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「よたよたランナーの手記」(178) ランと、心臓病と手術となどの経歴   文科系

2016年12月03日 00時19分16秒 | スポーツ
 最近ここを読んでいて下さる方が結構いらっしゃると分かりましたので、今日は標記のことをご紹介させて頂きます。同じような心臓病を抱えた方もいらっしゃるかも知れませんし。

 このブログ・ランナー手記はこんなことが書いてある
 ここまで178号だけではなく、これ以前の当ブログ日記も09年11月2日から11年2月26日25号まであります。そちらの題名は「不整脈ランナーの日記」というもの。これを今振り返れば、10年の慢性心房細動手術2回のあと、最終25号になって「医者の指示でラン断念」に至るとも知らずに書き始めた日記でした。期せずして、「心臓カテーテル手術前後。ランナーに執着するも断念という日記」になってしまったわけでした。
 さらにその後、医者に内緒で再開、実績を作って強引に承認を得て以降の記録が、この「よたよたランナーの手記 178回」です。これも今思えば、前の「不整脈ランナーの日記」全25号に書き込んであるような執念、体力維持が、「医者の指示による3年間ほどのラン・ブランク」に抗して実を結んで行っただという形です。

 こんな経歴の者が、現在ランナーとしてこのように走れているということが、同病の人などに何か参考になるかも知れないと思ってここまで書き続けてきました。特に、不整脈が手術をするまでと酷くなっても、僕の場合は今こうして走れているということを、世に広めたいんです。

 ランナー経歴
・ランナー開始、00年4月58歳
・00年5月、5キロ完走。12月、7キロ。初の10キロは01年1月で58分。 
・初の10キロレース出場、01年3月(59歳)岩倉五条川マラソン、49:22。
(不整脈があったから、この間ずっと薬も飲んでいた。むしろ、「だからこそ、他のスポーツを止めて、走り始めた」のである。)
・01年9月からは常に心拍計装着で走る。欠かしたことはない。
・01年11月、走行中に突発性心房細動発生。以降、だんだん酷くなる。心房細動になっても歩きだせ ば1分もしないうちに平常に戻るから、走り出すというやり方で走っていた。
・02年3月10キロレースで2度歩いて、51:51
・03年11月豊橋マラソンは心房細動で何度か歩いた。56:13
・最後の10キロレースは07年1月。これも何度か歩いて、54:18。
・10年2月、慢性心房細動でカテーテル手術。以降何度かゆっくりと走るも、10月再手術でランナー 断念。ただし、以降も速歩など体力維持には努めていた。
・速歩きを重ねた末の12年9月、怖々とラン再開。現在に至る。
・「よたよたランナーの手記」は、13年5月4日開始、5日、7日、18日・・・・178号までと、 続く。

・なお、これまでのスポーツ経歴は以下の通り。
 小学校時代はスポーツ苦手。中学で得意になってきた。陸上部とバレーボール部。高校、大学はバレーボール。以降はPTAバレーを45歳から48歳まで4年間。48歳から60歳ほどまで、テニス。

 以上2つの連載の中には、こんな体験が書いてあります
①ランナーには不整脈が多い。それでも僕の場合は走れたし、今も走れる。それはこんなふう。対策は?
②ランナーは、心房細動からその慢性に進む場合も多いと、医者が言っていました。ただ、走っている人にこの病気が起こったらすぐに手術をすれば、走れる場合が多いとも、医者が語っていました。僕は、慢性になったらすぐに手術をしようと決めていたわけです。
③慢性心房細動に対するカテーテルアブレーション手術は、僕のように完治もある療法である。
④もちろん医者の診断を仰ぎ、相談しながら以上は進めた。が、いろんな決断は自分でする。医者よりも、自分の身体の日常症状は良く掴んでいたとの自信もある。


 以上、何か質問がおありでしたら、いつでもどうぞ。
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