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九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

新聞の片隅に載ったニュースから(117)     大西五郎

2013年10月07日 09時17分54秒 | Weblog
「ゲン」英訳者の講演中止東京の中学校長「近ごろの事情」(2013.10.5 毎日新聞夕刊)

 広島での被爆体験を描いた故・中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」の英訳出版に尽力した米国人翻訳家、アラン・グリースンさん(62)=東京都杉並区=による生徒への講演を4日に予定していた同区立井荻中学校(赤荻千恵子校長)が、前日に急きょ中止したことが分かった。講演は別の講師に差し替えて行われた。グリスーンさんは「『近ごろの事情』などと曖昧な説明を受けたが、圧力や自己検閲があったのか」と話している。
 講演は「いのちの教育」と題し、「いのちについての考えを深め、自他のいのちを尊重する心を養う」のが目的だった。
 グリスーンさんは1977年から、複数の中沢さんの漫画作品の翻訳と米英での出版に尽力。2009年には、金沢市の主婦らによるグループが米国でゲン10巻を完訳出版した際も監修した。原爆関連では、広島県立広島第一高等女学校の生存者による文集「平和への祈り」英語版の翻訳・編集も担当した。
 赤荻校長はグリースさんに電話やメールで、「はだしのゲンの英訳を通して伝えたかったこと▽心に残った言葉▽言葉選びで工夫した点――などを要望。グリスーンさんは全校生徒約350人に約40分話す予定だった。グリスーンさんによると、講演依頼は約2カ月前にあり、準備を進めていたが、3日夕方に赤荻校長から電話で「中止する」と告げられたという。
 グリスーンさんは「事務所近くの中学校の依頼だったので、光栄に思い引き受けた。松江市教委の閉架問題の影響なども聞いたが、校長は『社会の流れ』『近ごろの事情』『内部の決定』としか説明しない」と憤る。
 取材に対し、赤荻校長は「都教委や区教委には相談していない。自分の判断」とした上で、「『はだしのゲン』は読んだことがない。生徒も勉強していないので興味が持てないと考えた。『はだしのゲン』に特化しないでほしいと伝えたら、断られた」と話した。
 4日は元小学校校長による「ことばの教育」に差し替え、「いのちに関する詩」を取り上げた。
□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□□
 どう見ても赤荻校長の説明は納得できませんね。講演を依頼した時に電話やメールでグリスーンさんに言ったことと、講演中止を決めた理由についての記者に対する説明は全く繋がりません。都教委や区教委からの指導(介入)があったのかどうかは今の段階ではわかりませんが、校長の言う「近ごろの事情」としては、安倍内閣になってから教育に対する政冶の支配が強まっているということがあります。教育長の権限を強め、教育委員会を諮問機関化しようとする動きや、沖縄・武富町教育委員会が八重山採択地区協議会が選んだ保守色の強い育鵬社の中学校公民教科書の採択過程に異議があるとして東京書籍の教科書を生徒に配布したことに対し、文部科学省が育鵬社の教科書を使うよう地方自治法に基づく是正要求を出すことを決めたり、東京都教委が学校の式典で教職員が君が代をちゃんと歌っているかどうか口元をしっかり監視しろという指示を出したということがあります。
松江市教委がはだしのゲンを学校図書室に開架しないことを一旦決めたのは自己規制ですが、講演中止も自己規制したと見るべきでしょう。教育の場で自己規制が広がることは「いつか来た道」に戻ることです。教育の反動化に今声を上げなければ!というのが「近ごろの事情」です。
                                      大西 五郎
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ザックジャパン(117) ザック戦術とドルトムント  文科系

2013年10月07日 01時14分30秒 | スポーツ
 ここのサッカー記事でも、過去に書いたドルトムントの拙稿が今も人気を呼んでいるようだ。当然だと思う。戦術そのものだけならほとんど意味もないが、一つの画期的戦術を世界で無名の若い選手たちに徹底させた結果、モウリーニョ・レアルという世界有数のタレント軍団を破って世界2位になった。そういう事実を今年はっきりと示したチームなのだから。大した実績はない選手ばかりでも、時に現れるサッカー史をかえるような監督の能力で世界的チームを作ることが出来るという好例にもなったはずだ。
 ただし一言。4年前のこのチームのエース、ヌリ・シャヒンをモウリーニョ・レアルやリバプールが使えなかった。モイーズ・マンUも今のところ、香川真司を使えていない。ドルトムント的戦術を幾分なりとも取り入れないチームのままでは、ドルトのエースたちが宝の持ち腐れになるということだろう。そんなわけで僕は今、世界一位になったチーム、グァルディオラ・バイエルンが去年のドルトムントのエース、マリオ・ゲッツェを使い切れるかどうかを大注目しているところだ。

 さて、こういったドルトムントを巡る世界サッカー界の観測から、こんなことを思う。現在世界で金のあるチームの監督ならば、こう考えるのは当然だろうと。「ドルトムントの戦術はその戦いを見れば分かるが、そのために一体どういう練習をしているのだろうか?」。サヒンや香川、ゲッツェを取れば、これが研究できるはずである。金のある世界的チームなら、これを調べるためだけでも彼等を取った価値があるはずだ。日本でも木崎伸也という優れたライターがここに目を付けて、ドルトムントの練習方法を遠くから密かに観察して紹介しているほどである。

