たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

紀元前 600 年

2022-10-07 06:14:27 | 猿田彦
「 人はどのように鉄を作ってきたか 4000年の歴史と製鉄の原理」 永田和宏 

この本から引用します
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中国 には 製鉄 法 は 紀元前 600 年頃 に 伝わり、 銑鉄 が 作ら れ、 鍬 や 鎌、 鑿 などが 鋳造 で 作ら れ、 紀元前 512 年 には 鉄 の 大釜 が 鋳込ま れ た。
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ここで気になるのが、紀元前 600 年なのです。

日ユ同祖論でも出てきますけど、古ユダヤの「失われた10支族」の時代とピタリ合うのです。

ウィキペディアより引用します
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旧約聖書のアブラハム(紀元前17世紀)の孫はヤコブ(別名イスラエル)であり、ヤコブの12人の息子を祖先とするのが、イスラエル12支族である。12支族はアシェル族、エフライム族、ガド族、ベニヤミン族、イッサカル族、ルベン族、マナセ族、ダン族、ナフタリ族、ゼブルン族、ユダ族、シメオン族に分かれているとされる。孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住した後に、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。400年程続いた奴隷時代の後に紀元前13世紀にモーセ(モーゼ)は民族をエジプトから連れ出し、イスラエル12支族はシナイ半島を40年間放浪し定住を始め、200年程かけて一帯を征服して行く。カナンの地に住み、ダビデ王(紀元前1004年‐紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂して、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方は文書に残されていないため、2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。アッシリアに征服された後、信仰を深めるため、信仰を邪魔されない場所に移るとして、消息不明になったとされる
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「指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。」と書いてありますけど、

その他の人々が不明なんですね。

その人たちが、製鉄の技術を持っていたのかどうかはわかりません。

もし技術があったなら、製鉄を中国に広めたのが彼らの可能性が高くなるのですけど。

もう一つ気になるのが、「皇紀」というもの。

『日本書紀』の記述から割り出した神武天皇元年の年が、西暦紀元前660年なのだそうです。

まあ、これが正しいかどうかは日本書紀の編集者に聞かなくてはわからないでしょう・・・

司祭は船で東に向かったという話を聞いたことがあります。

もしそうなら、いち早く日本にたどり着いたのが、彼らでしょう。


コメント
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