たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

 丹後半島のレイライン その8 比沼麻奈為神社

2021-09-02 13:10:34 | レイライン


船岡神社の近くです。
白石が敷き詰めてあり、すごくきれいです。

突き当りの右側が本殿の位置です

京丹後市の説明から引用します
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主祭神は元伊勢宮・豊受大神です。社殿は伊勢神宮と同じ神明づくり。磯砂山に天降られた天女神が豊受媛神とされてます。豊受大神は、五穀豊穣を願う最高神とされており、伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神も元々はこの地から移転したと伝えられています。
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周りが山に囲まれているせいでしょうか、非常に静かです。


このような雰囲気の神社は初めてです。すばらしい。。。


なるほど、社殿は伊勢神宮と同じ神明づくりですね。


前回、伊勢神宮外宮の故地(元伊勢外宮)として船岡神社を紹介しましたけど、この比沼麻奈為神社と

他に、もう一か所「藤社神社」が候補に挙げられています。

残念ながら藤社神社には今回訪問していません。



こちらの、比沼麻奈為神社は、最初は何処とどういう関係なのかよく分かりませんでした。

あれこれ探していると、まず崇神天皇39年創祀と言う所に出会いました。


その他を調べますけどあまり情報が無いようです。

ウィキペディアによると、
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境内社に、稲荷神社と佐田神社があり、いずれも由緒は不明であるが、稲荷神社は倉稲魂命を祀り、佐田神社は猿田彦命を祀る
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なんと、佐田神社があります。しかも、伊勢神宮と同じ神明づくりとなると、倭姫が滞在した場所?

崇神天皇39年創祀と言う時期が気になります。当時の年の数え方は、今の1年で2回年を取るのです。

春と秋に一つ年をとるようです。


とりあえず、そうするとすると、39年割る2で、19.5年

崇神天皇即位は、256年頃なので275年頃、サタヒコはまだ8歳ぐらいなので当てはまらない。

ひょっとすると、39年そのままをプラスするのかな?   すると、295年。

崇神天皇は290年頃に亡くなっているので、こちらもおかしいですね。

でも、倭姫が奈良を出た年と同じ頃です。

こちらの数字が正しいとすると、倭姫が滞在した場所と言うことが現実味を帯びてきます。

でも、なんで垂仁?年とならないのか?・・・わからん!


そして、何気なく比沼麻奈為神社のレイラインを調べたら








これをどう解釈しましょうか?



コメント
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