今朝は 朝から一人。
台風の影響もなく 少し風が吹いている程度で 昨夜からの
テレビの台風情報の凄さとは裏腹で やれやれ…と。
本棚の整理をしていて、懐かしの1冊に目が止まった。
今日のタイトルの「普段着のガラス」
著者は 舩木倭帆(ふなき しずほ) ガラス作家である。
この作家のガラスの器との出会いは 衝撃的であった。
東京 日本橋三越本店で彼の企画展があり誘われて会場で初めて
彼の作品を 視た途端、「なんて綺麗な…」と。
器には興味があり、磁器や陶器類の器は興味をもって多少買っていた。
が、考えれば、「ガラスの器」はほんの少しだけであった。
ともかく 作品の品格、質、輝き、色彩…これが日常の器?
と、びっくりでした。
数多くの作品の中から、当時の私の背丈で求められるのは?
いろいろと 考えあぐねていました。
ここで また びっくり 会場の作品は 次々に「販売済み」が。
慌てて 「これを」と 選んだ ひとつ。
買った本の作品欄にも こんな風に…
同じものを買い、普段は 私も こんな風に 使ってます。
自家製の (今年は 「イクリ」のソースで )愉しんでます。
いや、 なんでも いいんですよ、載せれば…ちょっと洒落とんしゃ~。
それから 毎年 この三越本店で開催される度に行ったのですが
もう、開店前からフアンが並び、三越の美術画廊が
まるでバーゲン会場のごとく混雑するという 凄さです。
フアンだけでなく、商売の方も 「買い付け」?
とにかく あっと いう間に 売れてしまう・・・・
鑑賞 なんて そんな 雰囲気ではなかった。
我々の身分? では 買い付けなんてね。
先ずは 鑑賞 それから
いいもので財布との相談で 何点かのものを求め
・・・・ でも、いい思い出になってます。
今も 求めた器を 普段着感覚で 愉しませてもらってます。
なんといっても 彼の作品は「ぬくもり」があります。
ガラスなのに 冷たい印象はないのです。
また デザインも どちらかというと てらいなく。
和食にもなじむ…そして 使い勝手が抜群です。
手にしたとき、収まるのですよ。 しっとりと。
初めて手にしたのに…もう 何年も自分のもの。
そんな落ち着き を。 触れて優しい…
作者が 求める 日常生活に取り込む その器を使って
「よろこび」「豊かに」…
作り手の心を、使い手が感じる。
年に数回しか使わないなら、いらない。
楽しみながら 普段着のように使う。
これこそ、本当の豊かさなのでは と。
彼、舩木さんは、 島根県、布志名焼窯元、舩木道忠の息子。
実家には 柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、棟方志功などの
民芸運動の中心的メンバーが訪れていた…そんな環境で育った。
余談:(以前、倉敷の大原美術館で彼らの作品を見てきました)
島根大学でガラス工芸を志し、卒業後制作を始め、のち
北九州民芸村での制作、そして広島県神辺町に工房
「グラスヒュッテ舩木」を立ち上げ 精力的に制作活動を…
三越本店での企画展開催を ~78年から30年も続ける
1977年 心臓病で倒れ医師から ガラスを取るか命を取るかと・・
「このとき、人間は いつか必ず死ぬ、ならばそのときが来るまで
ガラスを拭き続けたいと 思ったという。」
そして 惜しいことに2013年に突然工房でお亡くなりに…。
「技術は素朴な方がいい
道具は単純な方がいい
作り手は謙虚な方がいい
ガラスが教えてくれました」
何気なく 使って、愉しんでいた 器。
今朝改めて この作者の意図を 自分のものにしていたことで
ちょっぴり 心豊かな気分に。
ほぼ毎晩 テーブルにあり、ワイン、ビールの美味さを
引き出してくれている。 1品。
酒の肴を 愉しむとき。
そう、器って、料理と勝負するくらいの力量があるのですよ。
「食べる」ものを載せる…これだけの役目ではない。
脇役でもあり、主役でもある。
「目で愉しむ」は、料理と器も そこに味わいがあるのでは?
だから、たとえ 普段 使う器であっても、それなりに
形、色 を
そして ガラスは 光があってこその器
いろいろ愉しむことで 身近なものから 生活の中に
「欠かせない」 1品に なるように…
2人で愉しむために、基本は みんな2つ
ワイングラスは4つ。
これは ソースを入れると ソースの綺麗な色が
光を通して ワンランク アップするかも?
ガラスの深い色を愉しむ さらさらと 水音がきこえてきそうな
夏の夕べに 氷でも中に入れて… 鱧を載せて…ああ
私は、 「器って 使い方が決まっているわけではない。
どう 愉しむか 器と季節の食材、果物など
料理を どう 愉しむかってこと」
でしょ。
そう、今晩も食卓には 普段着のガラスがきっと載っているよ。