たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

瀧原宮をもう一度考えてみます

2022-10-02 05:36:16 | 猿田彦
以前のブログです。

なぜ、月夜見宮からのレイライン上にあるのか?

鍛冶が関係していると考えるのが適当ではないだろうか。

外宮では、燃料とする木材の調達が難しくなってきたのでしょうか。

それとも、人の出入りが多くなり、鍛冶をすることが出来なくなった。

もしくは、鍛冶の技術を秘密にしたかった。

まだ他に理由があるかもしれませんけど、なんだかの理由で宮川の上流に移動した。

しかも、久具都比賣神社のさらに上流です。川沿いに行った場合の距離は30kmぐらいあります。

徒歩だと、3日くらいかかるでしょう。人を近づけないという場所としてはうってつけですよね。

帰りは、小さな船(カヌー?)を作ってそれに乗れば、簡単に久具都比賣神社に行けます。

そこで、鉄と辰砂を交換して外宮まで行けば運搬はスムーズにいきます。

まあ、これはおいらの推測でしかありませんけどね・・・

瀧原宮が、内宮よりも早く出来たと言われますけど、もしそうなら、わりと早い時期に出来ています。

ということは、燃料の木が不足するということは無かったことになります。

そうすると、鍛冶の技術を知られたくなかったという理由が有力になります。














コメント
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