たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

丹後半島のレイライン その 24 古墳の関係

2021-09-30 06:29:47 | レイライン
さて、どう検証しましょうか?

まずはデーターを見ましょう

昼飯大塚古墳     150m    埴輪 、鉄製品
蛭子山1号墳     145m    埴輪 、鉄製品
網野銚子山古墳   201m     埴輪
神明山古墳      190m      埴輪

鉄製品については、見つかってないだけかもしれないので重要視しません。

単純に、古墳の長さで考えると昼飯大塚古墳と、蛭子山1号墳は似ていて

網野銚子山古墳と、神明山古墳 も似ています。

昼飯大塚古墳(美濃)を除いた、丹後半島の古墳の場所を考えましょうか。


https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1sSL0_yMku9wtn4hpPhuHHtWz6d7_VUTE&usp=sharing  クリックでたぶんは入れると思います。

時間がたつとアクセスできない場合があるようです。

まず、籠神社から南に行くと蛭子山古墳があります。

これはおそらく、丹波と、近江そして奈良を繋ぐ道沿いと思います。

彦坐王もこの道を通って丹波にやって来たのでしょう。

網野銚子山古墳と、神明山古墳は、海沿いです。

こちらには、 「埴輪と出土土器から見て、神明山古墳は4世紀末から5世紀初頭にかけて築造されたものと考えられ、網野銚子山古墳よりもやや新しいと推定される。」 と書かれています。

これだけで事実が分かるなどとは思っちゃぁいませんけど、他に情報が無いので(さがせばあるでしょう)得意の妄想をしてみましょう・・・

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アジサハヒメ(アメノウズメ)が、亡くなってから、サタヒコとその子である 迦邇米雷王は

籠神社で過ごします。その後、サタヒコは、倭姫と共に伊勢に行きます。

迦邇米雷王は、まだ生まれたばかりですけど、母アジサハヒメの兄弟(どちらか不明でした)

である「若都保命」の協力で育ち、大人になると「若都保命」の娘である「高材比賣(たかきひめ)」

を妻にします。

その地で子が出来ます。

その後、父親であるサタヒコに、大垣に鉄鉱石の産地があるので製鉄をするように言われ

長男と技術者を連れて、美濃にいく。

その長男が、「息長宿禰王」。

籠神社に残った次男が、蛭子山古墳の埋葬者。

網野銚子山古墳の埋葬者は、蛭子山古墳の子。

神明山古墳の埋葬者は、網野銚子山古墳の子、もしくは弟。

当たらずとも遠からず?









コメント
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