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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

朝日新聞に見る日本の歩み その3 恐慌から始まった昭和の歴史 ‥千里眼‥

2007年03月14日 23時13分07秒 | Weblog
昭和2年(1927年)3月15日の紙面

「東京渡辺銀行の破綻を
   蔵相、突如言明す
    昨日衆院予算総会の席上で
     当の銀行の営業中に」

 本文を引用すると、「十四日午後衆議院の予算総会において‥‥今日昼頃渡辺銀行が破綻しました。誠に遺憾な事であります。預金は焼く三千七百万円許(ばか)りあります。これからこれ等に対しなんとか救済しなければならぬと思います。さて救済をしようとすればその財産を整理したところのものを引き受けるといふものを見出さなければ整理できません」
「しかるに東京渡辺銀行は事実片岡蔵相の云へるが如く十四日午後一時頃遂に支払を停止するに至ったのであるがその後資金の調達成り午後三時営業を開始した。蔵相の破綻言明当時はあだかも営業中であったので問題は非常に重大となり‥‥」

「遂に休業
   整理のため本日から」
 本文、「片岡蔵相の破綻言明に対する善後策について大蔵省で種々審議の結果東京渡辺銀行は遂に十五日から休業して整理する事となった。尚姉妹銀行たる あかぢ貯蓄銀行も同様休業整理する事となった」
 
(当時の新聞記事の文章は、句読点の使用が極端に少なく、タラタラと長く続くので読みにくい。漢字は当用漢字に変えているが、仮名遣いは旧仮名遣いのまま、引用している。)

*この片岡蔵相の失言をきっかけに、不安に駆られた預金者が、日本全国の多くの銀行に押しかけ、返済をせまった。そのために手持ち資金不足で多くの銀行が休業に追い込まれていった。この収拾のつかない事態に対応して、政府は4月23日に「モラトリアム」(支払い猶予令)を出し、各銀行の預金支払いをすべて停止させ、日銀券を急遽増発、銀行に日銀が非常貸付を実施した。この過程で多数の銀行が倒産するにいたった。今の時点で振り返って見ると、政府の対応の遅さ、不十分さばかり目立つと云わざるをえない。

*大正天皇の逝去は12月25日のことであった。つまり昭和元年は、わずか6日間しかなかったので、昭和2年が昭和時代の始まりに当たる。昭和という元号は、書経のなかの「百姓昭照万邦協和」からとったものだ。「すべての国民が幸福に、すべての国が仲良く(世界平和)」という意味を込めたこの昭和時代は、恐慌に始まり、激しい戦争に連なる時代であって、この元号の意味あいとは、あい反する歴史を歩むことになった。
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「国民投票法案」の破棄を求める署名を!!  昭和区九条の会

2007年03月14日 11時48分33秒 | Weblog
衆議院議長 様
参議院議長 様

   改憲のための「国民投票法案」の廃案を求める請願書

〔請願の主旨〕
 日本国憲法の掲げる平和、人権、民主主義の理念は国民に広く支持されており、特に第九条は不戦の誓いとして多くの国民に支持され、アジアをはじめ世界から評価されています。与党は、いま国会で審議されている「国民投票法案」を民主党との修正協議をすすめた上、今国会で成立させる意向を示しています。しかし、「修正」を重ねても憲法九条を変えて日本をアメリカとともに「戦争をする国」にするための手続き法案であることには変わりありません。
 また、「国民投票法案」には、(イ)有効投票の2分の1超の賛成で承認・成立すること。(ロ)有料の意見広告は、規制は殆どなく資金力のある政党が極めて有利になること。(ハ)憲法改定に関わる運動は自由・闊達に行うべきですが、公務員や教育者の運動を規制があること。 以上のような問題があります。
 前記のような問題は民主主義に反するものであり、公正・公平とはいえません。
また、国の基本法である「憲法」を軽視するものでもあり、多くの国民の納得を得られる法案とはとても思われません。改憲をめざす人々は、『第96条に基づく、改正手続き法をつくるのだ」と主張しますが、自民党の「新憲法草案」など改憲の方向が明らかな状態のまま、成立をめざすのは憲法の趣旨に反する行為であると考えます。

