九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

裸の王様 3 安倍の主観主義    文科系

2020年05月16日 12時44分23秒 | 国内政治・経済・社会問題

 検察官の定年を一般公務員のそれと同じにして、その延長さえ内閣が決められて良いのだとする安倍の見解に対して、人類史が築き上げてきた王道の反論を対置させてみたい。

 安倍が批判への反論として述べた「恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない」が、人類政治史が痛苦を持って体験し、発見して、積み上げてきた偉大な知恵、遺産を否定しているという意味で、いかに不遜なものであるか。そしてこの検察官問題関連の遺産には、以下の全てが含まれるのである。

 三権分立。検察官は準司法であるから、立法、行政関係者をも独立して裁けなければならない。そしてなによりも、これら三権は憲法に縛られるもの、その憲法とは国民が国家最重要のその権利を守るために三権の長を縛っている、主権者国民の命令書としてこそ国家至上のものである。

 さて、以上の人類政治史遺産と比べて、安倍の「恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない」という反論がいかに卑小なものか。ただただ、「俺が恣意的には振る舞わないのだから」という言葉を、これらの歴史的遺産に対置しているだけなのである。ここにはまた、「人間の自覚というものがいかにいー加減で、不確かなものか」という人類哲学史最大の知恵への否定までもが含まれている。つまり、こういう人類の歴史的知恵を否定したうえで、「俺は絶対に約束を守る」と空約束をしているだけでなく、「国民も俺をそう信じよ」と強弁しているのだし、「検事総長、最高検検事らに対して、行政権力の恣意的使用は将来の首相も絶対にこれをしない」と、断言しているのである。これがいかに途方もないことかさえ、全く分かっていないのだろう。

 何たる主観主義者。何たる傲岸不遜。これ全て、普通の大学生並みの教養もなければ、あるいは嘘(も承知)でなければ思いつかず、言えない思考、言葉というべきだ。「アベノミクス・インフレターゲット2%目標」や、「私が関係していたら、総理はおろか政治家も辞めます」などが示しているとおりに、重大な空約束常習犯が「空約束に終わったことへの責任も取らずに」首相を続けていくのは、悪いことだろう。

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正に、「裸の王様」2  文科系

2020年05月15日 04時49分04秒 | 国内政治・経済・社会問題

 ここのところ安倍首相の過去の「裸の王様」ぶりをいろいろと描いてきた。12日は、安保法を捻じ曲げるべく内閣法制局長人事の歴史的慣行破りをやったことを。13日には、検察官定年延長問題についての中日新聞記事のあきれっぷり表現の紹介を。14日には、この定年延長問題で、稲田伸夫検事総長がどうやら「王様は裸です」と発言しているようだということを。こんな横紙破りを一つ積み重ねるごとに実は周囲がどんどんこうなっていくのだろう。近づいてくる人は「王様のお服、まことにお美しい」ばかり。それでご本人はさらに裸だと気づかなくなっていく。そこで僕もさらに子供の素直な目になって、「王様は裸だよ」を描いた過去ログを二つ要約、再掲することにした。

【 爆笑問題太田君とイラク戦争を論議、その底浅さ

 あれあれ、安倍首相がこんな事を叫んでいる。日本国憲法前文の「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、(われらの安全と生存を保持しようと決意した)」を読み上げてこう非難して見せたよ。「他力本願ですよ。ベトナム戦争、イラク戦争など戦争はいっぱい起こっているのに・・・」。ふと開いたネット記事からの、爆笑問題の二人、特に太田君と安倍首相との質疑応答だ。ここから、こんな討論が始まっていく。

安倍「イラク戦争は、日本は支持した。その判断自身は間違っていなかった」
太田「アメリカは、間違っていたと言っていますよ」
安倍「大量破壊兵器があるというその情報は間違っていたけど、戦争判断自身は間違っていなかった」
太田「間違った情報による判断が正しい? 人がボコボコ死んだんですよ!」
安倍「そりゃ非常に残念ですが・・・」
太田「残念? 間違った情報でボコボコ殺されたんですよ!」
安倍「いや、大量破壊兵器がもしあったら・・・」
太田「なかったんですよ。可能性で戦争してもいーんですか」
安倍「そりゃそうですよ」
太田「あいつ人相危ないからで、殺してもいーんですか?」
安倍「そりゃ、苦しい判断がありますよ」
太田「苦しいのは死ぬ方ですよ」

 どうだろう、どっちが普通の会話をしているか?「間違った情報で人がぼこぼこ殺された戦争をするという判断も、それを支持した日本も、間違っていなかった」等と、口を滑らせて言い切ってしまったのが不用意に過ぎたということだろう。普通は、こんなおかしな論理は実際にそう思っていても口には出さないものだ。それをあっさりと言い切ってしまったところに、しかも、国会と違って事前質問通告も答弁補助者もなくって一対一を逃げられない生放送場面でこんなことをしたその態度に、彼の思考力の危うさが現れている。そこをつかれて思わず「そりゃそうですよ!」という、意味のないイラク戦争肯定論を叫び続けた、この醜態! 同時に、この首相が、不用意とも思わず日頃をこんなふうに過ごしてきたお人だとも、端無くも示してしまった。これは、いつもイエスマンばかりに囲まれてきた証拠にもなる。

 大変情けない首相を頂いたものである。また、憲法前文への「他力本願」批判も、その根拠が社会ダーウィニズム丸出しの「戦争は現実」論だけなのだとあっては、俗っぽすぎて人間らしい政治理念が毫も感じられないものだ。「戦争はない方がよい」と口では言いながら、「戦争現実論」の例として彼があげたのがベトナムとイラクとあってはいずれもアメリカの戦争であって、そのアメリカをぴったりと支えてきた彼だからこその「戦争現実」は、自らも造り出して来たもの。
 こうして、日本の首相という世界有数の影響力を活用してこういう現実世界をもたらしているその人が、そういう自覚も皆無だと示しているわけだ。つまり、全く無自覚なのだが、「残念」「ない方がよい」も嘘になってしまっている。】


【 日銀白川総裁を財政ファイナンスで押しきった、その結末

  白川方明・前日本銀行総裁は、安倍政権が発足した直後の2013年3月に任期を20日ほど残して辞任したが、これは前年12月の総選挙に勝って成立した自民党・安倍首相の「財政ファイナンス圧力」に抵抗して、力で押し切られたことによるもの。その圧力とは、「日本経済の根源的な原因はデフレであり、それは貨幣的現象だから、日銀の大胆な金融緩和政策によって脱却できる。日銀は物価目標を掲げ、達成を約束すべきだが、それをしていない」というものだった。
 国家が作る赤字を、中央銀行の通貨増刷に無理無理押しつけていくのが財政ファイナンス。いったんこれを始めると通貨の信用が必ず落ちていくものだとして、これを禁じ手としてきた理論である。なお、この白川・安倍闘争が、その後の経過で白川の勝利に終わったとは、知る人ぞ知るもの。いくら通貨を増刷して赤字国債を買い上げても、「安倍インフレターゲット2%目標」が達成できなくて、いつの間にかこの目標を下ろしてしまった。そして、国家累積赤字でズブズブになった円、官製株価バブルがいつ円売りに曝されるのかと、恐怖に駆られている日本国家なのである。過去にGPIFは、10兆、15兆、17兆円などと損失を被った時期があるが、その最後この3月までに17兆円という四半期としては過去最大の赤字を出した上に、19年度全体でも遂に8兆円ほどの赤字という悲劇が起こっている。】

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検察定年問題と、河井前「法相」事件  文科系

2020年05月14日 11時52分50秒 | 国内政治・経済・社会問題

 新日本海新聞が表記の二つの事の関連を追ってきたようだ。13日に、二つの記事が載ったと阿修羅掲示板で読んだので、報告したい。稲田検事総長が、こんな覚悟を決めているとあった。安倍が定年延長によって検察人事への介入へとどうしても踏み込んでくるというのなら、こちらは河井夫妻の買収事件を徹底追及せねばならぬ、と。ちなみに、河井氏は前法相。その買収選挙事件がきちんと裁けないのなら何が政権から独立した準司法組織・検察庁であるか!という気概を示していることになる。

『 メールで買収指示 官邸と検察、背後で暗闘 2020/5/13 09:31 (JST)
©株式会社新日本海新聞社

 自民党の河井案里参院議員陣営の選挙違反事件で、夫の河井克行前法相が起訴された秘書らに「メール」を送り、買収工作を直接指示していたことが12日、分かった。検察当局はこれらのメールを押収しており、買収を指示したとみて、立件に向け捜査を進めている。

(5月13日21面に関連記事)
 事件は広島地検が捜査しているが、逮捕した秘書らの取り調べは大阪地検特捜部から派遣された検事らが担当し、大型連休中に行われた河井夫妻への任意の事情聴取は東京地検特捜部の検事が担当したという。前法相の立件に向け、検察の総力を挙げると検察幹部が判断したようだ。
 
 今回の捜査については、今年1月に黒川弘務東京高検検事長の定年延長(正式には勤務延長)が突然、閣議決定されたこととの関連を指摘する声が検察内にある。黒川氏は2月7日に63歳の定年を迎え退職するところだったが、政府は無理やりの法律解釈変更で退職を半年延ばした。検察幹部にとっては寝耳に水であり、黒川氏の送別会が急きょキャンセルされたほどだ。
 黒川氏は政権に不都合な事件を闇に葬ってきたとささやかれる。現在の稲田伸夫検事総長が慣例通り就任2年で7月に勇退することを見越して、後任に黒川氏を据えるための奇策とみられ、批判を招いた。
 稲田氏は黒川氏の定年延長を聞いて、こんな一言を漏らしたという。「あっちがそうくるなら、こっちも考えがある」−。「あっち」は安倍官邸。「こっち」は検察組織。「こっち」の考えが、河井夫妻の選挙違反事件だという。
 想定していた人事構想を覆され、検察人事に露骨に介入されたことに反発し、安倍官邸に近いとされる河井前法相を立件する構えを見せている。

 そこに出てきたのが検察庁法改正案だ。検事長などの幹部が63歳になった際、内閣が必要と認めた場合に限り役職を続けることができる。内閣の判断で都合のよい人物を検察幹部として残すことができる。黒川氏は違法な定年延長だと厳しく批判されているが、法案が通ればあの定年延長も合法的と後付けで正当化し、再度の延長も不可能ではなくなり、黒川氏の検事総長への道が開ける。

 コロナ対策のさなかに政権が「不要不急」としか思えない検察庁法改正を急ぐのは、安倍官邸と黒川氏にとって「必要至急」な法案だからという見方を示す検察関係者もいる。
 それでも与党は今週中の衆議院通過の構えを崩していないようだ。 』 

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喜寿ランナーの手記(290) 回復方途を探ってみたら  文科系

2020年05月14日 00時41分43秒 | スポーツ

 このところしばらく不可逆的な老いが来たとクシュンとしていたのだが、今日は改めてそのクシュンに精一杯抗ってみた。クシュンの源は、左脚の不可逆的と思える弱化。それがもたらすフォームの乱れ。30歳直前に左脚付け根部分の椎間板ヘルニアを手術したその後遺症が、今の歳になって改めてランニングフォームの崩れに顕れたという分析だ。13日はこれに対して、5キロレースに出たつもりで、全ての条件を整えてどれほど走れるかと、あれこれ試みながら走った。するとやはり、自分の走りについて正確に分かってくることが多かった。
 アップのストレッチなども十分にやって、ウオームアップのランも15分ほどと僕としては超長く取り、その後5キロを精一杯走ってみた。その5キロの結果は、前回予測したとおりで、キロ平均6分44秒。ただし、最大の収穫があって、それはこのようなものだ。
 やはり前から思っていたとおり、スピードに大変ムラがでる2通りの走り方をすることになった。
 無意識のそれは、常に腰がちょっと曲がり、左脚のツツキ方がおかしくなって、左右脚のバランスが崩れている。腰の曲がりには、特に左脚を強めにつついてその骨盤を前に出す事を意識しながら、常時臍を前に出すようにして走るべしとやった。左のツツキがちょっとおかしいのは、こういう修正によって分かった。左のつつきをちゃんとやって、膝も膝下もちゃんと前に出す。膝下が伸びないと、その分膝の角度が狭すぎて着地の瞬間に腰がちょっと落ちるということも気付いた。これでは全く左の地面ツツキを殺すことになってしまう。やはり、無意識に弱い左脚を庇うような走り方になっていたのである。
 さて、この左フォームの乱れを一歩一歩意識して正しつつ走った最後の方は見違えるように走れた。いつもの1キロちょっとの周回コースの最後の一周のピッチ数から後で計算した結果がストライド95センチ、bpm155ほどになっていて、そもそも走っている気分が良かった。足が伸びるから両脚同時に地面を離れる瞬間が長くなる割に、疲れが少なかったのである。随分久しぶりに「これが、俺の新フォームだ」と感じながら走っていた。つまり、左脚の弱化は、フォーム修正を意識して走ればまだカバーできるのかも知れないと、そんな今後へのヒントを与えられたと振り返っている。

