八丈島
島へ初めて行ったのは、1967年だと思う。そして、2年後の秋に再訪した。
当時は、飛行機はなく(あっても金がなかったが)、竹芝桟橋から東海汽船に乗り(夜だったと思うが、定かでない)翌日の朝9時頃か、底土港へ着いた。
4月のはじめ、沖から黒い島影が見え、それがぐんぐんと大きくなり、朝の陽光の中、港に入った。
島は暖かく、島全体フリージヤの香りに満ちていた。いや、あまりにも花の香りの印象が強くそう感じたのか。僕は、それまで、その花、フリージヤのことを知らなかった。
島が、その花と温もりを教えてくれたのだ。
それから、フリージヤは僕が大好きな花になった。
この花の香には、遥かに去っていった時代の、時の温もりや、情けと云うものの残滓が抱合されているのかもしれない。
乗ってきた船はすぐに出港し、お金もない僕達は、無謀にもこの島で5~6日を過すことととなった。
南の島だから野生のバナナがあるぜ、食い物の心配は要らないよ!と誰かが云った。
そんなことあるわけねだろ~。と思いながらも、何となく信じたい気持ち。
僕の所持金は千円位だった。
高円寺の駅前通りで友人の下宿に向かう途中で、彼等が連れ立って駅に向かってくる。
「これから、八丈島へ行くから一緒に行こうぜ」
僕は、竹サンダル履きにポッケの中の僅かな所持金だけ。不安を感じつつ、誰かが持っているだろうと気安く同行したのだが・・・。
島へ初めて行ったのは、1967年だと思う。そして、2年後の秋に再訪した。
当時は、飛行機はなく(あっても金がなかったが)、竹芝桟橋から東海汽船に乗り(夜だったと思うが、定かでない)翌日の朝9時頃か、底土港へ着いた。
4月のはじめ、沖から黒い島影が見え、それがぐんぐんと大きくなり、朝の陽光の中、港に入った。
島は暖かく、島全体フリージヤの香りに満ちていた。いや、あまりにも花の香りの印象が強くそう感じたのか。僕は、それまで、その花、フリージヤのことを知らなかった。
島が、その花と温もりを教えてくれたのだ。
それから、フリージヤは僕が大好きな花になった。
この花の香には、遥かに去っていった時代の、時の温もりや、情けと云うものの残滓が抱合されているのかもしれない。
乗ってきた船はすぐに出港し、お金もない僕達は、無謀にもこの島で5~6日を過すことととなった。
南の島だから野生のバナナがあるぜ、食い物の心配は要らないよ!と誰かが云った。
そんなことあるわけねだろ~。と思いながらも、何となく信じたい気持ち。
僕の所持金は千円位だった。
高円寺の駅前通りで友人の下宿に向かう途中で、彼等が連れ立って駅に向かってくる。
「これから、八丈島へ行くから一緒に行こうぜ」
僕は、竹サンダル履きにポッケの中の僅かな所持金だけ。不安を感じつつ、誰かが持っているだろうと気安く同行したのだが・・・。