〔請願事項〕

 現在、審議中の「国民投票法案」は、廃案にされるよう強く要請します。


  氏  名      住     所


【取扱団体】 昭和区九条の会


                       
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ドキュメンタリー番組を見て、制作者と話し合う会

2007年03月14日 09時41分47秒 | Weblog
ドキュメンタリー番組を見て、制作者と話し合う会のお知らせです。


  日時 2007年3月24日(日) 午後1時30分~
  会場 名古屋市中生涯学習センター第三集会室
     (地下鉄上前津駅⑥出口から南(金山方面)へ250m 下前津交差点右折れ)

  作品 ①「約束」(東海テレビ制作)
     ②「絆 いのち見つめて・臓器移植の現実」(テレビ愛知製作)

※ 会場費として200円をご用意ねがいます。

                主催:日本ジャーナリスト会議(東海)

                               (落石)

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政治や平和は手段にすぎないのだが。     まもる

2007年03月14日 00時25分14秒 | Weblog
 個々の人間の営みに比べれば、政治は必要悪のようなものだと思う。人々の生活がうまく行くように、あるいは不正がないように、更には敗者や弱者が救済されるように、そういった社会的仕組みをつくることが政治である。そして何よりも、人々が一度しかない人生を送る為の最低条件である「平和な社会」を確保することこそ政治のつとめであるのだ。

 つまり世の中の主役は一人一人の人間の人生である。政治は脇役なのだ。ところが最近のメディアを 見ていると政治や政治家があたかも主役のように扱われている。それはおかしい。世の中がうまく行っていれば、そもそも政治など要らないのである。ましてや政治家が法外な手当てを貰って特権を享受することなどは間違いなのである。

 残念ながら現実の世の中はうまく行っていない。そこで政治の役割もまた必要になってくる。しかし我々は原点に立ち戻ったほうが良い。政治の事ばかりを考え、政治的活動に係わることが偉い事、重要な事ではない。政治に関心のない事が悪いことではない。政治家や政治評論で飯を食っている連中は、そこのところを自覚するべきだ。自分たちのやっていることは、まじめな個々人の人生に比べれば立派でも尊いことでも何でもないのである 

 例えば政権交代である。それが出来れば民主党は嬉しいであろう。しかし我々国民にとっては政権交代が目的ではない。政権交代が起こると少しはまともな政策が期待できるのではないかと期待するだけだ。我々の関心は唯一つ、良い暮らし、平和な暮らしができるかどうかなのである。どんな政権であろうと、どんな首相であろうと、そういう社会を確保してくれさえすれば それでいいのである。

 護憲運動にしてもそうだ。憲法9条を守ろうと声高に叫ぶ事は、特に安倍政権の下では憲法9条が放棄されるかもしれない危険性があるので、重要ではあると思う。しかし問題は、憲法9条を守る事が出来たとして、その後に日常生活にもどって平凡な生活をすることこそ重要なのである。政治的な活動を生きがいとしている一部の人たちは、環境、人権、差別など次々と政治的テーマを見つけて、終わることのない政治活動を続けようとするかもしれない。しかしそれは本当の人生ではない。人生で一番重要なことは、平凡な日常生活を、楽しく、仲良く、面白く、人に迷惑をかけずに生きていくことである。退屈な人生を行き続けることである。苦しい人生を生き抜くことである。

 世界には、それさえ出来ない人々がいる。そしてそれは政治が悪いのだ。日本はそういう国に比べれば恵まれている。しかし最近は日本もそういう状況に近づきつつあるのではないか。政治は必要悪でしかないが、それが悪政になりつつあるのではないか。そうさせてはならない。私がブログを書く意義があるとすれば、悪政を監視することなのだ。そう思って面白くもないブログを私は書き続けていく。自分がなすべき人生、ほかにある筈だと思いながら。

  


コメント (3)
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