 以上から、今こんなことも改めて気付いた。僕はここ数年、タイムにムラがあった。キロ平均が7分ほどの時と、6分30秒以内の時と。その原因がよく分からなかったのだが、「無意識に走っている時にどこかでブレーキがかかっているようなフォームの時がある」という感じが常にあった。その原因が今日上のように分かったと考えているのだが、これが正しいかどうかはこれからの修正に、そしてその結果としてのタイムにかかっている。クシュンとしていたのが、ほんのちょっとの光明が遠くに見えた感じだ。先回見たように左脚の強化には励んで行くが、今のままでも正しいフォームで走れれば・・・と改めて今意気込んでいる。

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正に、裸の王様   文科系

2020年05月13日 04時00分41秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 中日新聞12日夕刊の1面最下段連載コラム「夕歩道」に、検察官定年変更新法における安倍首相批判が載っている。見事な文章と読んだので、全国に向けて発信し、併せて事の実態を僕なりに表現してみたい。

『説得力はありやなしや。「恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない」と答弁するのが今年一月、黒川弘務東京高検検事長の脱法的定年延長で法曹界を仰天させた安倍首相。よくもまあ。

 誰の知恵か。似て非なる国家公務員法改正案との「束ね法案」とし、法務委ではなく内閣委での審議に。黒川検事長問題の迷走答弁で泥沼にはまった森雅子法相を隠し、論戦の続きはうやむやに。

 首相は「今国会で成立させる必要がある」と述べ、自民党は明日内閣委採決、明後日衆院通過という絵を描く。アベノマスクさえまだ手元に届いていないのに、こういうことだけは手回しがよい。』

 

 さて、こんなやり口が現憲法下の諸法制蹂躙になるとは、官僚なら誰でも分かっていることだ。検察官が総理をも裁ける準司法であることも。だからこそ三権分立の原則、精神から検察官人事が一般公務員とは別に定められてきたことも。それを一般公務員と一絡げにしようというのである。それも、検事総長ら幹部を内閣の意思次第で長く務めさせることができるように。そんな質問や批判に対して安倍首相が答えたこれは、けだし名言、迷言として歴史に残ること間違いなし、このことが分からぬのはご本人だけなのだろう。
『恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない』
 ちなみに、こういう場合の「恣意的」が歴史上必然であったからこそ、三権分立や立憲主義の思想が世界史において確立されてきたのではなかった。完全に歴史を逆行させる安倍のこの言葉そのものが正に恣意的なものである。そして、こう述べる彼を誰も諫めないというのが、「安倍=裸の王様」を示している。まー、「立法機関の長」と的確にも自称するようになったのも、周囲から「そうそう、それも立派な貴方の衣装です」と持ち上げられてきたからでもあろう。実はそういう持ち上げる皆こそ、彼が裸であることも知っているのである。知っていて言わないのは、首相権力という虎の威を借りて出世したいから。冷酷佐川と同じである。

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極め付け、官僚人事「制度」改悪   文科系

2020年05月12日 09時20分32秒 | 国内政治・経済・社会問題

 法務省検事総長に関わる定年延長問題にかこつけて、検察庁を自由に動かせるようにする人事制度改悪が、コロナのどさくさ紛れに進められようとしている。野党や各界から暴挙だとの声が巻き起こっているのは、以下の理由からだ。法務省に属する検察庁が犯罪を告発する準司法機関に当たるから、行政が司法権を侵食する三権分立への根本的改悪であると。しかも、検事総長というのは首相さえ告発することができる立場だから、これは将来の悪政遂行に備えた改悪とも言える。例えば、モリカケ問題で安倍の政治私物化が告発されたとする。そこに、「内閣の都合で選べる仕組からでた検事総長」がいたらどうなるかという問題である。

 この内閣は、こういう官僚人事(制度・慣行)異例の改悪を過去にもやってきたことを思い出さざるを得ない。佐川のようなヒラメというだけの悪質な人物を選んできた。そんな過去話題を旧拙稿の中から二つ再掲してみる。


【 新最高裁判事、内閣に反発  文科系 2013年08月24日 

 日刊ゲンダイが、安倍晋三内閣の、内閣法制局長官・集団的自衛権解釈改憲問題に絡んで、非常に面白い記事を載せた。阿修羅掲示板から、紹介したい。

『 憲法解釈で首相に“10倍返し” 最高裁判事が見せたプライド2013年8月22日 日刊ゲンダイ

 思わぬ伏兵に安倍政権がじだんだを踏んでいる。憲法解釈を変更して「集団的自衛権」を行使しようと画策している安倍首相に対して、内閣法制局長官を退き、最高裁判事に就いた山本庸幸氏(63)が、「待った」をかけたからだ。20日の就任会見は明快だった。
(文科系注 山本氏が退けられたのは、この時の解釈改憲を認めなかったからである。安倍はこの時、こんな慣行破りの挙に出たのだった。従来の内閣法制局長官はすべて、法制局からの内部昇格。それを史上初めて外部の外務省から連れてきたのだ)

〈集団的自衛権の行使は、従来の憲法解釈では容認は難しい〉

 政権内からは「もう憲法解釈の変更は不可能だ」という声が上がっている。実際、最高裁の判事に「ノー」と否定されたら強行するのは難しい。よほど頭にきたのか、菅義偉官房長官は「発言に違和感を覚える」と、21日批判している。

「首相周辺は、これは意趣返しだとカンカンになっています。というのも、安倍首相は解釈変更に消極的だった山本庸幸さんを法制局長官から外したばかりだからです。簡単に言ってしまえば更迭した。ただ、世間からは更迭ではなく、出世に見えるように、最高裁判事というポストに就けた。それでも、法制局長官という職にプライドを持っていた山本庸幸さんは、安倍首相のやり方を許せなかった。首相に一泡、吹かせたのでしょう」(霞が関事情通)

 たしかに、憲法解釈を最終判断する最高裁判事の発言は重みが違う。首相に「10倍返し」するなら、最高裁判事の就任会見は絶好の舞台だ。

(以下、略。今回は)。』

 官僚にも、骨のある人はやはり居るものだと、ちょっと意を強くした。フクシマ問題では火中の栗を拾わないと決め込んでサボタージュばかりの官僚体制に見えるので。サボタージュ官僚たち、はて日本を滅ぼしかねないと、そんな気がしてきた昨日今日である。】


