たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

茅原大墓古墳のレイライン

2024-07-28 16:06:23 | レイライン


被葬者は、はっきりわかりませんけど、倭姫でしょうか?

レイラインがありました。


なんと、鏡作坐天照御魂神社です。

この意味が分かりません。



さらに

八大竜王 辯財天 大神 龗神神社 遙拝所・・・

八大竜王 は、サタヒコ   辯財天 は、ヒバスヒメ    龗神は、倭姫ではないだろうか?









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西殿塚古墳からのライン

2024-07-28 14:44:18 | レイライン
レイラインではありませんけど、ご紹介します。



箸墓古墳は、このラインから外れます。

これをどう考えましょう?

青色のラインに並ぶ、古墳はヒバスヒメの子である可能性が高い。


今まで、箸墓古墳は倭姫の墓だと思っていましたけど、違うかも・・・

このラインのうちの一つでしょう。

ヒバスヒメの子供は倭姫と、景行天皇。

渋谷向山古墳(景行天皇 山邊道上陵)と言われています。(4世紀中頃~4世紀後半頃)

行燈山古墳(4世紀前半頃)は、  ” 崇神天皇陵 ”  というのが間違いで、これが、倭姫の古墳だろうか?

そうすると、茅原大墓古墳(4世紀末葉頃)は?  垂仁天皇か?  そうすると、順番が違うね。

築造の推定時期が正しいものとすると、

行燈山古墳  (4世紀前半頃)
渋谷向山古墳 (4世紀中頃~4世紀後半頃)
茅原大墓古墳(4世紀末葉頃)

一番古い、行燈山古墳(墳丘長は242m)が、垂仁天皇

渋谷向山古墳(墳丘長300m) 12代景行天皇の陵に治定されているということで、そのとおり。

茅原大墓古墳(墳丘長約86m)が、倭姫だろうか?









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西殿塚古墳

2024-07-28 14:08:24 | レイライン
西殿塚古墳を、google地図で調べると(継体天皇皇后 手白香皇女 衾田陵)と出てきますけど、

違いますね。

前回書いたように、山中大塚古墳の娘のヒバスヒメと考えるのがピタリときます。




行ってきました






案内板


築造時期 これら2基の古墳の築造時期については、これまでの
発掘調査等で出土した初期埴輪からみて、 特殊器台形埴輪を主体と
する西殿塚古墳が先行し、 次に朝顔形埴輪・鰭付円筒埴輪鰭付
円筒埴輪が出現する東殿塚古墳が築造されたものとみられます。 し
かし、出土遺物が示すそれぞれの古墳の時期に大きな隔たりはなく、
埴輪の出現から成立期 (3世紀後半) に連続的に築造されたものと
考えられています。





東殿塚古墳に行こうとしましたけど、ちょいと無理でした。



この場所がおそらく境と思われます。




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燈籠山古墳から見た秋分の日の日の入りの一日前のライン

2024-07-16 13:24:01 | レイライン
前の記事で、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳は、きれいに並ぶと書きましたけれど

よく調べると、違います・・・

googleの地図では、西殿塚古墳の位置が後円部の中心に無いです。

中山大塚古墳と西殿塚古墳の中心部に線を引くと今度は、

燈籠山古墳の後円部の中心がずれてしまいます。

しかも、燈籠山古墳は、向きが東西です。

年代も少し遅いようです。

このことから考えると、中山大塚古墳、そして西殿塚古墳とは、少し離れた関係にあるのかもしれません。

気になるのは、中山大塚古墳から見た西殿塚古墳の方向に何か意味があるのかということ?

もしかして・・・五社神社は?