 さて、ザックの戦術をまとめてみると、ドルトムントに酷似していると分かる。そして、香川がこのドルトでエースを張ったことを考えれば、この戦術は日本人に合っているのだろう。選手たちはもっともっとザック戦術に忠実になった方が良いと言いたい。以下の通りに。
①まず、前からのコンパクト・プレス。それも、攻撃から守備への即座の転換を要求するそれ。これをもっと精密にするために、ザックは香川からドルトムントのゲーゲンプレスの練習方法を聞き取っていると僕は確信する。
②攻撃は、1,2タッチで叩き、集団で敵ゴールに殺到するやり方。そのためには第3,4の走り手が常に必要だ。その位置とか、攻撃パターンとかも、きっと香川から聞き取っているに違いない。
③ドルトムント選手のダッシュ回数はもの凄いが、日本代表選手も元々これができる選手しか集めていない。前田、岡崎、長谷部、遠藤が選ばれ続けてきた理由にも、これがあると僕は観てきた。香川、岡崎、長谷部、乾などドイツで大活躍している日本人は皆、ドイツでも有数の走り手と言われてきた。

 代表選手たちが、ザック戦術をもっともっと忠実にやることを期待したい。そうすれば、ゲーゲンプレスでさえ可能になる代表チームではないかと期待している。要は、もっとリスクを取った大胆な押し上げをして、その結果の全てに対処して行けということだ。前が必死にプレスに走らねば、後は絶対に押し上げることは出来ない。この悪循環で何も出来ないか、押し上げた良循環を得点にまで生かし切るか、いずれかの道しかないのだと思う。前者の結果、押し上げを止めたのが南ア大会ジャパンだが、あの轍を踏んだら日本の近未来に希望はないだろう。
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再々掲、僕の「アジア・太平洋戦争」論    文科系

2013年10月07日 00時59分43秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 実に断片的な「戦犯」否定や、その背景としての太平洋戦争美化論がいつもここに出されてくる。いちいち応えるのが面倒だし、その応えも長くならざるをえないので、今回も以下を掲げ直すこととさせていただく。


【 「アジア・太平洋戦争」論争の一帰結  文科系  2012年09月01日
 以下は、去年春にここで長くなされた「アジア・太平洋戦争」論議の最後のエントリーだ。まー結論ということであろう。経過に興味のあられる方は、ここまでのエントリーをもこの機会にご参照下されば嬉しい。最近の日本のネットでは、この戦争の見直し論者たちの発言が極めて多く、これくらいのことは頭に入れておかないと、反論も難しいと自省して学び直した次第だった。なんせこの戦争の汚点隠しを図るべく、屁理屈もふくめてあらゆる論難が考え出されているご時世だから。

『 ざくろさんのアジア・太平洋戦争観 文科系  2011年04月02日
前置き
 1国の戦争には、確かに意図と結果が存在しよう。そして、意図の通りに結果が出るものでもないだろうし、結果からだけ戦争の善悪を云々してみても無意味だ。
「泥棒に入った家にもう1人泥棒が居て、両者が殴り合いになった結果、家としては何も盗まれなかった。よって後からの泥棒が良い事をした」
と、こんな事を語って何か意味があるのか。
 かくのごとく意図と結果は別物であるのだから、歴史を論ずるやりかたではないのである。歴史は事実、真実の流れを叙述するというのが基本でなければならず、意図と結果はむしろそこから判明してくるということだろう。
 こういう視点で見れば、ざくろさんの語り口は、日本の戦争を派生的結果などを総動員してまで美化しすぎているし、日本の好ましくない意図が関わっているやの行為を「周囲にそう強いられた」「他国も同じような事をしていた」と言う側面を探し出してきてまで、免責しすぎていると、そう僕は思う。つまり、歴史の論じ方が情緒的に過ぎると思う。ちなみに、彼が僕の太平洋戦争論議に関わって「日本を『邪悪』と見ている」「アメリカを『正義』と見ている」と論難したが、こういう言葉を使っていないことでもあるし、こんな言い方は僕としては拒否するものである。
 また、サッカー代表戦などで日本を熱烈応援する僕だが、事実から見て醜く見えるような日本の過去の行為を無理に美化しようとは全く思わない。むしろ、反省すべきは反省してこそ、さらに美しい国にも出来、これを愛する事ももっと可能になるのだろうと考えている。また、こんな事をせねばならぬほど、美点の少ない国だとは僕には到底思えない。
「日本の過去の醜い点はなるべく美化しなければならない。そうでないと青少年が日本を愛せなくなる」