【 なんと愚かな「国防」人事!  文科系 2014年01月16日

 新設された国家安全保障局の局長に、谷内正太郎氏が着いた。去年新春の中日新聞で、内閣官房参与(元外務次官)として以下のようなインタビューを語った人だ。その末尾のこんな言葉から彼の人格が分かるのだが、こんなイーカゲンな人が国家防衛の中枢?! まるでペテン師のような人格、お人だと思う。こんな人物を内閣の「目玉」新施策の責任者にする?! 日本、安倍内閣って本当にトロイ国、政府だなと思うしかない。
 自民党幹事長は軍事オタクの国防族。近ごろしきりに「国防精神」を上から目線のように説かれている方だが、その思考程度も手に取るように分かるというものだ。こんな人事を敢行したのであるから。(今回の文科系注 この時の幹事長・石破茂氏は、今年20年の検察官定年新法には反対しているようです)

『集団的自衛権については、自らが攻撃された時は他の国に助けてもらう、その国が攻撃された時は「われ関せず」という態度は責任ある大国としてありえない。集団的自衛権は国家の品格、品性に関わる問題だ。米国も、そのような日本の貢献を期待している』

 谷内氏は「国家の品格、品性」などと語ったが、相手を見て物を言えと言いたい。
 最近の米国というのは、嘘の理由で国連の反対を押し切って有志国だけでイラク戦争を起こした国だ。この戦争で無数の自国、他国の50万人だかを殺し、後になって大統領が『あれが嘘だとは全く知らなかった』とテレビで堂々と泣き言を語った国だ。因みに、我が日本政府・外務省は、嘘の理由に丸め込まれて参戦し、莫大な出費で今問題の国家累積赤字をさらに積み上げることになったのだが、なお「もっと汗も血も流せ」などと侮蔑的言葉まで浴びせられたのだった。
 こんなふうに二重に踏みにじられた侮辱について、外務省などからその後、何か釈明とか、相手への抗議でも、あったっけ?

 さて、こういう相手に「国家の品格、品性」をもって対せなどとは、馬の耳に念仏、蛙の面にナントカで、一銭つぎ込む価値もないどころか、ペテンに掛けられるのが落ちというもの。谷内さんに尋ねたい。集団的自衛作戦に品格をもって付き合っていく今後に、またしても嘘の理由で戦争を起こされて、日本や世界の若者などが無為に殺されることはないという保証がどこにあるんです? そういう保証をどこで確認できたのです? 当方が品格をもって遇するべきは、品格のある相手でしょう。こんな重大な背信行為国相手に「国家の品格、品性」を国民にお説教とは。貴方のこの言葉、まるで騙りのようなものだ。

 さらに加えるに、こんなトロイ言葉を新聞という公器でもって不特定多数国民に説いて恥じないこの神経! これは、凄く意識して国民にお説教しているのである。
(以下略。今回は) 】 

 安倍首相はいつだったか最近「立法機関の長」と誤って発言したことがあった。立法機関とは、言わずと知れた国権の最高機関。圧倒的国会多数与党の総裁はそう考えていて良い、なんでもできるんだ、そんな自己認識をお持ちなのではないか。それかあらぬか、従来できなかった制度変更をどんどん閣議決定してしまう。国会の上に憲法があるわけだが、そしてその憲法によって国民がその諸権利を守るように国権を縛っているわけだが、こういう立憲主義の精神そのものを安倍が壊そうとしているのだとしか思えない。これはものの分かった識者から、再三指摘されてきたことだ。

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喜寿ランナーの手記(289) 不可逆的老いを観念  文科系

2020年05月12日 05時27分46秒 | スポーツ

  どうやら、標記のことを観念した。今の僕は、そう認めねばなるまい、と。ウォームアップを除いた5キロの平均1キロタイムで6分30秒ほどはすぐ可能と考えていたのを、頑張っても6分45秒ほどと認めた方が良いだろうと。それも、アップをゆっくりと15分ほどもやってから、精一杯5キロ走ってそうなのだと。5キロ走の平均時速で言えば、現実的目標が9キロになるということだ。ランナーにとってはこの辺りの諦念はとても残念なことなのだが、原因が左脚(血管)の弱化による心肺機能の不可逆的な低下と結論できたようだから、仕方ない。

 やはり、左右脚の不均等な感じを直せないと観念したと。むしろ、そう観念した方が長く走れる心身をキープできるとも、考えている。僕は、走れなくなるまで走り続けると決めてきたのだから。ちなみに走ると歩くとの境目はスピードではなく、競歩とランの違い。「一歩一歩に両脚が地面を離れている瞬間が、いくら短くなってもある」というフォームの問題である。苦笑いしながらいうのだが、この年になってくると、「走る」のを断念して「歩く」というこの区別は極めて重要なのだ!?

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「今は共産主義体制なんだ」?、と橋下徹  文科系

2020年05月11日 13時32分55秒 | 国内政治・経済・社会問題

 表記の言葉は、「文藝春秋」6月号の山中伸弥・橋下徹対談「ウイルスVS日本人」のなかの橋下の言葉。ただし、その文脈の中の意味はこういうものだ。
 私は知事時代など、新自由主義による淘汰を信奉して補助金はこれを歪めるもので極力少なくとやってきた。が、今は政府による「自粛」や「要請」で自由市場を一部停止しているのだから、『コストや自由市場のことを気にする場合ではなく、犠牲になる人には国家がジャブジャブお金を投じて救って上げるべきだと考えています』。

 さて、この論法が正しいのなら、現行のグローバリズム新自由主義経済そのものが構造的に瀕死の重病に陥っていると本家本元のアメリカが言い出している現状をどう改革していくべきなのかと、そんな問題を改めて提起してみたい。
 ここで最近ずっと述べてきたように、米経済学者や経営者団体そのものがこんな重大反省をし始めたからこそ、アメリカが保護貿易主義にいきなり入っていったのではなかったか?

 トランプ・アメリカが保護主義へと強引に転じたことによって、冷戦終結前後から30年続いた米金融主導グローバリゼーション新自由主義経済世界は原理的には終わった。それは、世界大金融・ファンドが「株主利益の最大化方針」とやらでもって、関税障壁などの国境や、世界各国国家による規制やを取っ払わせて、小さな政府を世界中の国に押しつけてきた結末なのである。
 この世界体制について真っ先に反省、自己批判を始めたのがアメリカであるというのが、また歴史の皮肉である。金融で世界を征服するつもりが、物経済をすっかり中国圏に奪われてしまい、世界的な米ブランド商品までが中国で作られるから、中国産品の禁輸をしたら返ってアメリカが困まり果てたと気付く始末。アメリカの労働者はまともな職をすっかり失ってしまった。その点でこそ、米経済界に今深刻な反省が起こったのである。
 まず、「こんなに早くアメリカの労働者が中国に仕事を奪われるとは全く予想外だった」と弁解これ努めているのが、グローバリズムの旗手経済学者とも言える、ノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマン。また、去年の8月20日夕刊には、こんな見出しの記事が載った。
『株主最優先を米経済界転換』?? 
 この記事の書き出しはこうなっている。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』

