たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

神路通り

2022-10-01 05:43:45 | 猿田彦
鉄素材は、まず、月夜見宮から陸揚げされ、外宮に向かいます。

その間の道を、現在では「神路通り」と呼んでいます。一度歩いたことがあります。

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神路通は、外宮の裏参道と月夜見宮を結ぶ道で「神の通う路」と言われています。
夜、石垣の一つを白馬に変え、その馬に乗って行ったそうで、夜は神様に出会わないように道の真ん中をさけ端を通ったと伝えられています。
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サタヒコの時代には、馬は日本には居なかったのではないかな?

五世紀前後の時期、古墳時代中期からですよね。

神宮のHPより引用させてもらいます
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豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所のみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
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雄略天皇 (418年~479年)

 このころの話ですね。ならば、馬がいるでしょう。

雄略天皇の事を調べると、サホヒコやサタヒコの事をよく知っておられるようなのです。

白山中居神社は、景行天皇12年の創祀ですけど、

雄略天皇9年に護国鎮護のために剣を奉納したそうなのです。

これは、サタヒコ達のいきさつを知っているということになります。

でもなんで、等由気大神を丹波から呼んだのだろう?

アジサハヒメ(アメノウズメ)を祀ってある場所は、伊勢には、最初からなかったのだろうか?

ならばおいらは、勘違いをしていたことになるけど・・・

良く考えると、アジサハヒメを伊勢に祀る意味がないですよね。

でも、三種の神器の勾玉は誰の御霊を宿しているのだろうか?

つまり、八咫鏡は、天照大神。 天叢雲剣は、彦坐王。 

八尺瓊勾玉は、誰?ということ。

分からなくなってきた・・・


コメント
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