昭和2年(1927年)3月15日の紙面
「東京渡辺銀行の破綻を
蔵相、突如言明す
昨日衆院予算総会の席上で
当の銀行の営業中に」
本文を引用すると、「十四日午後衆議院の予算総会において‥‥今日昼頃渡辺銀行が破綻しました。誠に遺憾な事であります。預金は焼く三千七百万円許(ばか)りあります。これからこれ等に対しなんとか救済しなければならぬと思います。さて救済をしようとすればその財産を整理したところのものを引き受けるといふものを見出さなければ整理できません」
「しかるに東京渡辺銀行は事実片岡蔵相の云へるが如く十四日午後一時頃遂に支払を停止するに至ったのであるがその後資金の調達成り午後三時営業を開始した。蔵相の破綻言明当時はあだかも営業中であったので問題は非常に重大となり‥‥」
「遂に休業
整理のため本日から」
本文、「片岡蔵相の破綻言明に対する善後策について大蔵省で種々審議の結果東京渡辺銀行は遂に十五日から休業して整理する事となった。尚姉妹銀行たる あかぢ貯蓄銀行も同様休業整理する事となった」
(当時の新聞記事の文章は、句読点の使用が極端に少なく、タラタラと長く続くので読みにくい。漢字は当用漢字に変えているが、仮名遣いは旧仮名遣いのまま、引用している。)
*この片岡蔵相の失言をきっかけに、不安に駆られた預金者が、日本全国の多くの銀行に押しかけ、返済をせまった。そのために手持ち資金不足で多くの銀行が休業に追い込まれていった。この収拾のつかない事態に対応して、政府は4月23日に「モラトリアム」(支払い猶予令)を出し、各銀行の預金支払いをすべて停止させ、日銀券を急遽増発、銀行に日銀が非常貸付を実施した。この過程で多数の銀行が倒産するにいたった。今の時点で振り返って見ると、政府の対応の遅さ、不十分さばかり目立つと云わざるをえない。
*大正天皇の逝去は12月25日のことであった。つまり昭和元年は、わずか6日間しかなかったので、昭和2年が昭和時代の始まりに当たる。昭和という元号は、書経のなかの「百姓昭照万邦協和」からとったものだ。「すべての国民が幸福に、すべての国が仲良く(世界平和)」という意味を込めたこの昭和時代は、恐慌に始まり、激しい戦争に連なる時代であって、この元号の意味あいとは、あい反する歴史を歩むことになった。
「東京渡辺銀行の破綻を
蔵相、突如言明す
昨日衆院予算総会の席上で
当の銀行の営業中に」
本文を引用すると、「十四日午後衆議院の予算総会において‥‥今日昼頃渡辺銀行が破綻しました。誠に遺憾な事であります。預金は焼く三千七百万円許(ばか)りあります。これからこれ等に対しなんとか救済しなければならぬと思います。さて救済をしようとすればその財産を整理したところのものを引き受けるといふものを見出さなければ整理できません」
「しかるに東京渡辺銀行は事実片岡蔵相の云へるが如く十四日午後一時頃遂に支払を停止するに至ったのであるがその後資金の調達成り午後三時営業を開始した。蔵相の破綻言明当時はあだかも営業中であったので問題は非常に重大となり‥‥」
「遂に休業
整理のため本日から」
本文、「片岡蔵相の破綻言明に対する善後策について大蔵省で種々審議の結果東京渡辺銀行は遂に十五日から休業して整理する事となった。尚姉妹銀行たる あかぢ貯蓄銀行も同様休業整理する事となった」
(当時の新聞記事の文章は、句読点の使用が極端に少なく、タラタラと長く続くので読みにくい。漢字は当用漢字に変えているが、仮名遣いは旧仮名遣いのまま、引用している。)
*この片岡蔵相の失言をきっかけに、不安に駆られた預金者が、日本全国の多くの銀行に押しかけ、返済をせまった。そのために手持ち資金不足で多くの銀行が休業に追い込まれていった。この収拾のつかない事態に対応して、政府は4月23日に「モラトリアム」(支払い猶予令)を出し、各銀行の預金支払いをすべて停止させ、日銀券を急遽増発、銀行に日銀が非常貸付を実施した。この過程で多数の銀行が倒産するにいたった。今の時点で振り返って見ると、政府の対応の遅さ、不十分さばかり目立つと云わざるをえない。
*大正天皇の逝去は12月25日のことであった。つまり昭和元年は、わずか6日間しかなかったので、昭和2年が昭和時代の始まりに当たる。昭和という元号は、書経のなかの「百姓昭照万邦協和」からとったものだ。「すべての国民が幸福に、すべての国が仲良く(世界平和)」という意味を込めたこの昭和時代は、恐慌に始まり、激しい戦争に連なる時代であって、この元号の意味あいとは、あい反する歴史を歩むことになった。