この表の、一番最初の「飯野高宮神山神社」について考えてみました。
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倭姫命世記によると、垂仁天皇22年(302)に倭姫命が「飯野ノ高宮」で4年間(現在の2年に相当)天照大神をお祀りされた。
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倭姫命世記は、作り話が多くあまり参考にはならないと思いますけど、このところは事実を伝えているのではないかと思うのです。
斎宮のレイラインが交差する場所からの、冬至の日の入りに当たる場所が本殿です。
さらに、「飯野高宮神山神社」本殿からの冬至の日の出の位置に内宮本殿があります。
サタヒコにとっては、重要な場所です。
祭神は、「猿田彦命 天鈿女命」です。天鈿女命=アジサハヒメなので彼女の御霊も伊勢に来ていると
そう思っていましたけど、二人が祭神になっているということは、後に決めた祭神なのでしょうか?
神社が出来た時には、サタヒコはまだ生きていて、「神」にはなっていませんからね。
そうすると、「猿田彦神社」も彼の死後に出来たことになる。
そして、天鈿女命=アジサハヒメの御霊はこの時には伊勢に来ていないことになります。
それについて、おいらは勘違いしていたかもしれない・・・
話を元に戻しましょう。
「高宮」とはどういう意味か?検索しても何も出てきません・・・
「飯野高宮神山神社」は、元は山頂にあったとの説もあります。
ですが、レイラインが示しているように
サタヒコそして、倭姫が伊勢に来た時からここにあるとしていいでしょう。
頂上は、見晴らし台、そして狼煙を上げる場所なのかもしれない。
「高宮」とはそのような意味と考えるのが当たらずとも遠からずと思うのです。