九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

こんな動きも   落石

2008年09月21日 19時32分50秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
田中宇さんのブログに、こんな話が載っていました。

   


金融危機への対策として、米政府が金融機関の不良債権を
買い上げる新機関を作る構想が出ている。
1980年代に米で多くの信用組合(S&L)が破綻したとき、
不良債権を買い上げたRTC(整理信託公社)のような機関を
作る構想が9月18日に出てきた。
しかし、米住宅価格の下落と金融危機が今後も続く可能性が高い以上、
不良債権の買取は、米政府の財政赤字を増大させ、
米国民の税負担を増やすだけだ。
米の財政破綻を早めてしまい、短期のプラスより
長期のマイナスの方がはるかに大きい。

 日本では、政府や自民党が、新RTCに日本も
金を出すことを検討していると報じられたが、
これは米の財政破綻の時期を少し遅らせるために、
日本国民の税金をつぎ込むことだ。
日本人の金が無駄に使われようとしている。
いまや「親米論者」は「亡国の徒」「非国民」そのものである。



そんな! 日本はアメリカの属国なのか?


 
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グランパス、5連勝の分析  文科系

2008年09月21日 17時14分59秒 | スポーツ
グランパスが5連勝で、首位をきっちりと固めて見せた。これで名古屋の勝ち点48に対して、大分45、浦和が今日勝てばやはり45ということだ。あとは43以下である。
5連勝相手には鹿島や好調清水、ガンバが含まれているから、この28日の浦和戦に勝てば、当初の優勝候補を総ナメにするという勢いである。ここのところまた、強くなったと思う。どう強くなったのか。

ガンバ戦などをみるともっとも強化されたのは守備だと思う。この5連勝の間、得点10、失点4で得失点差+6。現在までの総得失点が38の26で+12だから、最近は今や、強豪相手にも「2点取って相手を1点以下に抑えて勝つチーム」になったとも見ることができる。前後一体となって高い位置でボールを奪うという守備から入って、「良い守備から良い攻撃が生まれる」というのがピクシーの戦略原則だが、それが強化されたということだろう。ガンバ戦を見ても分かるように、身方のゴール前も非常に粘り強くなった。楢崎を初め守備の要たちが「最近は、組織と各人の役割とが非常にはっきりしてきたので、点を取られる気がしなくなった」と語っている。

「守備から入って良い攻撃につなげる」というと、現在2位と破竹の勢いの大分も同じだ。名古屋と大分、今季急に伸びたこの二つを比較することによって、名古屋の特長がさらに鮮明になる。
ちがうのは二つ。大分は「人に付く」マンマークの守備、名古屋は「場所に付く」ゾーンディフェンス。攻撃のやり方も、大分は「攻めさせ、引きつけて、カウンター」だが、名古屋は「前後一体で、より高い位置で敵ボールを奪って逆襲」である。こうして名古屋の大分とのちがいはさらに、こんなふうにもなっていく。大分よりもやや前で戦って、ボール保持率がかなり高い。ショートパスをより多く使うが、大分よりもパス回数少なくシンプルにシュートまで持って行くと。ちなみに、名古屋のボール保持率はリーグ2位、パス数は同4位となっている。
こういう前後一体の守備の要は、二人のボランチであろう。中村と吉村だ。鹿島に0対4で負けた6月のゲームには中村がいなかったし、最近破れたリーグ戦としては7月の磐田戦、8月のFC東京戦に吉村が欠場だった。

攻撃では、前回のガンバ戦に続いて、昨日の新潟戦でも右サイドMF小川の活躍がめざましい。ガンバ戦は14日の投稿をお読みいただくとして、昨日の小川の活躍を見よう。後半3分の1点目は、マギヌンとのサイドチェンジで左からゴール前に入り込み、玉田のパスを向かってゴール左に決めた。2点目は後半ロスタイム、小川が長い縦パスを杉本に合わせ、杉本が敵キーパーと競り合って得点。この1ゴール1アシストを加えて、今や8得点7アシスト合計15は、ますますリーグ1位でそびえ立ち始めた。

