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この「社説」は、優れた文学だと思う  文科系

2021年06月09日 09時05分15秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 本日の朝日新聞「オピニオン」紙面の「多事奏論」には、読み進む目だけではなく、読み終わってしばし心まで奪われ、アマチュア文筆家の端くれとして標記のようにため息さえ出てきたもの。編集委員・駒野剛と言う人物の筆になる『コロナ禍の五輪 転げ落ちる石 首相は傍観者か』。

『それほど(天皇から)信頼された東条だったが、外面の強気さから想像できないほど内面は揺れていた。1943(昭和18)年初頭、東条は旧知の陸軍担当の元朝日新聞記者と差しで話し込んでいた。ポツリ東条は語った。
「戦(いく)さというものはね、山の上から大石を転がすようなものだ。最初の五十センチかせいぜい一メートルぐらい転がった時なら、数人の力でとめることもできるが、二メートル五メートルとなれば、もう何十人か何百人かでなければとめることはできない。それ以上になれば結局谷底まで、行きつくところまで行かねば始末はつかないのだよ」(高宮太平著「昭和の将帥」)。そして天皇を太陽、自らを月になぞらえ、「太陽の光が照りつけている間は、黙って辛抱するだけだ」。
 自ら始めた戦を傍観する宰相の下、日本は亡国の急坂を転げ落ちていったのだ。』

『今、コロナ禍という国難の中で五輪という大石が転がり続けている。緊急事態宣言の延長を決めた5月28日の記者会見で管義偉首相は「関係者と協力しながら安心安全の大会に向けて取り組みを進めている」と述べ、開催前提の姿勢を変えていない。
 首相は五輪の傍観者なのか。そう印象づけたのが、3度目の緊急事態宣言を決めた4月23日の会見。「開催はIOC(国際オリンピック委員会)が権限を持っている。IOCが東京大会を開催することをすでに決めている」と述べた。事実とはいえまるで人ごとのようだ。最近は「国民の命と健康を守るのは私の責務で、このことより(五輪開催を)優先させることはない」と述べるなど、心の揺れも見て取れる。しかし大石は転がり続ける。
 国民の安心安全を守る最高責任者など日本にはいないと思えてならない。ならば命を守るには、政権などは頼らず、谷底に落ちない知恵と力を各自がこらすしかない』

 以上、本文中の中間主要部分と末尾部とを抜き出したのだが、一言だけ、解説を加えたい。
 東条に見た「外面の強気さから想像できないほど内面は揺れていた」が「自ら始めた戦を傍観する宰相」を、管首相にもこう観込んでいる人間洞察の表現に、一種凄みさえある真実味が感じられた。「最近は・・・・心の揺れも見て取れる。しかし大石は転がり続ける」。

 時代閉塞が生んだ「人間疎外」から起こった人類史の大惨事って、ほとんどこのようにして進んで来たものなのだろう。特に近代以降に民主主義や人類平等の思想、感性が広がってから以降の人間によって引き起こされた歴史的大惨事では、その「主人公」らのこういう「心の揺れ」は特に大きくなってきたことだろうと信じたいものである。また、「日本会議」隆盛の今の政治世界の中では、この朝日新聞自身も「大石」にされていくという側面が、大石にされないのであれば徐々に潰されつつあるのではないかという恐れも含めて、さぞ悩ましいことだろうとも考え込んだりしていた。安倍がやって来た「無知、無意識の大石転がし」は、すでに「一メートル」を超えていると思う。三権分立の司法権の一角、裁判起訴権を握る検事総長人事までを意のままにする寸前まで行っていた安倍なのであるから。

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