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歴史研究会~「八女の街を訪ねる」

2016-09-25 | 日記・エッセイ・コラム

 今月の歴史研究会の企画は現地視察

訪ねたのは「八女市」 私も初めての街です。

 目的は 「岩戸山古墳」と

国指定重要無形民俗文化財「八女福島の燈籠人形」公演を。

 

お馴染 かんだ号で24日土曜日の朝8:30 役場前を出発

 高速で一直線 八女の街へ。

 

 まず主題の「岩戸山古墳」についての事前知識の説明を

八女市岩戸山歴史文化交流館「いわいの郷」で。

この場所は小高い丘陵地に  そう 古墳の敷地内

 瀟洒な建物です。 駐車場から階段を上がり 素敵なカーブの回廊を歩き

正面入り口へ      入り口 左側に 「岩井の乱」の筑紫君磐井の石像が

  

 

 館内は明るく、モダンで、なかなかオシャレな常設展示室…他には

 交流ステーション、実習室 イベントホール、研修室、

 アドベンチャー体験(土器焼きに挑戦!)など 「見せる」だけでなく

 幅広く体験や仲間作りができる 見習うべき実用的な施設に感心しました。

 わが町にも こんな施設が欲しい…

 

 さて、今回は、館長直々の説明・案内を。

 

  先ず 岩戸山古墳は、12基の前方後円墳を含む約300基の八女古墳群のうち

その中央に位置し、九州最大級の規模を持つ前方後円墳です。

  

  現在、私の住んでいる地区にある「御所山古墳」(前方後円墳)の文化庁による発掘

調査が行われているので、同じような この古墳について興味津々…

  古墳の規模の詳細は 手元の資料によると。

東西約135m、後円部は約60m 高さは約18m 西側前方部は約92m 高さ約17m

 さらに周囲に作られた周濠や周堤を合わせると全長170mという壮大な規模です。

           

 

  展示室には、磐井の乱と、筑紫君磐井にスポットを当て、わかりやすく見学者を

誘っています。

 

  今から約1500年前、この巨大な古墳を築いたのは八女を拠点として活躍した古代九州の

  大豪族「筑紫君磐井」でした。

  「古事記」や「日本書紀」には ヤマト王権に背き、九州の豪族とともに「磐井の乱」を

  率いた反乱者として記されていますが、はたしてこれが真実の姿だったのでしょうか?

            

   と、現在 この「磐井」を再考している のも 郷土愛なのかも…。

 

  最初に目に入るのが この「石人・石馬」

  これが 筑紫君(つくしきみ)ブランド!

   何に?   そうなんです  この標識の説明にあるように

    「石人・石馬」は 埴輪とは全く異なるもの  役目は 権威誇示の舞台装置であったのだ…

   

    多くの 石人・石馬が展示され どれもが 傷つけられている  手足が打ち落とされている  ????

    それは ヤマトの兵は乱の後、 怒り 恐れゆえか、墓の主を守る石人たちを叩き壊しました。

     石人たちが何もできなくなるように…でしょうか。

     もともと赤や緑で鮮やかに塗られた大きな石人は、ヤマト軍 兵士の目には異様に映った のでは。

     惜しいよね…そのまま残っていれば もっと 迫力があり 今日の私たちも全く別の印象になったのかもしれません。

       しかし、地上から石人が消えました しかし、古墳の内部の石室で、装飾壁画が花開いていました。

    

  この石人・石馬は凝灰岩(ぎょうかいがん) で造られています。

   埴輪と違い 圧倒的な質感と長期間風雨に耐える頑丈さを併せ持つ特別な石製品を古墳に

  並べ、一族の権威を知らしめる「装置」を必要とした。 と考えられています。(説明より)

 

  さて、管内から 場所を移し 外へ。

  古墳の全景を。  さきほどの 全体周囲地図の実際は こんもりと樹木に覆われて 古墳は隠れています。

   しかし、周囲を実際に歩いてみると、後円部、前方部とも 地図上と違わず、その規模の大きさが体感できました。

   それにしても、よく行き届いた管理がされていること。素晴らしい!

  

   

   周辺地図の「別区」と表示しているあたりに。

   注意書きにある 「石人・石馬」のレプリカが・・・・これ。

    

    写真で見る チリ領 イースター島  あのモアイ像の縮小版? 

    あちらは 大きなものは20mにも  こちらは可愛く…

    ちょっと傷にされ 悲しそうな表情・・・。

 

   ひと時、古代と、「磐井君」に触れ、八女の歴史を勉強した。

 

    私たち地元の財産である「御所山古墳」についても、将来的には

   このような 苅田の町を訪ねてくる方に

    「古墳」のストーリーを 目で感じ、直接に触れて、古代のロマンを

    感じ取って・・・・そんな 期待を

    そう、少しでも 近づくための 住民参加を秘めながら・・・・

 

   八女の街中を散策することに…真っ先に 「白壁」が登場!