 アメリカの上記のような反省に関わって日本はどうなのかとみれば、アメリカよりもずっと早くもっと悲惨な時代に突入しているのである。アメリカと同様の「経済空洞化」は20世紀末からどんどん深まってきたのだし、アメリカと同程度であった国民1人当たりGDPも今や世界31位まで落ちて、「50歳まで結婚したことがない男性が4人に1人」という、ここ130年無かった出生数の少なさで小国化にむかっているのである。
 また、コロナ死者数の多さで示されたように、先進国と言われた国も軒並み医療崩壊が始まっているのは「新自由主義経済=自由競争=小さな政府」のなれの果てと言えるはずだ。

 共産主義とは言わぬまでも、ケインズ経済学流の需要サイド重視の経済に切り替えるべき時であるとは、地球環境問題も含めてこの地上の全ての悲劇的経済現象が示しているのではないか。ちなみに、ケインズが生きていればベイシックインカム論を先頭に立って掲げるはずだ。訳もなくただ自由競争をよしとしてきた新自由主義経済・アメリカが保護主義に入っていったという事実こそが、以上全てを示している。橋下氏が信奉する新自由主義経済そのものがもう破綻しているのである。

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随筆 庭の桜を切るー終活   文科系 

2020年05月09日 22時21分31秒 | 文芸作品

 晩年の両親の家に次男の僕が入って、三〇年。そこには母の好みの花木を中心とした一五〇㎡ほどの庭がある。現役の時はもちろん母親に、母親が亡くなってからも連れ合いに任せっきりで、僕の出番は大きな木を切るなどの力仕事の時だけ。が、停年後は年々、庭に出て行く機会が増えている。そんな僕に十年ほど前から、ある悩みが生まれた。庭で一番大きなしだれ桜を切らねばならぬだろうというものだ。こんな名古屋の中心部に近い小さな庭にサクラって母もよく植えたものと人は言うだろうが、この家は築五七年、しかも僕がここに入ったころでさえ隣近所はもっとまばらで平家ばかり。僕の新家が無かった庭そのものもずっと広かった。それが今は高い家に四方を囲まれた猫の額にこの大木! 一重の素朴な白い花に心持ち灰色もかって、薄墨桜ってこんなだろうかと想像したりしてきたお気に入りであった。おまけに、僕はこの木を生き返らせた体験まで持っていた。母の「桜切るバカ」が過ぎて半分枯れかけ花もほとんど咲かなかったこの桜を、引っ越してきたばかりの僕が復活させたのである。腐った幹の空洞に樹木補強材を詰め、なぜか土の上に出てきた太い根っこには土をかぶせて、肥料もいっぱいやって。そんな手当の甲斐あって、年々花も増え、深く重なった花の塊はいっそう薄墨桜の趣を見せてくれた。

 さて、「四方を囲まれた猫の額のこの大木」を切ろうと決められたのは、僕の終活の一つと決めたからである。そう決めたからこそ、こんな辛い仕事を自分自身でやり切ることができたのだ。これを遺されたこどもらは一体どう処理できるのか。クレーンだとかなんだとかお金もさぞかかるだろう。僕ならば・・・と思い立った。自分が木に登って、大きな枝の先の方から切っていった。太い枝を上から順に切り落とす時はロープを縛り付けておいてやがて少しずつ下ろしていく。最後に残った幹を切る時も運べる重さを見計らって上から順にという運びだ。これら全てをチェーンソーも工面せずにあえて普通の鋸でやった。「俺も後から逝くのだからな。それに、今を逃がすともう俺の手ではできなくなるのだから」とつぶやきながら、涙も出てきた作業になった。

 さて、この桜がなくなって五年になるのだが、その西隣にあった一株から五本立ちのキンモクセイがみるみる内に伸びてきた。成長が遅いはずのこの木が今はもう桜に負けないような高さにまで伸びている。この固い葉っぱがあまりに繁るからというわけでその五本の内二本を去年までの二年で順に間引いてきたのだが、そこにある日、驚きの光景を目にすることになった。今年四年生になったばかりの女の孫ハーちゃんが、二本の切株に順に足を掛けて去年間引いた木のすき間をぬって、五mほどの高さにまでよじ登っていたのだ。五歳になる弟が僕を呼びに来たから分かったことだが、このセイちゃんまでが僕の目の前でするすると上っていったその光景! ちなみに、ハーちゃんは赤ちゃんの時からこの庭で育ったようなもの。だからこそ、ダンゴ虫はもちろん、ミミズでも平気でつまめる子に育っている。その彼女が、僕と庭を観ている最近こうつぶやいたことがあるのをすぐに思いだしたものだ。「あそこの木の間の石が並べてある回り道、よくくぐっていったよねー・・・、セイちゃんにもいー思いで作って上げてよ!」。そう、セイちゃんにもそれができたに違いない。幼いハーちゃんが春にくぐった桜とキンモクセイの間を通る道の、その真上に二人が今上っている。

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随筆紹介  お帰り、寅さん   文科系

2020年05月08日 15時32分10秒 | 文芸作品

 お帰り寅さん  H・Sさんの作品です

 寅さんシリーズ五十作目の映画(男は、つらいよ。お帰り寅さん)が公開された。これまでの四十九作の寅さん映画が作れたのは、寅さんを演じきった俳優渥美清がいたからだ。渥美清か亡くなり、映画監督山田洋次さんも八十八歳と高齢になった。今回の五十作で寅さん映画は打ち切りになるだろうという思いがあった。映画館の大画面で見ておこうと足を運んだ。上映開始のベルと共に、渥美清か歌う聞きなれた節回しの主題歌が流れる。
 ー俺が居たんじやお嫁に行けぬ、わかあっちゃいるんだ妹よ。いつかお前の喜ぶような、偉い兄貴になりたくて、奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の、今目も涙の陽が落ちる。陽が落ちるー。
 ドラマの主題歌を復唱しながら、寅さんの妹(さくら)は気立てよし、賢く、美人だ。誰もが認める魅力的な人。出来の悪い兄貴の寅さんがいても縁談の邪魔にはならない。愛する人(匪)を見つけて結婚している。二人は暖かい家庭を築き息子(満男)を育てながら、団子屋を切り盛りする評判通りの働き者だ。そういう聡明な妹のために、寅さんが、世間での評価の高い男ぶりを発揮するため、奮闘努力する必要がどこにある。と、うそぶきながら物語の中に入り込む。