玉田への評価が、評論家などでも割れているのがとても興味深い。得点が4しかないからだ。が、監督であるピクシーに聞けば分かるように、「玉田はウチのエースどころか、日本人ナンバーワンのFWであると思う」なのである。つまり、玉田を評価できない評論家やマスコミの視点がおかしいのだ。メリハリがあって、鋭角的な鋭い敏捷性で、しかも広範囲に動き、あちこちで何人もの敵を引きつけ、攪乱して、玉田が作ったスペースに走り込んでフリーになった味方にさりげなくアシストを出す。昨日の小川の得点もまったく上記のようなものであって、半分以上は玉田のものなのである。玉田は言う。「ヨンセンは良いFWだ。自分がチャンスでもフリーの味方がいたらそこにパスを出すし、味方のシュートを助けるために自分が潰れることもぜんぜん厭わない。外人には珍しい人」と。これは間違いなく、玉田自身のFW像でもあるということだろう。こういうタイプのFWは、周囲のヨンセン(10得点)、小川(8得点)、杉本、マギヌン(各6得点)のそれぞれの得点に平均3分1ずつに絡んでいるとして計10点で、自分自身の4得点を加えて合計14得点と、こういう見方をしてあげるのが正しいのであろう。また、このヨンセン他4名がこのことをよく知っていて、評価しているからこそ、こういう仕事を玉田が気持ちよくし続けていられるのだろう。最も近い敗戦、ナビスコカップの大分戦では、欠場した玉田がいてくれたらなーと思っていたものだ。

なお、陰の重要人物の重みをさらに増した阿部の名をあげておこう。中村、吉村の代役には山口、米山がいるし、玉田、ヨンセンの代役には巻、杉本がいるけれど、阿部の代役はいない。後ろから攻撃の狼煙となるパスを前に供給する仕事人・阿部。中村憲剛に次いでリーグでパス数第2位の彼が欠けたときには、即困るのだ。確か、チームただ一人の今季全ゲーム出場者ではなかったか。よく走るし、鉄人でもある。
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朝鮮日報より   落石

2008年09月21日 14時26分58秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
こんな記事があってので、紹介します。

  

米国発の金融危機に乗じて世界的な金融機関を安値で買収しようとする
中国と日本の競争が激しさを増している。

先鋒(せんぽう)に立ったのは中国だ。
中国銀行業界3位の中国銀行は18日、
フランスでユダヤ系資本を代表する投資銀行ロスチャイルド・グループ傘下の
エドモンド・ロスチャイルド銀行の株式20%を
2億3630万ユーロ(約368億円)で買収する契約を結んだ。

18日のロイター通信は、投資銀行世界2位のモルガン・スタンレーが
中国の国富ファンドである中国投資(CIC)に株式の49%を
売却する交渉を進めていると報じた。
中国工商銀行は昨年、南アフリカのスタンダード銀に
56億ドル(約6000億円)を投資し、株式の20%を取得。
インドネシア、香港、マカオでも相次いで銀行を買収した。
中国の国家開発銀行は失敗に終わったものの、
7月に独ドレスナー銀の買収戦で株式の取得代金を全額現金で支払うという
思い切った提案を行った。

中国は今回の金融危機を人民元の国際化に向けた絶好の機会ととらえている。


日本の銀行も積極的な攻勢を見せている。
19日の時事通信によると、日本のみずほコーポレート銀行が
アジア市場進出に向け、バンク・オブ・アメリカ、メリルリンチとの
提携を強化する方針を明らかにした。

    

いや困った国があれば、これを好機とする国もあって
世はさまざまですね。


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私の軍隊生活①     中野寂音

2008年09月21日 09時44分55秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
中野さんの記事、玉音放送に続いて
軍隊生活を連載します。      落石



