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今日の中日、朝日新聞から 1  文科系

2020年06月08日 12時17分37秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 二つの新聞を読むようになって、目立った記事を発信したくなった。中日の記事は全国の方々向けに、朝日の記事は愛知の当ブログ読者に向けて。記事を選ぶ観点だが、「世界の中の日本」あるいは「日米中関係」ということになろうか。これからの日本政経が特に、中米間の「トゥキディデスの罠」の動向によって没主体的に翻弄されて行く事が目に見えているからである。ちなみに、この問題は日本人政治意識の最弱点だと思う。ネトウヨ諸君など右翼は大変なアメリカ音痴だし、マスコミの中米報道は変な先入観に囚われた記事しか書かない。アメリカは「自由と民主主義の国」で、中国は「習独裁の全体主義」という昔ながらの構図だけである。前者は既に嘘だし、後者だけでは中国の事は正しく伝わらない。そもそも、日本の輸出入がどんどん対中の方に傾いていて、その中国に冷戦を持ちかけているのは国連無視が当たり前になったアメリカの方なのだから。
 ちなみに、この両新聞の記事紹介は、関東で朝日と東京の両新聞記事を紹介するのと同じ事になるのではないか。

 まず今日の朝日。「コロナ死者の3分の1は高齢者施設で亡くなっていると米マスコミは分析している」というのがあった。このことに関わってまた、こんな解説記事もついていた。「そういう高齢者施設の運営主体が、どんどん投資会社に移っていて、ヘッジファンドが運営している高齢者施設も多い」ということだ。「安い職員を使って、マスクや手袋も支給されない」とか。

 中日新聞では安保条約発効60年という特集があって、登場する3人の識者の1人、孫崎享が安保条約第1条と国連憲章との大変矛盾する現状を語っている、その内容が今時実に面白い。「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」が彼が上げた日米安保条約第1条部分なのだが、他方国連憲章第2条にはこうあると、孫崎は語る。
「全ての加盟国は、武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」
 孫崎はこうして、武力の行使や威嚇をイラン、イラクなど近年しょっちゅうやって来たアメリカは「国際連合の目的と両立しない」のだから、安保条約第1条の約束違反であると日米政府をたしなめているわけだ。流石に元外務省国際情報局長というべきだし、近年のアメリカが困窮し尽くした末にそれだけ変わってしまったということをも教えている。ちなみに、こと世界の外交に関しては今や、中国の方がはるかに国連尊重国と言える。対するアメリカは今や、国連敵視国になっている。そんな事情にも関わって、昨日あるブログに付けた拙稿をここにも転載しておきたい。

【 新自由主義経済って、単なる暴力経済。「株主利益の最大化方針」を誰が正しいと決めたのか。彼らに良いように世界各国障壁が取っ払われてしまった。その昔の「自由競争こそ経済発展の元・政府はできるだけ小さな政府で」といういわれないやり方を金力・株主本位という形で世界に野放しにしたのである。アメリカは西欧や日本に対したように、企業の敵対的買い付けで世界を支配できると目論んできたのだろう。ところが、中国が障壁に立ちはだかった。現物経済も全てこの国に取られてしまった。中国元の障壁はそのままだ。さすれば、トゥキディデスの罠よろしく、米衰退一路になる。困った困った、当面保護主義と米大陸ブロック経済で凌いでおいて・・・と、そういうことなのである。もはや、普通のやり方では中国に対抗できないと認めているのである。
 前回の「トゥキディデスの罠」局面では、ゴルバチョフが「降伏」と手を上げたが、アメリカにそんな事はありえない。
 とすれば何か大変な事が世界に起こる。香港、台湾、ウイグル、それとも陸海の絹の道で?

 そこで日本は、というわけから、安倍の「中国寄り動向」も、既に18年から起こっている。こんな局面を馬鹿の安倍と胡麻擂り官僚上がり側近には、手に負えるわけがないのである。世界に翻弄されるのではなく、メルケル辺りと世界を回して欲しいし、その力もあるはずというのが日本の首相という立場なのだが・・。

 ただ翻弄されるだけは、日本国民には大悲劇しかあり得ない。既にこの25年ほどの国民1人当たり購買力平価GDPは世界5位から32,3位にまで落ちているはずである。日本31位、韓国32位というのが最新18年の数字だから、今はおそらく韓国にも抜かれたろう。あちらの方がコロナ被害もはるかに少なかったのだし、新政権に立ってすぐに最低賃金をいち早く上げて、内需拡大に励んでいる。
 激動の世界に、アメリカにはしごを外されてばかりの「選挙勝利だけ政治」という馬鹿な日本首脳部! そんな悲劇ばかりが巻き起こってきた国である!】

 

