12/13(金) 此処連日にわたり昼飯が重い。月曜日の吉野家・新メニュー「牛すき鍋膳』に始まり、YOSHIOのお誕生日祝いの、天や「海の幸天丼」、マックのダブルバーグ。極め付きは昨日の「牛すき鍋膳(大盛り」、となった。いづれもYと一緒だが、普段は食の細いYが、昨日は牛すき鍋膳を食し、おまけに大盛だった私のご飯を完食した。食事を摂りながら、食し終えた後に出るのは「喰い過ぎだぜ」の合い言葉。
Yは夏、胃の大出血をやらかしている。大量の輸血をしたので、体質や感覚が麻痺か?昨日は、今日は“牛すき鍋膳”を喰うと気張った。心も体も寒い、おまけに懐も寒いと云いながらも、喰わずにはおられん心境になっている。と、云うのは・・・。
前日に私が読み終えた「日本を捨てた男たち」(集英社文庫・開高健ノンフィクション賞受賞作)と云う、フィリピンに居る困窮邦人のルポルタージュ本をYに渡した。登場する男たちのドン詰まり、極貧、自業自得・身から出た錆、戻る場所も生き場もない暮らしのオンパレード。どん底生活のフィリピン人の恵みと善意に縋ってしか生きれない、哀れな男達の末路。こんな本を読んで、暗い気分に、明日は我が身と重ね合わさってきたのだ。
ナイーブなYが、温かな安飯でも喰って気を紛らわしたくなる気分は、手に取るように解かる。私は、『大盛』、飯は普通盛りにと注文したが、大盛りの丼飯が付いてきた。Yに、これ喰うかと云うと「喰いますよ」と、やけくそである。丼を取り替え、クジラの脂身のような牛すき鍋を喰ったのである。
ベローチェで安コーヒーを呑みながら、寒さ知らずの異国の暮らしに話題が及ぶ。『フィリピンに行くときや、飛行機代ぐらいは出してやるぜ。餞別に』などと言いながら『俺も一緒か?』と、落ちがついた。
-夜の部-
夕方、八重洲富士屋ホテルにて地元の区議会議員の会に顔を出す。国会議員の諸氏、都議会議員やらと30分以上の挨拶話を聞いてから、乾杯のビールを一口で、義理は果たしたと退出、田町へと向かった。
田町の某社倶楽部ハウスにて開かれている、元いた会社の剣道部忘年会に出席した。剣道部が何十年とお世話になってきた、元社長のTさんも顔を見せてくれていた。OBのOさんも元気な姿で、今度孫ができると嬉しそうだ。どっかの瘋癲オヤジ風のOさんだが、優しい方である。未だ早朝からの稽古に行っていると云う。今年一年の活躍ぶりや、来年度の予定が紹介される。道場とはすっかり縁遠くなった私だが、後輩たちの元気な姿を見ると嬉し限りである。
21時忘年会が散会となったので、夕方に連絡を貰っていたY氏に電話をした。すると、まだ人形町で飲んでいるとのこと。Y氏とは一献交わしながら、意見交換をしたかった。彼は、「ICT教育ニュース」と云う当社の新事業の発案者である。そこで人形町に戻ることとした。
「ローカーボ」の、奥のテーブル席でスタッフのAKAGIとY氏が飲んでいた。ハイボール飲りながら、ICT教育ニュースの今後について話を聞く。何処へ行っても話を聴く、訊くのが最大の仕事である。拝聴するぐらいの気持ちが必要であろうが、専ら聴く、聞く、訊くである。
そうこうするうちに、スタッフのFが漸くやってきた。改めて教育ニュースの事業展開の有り方など・・・。足りないのは自主性・創造性・計画性・行動力である。と云うことは、全てが足りないと云うことか・・・。
そんな話をしながら、聴きながら、連戦・連投、各地のグランドやマウンドに出没を続けている私は、先に失礼をする。23時35分、寒風の中を無事帰還した。