昭和十九年十二月一日三重県斉宮の第七航空通信連隊に入営した。
昭和十八年十二月徴兵年齢が十九歳に引き下げとなり、
昭和十九年は十九歳と二十歳の徴兵検査が実施された。 
私もこの年四月に徴兵検査第一乙種合格となった。
昭和十九年十一月三十日夕方、東京都品川区の小学校に集合した私達、
入営者は、入営部隊も目的地も軍事機密であると知らされず、
品川駅からブラインドを下ろした客車に詰め込まれ、
真夜中の鉄路を東京から西に向かって走り続けた。

翌朝夜が明けると三重県伊勢駅で降ろされた。
ここで近鉄に乗り換えて斉宮駅で降りた。
駅から歩いて十分ここが私の入営する三重県斉宮第七航空通信連隊である。
戦後、斉宮村は明和町となり、今は史跡斉宮跡の斉宮歴史博物館で有名である。
 
戦後五十年が経った頃、私のNHK時代の先輩宮城孝行さんから、
五十ページのワープロ原稿が送られてきた。
「自分史を書き始めた。軍隊の記録から始めるので読んで欲しい」
宮城さんは大正十二年生まれ、第七航空通信連隊に昭和十九年四月入営。
この年十一月三十日に部隊から仙台教育隊に出発した。
これは戦後宮城さんと話をして知った。
送られた記録を読んで驚いた。
宮城さんには戦後公私ともお世話になったが、
一日違いで同じ部隊の中隊に入ったという偶然には驚いた。
この記録は第七航空通信連隊に入隊から、部隊を去るまでの六ヶ月間の生活が、
詳細にまた克明に記録してある。
戦後五十年、私はこの部隊の三ヶ月はほとんど忘れて記憶になかった。
この記録により私は五十年前に一気にタイムスリップした。

   


部隊は教育隊であるので常に初年兵を迎える。
三ヶ月の初年兵教育を終わると各地の航空通信連隊に配属される。
私が入隊したのは前日まで宮城さんがいた第五中隊、
隊長も変わらず朝倉中隊長であり、
幹部下士官も変わらず第五中隊に入隊した。

宮城記録の最初のページに第七航空通信連隊の所在地図があった。
戦後発行の地図に宮城さんの記憶している連隊の場所を赤くマークしてある。
私の記憶する部隊の所在地とは違っていると感じた。
戦後五十年初めて三重県斉宮に確認のため出かけた。

近鉄斉宮駅いまは近代的な駅に変わっている。
駅前の案内板は三重県明野町斉宮である。
戦後史跡の発掘が進み斉宮博物館が建設され、歴史の町に発展した。
入営した兵舎は史跡の上に建てられていたが当時は全く知らなかった。
駅から歩き出すと兵舎から毎日ながめていた給水塔がみえた。
地図の赤いマークとは違いもっと駅から近い。
給水塔は兵舎の北端にあった、今は明野町役場の駐車場となっている。

通信連隊を確認のため明野町役場で聞いてみた。
暫くすると担当者がコピーを手にして現れた。
一枚は連隊の場所の地図、一枚は兵舎の建物配置図である。
戦後、戦友会が開かれると、ここを訪ねる人も多いので資料として保存してある。
戦争中、空襲のためほとんど焼けてしまった。
現在残っている建物は給水塔と炊事場、これは今も使われている、
「この配置図で歩いて下さい」と説明を受けた。
北側から見るとこの土地は戦後開拓地となり
畑が作られたが今は少なくなり空き地が多い。
所々に住宅が建てられている。
道路は真っ直ぐに広いまま残っている。
歩き出すと五十年後の浦島太郎であることを実感する。
表門のコンクリート歩哨塔三個残っている。弾薬庫もそのまま残っている。
何回もお世話になった医務室も壊れかけて残っている。
兵舎のコンクリートの基礎はそのままであり、
特に便所のコンクリートは変わらず残っていた。

