おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

おらが春

2022-03-30 10:41:13 | 日記

 芸術作品と作者は切り離して考えなければならない、とはよく耳にする言葉だ。確かに世の中には作品は大したことはないのに、作者の奇行によって有名になっている作品は多い。が、完全に作品と作者を切り離すというのも乱暴な考えで、作品はいつだって作者の生活の上で形になっているからには、作者の人生というものを無視するというわけには行かない。

 ネットで頼んでおいた「小林一茶」(大谷弘至著)が届いたので、早速読み始めた。サブタイトルに「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」とあるだけあって、まるっきりの初心者にもわかりやすい文章で解説してくれている。僕のような門外漢には、このくらい丁寧に優しく解説してくれないと、なかなか理解できないのである。

 小林一茶の句といえば、「我と来て遊べや親のない雀」とか「痩蛙まけるな一茶是(これ)に有(あり)」などがよく知られている。小動物を謳ったり、滑稽に詠んだりすることから、深みがないだの、子供向けだのいう批判は昔からあったようだ。

 しかしながら小林一茶という人は苦労人で、その生涯を知ると、そう簡単に深みがないと片付けられないものがある。

 小林一茶は3歳で母親を失った。8歳の時に父親が再婚するが、継母と折り合いが悪く、ひどいいじめに遭う。継母に子供が生まれると、長男である一茶は家を追い出され、江戸へと奉公に出る。一茶、15歳の時だ。ちなみに一茶の故郷は長野県信濃町である。

 以降、江戸で借家住まいをし、俳句の勉強に励み、旅に暮らし、ついには俳諧師としての地位を得る。一茶が故郷に帰ることができたのは、40年後のことであった。が、一茶の苦難は続く。幼い自分の子供を二人亡くし、その後は奥さんも亡くしている。

 さて、こういう生涯を知ると、「我と来て遊べや親のない雀」いう句も簡単ではないことがわかる。一茶はこの句の前文として、この句の作者は6歳の哀れな弥太郎だと書く。弥太郎とは、一茶の幼名である。実際に6歳の時に作ったわけではないが、そう書くことで一茶が何を感じてこの歌を作ったのかに思いを馳せれば、とても子供向けの無邪気な歌とは思えないのである。

 作品を作るとき、自分の人生から感じたことを深刻に表現する人は多い。一茶のように、辛い自分の人生を、高みから見下ろし一歩引いた立場から、滑稽に慈しんで表現するタイプの人は日本人には少ないように思える。

 一茶が自分の人生をどう捉えていたか。一茶はこんなふうに詠う。「目出度さもちう位也おらが春」(めでたさも 中くらいなり おらが春)。

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