たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

  丹後半島のレイライン その9 途中ヶ丘遺跡、扇谷遺跡

2021-09-03 14:01:26 | レイライン
驚きましたね。比沼麻奈為神社から見た夏至の日の出が途中ヶ丘遺跡にピタリとヒットするとは。。。

もう一度、場所を確認しましょうか。






比沼麻奈為神社から途中ヶ丘遺跡までの直線距離は、3.1km それぞれが非常に近いですね。

ここは関係がありませんと書いてある所は、お昼ご飯を買ったスーパーです・・・←わざわざ書くな!


途中ヶ丘遺跡と、扇谷遺跡は距離も近く関連があると言われます。

その扇谷遺跡の出土に「鉄滓」があります。これは、製鉄をしたときに出る不純物なのだそうです。

それがこの場所にあるということは、ここで製鉄が行われていたと言って良いようです。

以下、「古代の鉄と神々」真弓常忠 著 と言う本から引用します

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この鉄滓は弥生時代前期末から中期初めの土器片とともに出土し
たもので、大きさは長径六携、短径四、厚さ三芳のこぶし大のもので、分析の結果、木炭で還元
する砂鉄精錬に特有なファイヤライト(鋼)と酸化鉄の混合組織で、表面も鍛冶滓にみられる凸凹が
多く、砂鉄で作った地金を鍛造する際に生じた鉄滓と判明したという。これによって近畿地方に弥
生時代に製鉄の行われていたことが明らかになった。扇谷遺跡からはほかにガラス小塊・管玉・紡
錘車・ナイフ型石器、石包丁、鉄斧などが出土しているところから当時の最先端技術が集結してい
たものとみられる。
・・・・・・・・・・・・・・・


この付近には、ほかにもたくさん遺跡があります。それぞれの関係を調べるなどはおいらには

無理ですので、こちらの方の報告を参考になさってください。

ここで製鉄をやっていた人たちは誰?

そう考えて、ふと思ったのが、「徐福」又は「徐巿」←こちらが本名

本人でなくとも、その技術者集団の一部かもしれない。

そして、サタヒコと行動を共にしているレイラインの測量集団もその人たちの仲間かもしれない。

サタヒコの母親と一緒に美濃、尾張にやって来たのではないでしょうか。


コメント
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