1 朝鮮併合
 僕はざくろさんにこう語った。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? この40年間に独立国であった朝鮮抑圧への反発を武力で抑えるべく、どれだけの方々を殺したことだろう。それもみんな「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」と貴方は言い張るのか。そもそも「朝鮮の人々のためにこそ40年かかって併合したのだ」という理屈を、朝鮮の人々が認めているとでも言われるのか? 』
 これに対して、彼はこう反論した。
『日本が明治維新直後から、ずっと朝鮮半島を狙っていた、というふうな見方は明らかに偏見でしょう(自覚あります?)。明治初期の征韓論は――理由はそれだけではありませんが、立場・考え方の違いから原因の一つとして――内乱(西南戦争)にまで発展して、一旦は消え去っています。』
 歴史的事実を上げておきたい。僕があげておいたのに彼が無視した1875年の江華島事件と、ここから生まれた不平等条約、日朝修好条規。1882年の壬午事件。その結末の一つに日本軍の常時駐留があるが、これは、帝国初の平時外国駐留軍ということになる。1884年の甲申事変では、反日感情が急増している。1894年の東学教徒反乱事件に際した日本の大兵力出兵。これは、日清戦争のきっかけになった事件でもある。朝鮮がきっかけで日清戦争も起こったというこの事実は、朝鮮のこの40年と後の日中戦争が結びついて何か象徴的な出来事のように僕は思う。
 こういう事実が続いていれば、『ずっと朝鮮半島を狙っていた』かどうかは別にして、上のように、僕がこう述べるのはごく自然な事のはずだ。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? 』
 
2 中国侵略と対米戦争
 僕がざくろさんに書いた事はこうだ。
『次いで対米戦争であるが、これも「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」の戦争などでは全くない。
 日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない』
 対して彼は、中国侵略と対米戦争とを分けて語る。後者は帝国主義戦争であって、アジア開放には無関係であるとし、前者についてはおよそこのように。
【『中国についても、不戦条約などに従っていては欧米支配打破などはできなかったのだから、『悪行は(欧米と)五分と五分というのがぎりぎりのところ』であり、仕方なかった(『と大東亜戦争肯定論者の多くは捉えていると思います』)。ただ中国については、国民が欧米の奴隷状態でもなかったことなどから『日本の進撃が、支那人にとって、解放と映らなかった』。】
 これも歴史的事実と違っている。事実はこうだ。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』
『39年7月、アメリカは、天津のイギリス租界封鎖問題で日本との対立を深めていたイギリスに対する支援の姿勢を明確にするために、日米通商航海条約の廃棄を日本政府に通告した。さらに、40年9月に日本軍が北部仏印に進駐すると、同月末には鉄鋼、屑鉄の対日輸出を禁止し、金属・機械製品などにも、次第に輸出許可制が導入されていった』
 こういうことの結末がさらに、石油問題も絡む以下である。太平洋戦争前夜、ぎりぎりの日米関係をうかがい見ることができよう。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』
 以上『 』【 】内は、岩波新書「アジア・太平洋戦争」から。著者は、吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授。

 ちなみに、「帝国国防方針」の1923年2月28日改訂版で、アメリカが初めて帝国仮想敵国の筆頭にあげられるに至ったという資料もある。これまでの筆頭はロシアであった。
『仮想敵国 陸海軍共通のものとしてアメリカ、ロシア・中国がこれに次ぐ。(中略)国防方針第3項 中国をめぐる利害対立からの日米対立を予測』。岩波新書「満州事変から日中戦争へ」、著者は、加藤陽子東京大学大学院人文社会系研究科教授。
 
 以上全てから、ざくろさんが次のように語るのは史実をねじ曲げるものだと言いたい。
『真珠湾攻撃は、日本が南方資源を手に入れ、ヨーロッパ列強からアジアを解放しようとする日本の戦争に何の貢献もなかったばかりではない。それが、先の大戦の唯一の敗因となった。
 そのことを頭にいれておかなければ、大東亜戦争の全体像がゆがみ、日本は、アジアを侵略して、それに反対したアメリカに噛みつく、ばかな戦争をして、自滅したという、GHQ史観にのみこまれることになる。
 どの民族、国家もももっている。誇るべき戦史が、日本に限っては存在せず、そのため、アジア諸国が「日本軍がヨーロッパ列強を追い払ってくれたおかげで、独立することができた」と感謝している先の戦争を、侵略だった、アジアに迷惑をかけたと謝ってまわるのは、愚かをこえて、悲劇というしかない。』

 日本の三つの戦争を巡る事実は、ずっと語られてきたようにこうである。朝鮮併合に関わって日清戦争が起こり、朝鮮と満州との経営を巡って日露戦争が起こった。そして、23年の帝国国防方針にあるように『中国をめぐる利害対立からの日米対立を予測』していて、太平洋艦隊の増強などによって大々的にこれに備えてきて、真珠湾攻撃は事実としてはほとんど確信犯なのである。

 なお、ざくろさんは日中戦争も真珠湾攻撃もともに、欧米の工作によって日本が巻き込まれたものであることを立証しようと努力している。僕が以上に示したような、普通に語られてきた事実経過がありながら、何故こんな事に精魂傾けるのか。日本の主体性をあまりに軽視しており、いかにも不自然である。帝国の重大決意を他国のせいにして、その責任を免罪しようとしているとしか、僕には思えないのである。日本を美化したいという望みから、歴史を見る目を曇らせているのではないか。』】
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