘定になる。要するに地球上に誕生した種は、ほぼ絶滅する運命にあり、0.1%だけが奇跡的に現時点で生存していることになる。ということは、今たまたま地球上に生存しているだけで、いずれ絶滅し、それに代わって別の種が生まれると考えるのがごくごく当たり前なのである。

 ところが、ダーウィンの「進化論」以降、現代人は進化という考え方がこの世の真理であるかのように信奉している。この本の序に書いてあるが、科学論を飛び越え、あらゆる物事を進化論の言葉で語るようになっている。「ダメなものは淘汰される」とか「刻々と変化するビジネス環境に適応できるか」とか「激動に揺れる東アジアにおける日本の生存戦略とは」とか「ネット時代における出版社の適応戦略はなにか」とか、あらゆるものが進化するという前提にある。

 が、進化という考えがそもそも間違っていたらどうなるか。環境に適応したから生き延びることができたのか。環境に応じて変化し続けてきたのか。そういうことを、かつて生存し絶滅していった99.9%の生物から考え直すと、かなりいい加減な理屈であることがわかってくるのだ。それが「理不尽な進化」というタイトルにつながる。

 例えば恐竜の絶滅は、巨大隕石の衝突がもたらした衝撃と、その後の地球の寒冷化によるというのがわかっている。では恐竜が生き残るためには、巨大隕石の衝突を予感し、それに備えて環境の激変に備えておくことが必要だったのか。それは無理難題なわけで、そもそも環境の変化が理不尽な出来事だったのだから、恐竜には絶滅の責任はないと言える。

 恐竜の絶滅と同時期、我々哺乳類の祖先が寒冷化した地球で生き延びた。それはたまたま恐竜の支配する世界で生きて行くためには、なるべく小さい体でいることが大事だったのだが、そのことが功を奏して、寒冷化した世界で生き延びた。恐竜絶滅後に哺乳類が恐竜に取って代わったが、巨大隕石の衝突を見越して、我々の祖先は体を小さくしていたわけではない。恐竜が支配する世界では、大きな顔ができなかっただけである。

 そこで出てくる考え方が、「運が悪かった生物は絶滅する」である。
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