棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

絵本 窓辺の象 完成

2011-01-29 12:51:30 | 物語・絵本・童話
発売  絵本 窓辺の象文・りゅう王丸 絵・岩淵 城太郎  
B-5版 ソフトカバー 45ページ 定価2000円
自費出版につき小部数のため、目いっぱいの装丁・単価です。

主人公の象は、生まれた意味や存在について悩み、心の巡礼にでます。
満足のいく答えをえるどころか、自己喪失におちいってしまう。
やがて、『大いなるナニカの力』を感じてから、苦しみの本質が観え自信をとりもどしてゆく。
大人から子供に伝えたい、人間賛歌・希望への絵本です。

詳細はブックマーク HP--photo art 0360 をごらんください。

哲学するって・・・

2011-01-29 08:39:04 | 山郷の暮し
今朝もマイナス10 度近い冷え込みですが、朝日が強く日中は昨日より気温が上がりそう・・ 
話をもどしましょう。
哲学は言葉や文字で表さないと、個人的な観念の領域になってしまう。
個人の観念は他者にとっては無いに等しい。
他者に証明するには文にしなければならず、それゆえに語彙の使い方にこだわらなくてはならなくなってしまう。
それゆえに、言葉の領域から抜け出ることはできないのではなかろうか。
では、言葉の領域を抜け、哲学的領域をあらわそうとすると、観念世界にならざるをえない。
となると、それは哲学ではなく精神世界や観念世界である。
どうもややっこしいが、説明をするとなればそおなってしまう。
多彩な表現方法を有する芸術は、観念世界と哲学世界の両者を内在しうる。
なによりも視覚化をするという、学問世界の哲学ではできないことである。
文字は確かに視覚化されたものではあるが、その視覚には何も意味をもっていない。
文字を読むことによって、解釈できるのであって、当然ながら文字は哲学ではない。
この当たり前のことを確りと踏まえておくことが肝要である。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本