 寅さんが天国の住人になって二十余年が過ぎた。話の舞台は現在の柴又の団子屋だ。
 さくらも連れ合いの博も歳をとり、息子の満男は小説家として、名前も売れ生活も安定しているが、妻が病死。中三の娘と小さなマンションで生活する父子家庭という設定になっている。満男の妻ひとみの三回忌の法要のシーンから始まる。集まった人たちを見ると、親戚は、ひとみさんのお父さんだけ。それ以外は、団子屋の近くに住み親戚以上に親しい付き合いをしているいわゆる近所身内と言われる人たちだ。寅さんにぼろくそにこき下ろされた人達が、寅さんと関わった事件を報告。いくつもの思い出が弾ける。だれもが寅さんを憎んでもいない。恨んでもいない。
 寅さんは差別に対して敏感な人だ。現場に差別された人がいたら、その人の肩を持ち差別する側の人をこっ酷くやっつける。気づかずに差別発言をする人には無茶苦茶な屁理屈をこねて相手を恐縮させる。(観客の方は、寅さんのこの屁理屈と寅さんの凄む姿が面白くて大いに笑う)これが定番だ。
 法事の次の日は、満男の新刊書の発売日だ。書店で諏訪満男サイン会が開催されている。満男にはそれなりのファンもいて盛況のようだ。一冊の本を差し出した人を見て満男は驚いた。その人は満男の初恋の人(泉さん)だった。お互いに心を寄せ合いながら、突然、泉が姿を消した。それ以後、音信不通のまま二十余年が過ぎていた。再会を果たした二人。
泉は今日までの経緯を満男に語る。複雑な家庭の事情を抱えていた十八歳の泉は、自分を取り巻く厄介な諸事情をかなぐり捨て、叔母を頼ってフランスに留学。大学卒業後は国連職員として働いている。仕事で東京に滞在。三日の休暇を取得していた。偶然、満男と再会を果たした泉は、家族を捨てた勝手な父親だが、一人ぽっちになって伊豆の老人施設に居ることを知らされ、会いたいと思いを募らせていた。父親に会う泉のために、満男は運転手を引きうけ施設へと向かう。
 車の中での話題はやはり寅さんだ。満男と泉のお互いを大切に思いやる若者達の付き合いを喜び、応援。事あるたびに寄り添ってくれた在りし日の寅さんの優しさ。父親の不倫が原因で離婚。荒れ狂う母親を持て余す高校生の泉。母娘に心を寄せかばい続けた寅さん。心の中にある寅さんの思い出が鮮明に甦る。ストーリーは、令和一年、満男の妻の法事から一週間の出来事を通して、生前の寅さんのあれこれが語られていた。

 何作もの寅さん映画を鑑賞した私だが、寅さんが側にいるような臨場感。超鮮明な画像を見たのは今回がはじめてのことだ。これが4Kデジタル修復画像か? 私の驚きは大きかった。また、被写体として甦った寅さんは、脇役の名優ともども、死んだ後まで私達観客を映画館に呼び込むために、奮闘努力したことになる。山田洋次監督も死者を蘇らせて、一本の映画を制作することが出来たのは、俳優渥美清が監督の描くイメージどおりの人間像(寅さん)を見事に演じきったことにある。三船敏郎ではこうはいかないだろう。と、いうのが私の思いだった。

 

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随筆紹介  生き残る (一)   文科系

2020年05月08日 15時24分47秒 | 文芸作品

   生き残る (一)   S・Yさんの作品です
                                     
 現代に生きる誰もが、細菌によるこんなに不便な生活、苦しみを強いられるなど考えたことがあっただろうか。
 政治や経済、医療の専門家でさえ慌てふためいている現実に、どこか対岸の火事のような気持でいた私も、さすがに二ヵ月も続くと身辺を気にするようになった。今や、スーパーマーケットの入店は人数制限制になり、レジも工事現場のような黄色のテープで仕切られて定員との間は透明なビニールシートで区切られた。
 むろんありとあらゆるサークル活動、コンサートも中止である。
 同人の作品『四〇〇平米の世界』まさに私もそのものである。幸い、数年前に離れの家屋を壊して裏庭にし、畑と花壇を作ったことが息の詰まった生活を癒してくれる。
 季節は春、庭の桜は満開、花々の手入れをしたり、野菜を収穫できるのは生きていることが実感できる。裏庭の向こう側は路地なのでほとんど車は通らない。休園、休校に加えて外出規制になった孫たちも、路地裏で犬とサッカーをしたり、縄跳びをしたりと大喜び。マンション住まいの彼らは毎日わが家での生活になった。必然的に私と夫は疲れて来た。
 買い物以外に外出しなくなった私は、夫との会話が増えた。もちろん現在の細菌による社会生活の話題も多いが、孫たちとの対応策について老夫婦で協力、助け合わないと難しい局面もあるからである。オンラインでの交流やゲーム、ユーチューブなど、私たちの子育て時代とは違う様々なことに戸惑うばかりである。とにもかくにも疲れる。

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名無し君、さようなら   文科系

2020年05月07日 20時19分24秒 | その他

 これで4日以降、ここに10年以上居着いた君のコメントを6つ削除した。このブログのコメントを二重投稿のうちの一つ以外で削ったのは、ここの15年でも初めてのこと。が、今後君のは永久に削るから、せめて常連なのに卑怯極まりない名無しというペンネームは止めて、また違うパソコンで、名前を付けて出直しておいで。ここに来たいならばね。

 さて、これで「いつでも君を没にできるが、今までは一度もそうしなかった」と分かったよね。そしてまた、何か君の発言内容になんらか価値があって、あるいは何らかの事情で、削れなかったのではないということも分かったよね。それどころか、僕はここに関係したみんなから、こう言われていたんだよね。「あんなのを何でのさばらせておくのか?」とね。でも僕は、君と違ってこんな格言がとても好きでね。「君の意見には反対だ。だけど、君の発言権は守りたい」。こんな人のこの気持ち、君には全くわからんでしょうが。

 名無し君。君とのお別れついでに、もう一度念を押しておく。君のコメントは一切価値がない。ぼくがよく言ってきたように、「枯れ木も山の賑わい」という以外には。コメントというよりも文章としてどこが「枯れ木」でしかないのかと改めて述べてみよう。
①君の何らかの言い分は、その形式からして独断だけ。その独断命題に何の証拠も着けない独り善がりの独断だ。証拠が何も付いていない裁判の判決みたいなものばかりだった。何か事実を何も勉強しようとしないで、気の利いた結論が言えると考えているかのような。
②そういう独断で他人を批判するだけの文章内容が、何か、どこか気が利いているように考えているとしか思えなかったのが、また笑えるだけでなく、ここの品格を落とすこと甚だしい。昔から他の常連さんもいつも君に言ってたでしょ。「いつも2,3行の文章しか書けなくては、他人は到底批判などできない」
③以上①②が誰が見ても明らかなのに、そしてそれを何度指摘しても、具体的に一つでも正したことがない。この、10年以上ね。