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小説 俺の連れ合い 1  文科系

2020年06月08日 00時02分21秒 | 文芸作品

 柔らかい灯りがどこからともなく部屋全体に行き渡っている長い和室にやはり長くて幅広の黒いテーブルが納まり、その両側・対面の椅子に十五人ほどが着いている宴会場だ。ついさっきから、俺の連れ合いの番が来て、卒業以来の職業経歴などを話している。七十を越えた最近の改まった場所に出る時の常で和服姿なのだが、この面倒くさい着付けも本を見て独力で身に着けたもの、器用なお人なのである。
「このクラスの後、国文学科を卒業して以来、愛知県立高校の教師を三校回って定年。その後は大学講師などをちょっとやって、後は老後生活です。」
  そんな話をしている。ビールグラスを傾け傾けこの連れ合いの姿を見ながら、俺は彼女との出会いの頃を思い浮かべていた。
 この宴会は、一九六一年度入学の名古屋大学L1Cクラスが初めて開いた、言ってみれば喜寿祝いの同窓会。文学部の、第二外国語としてフランス語を選んだ学生で成っていた五十人ちょっとのクラスで、当時のこの大学としては珍しく女性が半数近くに及んでいたものだ。このクラスから俺らともう一組、二組の夫婦が生まれ、その時代からずっと続いた友達同志、松本夫妻との四人で準備した会なのである。と言っても、ここまでのほとんどは我が連れ合いの実行力と事務能力とで進んできたもの。発想、思いつき、着手が俺で、その実務は連れ合いという、我が家庭の日常経営と同じ。開会のいきさつなどの「ご挨拶」や司会は、松本サーちゃんがやっている。
〈この松本君たちとは、よくダブルデイトをしたもんだ。当時も結婚後もすぐ隣の区に住み、一緒に旅行などもやってきて、今振り返って思えば、お互い貴重すぎるような付き合いだ。そう言えば、コーちゃんはボンボン育ちで、奥さんのサーちゃんはちょっときつい人って、我が家と基本的に同タイプだ。ちょっと華やかなサーちゃんもよく持てた人だったけど、今はことさらよく分かることなんだが、俺はコーちゃんのこのおっとりに引き寄せられたんだよなー。大学一年生の最初から互いの家へも行き来しだしてて、彼らの結婚披露宴の司会が俺らで、俺らの仲人がコーちゃんの父さん母さん……。〉
 などと 一時懐旧に浸っていたが、たちまち現実の問題に引き戻されていく。

〈大学一年に付き合いだした時どころか、定年後の今でも我が連れ合いがよく分からない。分からないだけで済めば良いのだが、激しい喧嘩が当時も今も絶えないだけじゃなく、近年ますます激しくなっている。正反対の生い立ち、性格とは付き合って間もなく分かったが、その事を年々より強く思い知らされてきた。苦労が多かった母子家庭五人兄弟姉妹のしっかり者最年長者と、四人兄弟妹の中で最も勝手気ままに育った次男の俺。俺らはどうも火と油だ。大抵はまず彼女に火がつくのだが、最近の俺はこの瞬間湯沸かし器口調が気になって仕方ない。一種恐怖感さえ覚えるから、何とかしたくて仕方なくなっている。それで、最初の一言はなるべく言葉を考えて、かつおそるおそる反論すると、それが油に換えられて、たちまちその倍の炎が吹き付けてくる。後は互いに油を注ぎあっているようなもんだ。最近も、こんなことがあった〉。

