コロナで危ぶまれていたが、来週の日曜日、本年度の教室発表会がある。今年弾く曲は、先生との2重奏でヘンデルのサラバンドと、バッハのBWV998「リュート組曲」からプレリュード。2回舞台に出ることにした。
サラバンドは吉田光三のとても易しい編曲だが、「僕はこれが大好き」という奴。重厚な美しさに、気分良い盛り上がりも十分。思い切って弾いても音が割れない僕のギター(中出敏彦のアグアド・フルコピー)を正に思い切り鳴らすことができる。
998プレリュードは、僕が長く憧れてきた曲。これを初めて習った日付が11年4月8日とあるから、弾き始めてもう9年になる曲だ。当ブログのギター随筆にもう何度も書いてきた事だが、僕は暗譜群というのを大小併せて25曲ほどを持っていて、これを月に数回りづつ弾いてきたその中の1曲である。しかも、この中で残り少なくなった「まだ人前では弾けない曲」の一つで、それを今度はじめて弾くわけだ。ちなみに、他の同類は、これだけ。バリオスの「大聖堂3楽章」、ソルの「魔笛の変奏曲」、そしてトレモロが下手なタレガ「アルハンブラ宮殿の思い出」である。
さて、そんな9年越しの曲をとうとう舞台で弾くとあっては、当然意気込みが違う事になる。例によって指が震えなければ良いのだがなどと、色々心配になるわけだ。澄んだ音を流れるように滑らかに、かつ山場はちょっと激しくも弾く4ページの曲だから、力が入って雑音が出る事を最も警戒することになる上に、消音すべき箇所も多いから、意外に難しい曲なのである。
この消音というのは、ピアノなど和音楽器には必ずついて回る技法であって、ある和音の特によく響く低い装飾音などを消すものである。つまり、この低音で装飾すべき旋律音が次の音に移った時に、この低音を消さねばならないのである。これを消す事によって、次の旋律音が澄んで、意味を持って浮かび上がってくるという事にもなっていく。ピアノではこれを、一つのペタル操作で行えるのではなかったか。フルートなどの単音楽器では、これを分散和音で修飾していくだけだ。
考えてみれば誰でも分かる事だが、和音楽器は単音楽器とは違った楽しみがある分難しい。旋律を適当な音程、長短、強弱の和音で飾っていくという楽しさである。その楽しさを増やす分だけ、難しい技術も増えるのである。でも、そういう難しさを乗り越えるたびに新たな美しさが現れてくるからまさに音楽、楽しいのである。