   ここ八女福島は かの秀吉によって上妻郡領主として筑紫広門が

   福島城を築城、その後筑後一国の領主となった田中吉政がこの城を改修し

    城下町の整備 この時の町割りや、街路、堀跡、水路が、今も継承されている。

    建物特徴は、防火の備えから「居蔵」(いぐら)と呼ばれる瓦屋根の土蔵造りの

   町家が多いこと。 

   特にこの福島においては、平成3年の台風被害をきっかけに地元の有志の

   「市民の財産である街並みを保存しよう」という機運が 

    今日の街並み継承へと進んでいます。

    どの家も 白壁がよく似合う…

     

   その家 その家に歴史が刻まれ 特徴も。

   ナマコ壁あり、大壁に職人の技術が残されている匠の「こて」の技も。

   瓦にも屋号や、いろいろな模様や、字も。

    また 昭和時代の看板なども、町の有志によって 現在商売はしていなくても

   看板だけはそのままに…レトロな雰囲気が街歩きの目にとまる。

   町づくりは、新しく「起こす」ことだけではなく、古きを目覚めさせ「起こす」ことも。

   もったいない精神、そう、ものを大事にし、遺し、新しきに継承していく…

   実践型の模範ではないでしょうか…この福島の街こそ。

 

   最後は、今回の目玉 「八女福島の燈籠人形公演」鑑賞である。

 

   この京築では、「神楽」が伝統芸能で 無形民俗文化財になっていますが

   八女福島の燈籠人形は初めて  解説によると。

   この燈籠人形は、「からくり人形」お世界なのです。

   八女提灯で飾られた舞台、三味線やお囃子の音に合わせて美しい着物姿の人形が

   熱狂的な拍手喝采に迎えられて登場し、華やかに舞い踊る・・・・

    凄い表現の 説明書きでしたが… これ ほんと。 

   

  舞台は 福島八幡宮の境内で作られ、その舞台は、高さ5m、幅14m、奥行き6m

  二階建て 三層構造になっている。

   三層は、下から、下遣い場、横遣い場、囃子場になっていて。

   舞台は、「屋台」と呼ばれ、組み立て、取り壊しが自由にできるように、

   一本の釘、カスガイも使われていないのが特徴。

   この組み立ては、上演の1か月前に1週間程度で組立てるそうです。

   この舞台裏は、 公演の後、特別に裏方を見学することができました。

    では その 舞台 「横遣い」は 楽屋から人形を操る。

    袖の見えない所から

   「下遣い」は  舞台下で人形を操る それぞれ手、首、体を6名が担当し

    人形の下から直接糸を屈伸させて人形を動かす。

      

   実際に舞台の下に回ってみましたが、腰をかがめての操作

    土間でもあり、低く、なかなか大変な仕事です。

    皆さんの呼吸が揃っていないと、上で 観客が観ている人形の細かい動作にも

    影響が出てくる…それも、これ みんな 地元の方が演じているのですから

    この伝統芸を守る、熱意と、努力には頭が下がります。

 

     演じた後、舞台下でくつろぐ 地元の方々… 

     さて、舞台は 

      境内に  

      八女の提灯が飾られ、幔幕も鮮やかに…

     見学者と言えば 椅子席は僅か30余名分程度…こんな様子が大半

  いいですねぇ~ この雰囲気。

  田舎の のどかな なんとも言えない。 これが「俺たちの手作りなのだ」って 強い 意識なのかも。

  3層から音曲が流れ始め、今日の芸題「春景色筑紫潟名島詣」のはじまり始まり~

     舞台の袖に 稚児が両側に座ります。

   役目は舞台の「後見役」だそうです。

   おそらく、この秋に7・5・3のお宮参りが済んだ子供なのでしょうか?

   舞台の変わり目に両側の男女も交替していくのです。

   これも、伝統を引き継いでいく、この子たちの 「地域デビュー」なのかも

   しれませんね。

 

 「弁財天を厚く信仰する大名一行が従者を引きつれ、筑前・名島神社に詣でました。

   筑紫の潟は、やわらかな春風が差し込み、帆をあげた小船はのどかに行き交い

   その帆影は春の波間にに漂っています・・・・」

 

   舞台では 人形遣いの見事な操作で、 人形にも微妙なしぐさ、動作が観客を魅了します。

   弁財天の踊りも、物語の進行に合わせて、背景の景色も移ろい、着物も変えていくという

    全 第一景から 第六景まで 見事な舞台が繰り広げられました。

      

   

   いや~満足、満足 ずっと立ちっぱなしでしたが…疲れませんでしたよ。

   地域の奉納上演だからか、町内二十三区で保存会を結成し この伝統芸を引き継いでいるとのこと。

   やはり 270年以上の歴史が 観客に伝わって感動を呼ぶのではないでしょうか…

    いい体験をさせていただきました。

 

    

  

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。