最初は、倭姫の古墳かと思っていたけど、違いましたね。
改めて、箸墓古墳からのレイラインを見てみましょうか
鏡作坐天照御魂神社を通ります。
なので、鏡作坐天照御魂神社に関係する人。
そして、斎宮の特異点からの春分の日の日の入りをもう一度調べました。
斎宮の特異点については、こちらとこちらを参考にしてください。
前回は、箸墓古墳のくびれ部分から計測していますけど、鏡作坐天照御魂神社のレイラインは
後円部の真ん中からの測定なので、そちらが被葬者の場所かと思います。
それから、この時代の測量者たちは、春分の日のレイラインを、
その日の前の日に測定をしているようなのです。
春分の日のレイラインは、およそ4年でほぼ同じところに戻ってきます。
調べてみると、今年ではありませんでした。2026年の3月20日の春分の日です。
そして、その前日の特異点からの日の入りは
後円部の真ん中を通ります。
被葬者は、サタヒコと関係の深い人物と思われます。
箸墓古墳から見た、茅原大墓古墳のレイラインは、真ん中より少しずれます。
これはどういうことかというと、
茅原大墓古墳は、そこから見たレイラインの上に箸墓があるということ。
つまり、箸墓より後に設計されたということです。
なかなか建設許可が下りなかったんでしょう・・・・(笑)当然でしょうね。
さて、これだけの事実をあわせもつ人物は誰?
なかなか答えが出ませんでした。でもわかりました。
彦座王でしょう。
おいら、あまりにも白鳥塚古墳を意識しすぎていたようです。
以前、このように書いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
”
「南北方向に主軸を持つ二つの埋葬施設が東西に並んで存在する可能性が指摘されている。」
とのことです。つまり、二人埋葬されているわけですよね。 ”
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彦坐王は、いったん白鳥塚古墳に埋葬されたかもしれません。
しかし、その後箸墓古墳に移動したと考えると、すべてのつじつまが合います。
それをやったのは、景行天皇と思います。
偉大な、おじいちゃんですからね。
これで、奈良の気になるレイラインは大まかに調べることができました。
まさか、箸墓古墳の被葬者が彦坐王とは思いませんでした。
いつものことですけど、また新しい事実が分かると、今まで調べたことが違ってしまうこともあります
それを繰り返しています。
でも、その結果、だんだんと精度が上がってきているならば嬉しいな。