昭和十九年十二月一日から、翌二十年三月まで四ヶ月この部隊にいたが、
この部隊のことは記憶に残っていなかった。
宮城さんの記録を読み、斉宮を訪ねたことで一挙に五十年前にタイムスリップした。
この日から自分史に挑戦することを決心した。



平成十八年三月「記録 激動の昭和を生きて 宮城孝行著」の本が送られてきた。
B4版上、中、下三巻千ページを越える本である。
宮城氏は私のNHK時代、そして軍隊の先輩でもあり、
戦後も終生の友人であった。
二〇〇一年七十七歳の生涯を閉じた。
七十歳から毎日ワープロでこの記録を書き残した。
四〇〇字原稿祇で四三〇〇枚の記録であった。
残された奥さんがこの記録の出版を考えられ、
今年になり「記録 激動の昭和を生きて」が出版された。

私の自分史もやっと軍隊生活に入るところ、
この本は宮城氏の無言の励ましであることを強く感じた。
戦後六十一年目を迎える今年、苦しかった軍隊は忘却のかなたである。
面白かった記憶のみ残ってしまつた。

                       つづく
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裁判員制度は国民にとって危険で迷惑?

2008年09月21日 00時29分50秒 | 国内政治・経済・社会問題
★「平権懇」=平和に生きる権利の確立を目指す懇談会という会の友達から。その会が主催した連続学習会「裁判員制度を考える」での「平野喜一」氏の報告の一部を伝えてくれたので紹介したい。以下講演会の一部です。詳しくはJANJAをご覧ください。http://www.news.janjan.jp/living/0809/0809157240/1.php

                             (ネット虫)

*********************************

 「国民にとって危険で迷惑な制度」      平野喜一

 西野さんは、この制度は国民にとって危険で迷惑な制度であると断じました。身体的負担に加え、精神的負担を強いられるからです。

 裁判員に選ばれると、期日の6週間前に呼出状がきます。ウイークデイに3日間も仕事を休むのは大きな負担です。自営業なら会社がつぶれるかもしれません。サラリーマンの場合も、上司には理由を告げることができますが、ほかの人たちには話すことができません。裁判員に選ばれたことを公にしてはいけないというのが最高裁の解釈だからです。

 1つの裁判につき、50人か60人ぐらいから100人ぐらい呼び出されます。必要なのは6人、補充が2、3人なので、苦労して時間をつくっても、選任されるとは限りません。補充の裁判員は、裁判員と同じようにずっと付き合わなければなりません。

 西野さんは、裁判員制度は良心の自由を侵害する、と指摘します。ほかの憲法上の義務(納税、教育、勤労)と異なり、「判断」を強要する義務を新設し、「お前は何を考えているのか」と人の内心へ踏み込む制度だからです。国家機関(裁判官)が国民の思想の当否を判断し、「裁判所が、不公平な裁判をするおそれがあると認めた者」(法18)は裁判員には選ばれません。

 西野さんは、国家が国民の思想を判断する機関を堂々とつくったことが問題であると述べ、その危険性を訴えました。

 また、裁判員は守秘義務があり、違反した者は刑罰(罰金50万円、懲役6ヶ月など)が科せられます。西野さんは、政府は国民をまったく信用していないことが、このような重い刑で脅していることからもわかると述べ、「国民にとって危険で、迷惑な制度」は不要であるとの考えを強調しました。

★皆さんはこの裁判員制度をどうお考えでしょうか?
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東京原子核クラブ観劇    落石

2008年09月20日 09時55分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
被爆国、日本。
その日本も原子爆弾の製造に血道をあげていた。

そんな難しく、興味深いテーマに挑戦した劇が
東京原子核クラブ。

主人公は、ノーベル物理学賞をもらった
朝永振一郎氏を思わせる友田晋一郎。

舞台は東京本郷にある下宿「平和屋」
住人は理化学研究所に務める面々、元ダンサー、
キャバレーのピアノ弾き、新劇の劇作家、それにニセ東大生。

大学野球大好き人間の下宿の主人、
その娘(海軍の将校にほのかな恋ココロを抱いている)
これらの人物の青春模様が展開されていく。

友田はドイツに留学して帰ってくる。
科学の女神に見込まれた男として。

戦争は激化。やがて敗戦。

ドラマの核は、下宿の娘と友永の対話のなかに凝縮される。

娘に対して友田は、ヒロシマの原爆投下を知った時には
人間がついに原子核のエネルギーを解放した事実に
ココロを奪われて、犠牲になった人々のことに
思いを寄せることがなかった。
そのことに気づいて愕然とした、と話す。


テンポもよく、3時間弱の舞台も、そんなに長くは感じられず、
なかなか面白い舞台でした。

北朝鮮の核の脅威?に対して核武装論が顔を見せてきた昨今、
とても深刻な今日的なテーマを持った劇でした。







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不思議で不思議で、解けない疑問  文科系

2008年09月20日 00時55分44秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
今、世界が金融体制崩壊で騒然となっている。当然だと思う。アメリカの3位以下の証券・投資会社が破綻して、こんなだからだ。
3位はバンクオブアメリカに吸収、4位が67兆円!焦げ付きで「破綻」、5位は公金注入・国家管理下にということだ。2位のモルガン・スタンレーもその株が一時44%も下がって、要警戒水域と言う。風評でなくともモルガンも既に破綻しているである。デリバティブや、サブプライム住宅ローン債券を組み込んだ証券などは特に、連鎖負債が避けられないものと聞くから。

さてこれらが、前例がない誤りならいざ知らず、何のことはない日本の90年代前半と全く同様の「確信犯的誤り(これは詐欺、犯罪と呼ぶべきではないか?)」の繰り返しなのである。「土地・建物を永久に値上がりしていくものと扱って借金で買わせ」、「買った時よりももっともっと値上がりしているよ」ということでさらに企業などが率先し合って借金生活をすすめあってきたことが日本と同じなのである。
これらの債券を証券の中に組み込んで、「低所得者のそれはハイリスクだからハイリターンである。それに、まだまだこのハイリスクの破綻は遠い先のこと」と破綻寸前まで売り込んできたのはすごく手がこんでいるみたいだが。格付け会社なるものが、破産会社に信用を支えてきたとか、4大会計会社の一つが粉飾決算でずっと前に潰れているとか、総体として日本のバブル、その弾けより随分手が込んでいて、犯罪性も高そうなのである。

さて、これが案の定、日本の住宅バブルと同様に、破綻した。額が凄い。1社だけで67兆円なんて、世界第2位経済大国日本の国家予算なみではないか。4位のリーマンが資産6911億ドルで67兆円の負債ならば、資産1兆1198億ドルと1位のゴールドマンや、同じく1兆454億ドルで2位のモルガンの負債は一体どんな額になるのだろうか。おそろしいことである。

さて、不思議なのは以下だ。
これでも規制緩和、構造改革は正しいのだろうか。そしてこれからも新自由主義的『民活』に信を置き続ける経済しかないのだろうか。
67兆円もの焦げ付きを社会に対して作って、世界の多くの人々をどん底に落とし込んでも、「民間に任せておけば大丈夫。政府は口出しをするな」という言葉に従って、規制どころか実態さえつかんでいなかった体制、政府に罪はないのだろうか。あまつさえ、普通の会社が潰れれば、洟も引っかけられないのに、バブル崩壊の日本の銀行や、アメリカの証券会社は国家に救済までされるのだ。

こうして、厳しく言えば、彼らに対してだけは「社会主義そのものの政策」が適用されているという、なんたる皮肉!! かと言って、どこかの政党が言ったようにこれを間違いだからやめろとだけの「理論」、方向で処理すれば、政府が直接銀行業のようなことを行うしか、いわゆる「不況対策」「信用収縮」対策はないかも知れない。そうなったらそれこそ全く、まるまるの社会主義国家かも知れないが、当面官僚などは全くもって、もっと信用できないしなー。

