棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

絵本 窓辺の象 発売

2011-01-30 12:24:07 | 山郷の暮し
発売  絵本 窓辺の象文・りゅう王丸  絵・岩淵 城太郎  
B-5版 ソフトカバー 45ページ 定価2000円
自費出版による小部数のため、単価・装丁に目いっぱい努力しました。

主人公の象は、生まれた意味や存在について悩み、心の巡礼にでます。
満足のいく答えをえるどころか、自己喪失におちいってしまう。
やがて、『大いなるナニカの力』を感じてから、苦しみの本質が観え自信をとりもどしてゆく。
大人から子供に伝えたい、人間賛歌・希望への絵本です。
詳細はブックマーク HP--photo art 0360 をごらんください

ナニカとは何だ!!

2011-01-30 09:07:28 | 山郷の暮し
私は文中にナントナク・・・とかナニカ・・・と言う表現をつかうことがある。
たとえば、今回編集をした絵本『窓辺の象」にしても、主人公の象は『ナニカの力」に揺り動かされて、
自信喪失した己が変わってゆくことを自覚する。
文中では、私が体験した「星空からナニカの力」を感じたことをベースにした。
ではその「ナニカとは何だ。そこが知りたい」という要求は当然だが、その明確な説明は難しい。
というより、説明しきってしまうと、ナニカ違ってしまう、ナニカが残る。
ナントナクも同じことで、具体的な説明や提示をしきれない領域が残ってしまうのが、
ナニカでありナントナクではないだろうか。
何となくあの人が好きだとか、嫌い。というようなこととさして変わわりがないかもしれない・・。
では、春霞のように漠然と観えることや、また感じることなのか・・、というとそうではなく、自分にとって確かなことなのである。
強いて説明をするならば、ナントナクと感じたそのものと在る。そのものと同体である、と言うことかもしれない。
それ故に、客観的に外側から観る、観測し説明する、という位置関係ではないから説明ができない。
ナントナクとかナニカは、説明を超えた自身の実体に迫ることとしての語彙であり、感覚なのである。
この感覚を研ぎ澄ませていくことが大切なことです。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本