 こうして、もしもう一度ここに来たかったのなら、普通の議論態度と口調でやってくることだ。ただ、それが君にできるならばという話だが。別のパソコンを使って、新たにペンネームを付けてね。

 名無し君、さようなら。

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「ドル世界は終わるが」の続き  文科系

2020年05月06日 12時07分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 昨日に続く、標記の議論をもう一つご紹介しよう。 これは一昨年11月13日に亡くなられたイギリス人社会学者、ロナルド・ドーアの「米中の明日」に関わる予言文章。2011年発行の「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書)の「あとがき」文章そのものである。ただ、これを初めてここに紹介した16年当時とは、この文章の今の読後感は全く変わってくるだろう。アメリカがグローバリゼーションを放棄したのは、その金融本位経済が5G含めた中国物経済に敗れたからであって、コロナの世界困難の中でますます対中非難を強め始めている。しかもアメリカが敵視を続けてきた国連では、アメリカ孤立が深まるばかりである。

 なおこの著者は、「ロンドン大学LSE」を出て、そこのフェローの資格を得ている名誉教授。かつ、終戦直後の日本に来た東大留学時代(江戸時代の教育制度を学びに来た)からずっと続いた日本オッカケでもあって、日本文学者ドナルド・キーンのマクロ政経版のようなお方だ。本書を書き上げたころは86歳にしてなお、この「日本語」健筆。本書中には、60年前の日本にこんな生き生きとした「論壇」があったとして、こんな下りもあった。
『一方に、「岩波文化人」(私の親しい友人であった丸山真男や加藤周一や、まだ珍しく元気であった鶴見俊輔をはじめとして)、他方に、彼らを「進歩的文化人」と野次って、その愚かさを攻撃する「保守派」の福田恒存や江藤淳など、その間の論争を懐かしく思い出す』(P109) 


【 ドーア本あとがき、「米中関係」で「挑発」   文科系
2016年10月08日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 今紹介している、中公新書、ドナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(2012年6月第五版)のあとがきほとんどを抜粋してみたい。これを読めば、この本が日本の民主主義信奉者にとっていかに大切な書であるかが分かるというもの。

「序文に代えて」で書いたように、一九四五年は正に、「終止符を打って再出発」の時期だった。人類同士が7000万人を殺した戦争に対する反省はそれくらい深かった。
 将来、金融化経済の不合理さ、不公平さに対して反省する時期は来るだろうか。同じく7000万人を殺さないで。歴史の教訓があるとすれば、「不可逆的に見える傾向でも、永遠に続くことはない」、であるし「大きな戦争がなければ大きな社会変化もない」である。
 そう考えると、どうしても世界の軍事力、外交力のバランスという現実にぶつかる。本書で描いた日本経済のアングロ・サクソン化は、米国が西太平洋における軍事的覇権国家であり、日本と安全保障条約を結んでそこに基地を持ち、その基地を移設しようとする内閣(たとえば鳩山内閣)を倒すくらいの力がある、という事情と密接な関係がある。

 詳しく論じる余地はなかったが、三、四〇年も経てば、西太平洋における覇権国家は中国になっているだろう。2010年、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃した。世界的な非難が広がる中、アメリカは黄海での韓国との合同軍事演習に航空母艦ジョージ・ワシントンを派遣した。この空母の航入を、中国は一時激しく拒否した。後で認めることになるのだが、この事件は長い冷戦の始まりにすぎないだろう。米ソの冷戦は半世紀近く続いた。熱戦にならず、何千万人もの犠牲者を出さずに終わったのは、ゴルバチョフが東中欧における米国の覇権を認め、「負けた」と手を上げたからだ。
 今度は半世紀も要さないだろうが、中国が勝ちそうだ。なぜそう思うかと言えば、次の条件を勘案しているからだ。
 ○ 今後の米中の相対的経済成長力
 ○ 政治的課税力ー国庫歳入の成長力
 ○ 国威発揚の意思の強さー軍事予算拡大の用意
 ○ 人的資源・・・・・・・・
 西太平洋における覇権の交代はほとんど必然的だと思うが、それについての大問題が三つ。
①アメリカにゴルバチョフがいるか、である。それとも、何千万人もの死者が出そうな実際の衝突、つまり戦争の勝ち負けに決済が委ねられるだろうか。
・・・・・・・・・
③60年もの間、日本を行ったり来たりし、日本人の友達が多い私にとって大変関心が高い問題だが、土壇場になっても、日本は依然として米国に密着しているのか。独立国家として、米中が何千万人を殺しかねない衝突に突き進まないよう、有効に立ち回れるのかどうか。

 「新書」の目的が、挑発的な問いかけで読者を考えさせることだとしたら、挑発はこのくらいで十分だろう。このあたりで筆を置いていいと思う。』 】

 

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ドル世界は終わるが  文科系

2020年05月05日 21時03分43秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 5日の朝日新聞に独社会学者ヴォルフガング・シュトレーク氏の「グローバリズム さらに失速」という談話が載っている。「新型コロナ 揺れる経済」と名付けられたシリーズの一環記事のようだ。そこにははっきりと標記の事が述べてある。談話全体の末尾に全体の結論として。
『 世界での米国の地位はどう変わるのでしょうか? 「唯一の超大国として振る舞うことはもはやできません。米国は中国を対等なパートナーとして認めざるを得ない局面が来ます。それは、世界経済でドルが持ってきた特権を失うことも意味します。この1点だけでも、金融危機やウイルス危機を超える国内的な危機につながりうると思います」』

 さて、この見方についての僕の見解は、「ちょっとサラリと言い過ぎ・・・ドル基軸崩壊は、アメリカが中国(勢力圏)に対してもっともっとジタバタした後のことだろう」というものだ。証拠はこれだけでたりる。
 現に、ベネズエラやイランに再三戦争を仕掛けているも同然というアメリカは、何のためにこんなことをしているのか。「原油価格=ドル基軸世界体制」を維持するために血道を上げて来た世界戦略の一環なのだ。
「原油価格をシェールガスが採算できる範囲につり上げておくためには、原油埋蔵量1、4位の反米・親中ベネズエラ、イランの原油をどうしても世界から疎外しておかねばならぬ」
 今のアメリカの「希望の星」になり始めていたシェールガス企業がサウジとトルコが演じてきた原油低価格戦略によってバタバタと倒産させられているだけに、もう死に物狂いのアメリカ原油戦略なのではないかと観ている。
 さらには、コロナで「中国ウイルス」なるものに対して新たに起こし始めた「賠償問題」には、下手をすると「対中国制裁」とかの理由で戦争行為にさえ発展させかねない雲行きを直感する。