中山大塚古墳と、五社神社を結ぶと、西殿塚古墳の後円部の中心を通ります。

後円部の中心は、多くの場合被葬者の棺のある場所です。

その、五社神社とは、ヒバスヒメ、サタヒコが、生まれ育った場所と思います。

現在、神社自体は小さいですけど、周りは公園になっています。

このラインはおそらくその解釈でいいと思います。

ですけど、前頁に書いた、松岳山古墳 と、仲津山古墳のラインですけど、やはり難儀しています・・・

春分の日、秋分の日のラインは一日前のラインを使っているということがあるようなのです。

そうすると、ラインがぴたりと合うことがいくつかで見られます。

今回もその可能性を調べたら、燈籠山古墳から見た秋分の日の日の入りの一日前のラインが

ピタリとくるのです。

悩ましい・・・

今後の課題です
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松岳山古墳

2024-07-15 04:42:06 | レイライン
松岳山古墳
大阪府柏原市国分市場1丁目6−21




国分神社(柏原市)を通り抜けた山の上にあります。

夏祭りのようで、何人かの人が準備中のようです。

古墳を見るには、許可が必要とのことなので、氏子さんと思われる方にお聞きすると

入口まで案内していただきました。



頂上まで、登ると



ありました。



立石ですね





穴をアップ


蚊が多いので、早々に退散です。

案内してもらった方にお礼を言うと、「子供のころは、あそこでよく遊んだもんです」とのこと。


レイラインです


なんと、中山大塚古墳の近くの西殿塚古墳からの春分の日のライン上に

松岳山古墳 と、仲津山古墳の二つの古墳が浮かび上がります。

どういう関係なのでしょう?

仲津山古墳(仲津姫命 仲津山陵)は、大和川の下流にあります。




春分の日のラインは特定しにくいので、難儀しました。

おそらく、このレイラインでいいかと思います。

西殿塚古墳は、今までノーマークでしたのであらためて考えてみましょう。

西殿塚古墳(継体天皇皇后 手白香皇女 衾田陵)


中山大塚古墳の北東350mのところにあります。

資料を見ると、時代が 「3世紀後半に築造された古墳時代前期前半の古墳と考えられます。」

と書いてあります。そうすると、手白香皇女衾田陵とは考えにくいです。

そして、時代ももう少し後かと思われます。300~350年ぐらいでしょうか。

こちらこちらを参考にしてください。

中山大塚古墳の被葬者は、サタヒコの母親 (河上摩須郎女命)と思います。

いろいろと調べていると、なんと、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳は、きれいに並ぶのです。青色の線です。

左上に伸びているレイラインは、夏至の日の入りのライン。大和神社を通ります。



右上に伸びている黄色いレイラインは夏至の日の出のライン。

何処へ向かうのかというと


広沢神社(広沢天神)です。ここは、サタヒコの最初の妻である、アジサハヒメ(アメノウズメ)

が、祀ってあるところです。

レイラインの測量者も、アジサハヒメも、サタヒコの母親 (河上摩須郎女命)もみな同じ

丹波から来ていることを考えると、納得がいきますね。

さて、中山大塚古墳、燈籠山古墳、西殿塚古墳が並ぶ青色の線は、何処を通るのか?

色々調べましたけど、わかりません。


さて、順を追って考えましょう。

まず、燈籠山古墳、西殿塚古墳の被葬者は、中山大塚古墳の被葬者の子じゃないのかな?

というより、西殿塚古墳の被葬者はヒバスヒメでは?

燈籠山古墳は、ヒバスヒメの兄弟かも?

そして、松岳山古墳 は、ヒバスヒメの子。

仲津山古墳は、そのまた子。つまり、中山大塚古墳のひ孫になると思う。

佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)とされていますけど、地理的に無理があると思う。



なぜなら、この付近は、古い土地で、崇神天皇や垂仁天皇が住んでいたところです。
                 ps これ間違っています ↑

ヒバスヒメは、岐阜からここに連れてこられたのでは?

倭姫、景行天皇はここで育っていると思います。

その場所を、岡山から船団を率いて、サホヒコと、サタヒコが攻めていった場所と思います。

ですから、その場所にヒバスヒメの古墳があるということは考えにくいのです。

西殿塚古墳の墳頂には吉備(岡山) で制作されたとされる特殊器台が確認されているとのこと。

いかがでしょう?


































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