こんなに地獄のような同じ確信犯的誤りをわずか20年足らずの間に2回も繰り返す体制でも、「代わりがないから仕方ない」と、こう言い切るべきものなのだろうか? 不思議だ。
是非どなたかに説明して欲しいものである。
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終戦の詔勅(玉音放送)全文         ネット虫

2008年09月19日 12時58分13秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
★今回の中野氏の連載を読み、自分が「玉音放送」の内容をまつたく知らないことに気づき驚いた。そこで、改めて「玉音放送」の全文を読み返してみた。
 天皇の言っていることは簡単であった。

 『私が 戦争始めた理由は決して悪くない。しかし軍も国民も頑張ったがもう駄目である。
 このまま続けると、被害も増えるが、天皇家も滅び、代々の天皇の御霊にどう謝罪したら良いか分からない。だから戦争は止める。
 これからは大変だが耐え難きを耐えて、もう一度天皇家を中心にして私と頑張ろう。皆カッカして行動すると私も困る。良く考えて行動せよ。御名御璽』

 実に都合のいい言い訳であり、張本人でありながら責任の一片も見られない。
 よくぞ、当時の国民は、この玉音放送に涙したものだと思う。

( 多分、よく聞こえなかったのかもしれない?が)

************************************

    詔 勅
  
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。

朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。

抑々、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公各々最善を尽くせるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想を致せば五内為に裂く。且、戦傷を負ひ、災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。惟ふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す。

 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ、情の激する所、濫に事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏くし誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。


  御 名 御 璽

  昭和二十年八月十四日
                                            

 <口語訳の一例>

 私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。

私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。

そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
 ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
 なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。

私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。

私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。

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玉音放送の記憶を遺そう   落石

2008年09月19日 10時43分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
中野さんの連載は面白く読みました。
私は玉音放送を叔父の背中で聞いたそうですが、
まったく記憶にありません。

私より年長の方は、きっと覚えていらっしゃるでしょう。
ぜひ、コメント下さい。

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一枚の写真              まもる

2008年09月19日 02時42分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 気にかかる写真というものがある。
 上に掲げた写真もその一葉である。(タイトルをクリックすると拡大します)

 平和記念館や平和の催しに行くたびに、この写真に出会っている。
 こんな写真を見ると、誰がどんな気持ちで、何を思いながら撮ったかと思うし
 写されている人はその後どんな生き方をしたのかと気がかりになる。

 そんな時、俳句仲間のご主人Sさんが「雑記通信」という小冊子に、この写真を撮り、「トランクの中の日本」という写真集にした米国人カメラマン=ジョーオダネルさんの紹介記事を書かれているのを読むことが出来た。
 その一文により私は今まで知りたかった多くのことを知ることが出来た。

 Sさんは苦労の末絶版となっていたこの写真集の出版社を探し、再販された「トランクのなかの日本ー従軍カメラマンの非公式記録」(写真ジョー・オダネル、聞き書きジェニファーオルドリッチ 発行・小学館¥2500円)を探し当てられた。

 そして、この写真に添えられたオダネル氏からの聞き書きを小冊子に紹介しておられる。聞き書きは「焼き場の少年」と題されたこの写真の様子を酷いほど感動的に伝えるものである。

 (写真に添えられた文章)     説明の先頭に「長崎」と記されています。

『焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。

 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。

 私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。

この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。』

★この文章を紹介くださったSさんは、今ピースあいちのボランティアーをされており、この冊子の中で、館にもこうした写真が数多く展示してあるので、これらの写真に目を背けないでという意味のことを書いてみえました。
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今年も平和のともしびウォークに参加しましよう!      昭和区九条の会

