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随筆 ミヤコワスレ   文科系

2020年06月03日 11時20分50秒 | 文芸作品

 ミヤコワスレ

 家のトイレの戸を開けてすぐの棚に、この二週間ほど二輪のミヤコワスレが活けてあった。少し暗い部屋なので長くもったのだろう。薄紫のふつうのと、白っぽいピンクのと一本ずつだった。今日それがとうとう枯れ始めたので、僕の手でかえたところだ。濃いピンクのと、細い花弁の小輪で濃い紫のと、普通の薄紫のとの三本に。見つめていると神経が温められるような幸せな気持ちになるので、用を足すときはもちろん、用のないときも戸を開けてながめる。それほどに僕はこの花が好きなのだ。「花のなかで一番いいと思うのはミヤコワスレです」と、この数年人に言うほどである。庭にこの花の蒐集畑も作った。ただそこに白いのがない。来年の春に買うか、人にたずねて、もらおうかと思っている。

 さて、人が、「僕が魚で最も美味いと思うのはヒラメだな」とか、「野菜ではナスが一番好きかな」とか言うときには、実はその好きな対象だけを話題にしているのではない。それを好きである自分というものも、やはり語っているのではないか。無意識のうちに語っている場合がほとんどだろうが。
 ミヤコワスレ自身の単一で素朴な色や、やはり素朴なすっきりとした一重の花弁が好きだという人は多かろう。また、そういった容姿で、小声だがきちっと自己主張もしているといった感じの可愛らしさに惹かれると語る人も多いだろう。余談だが、これらの表情は、三本くらいまでを切り花にして、やや暗い色調の花瓶に活けると、よく見えてくる花だと思う。しかし、今日ここでは、この花にこんなに惹かれている私というものを表現してみたいと思うのである。

 僕は人間に疲れている。押しの強い人はもちろん、遠慮が多い人にも今は疲れてしまう。随筆などによくあるが、人は人間に疲れるとき、自然を親しく感じるものだという。この自然が親しいとは、単にふつうに草木が好きだという程度ではないらしい。浮世のことはノーサンキュウで、自然と、自然に近くなっているような分かりあった身近な人とに逃げ込んでいるような心境と言って良いのかも知れない。僕もこんな心境で花に接しているんだと、いつのころからか気づいた。そんな心にぴったりと通じてくる花が僕の場合、ミヤコワスレだったのである。押し出しが強い花は、たとえすごいと思っても、疲れさせられる人みたいだ。可愛いと親しむけれども、少しきつくて、はしっこい人を感じさせる花もある。素朴なもののなかでも、ぼっーとしたものもあり、やや複雑で安らげぬと感じるものもある。単純素朴な美しさ、表裏を感じさせない自己主張、ミヤコワスレはほっとする安らぎをくれる人と同じだ。見ると神経が温められるように感じるのは、そんなことなのではあるまいか。

 ところで、こんなことをかえりみていたある日に、確信したことがある。この花の名前にかかわって、一つの物語を思いついたのだ。もちろん僕の創作だが、そう、この名前の由来はもうこれしかないと。
 昔、都に一人の男がいた。境遇にも女性にも不自由なく、天真爛漫に、面白おかしく暮らしていた。そんな彼がいつの頃からか、都人のぎらぎらした表裏に気づき、人の中にそれをさぐるようになってしまった。やがて彼はそのことに疲れ切って、逃げるように任地におもむいた。そこで、なんとなく惹かれる一人の女性に出会ったのである。都の栄枯盛衰にただよっている女性たちとは違う世界の人のようだと感じた。前にもこういう人に出会っていたろうに、どうして気づかなかったのだろうか。こんなふうに彼女を遠くからぼーっと眺めていたある日あるとき、ふっと浮かんだ。
 あの花と同じだ。ちかごろ私を幸せな気持ちにしてくれているあの花と。この人も、あの花も、何かほっとする。いろんな世界があるものだな。
 男は一人こんなふうにつぶやき、やがていつしか、都を忘れていったという。

(1996年2月発行の所属同人誌に初出)

 

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