検察官の定年を一般公務員のそれと同じにして、その延長さえ内閣が決められて良いのだとする安倍の見解に対して、人類史が築き上げてきた王道の反論を対置させてみたい。
安倍が批判への反論として述べた「恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない」が、人類政治史が痛苦を持って体験し、発見して、積み上げてきた偉大な知恵、遺産を否定しているという意味で、いかに不遜なものであるか。そしてこの検察官問題関連の遺産には、以下の全てが含まれるのである。
三権分立。検察官は準司法であるから、立法、行政関係者をも独立して裁けなければならない。そしてなによりも、これら三権は憲法に縛られるもの、その憲法とは国民が国家最重要のその権利を守るために三権の長を縛っている、主権者国民の命令書としてこそ国家至上のものである。
さて、以上の人類政治史遺産と比べて、安倍の「恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない」という反論がいかに卑小なものか。ただただ、「俺が恣意的には振る舞わないのだから」という言葉を、これらの歴史的遺産に対置しているだけなのである。ここにはまた、「人間の自覚というものがいかにいー加減で、不確かなものか」という人類哲学史最大の知恵への否定までもが含まれている。つまり、こういう人類の歴史的知恵を否定したうえで、「俺は絶対に約束を守る」と空約束をしているだけでなく、「国民も俺をそう信じよ」と強弁しているのだし、「検事総長、最高検検事らに対して、行政権力の恣意的使用は将来の首相も絶対にこれをしない」と、断言しているのである。これがいかに途方もないことかさえ、全く分かっていないのだろう。
何たる主観主義者。何たる傲岸不遜。これ全て、普通の大学生並みの教養もなければ、あるいは嘘(も承知)でなければ思いつかず、言えない思考、言葉というべきだ。「アベノミクス・インフレターゲット2%目標」や、「私が関係していたら、総理はおろか政治家も辞めます」などが示しているとおりに、重大な空約束常習犯が「空約束に終わったことへの責任も取らずに」首相を続けていくのは、悪いことだろう。
たとえば、民主主義とか三権分立などは、公理、定理に当たるだろう。安倍にはこういう重層的知恵の価値が分からないのだ。あるいは、何らかの事情で守りたくなくなった。それも公然とそう語るのだから、バカである。『恣意的な人事が行われるとの懸念は全く当たらない』と自分が言えば、これらの公理、定理を守っていくと認めてもらえると思っているようで、笑える。
未来の日本国首相もこれを守るように、安倍が永劫指導するのだと述べているとも、分からないのだろう。こんな検察への干渉仕組みを作っておいて・・・・?