 

② トランプ・アメリカが保護主義へと強引に転じたことによって、冷戦終結前後から30年続いた米金融主導グローバリゼーション新自由主義経済世界は原理的には終わった。それは、世界大金融・ファンドが「株主利益の最大化」を計って、関税障壁などの国境や、世界各国国家による規制やを取っ払わせて、小さな政府を世界中の国に押しつけてきた結果の結末なのである。
 この世界体制について真っ先に反省、自己批判を始めたのがアメリカであるというのが、また歴史の皮肉だ。金融で世界を征服するつもりが、物経済をすっかり中国圏に奪われてしまい、世界的な米ブランド商品までが中国で作られるから、中国産品の禁輸をしたら返ってアメリカが困まり果てたと気付く始末。アメリカの労働者はまともな職をすっかり失ってしまった。その点でこそ、米経済界に今深刻な反省が起こったのである。

 まず、「こんなに早くアメリカの労働者が中国に仕事を奪われるとは全く予想外だった」と弁解これ努めているのが、グローバリズムの旗手経済学者とも言える、ノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマン。また、去年の8月20日夕刊には、こんな見出しの記事が載った。
『株主最優先を米経済界転換』?? 
 この記事の書き出しはこうなっている。
『米主要企業の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」は19日、株主の利益を最優先する従来の方針を見直し、従業員や顧客、地域社会など全ての利害関係者の利益を尊重する新たな行動指針を発表した。これまで米経済界は「株主利益の最大化」を標榜してきたが、大きな転換点となる』

 

③ さて、こんなアメリカにコロナが襲った。1000ドルの貯金もない世帯が4割以上というように、その日暮らしの不安定労働者が圧倒的に多く、無保険者も一割という国で仕事がとまったのである。世界有数のアメリカ感染者数、ダントツの死者数となってしまった、その上に。

 強引な保護貿易で時間を稼ぐ間に、中国世界貿易・台頭を止めるべくアメリカ死に物狂いの対中国「制裁」活動が始まるはずだ。これは、現米支配階層特有のマッチョ・ネオコン主義の必然というものである。化け物みたいな正副大統領と、あの国務長官、さらには無名のトランプをここまで押し上げたボストンティーパーティー一派、スティーブン・バノンらの行動は、世界に何をするのやら、想像を絶するアメリカ発大国際悲劇が、まだまだ続いてくる。日本マスコミだけ読んでいると次のような国際的なアメリカ不信は全く理解できぬと、そういうアメリカの無理押しが世界に見透かされた時代になっているだけに。

 昨年10月17日国連総会では、人権理事会理事国47国のうち14か国の選出が行われた。全加盟国193の秘密投票、過半数賛成で選ばれるものだが、中南米理事枠2か国に対して3か国が立候補してブラジルとベネズエラが選ばれ、アメリカが猛烈なロビー活動で押したコスタリカが落選した。

 また、同じく昨年10月29日、国連総会で人権問題を扱う第3委員会は、中国の新疆ウイグル自治区が少数民族ウイグル族などを弾圧しているとされる問題で、欧米や日本など先進国を中心とした23か国が中国に人権尊重を求めた。一方、2倍以上の54か国が中国の人権に対する姿勢を称賛。国際社会で影響力を増す中国を巡る対立の構図が浮き彫りになった。

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「一病老人は死んでいただきます」政策?  文科系

2020年05月04日 03時48分53秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 ここでずっと日本や世界のコロナ問題を学びつつ追って来て、この第二次世界大戦以来の世界史的惨禍から、特に日本については標記のことを感じてならなくなった。そもそも、この検査数の少なさ、死者数の少なさ、検査制限やコロナ死者集計の徐々に分かってきたいい加減さなどなどは、一体何を示しているのか。

①世界比較で日本は、圧倒的に検査数が少ない。「1日2万やる」などと断言しながら、全く増えていない。コロナをほぼ鎮圧した中韓のような無差別検査がないどころか、相変わらずクラスター限定の検査にしかなっていない。公的職場などでは、検査を希望するのがはばかられる雰囲気さえ醸成されているのではないか。

②その結果、こんなことが続々と新聞報道され始めた。検査希望者が病院に行っても検査してくれないから、どんどんたらい回しという結果になってきた。そこから病院がクラスターになる例も増えてきたのではないか。

③搬送先病院が30分以上決まらない「救急搬送困難事案」の急増が、消防庁から発表された。4月20日から26日までの前年同期比の増加数値が、東京消防庁で520件、増加率で多い例は福岡市消防局の575%増、川崎市消防局371%などがあった。同じく解剖医組織からもこんな声が上がっている。「死因の特定のためPCR検査を保健所に要求しても、受け付けてくれない」「死体検査は受け付けないとか、クラスター関係でなければダメだとか」とか応えられた。

 さて、3月下旬までの頃の検査制限が、オリンピック開催のために感染者を少なく見せたかったからというのは、東京都の悲劇、失敗を観てもよく分かる。が、その後も続いている検査制限は一体何なんだ。クラスターに関係ない孤立感染者野放し政策とも見えるのである。検査窓口を「帰国者・接触者支援相談センター」という名称一本に絞っているやり方がその証拠と言える。そして、検査を絞った被害を最も深刻に受けるのが老人、高齢者である。この病気に多い症状が出ない若い感染者を野放しにすれば、70歳以上とか50歳以上で肥満とか循環器病とかをかかえた人々には、命取りになりうるのだ。こういう高齢コロナ救急患者について今、日本中の病院が緊急搬入を拒否するという上記のような事態が起こっているのである。さらには、手遅れになって亡くなられたら、検査をせずにただの肺炎として処理されている。

 こうして、意図したしなかったに関わりなく、「一病老人はもっと死んでもらいます」政策に事実上陥っていると十分に証明できるのではないか。だからこそまた、コロナ死者を懸命に隠すと、こんな悪循環がますます進んでいくのではないか。この国の今はこうして、国民の命がどんどん軽く扱われ始めているという意味で、とても恐ろしいことになっている。これでは、民主主義国とは言えない。
 ちなみに、新自由主義経済と「小さな政府」を取り入れた米英日を筆頭にほとんどの西欧政府が、日本と同じように「軽い命」へと変化している。イギリスは、高齢者施設のコロナ死者を数に入れていなかったと数値訂正をさせられたし、アメリカはかなり前からコロナ死者を一般的肺炎死者などに入れてきたせいで、例年よりも死者数が急増して、同じ期間のコロナ死者の倍ほどの例年対比増加数になっているとこの度発表された。「小さな政府」の下では、人の命もこれほどに小さくなったということだろう。

 

 

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