9/12(木) 昨夜、大津市で執り行われた田中家の通夜から戻ったのは24時前となった。それでも、新幹線で京都、~JR大津は指呼の間を思わせるぐらいに近い。京都を発ち山科、次が大津なのだから直ぐに着く。
通夜の行われた浜大津シティホールは琵琶湖畔にあった。jR大津駅からは車で10分も要しない。6時半頃に大津駅からホールに向かったが、駅前の商店街は大方が閉まっており人どうりもない。
大津は、今年の4月に琵琶湖疏水の取材の為に訪れたがTOKIOの車だった。冷たい小雨と風の中を取水口を探してウロウロしたが、行き交った処に目指すホールがあった。偶然とは云え、因縁であろうか。
通夜で、T・NOBORUは喪主の挨拶をした。しみじみと父を語り、何時ものNOBORUの声の小ささが丁度よかった。亡くなった父親は浄土宗の門徒で、地元の寺の総代を永く務められたとのこと。導師を務められた西念寺の住職が話された亡父への感謝の言葉の数々が、その人柄を偲ばせた。
通夜式が始まる前に、何を思ったか祭壇の写真を撮った。後日、NOBORUに渡そうと思い立った。
さて、昨夜の疲れ(歩くのが不自由なので疲れるのだ)か、蒲団に入って読み始めた本の所為か、今朝の目覚めは何と7時前となった。蒲団の中で足を動かすが、右足は役立たずで痛むだけ。朝のうちに医院へ行こうかと思ったが・・・。
それでも弁当に向かう・・・
起きてみると、何のことはない。歩いても膝が痛まない。こりゃいいやと、時間が押していたが弁当を作る気になった。上手い具合に、時間の早い長女は仕事が休みとのこと。大急ぎで家人と末娘の弁当作りとなった。
何の趣味もない男とは云うやつは、哀れなものだ。パブロフの犬の如くに、ワンパーターンの行動となる。哀しきかな、オヤジの弁当である。
ご飯が炊きあがる40分の間で菜を仕上げる。手抜きか?そんなことはない、精一杯やっているつもり。定番の卵焼き、鯖の麹漬、鶏肉と根菜(大根・人参・シシトウ)の煮物と、昨日作ったハンバーグ(冷凍で取り置いた)であった。
ご飯の上に、小僧の沖縄土産の佃煮・豚味噌を乗せて仕上がりとなった。娘が騒ぐ「弁当の蓋が閉らない・・・」。
結局、医者に行くのはもう少し様子をみてからにした。が、出勤のために歩くと傷み始めた・・・、これって出社拒否症か?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます