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来週14日、ギター教室発表会  文科系

2020年06月06日 13時53分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 コロナで危ぶまれていたが、来週の日曜日、本年度の教室発表会がある。今年弾く曲は、先生との2重奏でヘンデルのサラバンドと、バッハのBWV998「リュート組曲」からプレリュード。2回舞台に出ることにした。
 サラバンドは吉田光三のとても易しい編曲だが、「僕はこれが大好き」という奴。重厚な美しさに、気分良い盛り上がりも十分。思い切って弾いても音が割れない僕のギター(中出敏彦のアグアド・フルコピー)を正に思い切り鳴らすことができる。

 998プレリュードは、僕が長く憧れてきた曲。これを初めて習った日付が11年4月8日とあるから、弾き始めてもう9年になる曲だ。当ブログのギター随筆にもう何度も書いてきた事だが、僕は暗譜群というのを大小併せて25曲ほどを持っていて、これを月に数回りづつ弾いてきたその中の1曲である。しかも、この中で残り少なくなった「まだ人前では弾けない曲」の一つで、それを今度はじめて弾くわけだ。ちなみに、他の同類は、これだけ。バリオスの「大聖堂3楽章」、ソルの「魔笛の変奏曲」、そしてトレモロが下手なタレガ「アルハンブラ宮殿の思い出」である。

 さて、そんな9年越しの曲をとうとう舞台で弾くとあっては、当然意気込みが違う事になる。例によって指が震えなければ良いのだがなどと、色々心配になるわけだ。澄んだ音を流れるように滑らかに、かつ山場はちょっと激しくも弾く4ページの曲だから、力が入って雑音が出る事を最も警戒することになる上に、消音すべき箇所も多いから、意外に難しい曲なのである。

 この消音というのは、ピアノなど和音楽器には必ずついて回る技法であって、ある和音の特によく響く低い装飾音などを消すものである。つまり、この低音で装飾すべき旋律音が次の音に移った時に、この低音を消さねばならないのである。これを消す事によって、次の旋律音が澄んで、意味を持って浮かび上がってくるという事にもなっていく。ピアノではこれを、一つのペタル操作で行えるのではなかったか。フルートなどの単音楽器では、これを分散和音で修飾していくだけだ。

 考えてみれば誰でも分かる事だが、和音楽器は単音楽器とは違った楽しみがある分難しい。旋律を適当な音程、長短、強弱の和音で飾っていくという楽しさである。その楽しさを増やす分だけ、難しい技術も増えるのである。でも、そういう難しさを乗り越えるたびに新たな美しさが現れてくるからまさに音楽、楽しいのである。

 

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黒川処遇を、文科省次官の辞任と比較する   文科系

2020年06月06日 12時12分15秒 | 国内政治・経済・社会問題

 黒川氏の軽い処分について標記を思い出していた。政権に近いか、憎まれた?かで、こんなに差が出るものか。当時の文科省虐めは、明らかに異常な力が働いていた。黒川問題の今、そのことを思い出してみるのは大事な事だろう。佐川と言い、公務員の鏡みたいなお方だったからこそ亡くなられた財務省職員の方と言い、この政権はいわゆる信賞必罰の正反対、権力の恣意的乱用によって官僚腐敗を招くばかりだ。

 

【 文科省「汚職」事件へのある論考    文科系
2018年11月21日 15時35分23秒 | 国内政治・経済・社会問題

 文科省が、次官二代続き辞任などで世を大騒ぎさせて来た。その新聞を見る限り辛うじて汚職に引っかかるのかも知れないが、よく読むとある重大な危惧を抱かざるを得なかった。

 先ず「汚職」金額の問題が目に付いた。次官が「62,000円超」で、初等中等教育局長に至っては「2万円」という飲食・タクシー代とあり、いずれも辞任に追い込まれている。これ以上に疑問なのが、これらのニュースソース(垂れ込み元)と思われる谷口というコンサルタントにこの金を使わせた会食場面のことだ。政治家の名で招待されたから、「政治家は利害関係者には該当しない」という認識で出席したと、この次官らが語っている。
 さらに新聞記事などをよく読むと、もう一つ、僕には不思議な点があった。上の二人以上の金額、11万5000円を汚職したという高等教育局長は辞任せず、こんな談話を語っていると報道されていた。
『現在手掛ける大学改革などの政策を挙げ「しっかり推進する事で責任を取りたい」と語った』(22日中日新聞)
 辞任させられた初等中等教育局長と同格で、汚職金額も彼よりずっと多いこの高等教育局長は、何故「大学改革の推進」を許されたのだろうか。

 どうだろう、これほど大騒ぎになる問題だろうか? 政治家の名による招待に応じたという意味で汚職か否かの境界判定が難しい問題とも思われるのだが、どうなのだろうか。これも新聞をよく読むと分かるのだが、彼らは、収賄罪で既に起訴されたある同僚人物に支払いを申し出て、「会費、支払いは不要」と応えられてもいる。重ねて言うが、金額が最も多かった高等教育局長(辞任した初等中等教育局長と同格のはずだ)が辞任せず「大学改革をしっかり推進」と語っている点も、以下に見るように大変気になったものだ。実際の罪よりも、例えば、彼らの思想傾向、日常の姿勢が前川喜平氏に近かったか否かなどということで今回の断罪が成されたのでなければよいのだが。内閣人事局を作って行われ始めた官僚に対する政治優位がこんな形で運用され始めたとしたら、この日本の近い将来は真っ暗闇である。

 ちなみに、財務省・佐川氏の当初の昇進は、「こんな形で運用され始めた」ことの明白な証拠の一つと思われる。そして、今回の文科省処分はこれとは正反対、信賞必罰を嘲笑うがごとき事十二分と、そんな事も訝っていたものだ。

 さて、安倍長期政権によって文部行政がどんどん歪められ始めるのではないか。ちなみに、前川前次官辞任とそれ以降判明してきた出来事とからも同じことを感じていた。文科省が「忖度・財務省」などとは違って、文科次官を筆頭にモリカケ問題で内閣に抵抗していたと。そして、前川氏をやり玉に彼らに対して、内閣が報復的な行動に出ていたことも明らかだった、と。

 以上について、状況証拠をもう一つ挙げてみよう。安倍政権は、歴史修正主義の名が冠されてきたことに示されるように、近現代日本史の書き替えに熱意を燃やし続けてきた。そしてこのことが、文部行政と数々の確執を起こしてきた。さらには、近年の大学など高等教育においては、「軍事研究の是非」を巡る政権と現場との確執も大詰めを迎えているやの感があった。

 「文科行政」の長い歴史には、こういう教訓がある。古くは焚書坑儒、新しいものなら美濃部達吉事件や滝川事件のように、政権が右傾化するときには特に必ず、教育、学問の府と確執を起こしてきたのである。

 今回の文科省辞任問題がそういうものでなければよいのだがと、大変な危惧を抱いている。】

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