2008年09月18日 12時30分42秒 | 国内政治・経済・社会問題
~12月8日~ ・・・冬の平和の日・・・

 12月8日は、日米開戦の日、ジョン・レノンが暗殺された日です。
「昭和区九条の会」では、『冬の平和の日』と位置づけて千種、みずほ、名東九条の会と一緒に『平和のともしびウォーク』を行ってきました。
 昨年は12月8日の午後5時30分に手づくりの『ともしび』を持ち、500名を超える市民が瑞穂区・昭和区・千種区を平和を願って歩きました。
 今年は、県内や名古屋市内の九条の会にも参加いただき、県内各地で『平和のともしびウォーク』を行い、12月8日を『冬季の平和の日』として戦争反対、平和をまもれ、9条まもれの声を県民の皆さんに伝え、平和のアピールができれば素晴らしいと思っています。
 前記の四つの九条の会は、今年は、みずほ・昭和コースと千種・名東コースをつくり最終地点(千種駅東公園)で合流する予定です(昨年の話し合い)。
 県内、市内の「九条の会」の参加の方法は、みずほ・昭和コースと千種・名東コースに合流される方法、お近くの九条の会と一緒に『平和のともしびウォーク』を行う方法などがあると思います。
 ともしびのつくり方、夜間におけるウォークのノウハウ、その他の注意事項などについてはいままでの経験をお話します。連絡先がわかる「九条の会」には追ってご連絡をするつもりですが、よろしければ以下へご連絡下さい。

  【連絡先】 昭和区九条の会事務局
         (電話・FAX)052-731-2749 (舟橋)
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戦場 心の傷 ママはイラクへ行った     NHKのTVから

2008年09月18日 12時26分38秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
★先日、NHKで「戦場 心の傷」の2回シリーズを放映しました。いずれもイラクなどの戦争がもたらす人々の深い傷についてのドキュメントで感銘を覚えました。中でも米軍の女性兵士の傷は深くそれは酷いものでした。近日中に再放送され、さらに多くの人々に視聴され平和への願いが広まることを願って紹介します。
                         (ネット虫) 
************************************

 アメリカ軍はイラクなどに、総兵力のおよそ11%にあたる19万人の女性兵士を送り込んできました。その3分の1は子供を持つ母親兵士です。女性兵士に直接、戦闘を行う任務は許されていませんが、イラクではどこからが前線なのかが曖昧で、しばしば銃撃戦に巻き込まれるのが現実です。子どもに銃を向け、殺害することさえあります。

 これまでにない状況を経験し、その後、故郷に帰還した母親兵士に今、深刻な問題が生じています。戦場で負った心の傷が原因で「以前のように子どもを愛することができない」、「子どもを愛おしく思う心さえなくした」という母親が増えているのです。
マーシーさん(26)は12歳のイラク人少年に突然、背後から銃撃され、撃ち殺した経験からPTSD(心的外傷後ストレス障害)になりました。症状は息子を出産した後、悪化した。自分の息子の顔がイラク人少年の顔に重なってしまうのだといいます。育児が出来なくなり、いまは入院治療を続けています。

 イラク人の復興を支えたいと行ったイラクで見た厳しい現実。番組は、家族との葛藤に苦しむ元母親兵士の姿を通して、多くの女性が“前線”で闘うという、これまでにないアメリカの戦争の闇を描いていました。

★いかに女権尊重・男女平等?の国とはいえこの酷い現実をアメリカ国民はどう受け止めているのでしょう。

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ラジオと玉音放送④   中野寂音

2008年09月18日 09時15分09秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
私は昭和十七年一月日本放送協会(現NHK)に入社、技術部に所属していた。
昭和十九年十二月から一年間軍隊にいた。
その間四月から十二月まで中国にいた。
これが昭和激動の時代であった。

復員後日本放送協会に復職、八月十五日の放送局の模様を、
当時の技術担当者から直接聞くことが出来た。
「玉音放送」の録音盤のことも聞いたが、
当時の記録はすべて廃棄したので「玉音放送」は聞くことは不可能であった。

