12/13(火) 昨夕、前中央区議だったTAKAHASHIさんが主催し、月例開催の[モナリザ会」があった。今回は12月と云うことで忘年会を兼ねての開催。会場は定例の銀座のカフェ・モナリザから水天宮の台湾料理店「龍門」であった。会には三ヶ月ぶりの参加となった。
この会は、TAKAHASHIさんの応援団でもあるが、彼を介した異業種交流会である。地元でマンション開発をするデベロッパーから、不動産・保険・司法書士・建築業など多彩な面々が集い賑やかな会である。昨夜も四十人程が参加した。会費が安い、多彩なな方と出合える、いろんな話が聴ける場である。
ビジネスにどうこうしたい、そんな考えは欠片も持ち合わせないが、他人の話を聴くのは悪くないので時折参加する。昨晩は悪徳ちゃんと呼ぶ不動産仲介業のマッチャンと一緒に出掛けた。幸いと云うか、不幸にもと云うべきか、主催者の奥から詰めて下さいに促され、一番奥の席に就いた。料理が供され、酒が廻った頃合いを計らって「一分間でお願いします」の指示で各人のスピーチが始まった。
概ね、自分が何者であるか、仕事の内容などを話す。このスピーチを聞いて、大方は感心のある方の席に出向き、名刺交換や情報交流をするのが常。四十人近い参加者、それに酒が入っている。誰かがスピーチをしていても、隣近所との会話に忙しくて聴いていない面々や、騒がしい連中がいる。
昨夜もそうであった。立って話をしている人の声が聞き取れないことが間々あった。そして、最後に私の出番となった。暫く黙って立ったままで見回していた、おもむろに『諸君は、一向にひとの話を聴こうとしないね、話してる時はもう少し静粛にしたらどうかね。以上』とだけ言った。
嫌みな男であるあるが、本当はもう一言付け加えたかった。『そんなことじゃ子供の教育は出来ないよ』と。
こんな嫌みことを書いたが、楽しい会である。何人かの方と名刺交換をした。私の前隣、ということはマッチャンの隣になるが。その方は人財開発や音楽教育をビジネスとしている会社の代表。この会で一度会っている。その方がマッチャンに「NATURALさんには、以前会社案内やホームページを作ってもらいましたのよ」と・・・。『そろそろ全面更改しませんか?』などと茶々を入れたが、それへの反応はなかった。
もう七・八年前のことだが、某クライアントからの依頼で学割で制作をした案件のことである。その窓口になっていたのは黒田君だった。「黒田さんは元気でいらっしゃいますか?」と、訊かれた。私は黙って天井を指差し、それから応えた。『年が明けると二年になりますが、残念なことに亡くなりました』と伝えた。
「未だ若かったでしょうに・・・」、そんな会話を暫くした。そう云えば、年明けには黒田の三回忌を迎えるか、早いものだ・・・・。
ご婦人だが中々の酒豪のように見受けた。会がお開きとなってから、『人形町で一杯やりませんか』とお誘いすると、「いいですね」との応え。マッチャンと、何処にする?と。ローカーボ?、駅に近い「ちょっぷく」でどうかな?なんて。結局、我等が迷店「ちょっぷく」へと誘ったのである。
店に着くと、店長のYAMAちゃんが、「そこでいいじゃネェか」という、蚕棚のようなベンチ席となった。しかし、ここでどんな会話をしたのか覚えがないのだ。写真を撮っている、これを見る限りマッチャンはロクデナシの会話をしている気配が?オイラは真っ当な会話をしたんだろうか?
マッチャンの左指先が怪しい! が、二人とも乗りがいいね!
多分、22時を過ぎた頃合いに『門限だ、引き揚よう』と、言ったはずだ。そして池袋だか所沢に帰ると言う客人を、東京駅までならタクシーが早いからと、交差点で車を止めて見送った。見送ったシーンの記憶は残っていた。私の帰宅は、23時過ぎであったろう。
然し、若しかしたら客になるかもしれない方を、「ちょっぷく」の案内でよかったのか? 気が利かないやつだ、と思われても仕方ないな。個人的には、食べたくも飲みたくもない状況だったからネ。自分本位、自己中心オヤジの鑑だな、俺って!
帰宅すると、末娘のAZUSAが来ていた。AKIさんの写真を見せ、前夜のことを話てやった。が、でてきた言葉は「お小遣い頂戴」だった。このおおバカ野郎~!
さて、与太話は程々にし、今朝の弁当に移ろう。残念なことに、今日も一つ弁当なのだ。
先ずは野菜ものだが、椎茸・小松菜・薄揚げの煮物。椎茸とチンゲン菜の炒めものは、牛小間炒めに添える。魚は、冷凍の塩秋刀魚。刻みネギの卵焼き。米二合は鍋で炊いた。簡略な紹介ながら、以上だった。