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日韓不幸の源  文科系

2019年05月08日 10時20分37秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 五十年ほど前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。二千十五年七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出たようだ。十四年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて思うところを書いてみたい。

 六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば新聞などが、二つの問題に集約できると述べて来た。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。朝鮮植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が朝鮮に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。日本に置き換えて言えばこれは、「ペリー来航・即東京湾周囲を砲撃しつつ東京まで侵出」と言えるようなものであって、朝鮮にとっては大事件であった。大日本帝国軍隊初の平時外国常時駐留も、八二年に朝鮮で認めさせている。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。九五年には、こんな大事件も起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた反日行動への憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕には思われる。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、四〇年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺した場合でも、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。


 一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末であった。朝鮮をめぐってここまで、初めは清国と争い、次いでロシアと戦った。今ふり返れば、ここから満州事変・十五年戦争までは既に指呼の間ということになる。朝鮮併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいないのである。
コメント (1)
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