民間放送の開始とともに名古屋のCBCに入社した。
戦後十年位経過した頃、玉音放送録音盤と関係が新しく始まった。
私と日本放送協会に同期に入社した先輩寺田さんが、
CBCに入社東京支社で同僚として仕事を始めた。
その時「玉音放送」を聞かせてくれた。
始めて聞いた天皇陛下の声しかも実に鮮明で雑音もない。
当時NHKの放送では「玉音放送」は雑音の中から聞こえる声であった。

寺田さんは「玉音放送」の複製盤を自宅に持っている。
そのコピーである。
寺田さんは終戦の八月頃は中継局勤務で放送会館にはいなかった。
戦後会館の録音室勤務となった。

戦後アメリカ軍将校に「玉音放送」録音盤の複製を依頼された。
当時の複製担当者春名氏と寺田氏は複製盤を三枚作成した。
その一枚は春名氏の録音盤、現在NHKで保存されている「玉音放送」である。
もう一枚が同僚だった寺田さんが預かった。
戦後十年経過した頃、「玉音放送」のテープに複製したコピーを
寺田さんから聞かされた。
複製盤は十回再生すると雑音で聞けなくなる。
いままで三回再生した。
現在NHKで放送される玉音放送より音は良質である。
録音盤の雑音は少なく天皇陛下の声が鮮明に録音されている。
このときはじめて玉音放送をゆっくりと聞くことが出来た。

戦後二十八年八月十五日午後二時、寺田さん保存の録音盤は、
CBCテレビ「ワイドショー&YOU」で放送された。
寺田さんの一生をかけた執念の昭和音風景「玉音放送」
録音盤コピーは、CBC資料室に保存されている。
寺田さんは平成十二年病気のため亡くなられた。

戦後三十年頃、友人から手書きの「戦争終結の詔書」のコピーをいただいた。
「玉音放送」を聞くときはこの詔書を開いて、難解な漢字文を目で確かめて聞く。
明解な理解が出来るようになった。

                    終り

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へそ曲がりさんのへそは、真っ直ぐ!!   まもる子

2008年09月17日 16時52分30秒 | その他
 へそ曲りさんは義理の兄です。へそ曲りさんが病になり、闘病生活の様子を傍らで見てきました。へそ曲りさんは実に粘り強く病と戦ってきました。またへそ曲りさんを支えてきた妻や医療も素晴らしいものでした。がんばり屋さんのへそ曲りさんの力がとうとう尽きて、私たちは悲しい別れを迎えました。

 無神論者のへそ曲りさんの考えに沿った「思い出のつどい」「お別れのつどい」という葬儀が身内のみで行われました。そこではへそ曲りさんの様々なエピソードや生き様が語られました。聞いているうちに、へそ曲りさんがとても 強く平和を考えていたということ、憲法9条を守ろうとしていたこと、人々の幸せを願っていたかということがひしひしと伝わってきました。
  葬儀には慣れているはずの会館の人が涙をこぼすほど心を動かすものがありまし
た。

 へそ曲りさんのへそが真っ直ぐに平和へむいていたことをけしてわすれません。平和の大切さ、憲法9条の重要さを次の世代に伝えていくことを決心しました。

 そしてこの夫婦の妹であることを誇りに思いました。
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沢田研二・・「我が窮状」の歌、 今夜です。  ネット虫

2008年09月17日 16時05分51秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
 忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない
 英霊の涙に変えて 授かった宝だ
 この窮状 救うために 声なき声よ集え
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この窮状 救えるのは静かに通る言葉
 我が窮状 守りきりたい 許しあい 信じよう

★還暦を迎えても変わらぬ艶ののある声の沢田研二が
 平和への想いを自身作詞のバラードに込めて歌いあげる。

 NHK総合 11時 SONGSで

 まぎれもない、憲法九条賛歌だという。


☆昨夜のSONGSご覧になれましたか???
もしも、見逃した方はこちらで観る(聴く)ことができます。
collection 305  9番目の曲「我が窮状」
http://qjomiuchi.exblog.jp/7182920/
この記事の末尾のURLをクリックしてください。
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