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「私が国家ですよ」に潜むもの   文科系

2020年06月05日 14時20分39秒 | 国内政治・経済・社会問題

「私が国家ですよ」と安倍は叫んだ。それも、国会討論という国政最大の場所において。こんな途方もない言葉に関わってこそ検察幹部OBらが「ルイ14世」と呼んだのだが、その意味は意外に大きく、深刻なものだということを示してみたい。

 なによりも、こんなことを思う。安倍は、彼の政治運営の基本方針として、こんな「政治思想」を持っているのではないか。
「国民に選ばれた以上は、その主権者国民の名において自分がやりたい事を目指して良いのだ。自分が国家方針の根幹でさえ決められる」
 安倍が、従来政治の基本概念さえ数々踏み躙っていく姿は、このような理解しかあり得ないと思うのである。

 裁判の公訴権を唯一持っている検察官の人事を行政府が左右できるようにしようというのは、三権分立への独裁者の反乱と言える。内部昇格という従来方針を覆して内閣法制局長官を外務省から連れてきたのは、自分の憲法解釈を認めない内閣法制運用の専門部局を総入れ替えしたに等しい所業である。またそもそも安倍は、櫻井よしこらと連んで現憲法を蔑視さえして来たのではないか。「9条なんて(笑)??」とか「権利ばかりで、義務が書いてない」とか。
 憲法をめぐるこの権利義務問題については、櫻井と同じで憲法というものの基本理念理解が欠如していると観てきた。憲法とは、単なる国民のお約束ではない。国の主人公である国民がその基本的人権を守るように国家諸機関に命じた文書なのだ。「権利ばかり書いてあって義務が書いてない」などと言えるのは、憲法のこの基本を理解していないか、無視して良いとするからである。この立憲主義でさえ時の政権が変えても良いと考えているのでなければ、これと同等に国民の義務を憲法にずらずらと書き込もうなどという彼の発想は出てくるわけもないのである。
 ちなみに、日本国憲法の中のその義務は、「公共の福祉に反しない限り」という別項を設けて全ての権利に縛りを入れているのだが、櫻井よしこがこのことを知らなかったのは、憲法学者小林節との論争で明らかになった有名な話だ。

  安倍は、立憲主義や、三権分立を実質否定しているのだろう。「国民に選ばれたのだから」という理由によって。こういう国家元首が現れないようにという警戒からこそ、立憲主義も三権分立も生まれてきたはずなのだが。ヒトラーもムッソリーニもここをこそ突破したから、あー言う歴史的悲劇を起こしたのではなかったか。

 とこう観てくると安倍は自分を単なる株主に全権を委任された民間企業のCEOのように振る舞って良いとしているのではないか。それも、国家三権や日銀の上にそびえ立つCEOならば、こういう独裁気質が理解できるというものだ。

コメント
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