 暗くなるのが早まった秋の五時過ぎ、保育園お迎え帰りの自動車でいつもの道を左に曲がろうとして、止まった。左に自転車を引いて横断しようとしていた初老の女性が見えたからだ。その途端に、「ガシャーン!」。俺の身体が大きく揺れた。「大丈夫だった!」、とにかく隣に座った五歳の男の子、孫のセイちゃんに声を掛ける。「何があったの?」、けろっとした顔に、救われた。調べずとも状況は分かっている。後続車に追突されたのだ。おもむろに車を再発進、後ろの車が着いてくるのを確認しつつ、前方脇にあった駐車場に入る。続いて来たでっかい黒ワゴン車の車窓から、中年の女性がなにか大声を出していた。
  その後の結果から見てもほんの小さなこの事故が、俺ら老夫婦に近年たびたび勃発する冷戦に繋がっていくなどとは、その時は夢にも思えなかった。それも、ほぼ一か月後に長い冷戦を招くことになるなどとは。
 連れ合いが俺に言う。「二週間安静の診断書が出たんだから、通院期間の書類なんかももらって来てね。私の職場で掛けて来た共済保険の保険金が出るから」。なお、セイちゃんは安静一週間。子どもはダメージが少ないのだそうだ。対して俺はといえば「レントゲンを撮って軽い触診の後、一応様子見という診断書が出ただけで、なんともないんだよね」と応えを濁し続けてきた。以降も、彼女はそう言い続けて、二週間後。「ちゃんと書類をもらってきてよ!」。「いや、なんともないのに、余分な保険金なんかいーよ。僕の身体に関わることだ。鞭打ちの後遺症は後で出るということも含めて、僕の身体は僕が一番よく知っていて、分かるんだから」。と応えた途端、いつものように切れた。「なんでそんな『いじわる』するの! 僕の身体は僕が一番よく知ってるって、そんなの関係ないでしょ!」。はて、「いじわる?」とはまた一体、何を考えているどういう言葉なのか。俺も例によって切れてしまって例によって激しい言葉の応酬が起こったが、そんな平行線の応酬なんかは全く覚えていないもの。ただ、この応酬の時に、ちょっと前にあった別のこんな応酬も持ち出して反撃したことは鮮やかすぎるほどに覚えている。
 セイちゃんと、小学三年生の孫、女の子のハーちゃんの保育園と学童保育どちらかの週三日ほどのお迎えを娘夫婦が断るように彼女が仕切ったと分かって、俺が元に戻したことに絡む応酬だった。「白内障が酷いから、秋の夕方は危険でしょ」と怒り狂っている彼女の越権言動に、「なぜ僕の頭越しに僕の行動を君が決められるのか!」という理屈、怒りが爆発した。この時も今度も、彼女が折れるということは金輪際無いことだから、常に終わりのない論争になる。彼女が持ち出したケンカはもちろん、俺が持ち出した数少ない抗議でも上手く決着が付いたためしなど、ほとんど思い出すこともできないのである。

  さて、世間では夫婦とは、特に老夫婦になると、水か空気みたいなものとよく語られる。が、その伝で行くと我が夫婦は「火と油」。一方が燃え出すと、双方の応えが油となって、家は大火事である。一方が給油を止めなければ延々と燃え広がる山火事みたいなもんだ。大抵は馬鹿馬鹿しい気分になった俺の方が部屋に引っ込んでいくのだが、リタイアーの後には、この山火事からしばらく緊急避難したことも三度ほどある。つまり、家出をした。それもほとんど行く先も意識しない何泊かの宿泊付き逃避行だ。こんな夫婦が、付き合い始めた二〇歳の時から延々五八年もよく続いてきたもんだ。
 なお俺は、我が人生の中間総括という作業を幾度かやってきた。会社でも中長期計画と、それに相応しい長期的なそれまでの事業総括がない会社は楽しくはならないのと同じ事だと考えて。その結果として今の老後がある。定年とほぼ同時に二人とも仕事を辞められたのは、二人分の年金の他に同程度の副収入を得られるように設計、成功してきたからだし、一時間に十キロほど今も走れる身体や、同人誌活動、ギター教室仲間の形成もそんな中間総括の産物なのである。

 そんなわけで、いつだったか、直線距離三百メートルに住んでいるセイちゃん達の母、娘のマサに相談してみたことがあった。彼女も流石、俺らの娘。俺の連れ合いと同じように激しやすいお婿さん相手に「大火事」「山火事」の今や中堅家庭になっていたのは知ってはいたが、こんな予期せぬ返事にとても驚いた。
『父さんが、リタイアした前後から母さんに言い返すようになったから、激しくなったんだよ。母さんは絶対に引かない人だし……。父さんだって、リタイア前後から家事を一通り出来るようになったから、言い返すようになったんでしょ?』
『母さんの方はその通りだが、以前の俺が言い返さなかった??……ウーン、確かに。「他人の領域にも強引に踏み込んで指図する支配的性格」、これが「山火事」の原因なのは確かだが、最近は俺がずっとこれを助長して来た?』
 なんか、「山火事」の本質に一歩迫れたような気がした。確かにリタイアー後の俺は食事作りとその片付け、ゴミ出し、掃除や、買い物から、特にすぐ近くに住んでいる孫の世話についてはほとんどおれと、何でもできるようになった。これに比べれば昔は「文句を言わないことで協力している」などと、我が家をよく見知った友人女性に言われたことがあったなー。待てよ、現役時代だってもう、こんなことがあったぞ。『この夏休みに、一週間とちょっと、中国の山峡下りに行ってくるからよろしくね』。俺が自分一人だけでもほとんど困らず、文句も言わなかったということだ。これは、明治生まれで完全共働きの走りである母さんの不公平な苦労に疑問を持ちつつ育ってきた俺だからできたことでもあろう。などなど、その時思い出したことも多かった。がそれにしても、俺の注文など無視されることがほとんどのこの支配的性格は一体どうしたものか。なによりも、俺の抵抗へのあの爆発的出火がなー。

 

(続く 3回連載です。本年度3月発行の所属同人誌掲載) 

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